うちの庭では、

 ブルーベリーの不揃いな果実が、べたりとした生地の上で空気に匂いを抽出されている。

 合意なしにポットにお湯が継ぎ足され、茶葉が再び踊り出す。

 味など分からないのはお互い様だ。彼女の右足と左足が上下を交代して、楽しげにフォークが降ろされる。


「なんだか後味の悪い話が続いちゃいましたけど。思い出しただけなんですよ? ほんとですって。嫌ですね。なんだか。こう、この街とか私の周りとかでは悪いことばっかり起こるとかそういうことはないですから。ないですけど、思い出したことがありまして……」

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 先月の中頃だったと思いますけど、山羊が子供を産んだんですよ。うちの話です。

 それで、主人を巻き込んで大騒ぎ、なんてわけにはいかないので、あの子達だけでワインをくすねてきて、お祝いの真似事をしたみたいなんです。

 私は飲んでませんよ。見ぬふりはしましたけど。


 とにかく。それもお開きになって、その子達の中の面倒をよく見ている子が山羊のいる小屋を見に行ったそうなんです。そしたら、子山羊は鼻水垂らして寝ていたのです。親山羊も。それを以って親子仲良し、とするかについては色々あるんじゃないかと思いますけれど、その子はそう思ったみたいですね。


 さて、その子は小屋の灯を手元のランタンに移し替えて、母屋に戻ろうとしました。扉を閉めるそのときに、ふと振り返ると、なんだっけ、不審の念を抱いたって言いましたね、あの子。まあ多分、なんとなく変な感じなんじゃないかって感じたってことだと思いますよ。どこで覚えるんだか。

 それで、ランタンを頼りに小屋の中を巡ってみたわけです。動物の糞と藁の匂いのたちこめるなかで彼女が見出したのはボロきれでした。砂ぼこりにまみれ使い古された様子の布の端はぼろぼろに解れ、明白に役目を終えていました。一応彼女はそれを拾って、それで何か納得をしたのか母屋に帰ってきました。


 翌日のことです。

 鶏が鳴き、井戸に釣瓶が落とされる時間です。まだ暗い小屋であの子が灯をつけると、一瞬大きくなった炎に白い塊が照らされました。だんだんはっきり感じられるようになる鉄の匂いを裂いて、左目のすぐ前を黒いものが上から落ちてきました。

 痛みで思わず目に伸びた指に赤いものが付きました。そのせいか、白い塊に赤い色が混じって見えます。


 と、それで、彼女は気を失ってしまって。私が小屋を見たときには彼女が倒れているだけだったのです。すぐ人を呼びに行ったので気づかなかったこともあるかもしれませんが。私一人では引きずって運ぶしかありませんからね。

 運良く彼女は目蓋を軽く切っただけでした。目もすぐに覚ましましたし、そのときの言い訳の量と速さからは少なくとも彼女が元気なことをよく表していたと思います。それで、そのあとに、あの子達は小屋を調べ直したみたいです。そうしたらね、山羊が1匹足りないというんです。昨日生まれた山羊の片親がどうも見当たらない。でも、屋敷を挙げて探していたらお仕事が進まなくなりますから、勝手に帰ってくるかもしれない、ということでみんなを説得しまして、その日はいつも通りに戻ったんです。


 翌朝。私は頼まれてあの子と一緒に小屋へとやってきました。正直言って、あんまり気乗りはしませんでしたが。左腕を彼女の両腕で抱えられながら小屋の扉を開け放つと、小屋の中には明らかに血の匂いが充満していました。そしてその源を探ろうとしたとき、彼女が言うんです……。



 わっ!!!って。


 冗談です。言ったのは本当ですが。在ろう事かあの子、私を盾に落ちてきたものから逃げたわけです。私が膝入れるのに忙しくしてる隙に。ゴン、と重い音がして床に黒い塊と少年が落ちました。少年の口の周りも黒曜石の刃先も小屋の奥の積まれた骨も血に濡れています。あーあ、みたいに思った気がします。誰の目にも山羊を食ったのは明らかでした。


 そのあと少年は私の蔭から出てきたあの子に引き摺られて行き、袋叩きにされたみたいですね。文字通り。


 小麦の籾殻と茎屑の中で火かき棒と丸太と革靴にすり潰されて。血液に髄液、胃液に脳漿。袋の裏面から表面までびしょびしょになって。やがて、雑言が消えて、哀願が消えて、悲鳴が消えて、命が消えた。消えました。


 かわいそうではありますね。

 もちろん、私は殺してませんよ。見ぬふりはしましたけど。そうするとそうですね、殺していないとは言えないのでしょうか。

 私は行くあてのない彼に同情はしましたけど、別に何をしてあげられたわけでもありませんし。


 しかし、あの様子だと、子山羊は太るかもしれませんねえ。



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 雑記帳には、薄い紅茶のシミと山羊の文字だけが加わった。

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