第4話 彼女になりたい
中学のとき、ある友達がいた。
小さくて、気が強くて、運動神経抜群で。
そして人一倍、正義感の強い子だった。
ぼくと彼女は、とてもよく似ていた。
ぼくたちはすぐに仲良くなった。
いつも凜とした彼女を、ぼくは尊敬していた。
と同時に、ぼくは彼女がとても羨ましかった。
なぜなら、彼女は強くて、ぼくは弱かったから。
彼女は、入っていた部活でチームメイトからまるでそこにいない空気のような扱いを受けていた。彼女に味方はいなかった。
彼女は、一人ぼっちだった。
でも彼女は耐えた。
耐えて、耐えぬいて、彼女は引退を迎えた。
彼女は理不尽に屈しなかった。
なぜなら、自分が間違っていないことを知っていたから。
ぼくは、入っていた部活でいじめを受けていた。ぼくも彼女のように、どんな時でも凜として強くありたいと願っていた。
ぼくはひとりでも大丈夫だと思った。
ぼくには一人味方がいた。その子が先生に相談をしたことがきっかけで、いじめはなくなった。
ぼくは彼女のように、強くあれなかった。
彼女がある頃から心を病んだ。
疎外されていた頃の無理が祟ったのだと思う。
彼女はみるみる間に憔悴していった。
口数も少なくなった。
ぼくは彼女に、「お願いだから頼ってほしい」と言った。
その度に彼女は「うん」と言うが、彼女がぼくを頼ることはあまりなかった。
そのうち、彼女は「きみに迷惑かけたくない」と言ってぼくとの関わりを絶った。
ぼくも、いつの頃からか心を病んだ。
いじめられていた頃の無理が祟ったのかもしれない。
ぼくは苦しくなることが多くなった。
勉強ができなくなった。
担任の先生が異変に気づいて、声をかけてきた。
「なにかあった?」「話聞くよ。」
「ありがとうございます、だいじょうぶです」
彼女ならどうするだろうか、と考えた。
ぼくは差し伸べられた手を振り払うことを選んだ。
彼女は、周りの人を拒否し続けた。
目に見えてボロボロになっていくのに頑なに助けを求めようとしない彼女に、みんな無関心になっていった。
あまつさえ、「気を引きたいだけだ」という声まで聞こえた。
彼女はますますひとりになっていった。
ぼくは救いの手を振り払いきれなかった。
ある時、授業中に過呼吸を起こして保健室に運ばれた。
先生もついてきた。
そしていつものように「話聞くよ」と言った。
ぼくは限界だった。
意志を持たない涙が流れ続ける中で、ぼくは先生に打ち明けた。
「辛かっただろうに」と言って、先生はぼくを抱きしめた。
ぼくはぼんやりと、されるがままになっていた。
ぼくはぼくを助けてくれる人を得た。
彼女は彼女の身体を傷つけるようになった。
彼女の制服のポケットにはいつもカッターが入っていた。
運動好きで身軽な格好が多かった彼女は、半袖を着なくなった。
暑い夏でも、長袖を手放そうとしなかった。
4時間目の授業が終わり、給食の準備が始まる喧騒に紛れて、彼女はいつも別棟のトイレに向かう。
偶然帰ってくる彼女と鉢合わせたとき、虚ろな目をした彼女は、悪いことをしているのを見つかった子供のような顔でへへへと笑った。
きっとその服の下には、新しい線が何本も刻まれていたに違いない。
ぼくは、彼女がそうしていることを初めて知った。
ぼく自身痛いのが嫌いだったから、そういう類のものを進んでやろうとは思わなかった。
でも、彼女がなぜそうしているのかが知りたいと思った。
知らなければならないと思った。
初めて刃を手首に当てた時、どうしようもなく怖くなった。
彼女はいつもこんな恐怖を感じながらやっているのだろうか、とも思った。
ぼくは覚悟を決めて、深くならないように、そうっとそうっと刃を滑らせた。
一瞬の後、赤い線が滲んだ。
ぼくのほうはというと、驚くほど何も変わらなかった。
ただ、あぁこんなものなのか、と思った。
こんなことをする意味をぼくは見い出せなかったけれど、これでまた一歩彼女に近づけた気がして、ぼくはとても満足だった。
それからぼくは、何かあるたびに線を刻むようになった。
彼女が辛そうな顔をしていたとき。
ぼくが消えてなくなりたいと思ったとき。
彼女が無理に作った笑顔で笑っていたとき。
ぼくが無気力に襲われたとき。
ぼくは手首にあてがった刃を滑らせた。
回を重ねるたびに増えていくそれはどんどん深くなっていった。
痛かった。
痛かった。
それでもやめなかった。
これはぼくへの罰のようなものだと思っていた。
彼女を救えなかった罰。
彼女のように強くなれなかった罰。
ぼくはぼくを何度も殺す代わりに、何度も血を滲ませた。
ぼくは高校生になった。
彼女も高校生になった。
ぼくらは別の高校になった。
連絡先は持っているけれど、一度も連絡をしたことがない。
あの頃のぼくは、ひとつ間違っていたようだった。
ぼくらは全然似ていなかった。
ただ、あるひとつのものの表裏であっただけだった。
彼女もまた弱かった。
頼る、という強さを持っていなかった。
そのことに気づいたとき、どうしようもなく納得したのを覚えている。
彼女と離れてもまだ、ぼくはしばらく身体を刻むことをやめられないでいた。
左の前腕に6本と、二の腕に8本。
きっと一生消えることのない傷。
あるのは不便だが、消えなくてもいい、と思う。
だんだん薄れて風化していく苦しみを、嫌でも思い出させてくれるから。
と言ったら、馬鹿じゃねぇのお前、と、隣を歩く短髪野郎に頭を叩かれた。
こんな感じで、今日も今日とて生きている。
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