ひよりみかんせん

市川 恭佳

第一話 足立 日和

 眩しい朝日が目にしみる。足立 日和(あだち ひより)はそんな強い日差しの中でも眠さを覚えずにはいられなかった。高台にぽつんと建っている校舎の立地と、日和の過ごしている2-A教室の窓が東側についているせいで、夏が近づくと朝でもカーテンが必要なほど日光が差し込んでいる。

 ふわ、と大きなあくびをし、学校の机に突っ伏す。木目模様の上に少しだけ涎が垂れるが、気にせずに目を閉じていた。

 そろそろだ。教室の時計は8時過ぎを指している。そろそろ、いつものタイミングで来るはずだ。


「おっはよー、日和!んわー、また涎でベッタベタ。ほら、ちょっと顔!」


 キンと通る声の主を、そのままの姿勢で目で見やる。日和の一番の友人のひとりの松山 友美(まつやま ともみ)は日和の頭をわしわしと撫でつけ、顔を上げさせるとハンカチで机と日和の口元を拭う。その後ろで、微笑ましそうに笑顔を向けているのは、もう一人の一番の友人。


「日和、今日も眠そうだね。」


 美浜 宵(みはま よい)は友美とは正反対で、どちらかと言えばいつもふわふわとしている日和と近いタイプの女子だ。

 しかし、日和と決定的に違うのはいつも眠たそうではないということ。日和はぼーっとしていることが多いが、彼女はただマイペースでおっとりしているだけでとてもしっかり者だということ。


「友美、宵、おはよ…。」

「ちょっとちょっと!おはよって言ってる側から寝ない!」

「あ、うん…」


 友美とのやりとりを見て、宵はクスクスと笑っている。日和は毎朝のこのやりとりがとても好きだった。

 今日もまた一日が始まるのだ。これから9時に向けて生徒たちが登校し、教師が教卓の前に立ってHRが始まる。中学までしっかりと学校に行けなかった日和は、高校に入ってはじめて、この二人の友人が出来たのだ。

 この生活を送るためには父親と約束したことをいくつか守らなくてはいけなかったが、それは日和にとって窮屈でも我慢でもなかった。


「あ、友美…。」

「ん?なに?」

「今日、変な夢とか見てない…?」


 友美は「ゆめぇ?」と変な声を上げながら、何かを思い出そうとしていた。


「宵も、なんも見てない…?」

「私?そうね、何か見たような気もするけど…。」


 友人たちにこのことを聞くのは日和のいつもの日課だった。


「何でもいいんだ。教えてくれると嬉しい…。」

「日和の日課だもんねー。私は特になーぁんも見てないかな。」

「私も、今日は特徴的な…夢は…」


 宵は考え込みながら少しだけ言い淀んだ。その後、顔を赤くし二人から目線を逸らす。


「お、コイツさては!?」

「や、やめてよ友美!」


 友美がニヤニヤしながら宵を肘でつつく。最近になって、宵には好きな子が出来たのだ。大方、宵はその子が出てくるような甘い夢を見ていたのかもしれない。

 日和はその微笑ましいやりとりを、目を閉じうとうとと聞いていた。



= = = =



 学校の七不思議というよりは、オカルトや都市伝説の話に近い噂が流れているのはいつの時代も一緒だった。日和はその手の話題には疎かったが、二人の友人はその手の話が好きで隙間の時間では常にそのことを話していた。


「国家機密でー…。」


 友美の最近のお気に入りは超能力だった。

 この国には沢山の超能力者がいるが、国家機密で隠され政治的にその力が使われていること。近代この国の宗教が衰退しているように見えるのは「奇跡」と称した超能力者が減っているからだ。とのことであった。


「超能力かぁー、良いなぁ。」


 友美は移動教室の合間、ふらふらと歩いている日和の手を引きながら超能力に思いを馳せていた。


「宵は、もし超能力が使えるならどんなのがいい?」

「そうだなぁ、テンプテーション系とかかな。」

「下心が透けていますよオネェさん。」

「や、やめてよ!」


 宵は一つだけ咳払いをし、友美に聞く。


「友美は?」

「私?そうだな…テレポーテーション系かな。」

「友美らしいね。」


友美はふわふわと歩いている右腕の友人にも声をかける。


「日和は?」

「えっと…私は、眠くならないやつなら、なんでも…。」


それを聞いた友人二人は顔を見合わせて笑う。次は視聴覚室で歴史的な映像資料を見る予定だが、きっと日和は誰よりも早く夢の中に入っていくことだろう。


「そうだ、こんな噂があるんだけど。」


友美は機を伺っていたように得意げな顔で話す。


「国の国家機密がリークされてね。この国が暗黙の了解として「20歳までの子供」には超能力が発現する可能性はすごく高いらしいよ。もしかしたら、私たちにも可能性はあるかもしれないじゃんね!」


日和は腕の中で夢見心地であるし、宵は信じてなさそうにニコニコと笑うばかりで、友美の味方はこの場にはいなかった。


「じゃんね!って言われても…噂でしょ?」

「だからぁー、さっきも話したとおり、超能力者は国家で保護されてるんだってぇー。」


わざとらしく頬を膨らます友美を、日和は斜め後ろから見ていた。


「ねぇ、日和?」

「ん。絶対守るよ。」


いつかの約束を夢うつつに反芻していたが、視界に入ったのは友美の素っ頓狂な顔だった。その表情を見て、この友人は本当に表情がころころ変わるな、と感心していた。しかし、彼女が問いかけていた内容とは違う返答をしてしまったと気がつくのは数刻後だった。


「ちょっとー?どうしたの日和?」

「あ…ごめん…ちょっと夢見てた。」

「もぉー!ほら、教室ついたよ。一緒に座ろ!」


宵も友美もいつものことだと気にしなかった。三人掛けの長机の真ん中に日和を座らせる。日和はただ促されるままそこに座って眠れば良かった。

しかし、3人でいるときの日和には重大なミッションが課される。それは


「涎、垂らさないようにね!」


以前日和の横で授業を受けていた宵は、日和のよだれで提出物を濡らされたことがあるうえ、日和のものとは知らない教師に居眠りは良くないと注意されたのだ。

それは日和のもだと説明すると、教師は笑って「それなら仕方ない」と濡れた箇所を避けるように受け取った。

信じて貰えて安心したのと同時に、少しだけ日和を羨ましくも思う。彼女は授業中寝ていても何も言われないのだ。

教師がこれから見せる戦争の映像資料について説明をしている横で、日和は既に小さな寝息をたてている。

友美と目が合うと、友美は「いつものことでしょ」と言わんばかりに少しだけ首を傾げた。


映像は日本ではない国の捕虜の話だった。捕虜として捉えられ、奴隷のような扱いを受けるもの、強姦、逃走を計って処分させられる者…。

その映像を見て感想を書くのが課題だが、真剣に見るごとに心が痛むような回想が続いた。宵は日和のように腕を枕にし映像から目を離した。

横目でチラと友美を見やると、友美は真剣に、真っ直ぐにその映像を見ていた。

彼女は、こういうところが強みだと思った。生きるのに一生懸命で、お節介で、明るいくせに思慮深いような…。一人で退屈そうにしている宵に話しかけたのも友美からだった。

テレポーテーションの行き先を聞いたら、きっと彼女はこう言うだろう。


いつだって、二人の元に駆けつけられるように。


そういう子なのだ。だからこそ、宵も彼女を信じていたし、彼女を守りたいと感じていた。それは純粋な友情ではないかもしれない。

彼女をとの間にいつでもいる日和のことも好きではあったし、いい子だと思うけれど友美が日和に話しかけなければ、きっと接点はなかった。

それでも、自分の秘めた感情を日和を楯にして隠していることは多々あったように思う。


古いカーペットの匂いと、聞き取れない英語の音声、横で眠る日和の寝息が重なって宵も気がつけば眠りの世界に落ちてしまっていた。


そして、夢をみた。

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