第二話 宵の夢

夢はどんなものだったかは覚えていられなかった。

ただ、いつもと違うのは


「ー宵!」


誰よりもしっかりと目を見開いた日和の姿が目に入ったということだった。


「ひ、ひより…?」


おそらくその場にいた全員が驚いたのであろう、複数の目がこちらをしっかりと捉えていた。宵や友美ですら見たことのない日和の姿は、授業中に、それもとびきり静かな映像資料を見ている時間に起こったのだ。


「足立、寝ぼけるのも大概にしなさい。」


教師は静かに、しかし、確実に聞こえる声で日和を注意し、ざわつく教室の収集を図る。日和は小さな声で「すいません」と謝り、教室は元の静けさを取り戻した。


「ちょ、ちょっちょちょっと、どうしたっていうのよ。」


友美が日和の袖を小さく揺すり理由を問いただすも、本人は少し緊張しているような面持ちで宵を見つめている。


「宵…いま、夢見なかった?」

「あ、あー、えっと、見たと…思うけど。覚えてないや、あはは…。」

「本当?」


日和の表情は強張ったままだ。宵は日和の表情を解そうとわざと笑って見せるも、いつもの日和の表情には戻らない。


「たかだか夢でしょー!悪い夢はいいことの表れっていうし!」


宵はただ、友人の杞憂を晴らしたいだけだった。たかが十数分のうたた寝で、そんなにもうなされていたのかと思うと、恥ずかしいような申し訳ないような気持ちになる。

普段うたた寝の常習犯である日和でさえ、うなされて揺り起こされる事など一度もなかった。

だからこそ、大丈夫だと伝えたかっただけだったのだが…。


「悪い夢、だったんだね…。」


日和は宵の言葉を聞いて、今度は泣き出しそうな顔になる。普段とは違う日和の様子に、宵もさすがに違和感を覚えずにはいられなかった。


「ねぇ、日和どうしたの?怖い夢なら今までだって見てきたよ。だからー…」


大丈夫、という言葉は日和には届かなかった。

何かがはちきれたように、日和は教室を飛び出していく。


「日和!?」

「え!?宵、なんで!?」

「わ、私が聞きたいよ!」


教師は日和を追いかけて教室を飛び出し、他の生徒は事態を面白がって見ていた。その中の数人の自称「友人」が、興味本位で二人に声をかけてきたが、二人こそ、日和に説明して欲しかった。

そうこうしているうちに、映像の再生は終わり就業のチャイムが鳴る。

授業が終わっても、教師と日和は教室には戻ってこなかった。

その後の授業にも日和が戻ってくることはなく、とうとう帰りのHRで「体調不良で早退した」と担任教師に告げられた。


「…宵、帰ろ。」

「う、うん。」


友美と二人で帰るのは初めてだ。

夕焼けはいつもより赤く、熱く感じた。いつもだったら気にならない足音も、ローファー由来のコツコツという軽やかな音すらしっかりと聞こえるほど静かだった。


「日和、どうしちゃったんだろうね。」


最初に日和のことを口に出したのは友美だった。


「あの授業のときにさ、夢見たんだよね。」

「夢?ああ、日和がいつも夢見たら教えてって…どんな夢だったの?」

「友美と、日和が出てきてね…」


友美は好奇心を孕んだ瞳で宵を見ている。


「いい夢だったら良かったのに。」

「怖い夢だったの?」

「よく覚えてない。けど、私が誰かに殺される夢。」

「あー…たまにあるよね。」


宵はその夢を思い出そうと必死になるが、そういう時ほど思い出せないものである。ただ気味の悪い後味と、尋常ではない日和の様子が思い出されるばかりだった。


「日和、あんなしっかり喋るんだね。」


友美が唐突に言って、笑う。その声は不気味な夢を忘れさせるほど明るかった。


「びっくりしたよぉ、すごい剣幕でさ。…明日、学校来るかな。」


宵の杞憂は、友美の杞憂だった。日和と連絡を取る手段はあるのだが、日和本人の口から今日の出来事の真相を聞きたかった。

帰宅して改めて夢を思い出そうとするが、それは徒労に終わった。


= = =


爪を一枚一枚剥がされていく電波の受信が上手くできていないのかラジオからはノイズの乗った音が聞こえるなんだっけこの曲最近音楽の時間で習ったやつああそうだパニーニみたいな名前の作曲家の爪は親指からゆっくり剥がされ友美が言ってたっけパニーニじゃなくて剥がされた指からは血が滴っていてすごく痛いでもやめてくれないパガニーニは凄く体が弱くてだから指が痛いカンタービレ歌うように指が痛い人差し指の爪も剥がされるみりみり音がする明るい綺麗な音..........


...........


...................


「.....っ!!!!!!」


呼吸が浅くなっていた。暗闇のせいか、心臓の音がさらに大きく聞こえる。

こんなに寝汗をかくのは、具合の悪い時くらいだった。携帯で時計を確認する。

早朝5時あと1時間以上は寝られるが、こんな夢を見た後に寝直す気分にはなれなかった。

ベッドに寝そべり、嫌な気分を忘れようとフリマアプリを開いたところだった。


日和からチャットが入ったのだった。

画面の上部に表示されたバナーには< ごめんね >の4文字しか書かれていなかった。

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ひよりみかんせん 市川 恭佳 @fukusyakin01

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