平成あやかし美食奇譚 ~ 腹ペコ鬼姫様を怒らせてはいけません
Swind/神凪唐州
第1話 はじめての『らあめん』
「うーむ、これほど並ばねばならぬのか……」
初夏の強い日差しを恨めしそうに見上げながら、大行列の真っただ中に並んだ
肌は透き通るほどに白く、髪は烏羽のように深い黒。そして、ほんのわずかに幼さを残したの面持ちに、行き交う人々はみな目を奪われていた。
高架の上には列車がひっきりなしに通り、ガタンゴトンと車輪の音を響かせている。
どこか猥雑な雰囲気のある路上の片隅で長時間待たされ、朱音はいよいよけだるそうだ。
そんな朱音の様子に、隣に付き添っていた
「まぁまぁ。美味しいものをお腹いっぱい食べたいんだったら、多少の辛抱も必要さ。ね、朱音ちゃん」
「気安く我が仮名を呼ぶな。恥ずかしい。それにこの格好はなんなのだ? ヒラヒラとしていて実に居心地が悪いぞ」
朱音が憤りながら自分の姿に目を落とす。
紺色の大きな衿のついた白い半袖に、ヒダがたくさんついた短めの紺色スカート。いわゆるセーラー服(夏用)だ。
「これが今の時代の服装だから」と玄真に渡され、しぶしぶ着替えてはみたもののどうにも落ち着かない。
特にこの『すかあと』なるものでは、膝はおろか太股まで露になってしまい、なんとも気恥ずかしいのだ。
「だからこれがこの時代で朱音ちゃんが一番似合う格好なんだって。うん、どっからどう見てもかわいいアイドルJKだね。ほら、みんなこっちをちらちら見てるよ」
そう言いながら行列に目を向ける玄真。すると、共に並んでいた男どもがさっと視線をそらした。
楽しそうに笑みを浮かべる玄真の様子に、朱音が大きくため息をつく。
「それを好まぬといっておる。なんだかむず痒いぞ」
「それだけ朱音ちゃんが魅力的ってこと。それに、朱音ちゃんが眠ってる間にそれだけ時代が大きく変わったってことだよ。その分、昔ではありえなかったようなご馳走もたんまりあるからさ」
「うーむ、何やら言いくるめられてる気がするが……。この『らあめん』とやらも確かに美味なのじゃろうな?」
「もちろん。それは保証する。っと、そろそろ開店かな?」
高架下の店の扉がガラガラと鳴り、店の中から出てきた年配の男性が入り口に暖簾をかける。
すると、獣の香りにも似た、なんとも食欲をそそる匂いが辺りに立ち込めてきた。
その匂いに反応したのか、朱音の腹の虫がくぅと声を上げる。
「……数十年ぶりの食事じゃ。美味くなければ承知しないぞ」
「わかってるって。“鬼姫様”のお望みの通りに」
慇懃無礼に頭を下げる玄真に、朱音 ―― 人の姿を借りた美しき鬼”朱夜叉の眠り姫”はフンっとそっぽを向いた。
◆ ◆ ◆
「さて、ようやく我らの番か……」
開店から四十五分、朱音たちの前には一人の男性が並ぶばかりとなっていた。
店内から出てくる客たちは、どこか苦しげに、しかしどこか満足げにお腹をさすっている。
店内から香る独特の獣臭がこれでもかといわんばかりに腹を刺激し、朱音の食欲も爆発寸前だ。
「ちょっと前にTVでやっていたからかなー、いつもよりずいぶん客が多いみたいだねぇ」
「ふむ、てれびとな……。まぁよい。いずれにせよ間もなくじゃ。ここまで妾を待たせた挙句、知れたものを喰わせられたとなれば、その首、そっくりと刎ねてくれるぞ。覚悟は良いな?」
「おお怖い。お腹が空いてるからってそんなにカリカリしたら、かわいい美少女が台無しだよ?」
玄真がやや大げさにおどけながら、財布を取り出そうと懐に手を入れる。
しかしそのとき、背後から集団ざわめきながらが近づいてくるのを感じた。
彼らは列の先頭に回りこむと、朱音たちの前に並んでいた男に声をかける。
「いやー、わりぃわりぃ。電車に乗り損ねてギリになっちまった」
「ったくー、せっかく順番とってたのが台無しになるところだったじゃねーかー。一人で待たせやがって。一杯ぐらいおごれよー」
「わかってるって。でも、逆にタイミングぴったりってことじゃね? もう次だろ?」
「だな。まぁ、とっとと入れって。さて、いっぱい食うぞー!」
先頭の男が少し前に出ると、八人ほどの若そうな男たちが朱音の前に割り込む。
しばし目が点になっていた朱音だが、ようやくその意図を理解すると、割り込んできた男たちに、やや低い調子で声をかける。
「お主たち、すまぬが我もここに並んでおるのじゃが……」
「あー、わるいっすねー。俺たち、コイツに頼んで先に並んでもらってたんっすよー」
「そうそう、ちょっと遠くからきたもんでねー」
悪びれず答える若者たち。
もちろん、その言葉に納得できるわけがない。朱音の眉がにじりと上がる。
「ほほう。しかし、それは道理が通らぬではないか? 我はここに二時間も待っておった。後ろに続くものも同じじゃ。我の前に並んでおったその者はともかく、後からきたお主らは後ろに並ぶのが筋ではないかね」
「ケッ! うっせーなー。だから代わりに並んでもらってたって言ってるだろー?」
「何もてめぇの分を取り上げようってわけじゃねーんだからさー」
「それに、二時間も待ったんだから、あとちょっと待つのが長くなったって大してかわらんじゃーん」
「そうそう。じゃ、そういうことでー」
言いたいことを言って満足したのか、若者たちがぷいと背を背ける。
その小馬鹿にした態度は、朱音の怒りを掻き立てるのに十分であった。
「道理に適わず、我の邪魔をすること、決して許されぬ。今すぐ後ろへ廻るがよい!」
「はぁ? 何マジギレしっちゃってんの? カルシウム足りてねーんじゃね?」
「なぁ、俺たちは、コイツに頼んで列をとってもらってたの。だからちゃんと並んでたのと一緒なーの」
「お嬢ちゃんにはちょっとむずかしかったかなー? あ、それとも、そうやって気を引いて、俺たちと遊んでほしいのかなー?」
若者たちの間にどっと笑いが起こる。
そのあざけりの言葉に、朱音の怒りは頂点に達した。
美しい漆黒の髪先が、燃えるような銀朱に染まっていく。
「許されぬ! 消しさっふがふがふが」
手を振り上げながら叫んだ言葉が、途中でさえぎられる。玄真が途中で口をふさいだのだ。
「はい、そこまで。これ以上揉めたら、ここまで並んだのが台無し。それに、店ごと吹き飛ばすつもりかい?」
「ぬ……、ぐっ……、しかし……」
苦しげな表情を浮かべる朱音。すると玄真は、あえて回りに聞こえるような大きな声で声をかけた。
「ああいうお馬鹿さんたちは、相手にしてもムダムダ。怒るだけ損よ?」
「ああん? てめぇも俺たちを馬鹿にしてるんか?」
「おーや、何か聞こえてましたぁ?」
朱音の前にそっと出ながら、玄真が口角を持ち上げる。
嘲りを含んだその笑顔に、若者たちが憤る。
「ふざけんじゃねぇぞ! あん? やんのか?」
「ええ、それがお望みなら。まぁ、命は惜しんだほうがいいと思いますよね?」
「なにぃ? 舐めてんのかぁ?」
にわかに殺気立つ若者たち。しかし、そんな彼らに玄真が見据える様に鋭い視線を放つ。
するとその迫力に気圧されたのか、若者たちはビクッと肩を震わせながら後ずさりした。
それを見た玄真が、ニヤリと口角を持ち上げる。
「まぁ、あなた方もこのままでは納まらないでしょう。なればここはひとつ、勝負といきませんか?」
「ああん? 勝負だと?」
「ええ。とはいっても、喧嘩じゃないですよ。コチラで勝負といきましょう」
そういって玄真は、店頭に貼られた一枚のポスターを指し示す。
そこにデカデカ書かれていたのは『これぞ究極ガチ盛りラーメン!挑戦者求む!』という煽り文句。その下には、特大の鉢の上に野菜と肉が山のように積まれたラーメンの写真が載っていた。
「これをどっちが早く食べきる事ができるか、そちらと私たちでそれぞれ一人ずつ代表を立てて勝負といきましょう。タダでとはいいません。負けた方は相手の言うことを一つだけ何でも聞く。これでいかがですか?」
「ケッ、くっだらね……ん? 何でも……何でもっていったか?」
悪態をつきかけた若者のひとりが、何かに気づいたように言葉を繰り返す。
そして、仲間にぐるりと視線を送ると、ぺろりと舌を出しながら口を開いた。
「その『何でも』は、もちろんそこのねーちゃんが相手でもいいんだよな?」
「ええ、そのつもりですが……?」
玄真から返された言葉に、若者たちが下卑た表情で舐めまわすように朱音を見る。
そのネットリとした視線に顔をしかめる朱音。
それがまた興を誘ったのか、若者たちがいよいよ鼻息を荒げた。
「よし乗った! 言っとくが、もう二言はねえからな?」
「では、契約成立ということで。っとちょうど席が空いたみたいだ。じゃ、朱音ちゃん、がんばってねー」
「ったく、面倒事を押し付けおって……。まぁよい、ちょいと小坊主たちと遊んでやるかの」
一度は玄真をギロリと睨んだ朱音だったが、その口元には、何か楽しげな玩具でも見つけたかのように、妖艶な笑みが浮かんでいた。
◆ ◆ ◆
「へいお待たせ! 究極のガチ盛りラーメン『ガチMAX気合マシマシ、一本チャーシュー&全部乗せWスペシャル』お二つです!」
「おお、これか……!」
目の前に差し出されたチャレンジメニューは、まさに聳え立つ山のようであった。
朱音の小柄な顔と比べると倍以上あるようにすら思える大きな丼。
その上に茹でたモヤシとキャベツが、サービスとして渡されたお茶のペットボトルよりもさらに高く積み上げられている。
その山すそにはたっぷりと脂ののったバラ肉のチャーシューが丸ごと一本ドカンと載り、さらに角切りチャーシューにうずら、メンマ、ネギもたっぷり盛りつけられている。
そのままでは麺は全く見ることができないが、並々と注がれた茶色のスープがかろうじて『ラーメン』という体裁を保っていた。
どう考えても尋常ではないラーメンが二杯、自然と客たちの注目が集まる。
まして『小柄で可憐な女子高生』の姿をした朱音の前にそんなラーメンが置かれているのだから、なおさらだ。
「先ほどお話した通り、制限時間は30分、スープ、麺、具、全て完食が条件ですー。準備いいっすかー?」
「こっちはいいが……本当にそっちのねーちゃんで後悔はねえんだな?」
若者を代表して勝負に挑む、いかにも喰いそうな大柄マッチョの男がもう一度確認する。
しかし、その言葉に朱音はむっとした表情を見せた。
「良いから早く食わせろ。このラーメンとやら、鼻がすでに美味いとゆうておるわ!」
「じゃ、良いってことで。それでは、チャレンジスタートです!」
ドドンと太鼓の音が鳴り響くと同時に、朱音は箸とレンゲを手にとった。
初めて目の当たりするラーメン。その巨大な丼から放たれる強烈な香りに吸い寄せられるようにスープを掬い、一口飲む。
「おお! これはうまい!!」
暴力的なまでの旨味が口の中に押し寄せる。
これは『目覚める前』に食べてきた『人間の料理』とは一線を隠すもの。むしろ、鬼族の間で食べられてきた獣の煮汁に近い。
おそらくは豚や猪の肉や骨をじっくりと煮出したのであろう。しかし、鬼族の煮汁のように、ただ煮ただけの粗野な味わいとは違う。野趣あふれる味ながらも何層も旨味が重ねられ、手間暇をかけて作られていることが伺えた。
そうなると次は具だ。朱音は野菜にも手を伸ばす。
ムシャ、ムシャ、ムシャ。
草の芽にも見えるモヤシなる野菜は、シャキシャキと良い歯ごたえ。そして緑のキャベツなるものは歯ごたえとともに甘味が感じられる。
よくスープに浸ったところなどは、まさに旨味の極みだ。
続いて朱音は、一本チャーシューに豪快にかぶりつく。
肉は想像以上に柔らかく、舌先で押しつぶしても繊維が解けるようだ。
噛みしめれば脂がジュワッと溢れだす。
小さな卵もよく味が染みており、メンマなる筍の具材もコリコリと楽しい。
「玄真! これはうまい、うまいぞ!!」
初めて食べた『ラーメン』の美味しさに素直に感動を表す朱音。
今度は麺をたっぷりと持ち上げると。ふぅと軽く息を吐き、ズルズルズルっと豪快に麺をすすりこんだ。
ゴワゴワとした極太麺は強烈な腰で歯ごたえ抜群。そして、うどんとは違う独特の風味を持った麺をかみしめると、良く絡んだスープと小麦の旨さが混然一体となる。
正に至福の味わいだ。
「を、これはアレが見れるかな……」
傍らでちゃっかり普通のラーメンを食べながら様子を見ていた玄真がぽつりとつぶやく。
その視線の先には、最初の一口二口で『ラーメン』の美味しさに虜になった朱音が、満面の笑みを見せていた。
麺と野菜、肉を交互に頬張る朱音。
大きな一本チャーシューをブチンと噛み切ったかと思うと、丼を持ち上げてスープをゴクゴクと飲み干していく。
朱音の食べっぷりに客たち が唖然とする中、静まり返った店内にジュルッ、ズルッっと音だけが響いていた。
開始から十五分、一心不乱にむさぼっていたマッチョ男がようやく一息ついた。
「ふーっ。あと三割ぐらいか……、まぁ、あんなちびっこい姉ちゃんに負けるわけが……何っ!?」
朱音の様子を伺おうと一息ついて視線を向けたマッチョ男。
しかし彼は、目の前のことが信じられないとばかりに大きく目を見開いた。
「なんだ、ずいぶんと遅いのぉ」
熱々のラーメンを啜りながら声をかける朱音。
その前には、すっかり空になった巨大丼があった。
「まったく、それは僕の分なんだけどねぇ……。 あ、そっちの方、もう勝負ついてるので無理しなくていいですよ」
ラーメンを取られた玄真がぼやくと、マッチョ男がぽとりと箸を落とした。
カランと音が響く。
勝敗は歴然だ。
「こ、こんなのデタラメだ……。人間じゃねぇ……」
落胆するマッチョ男に玄真が優しく声をかける。
「まぁ、相手が悪かったってことで。さて、我々の勝ちなわけですが……何をしてもらいましょうかねぇ?」
意味ありげに朱音へと視線を送る玄真。
美味なる食事にありつけた朱音は、ふぅむと考えてから口を開いた。
「そういえば、そんなこともあったな。うーん……そうじゃ、今日一日『らあめん』食べ歩きに付き合ってもらおうかのぉ。それでどうじゃ?」
「だ、そうですよ。よかったですねぇ。お腹が膨れて少し機嫌が戻ってたみたいです。あ、食べ歩き分のお勘定はそちら持ちで。ちなみに、逃げたらどうなるか分かります?」
「えっ、ど、どう……?」
オドオドしながら応える若者たち。
その耳元で、玄真が低い声でつぶやいた
「あなた方があんな風に美味しいらあめんにされるだけです。わかりましたね?」
「は、はいっ!!」
若者たちはぶるぶると体を震わせながら応える。
その後彼らは、朱音たちをいくつかのラーメン店に案内し、散財をさせられることとなる。
なお、その途中で案内した博多系とんこつラーメン店では『替え玉をわんこそばのように頼み続ける』という新しいスタイルを見せつけられることになるのだが、それはまた別のお話である。
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