エピローグ

終話

「その感じです、この液体は楽です。」

 充電ケーブルを何個も繋がれた男は機械的な音声を鳴らす。あの船の技術はまだ一部しか再現出来ていないため、機能を出来るだけ節約して使っているからだ。

 側に置いた彼の本体がふよふよと液体に浮いている。アンナイが帰ってから徹夜で作った試作液、5種類目がそのキューブには詰まっている。

「よしこれで量産する、少し待っててね。」

 ぱたぱたと彼女は走り去っていく。

「まさか、胎児まで脳を発達させていたとは。やはり精神は肉体に宿っていないのか。」

 ウカイがぶつぶつと高速で思考を回している。


 自動ドアが開き、オイカワが入ってくる。

「料理、作ってみたのですけれど試食してもらえますか?」

「お前は研究しなくて良いのか?」

「俺はアンナイ主任に付いていってただけですし。」

 そんな軽薄な理由で生きている人が未だにいるとは思わなんだ。

「イジュウイン、ちょっと来て。」タイミング悪くアンナイが呼ぶ。

「アンナイ主任のこと、頼みましたよ。遊びに色々教えてくれる素敵な人が出来たって、主任、はしゃいでいたんですからね。」

 何のことやら、とすっとぼけられるほど、俺は図太くない。


 数日のフライトの後、俺たちはこの国に戻ってきていた。

 彼等の騒がしい様子を尻目に俺は昨日のやり取りを思い出す。


 ※


「でも君も思っただろう、このままこれに乗って行った方が良いのではないか。置いて行かれたら2度と追いつけないのではないか、とね。」

 電信通信公社、エハラ部長は尋ねてきた俺を見て、1番にそう言った。

 挨拶もなしだなんて、よっぽどだ。

「全て貴方の思惑通り行きましたよ。」

 だからこちらも挨拶なしにそう告げてやる。

「何のことかな?」今さらすっとぼけた顔というのはどうしてこんなにも腹が立つのだろう。

「全て知っていたのに俺のやることを黙認して、アンナイを誘導して、メールを送って船を沈め、これで何のことかと言うのですか?」

 認めるなとアンナイたちに言い含めたのにも関わらず、臆面もなく事実を言い並べる。

 これは賭けだ。チップは先払い制なのはどこも変わらないだろう。

 エハラ部長は笑って、俺は賭けに勝った。

「地球の資源は有限だ、一団体の勝手で使える訳ない。しかもそれが研究の浅い、歴史も繋がりも薄い団体ならなおさらだろう?」

 いかに個人主義でも、理想主義でも、本気で沢山の人に恨まれたらどうしようもないのだ。

「だから沈めたと?」

「来いと煩いのもあったしね。断ると個人ヘッドハンティングだよ。業界のしきたりなんて気にしてくれないし、たまったもんじゃない。」

 エハラ部長はよっぽど鬱憤がたまっていたのだろう、ずらずらと文句を並べる。

「でも何であんなまた暗躍するような真似を。」

 俺は非難の意を示し、エハラ部長は心外だと顔を歪める。

「出来る限りの協力だったと理解してほしいね。アンナイ君はあの船に乗せたけれど労働契約書も送っていないし、こうして逃げ道を作ってやっただけありがたがってくれよ。」

 立場をちらつかせられると弱い。

「大きな企業ってのも色々あるんだよ。」

 ならその恩恵も勿論あるだろうな、沈黙で俺は示す。

「勿論。貴方がたの協力に心よりの感謝を示すと共に、提携先としてのより良い関係性を築いていこうではないかと考えているよ。」

「具体的には?」ここが引っ張りどころだろう。

「研究への投資と優先的な機器納入、なんてどうかなぁ?」にやりと笑う取引先をはっ倒したくなったのは何回ぶりだろうか。

 良い条件だけでない、実質的には飴と鞭じゃねぇか。うっかりわめき散らしそうになる。

 研究への投資は良い、むしろ今日はそれを勝ち取りに来た。

 けれど優先的な機器納入とは。部品が潤沢だった例の日の以前なら狂喜乱舞しただろう。即ち、帝国工業の機器は絶対に今後も納入しなければならないという契約に他ならない訳だ。

「どうしますか? あの子は結構時間のかかる研究に着手しているらしいじゃないですか、息の長いスポンサーは必要ではありませんか?

 貴方のよく行く図書館、あそこに電気を通し続けている意味、わかりますよね?」

 先行投資という訳か。

「承知致しました。」いつもの仕事の感覚に笑みが止まらない。

「では後日、契約書等作成して訪問させて頂きます。」

「ありがとう、今後ともよろしく。」

「こちらこそ、何卒よろしくお願いします。」

 がっしりとした握手、さようならで切り捨てられることのない契約。

 そうか。今まで漫然と会社に居残っていたけれど、俺はこれがしたかったんだな。

 研究に寝食を忘れる彼女にこれからは何も言えないな。そう考えながら、俺は充足感に笑みを返した。


 ※


 伊集院と名乗る彼が去った後に、江原は呟いた。

「彼奴の顔はレジスタンスの掲げるアレに似ているから警戒していたのだけれど、杞憂だったか。」

 彼の脳裏にも様々な後悔が浮かんでいたのだろう。少しの間、身じろぎもせず虚空を見つめて。

 そしてまた、崩壊した世界で少数派である彼は、何時ものように、仕事に戻って行った。


 ※


「イジュウイン。」

「んー?」

 夜、今しがた作成していた電信通信公社との契約書、こちらに有利な条件をしこたま入れたそれを置いて、アンナイの方へ振り向く。

 神妙な顔をして彼女は言う。

「どうして、助けてくれたの?」

 一瞬息が止まる。

「1人で生きるのは辛かったんだよ、俺が、おっさんなのに。それだけだよ。」

 言ってしまったらどうなるのだろうか。手が震える。

「私はね。」彼女は言う。「あの時たまたま事務所に貴方が来て、船の中でも貴方を見つけて、たまたま貴方がいたから頼ってしまったの。」

 震える身体を止めようとしている。

「全部、たまたまなの。貴方でなくとも良くって、なのに貴方は尽力してくれて、本当に嬉しくて。」

 だから、あの。アンナイは意を決した。

「今までありがとう。これからも貴方を選んでいきたいの、一緒にいて。」

 それは正しく告白だろう。遊びに行こう、だとか、ついて行きたい、だとかのお遊びの言葉ではなくて、言葉に詰まってしまう。

 俺はどうしたいのだろう。

 自分に問いかける。結論を出すにはまだ俺は後悔を引きずっている。

「時間をくれ。」俺が言えたのはそれだけだった。

 言葉に詰まった俺を見てアンナイは誤解したようだった。

「ごめん、迷惑だったかな。」

 しゅんとした彼女にかける声を忘れてしまう。

「遊びに行こうか! 」

 顔をいきなりあげた彼女は言う。

「海行ったりご飯食べたり、楽しいことしようか。」如何にもな場所を彼女は並び立てる。

「単純接触効果っていうのがあってね、心理用語なのだけれど、純粋に沢山会った人に人は惹かれる傾向があるのだって。」

 彼女は続ける。

「時間をかければ何でも出来るって私は思っちゃうのよね。だからこれからもよろしくね。」

 その輝かんばかりの笑顔を見て、時間なんてそうかからないよ、と他人事のように思ってしまった。


 ※


 何億年後か。

「とはいえ、まさかここまでの付き合いになるとは思わなかったよ。」

「遊び人の感想ね、貴方のそれは。」

 悪い奴だわ、とくすくす笑う彼女は相変わらず子供の姿で、それにたじたじになる私はそのまま20代の姿で。

 一緒にいるだけでどれだけロリコンと言われたかわからない、と少し不服に思う。

 これだけ年月が経ったのに、未だに言われたりするのはどういうことだろうか。皆の記憶力がよすぎる。

「皆、忘れられないのよ、死ぬって決まってて頑張ってた時代が。」アンナイが手を繋いでくる。

「しかも今はそれに近い状態、 思い出しちゃうわけよ。」

 彼女の指が俺の指に絡みついて撫でていく。

「お前は何も知らなかったくせに、知ったことを言うな。」

 内容とは裏腹の温かい声が口から出てくる。

「教えてくれる悪い人がいたから。」

「ついてきたのはそっちだろう。」

「最初は私が連れてってって言われたのにね。」

「その通りだ。」

 沈黙。

 既に外は暗く、ただちかちかと星が瞬いているだけだった。

「理論上はこの方角で合っているはずだけれど、大丈夫かな。」

 研究者の不安ほど怖いものはない。

「そこは大丈夫って言いきってくれよ、こっちが怖くなる。」

「でも絶対ってないからさ。」

 そんな理系的な知識のお墨付きなんていらない。

「お前が、信頼する人が大丈夫って言えば信じられるんだから、言っといてくれよ。」

「そうやって営業さんが言うからわちゃわちゃなるらしいじゃない。」

 相変わらずアンナイは真面目だ。

「まぁでもほんの0.1%以下の確率だし、きっと大丈夫ね。」

 誰かさんの真似だけれど、と彼女は笑う。

 本当はまったくポジティブじゃない私が演じたそれを彼女が真似するものだから、実際の後悔を引きずる性格を思い出す暇はなくなってしまった。


 足元には星空が広がっている。


「あっちの方にずっと行けば新しい星に着くはずだよ。」

 荷台に乗って私の背に手を回す彼女は遠く、果てしない方角へ指をさす。

「どうして自転車のような形にしたの?」

「エネルギーが枯渇しきった今、運動エネルギーが1番得やすいからよ。」

 アンナイは胸を張る。

「本音は?」

「もう1度、貴方の自転車に乗って旅してみたかったの。」

 そんなの、もう何も言えなくなるではないか。

 あの日と同じように、俺はペダルをぐっと踏み込んだ。

 今回の目的地は永遠に一緒にいられる未来だ。


『終』

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ウォーキング・デッド・ライク・ウォーク 人類は全員残さず不老不死になった後の細々とした抵抗 小早敷 彰良 @akira_kobayakawa

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