三度、跳ねる

櫓山Q化

第1話

 衝撃と音。

 どちらが先だっただろうか。車体が揺れて、慌ててブレーキを踏んだ。サイドブレーキを引いたかどうかは覚えていない。

 しまった。

 酔いが醒める。

 飛び出して、凹んだバンパーとボンネットを確認した。

 呼吸が止まる。

 熱帯夜。冷たい汗が首筋を落ちていく。

 俺は人を跳ねたのか。足元には瞬きを繰り返す女がいた。リクルートスーツにビニール傘。傘は今日の夕立のときにでも買ったのかもしれない。

 頭か。血が広がっている。

「大丈夫ですか?」

「た、助けて。痛い、痛い」

 生きていたのか。「痛い」

 もうそれ以上は訊かない。声も返ってこない。鼻に手を当ててみる。呼吸はあるようだ。気を失っているだけか。

 車に戻ろう。立ち上がる。

 やっと店も軌道に乗ってきて、これからってときだ。ここで、こんな名前もわからない女のために自分の人生を犠牲にするわけにはいかない。俺には子供も社員も妻もいる。俺がいなくなったら困る人間が大勢いるんだ。

 だからここで終わるわけにはいかない。

 大丈夫だ。俺なら出来る。

「あなた、どこに行くんですか」

 声を掛けられた。ドアにかけていた手を戻し、振り返った。自転車の電灯。女の子だった。たぶん中学生くらいだろうか。

「私は見ました」

 自転車を止め、こちらへ近づいてくる。黒い髪、肩には学生鞄。近所の私立女子中学校だ。良いところの子か。「あなたがあの人を跳ねるところを」

「もう死んでるよ」

 嘘を吐いた。

「だったら警察を呼ばなくちゃ」

「君、名前は?」

「あたしの名前ですか?」

「俺は三上。君は?」

 躊躇うが、結局「春野恵子」と教えてくれた。古風な名前だが、またそれが良いところの家の子なんだなと思う。

「春野ちゃん、俺には会社があって社員がいる。もし俺が逮捕でもされたら俺の会社の社員は明日から路頭に迷って生活できない。俺の家族だってそうだし、社員の家族もそうなんだ」

 財布を出した。普段は現金を持ち歩かないが、今夜は地元で幼馴染と飲んだので、子供の小遣いくらいなら持っている。

 三万円を取り出し、握らせた。

「こんなのいりません」

 手を払われる。

「じゃいくらならいい? 五万か? 十万か?」

「お金じゃないんです」

 春野恵子は携帯を取り出した。画面の照明で彼女の顔が浮かび上がる。可愛い顔だ。二十歳を過ぎたら抱きたい。

「どこに電話してる」

「救急です」

「死んでるっていったろ」

 携帯を取り上げた。

「やめてください。返してください」

 細い腕。非力だ。簡単に思う通りに動かせる。ジムで筋トレをしていてよかった。

「大きい声出しますよ」

 クソ。どこまでも正義を信じてるって感じの目をしてる。

 

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三度、跳ねる 櫓山Q化 @rosanqkan

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