人間の客とあやかしの店主①

 梅雨の晴れ間は非常に蒸し暑くて敵わない。湿気をはらんだまとわりつくような空気が気持ち悪く、ただ座っているだけでもじわじわ汗をかいてしまうのだから余計性質が悪い。ついでに言えば、教室の後方で各クラスに一台ずつ支給された扇風機は回っているものの、席が窓際前方の私にはその風の恩恵はこれっぽっちもない。

 私はそんな中でもちらりと窓の外を見やった。あの日、白沢さんを真実怒らせて以来、天気は梅雨も置き去りにしたように快晴続きだった。おかげで私は未だに白沢さんに会えず終いだ。

 『もうここへ来るな。』

 頭の中で、もう幾度となく繰り返した言葉が響く。……まるで、白沢さんが有言実行で天気まで変えてしまったかのようで、私は嫌でも気分が沈んだ。

 「あついーーーー…………。」

 そんな私の内心などつゆ知らず、隣の席では休み時間になったのを良いことに香が夕葵の席を占領し、これ見よがしに下敷きをうちわにしてスカートの裾をぱたぱたと動かしている。

 「香。スカート。」

 次の授業の支度をしながら私が言うと、美人だがずぼらな性格の友人は不満そうに唇をとがらせた。

 「えー?良いでしょこれくらい。暑いんだし。」

 「女子でしょ、一応。」

 「一応って何、一応って!たまったらほんと容赦ないんだから……。」

 ため息をつきながらも、香はそう言ってさりげなくスカートの裾をつまんでいた手を離した。顔はいいのだから、そうしたことさえしなければすぐに彼氏の一人や二人できるというものを。

 私はやれやれと思いながら、香にならって下敷きで風を起こしてみた。しかし、それは生温い空気をわずかばかりかき回すだけで何の効果も無い。うちわ代わりになった下敷きのぺこぺこと間の抜けた音ばかりが空しい。

 「それにしても、こーんなに雨が降らないんだから梅雨明けしちゃったんじゃない?」

 他愛もない話の流れで、香が不意にそう言ったのを、私は平然と流せなかった。

 「……それは困るかな。」

 私の呟きに、香が目を丸くする。

 「え?たま、梅雨好きだったっけ?」

 「いや、それほどでもないけど……。」

 ボロが出そうになった私が、どう繕うかを考えていたときだった。

 「たっだいまー。」

 夕葵が購買部から帰ってきた。手には昼に食べるパンと、何故か大量の飴が入った袋を抱えていた。彼女はいささかバテ気味の私たちを見ると、どうしてかちょっと嬉しそうな顔をした。

 「お、二人ともー。いいかんじにバテてるねー。そんな二人には、夕葵おねーさんから素敵なプレゼントをあげようー。」

 独特の間延びした口調とは裏腹に、間髪入れず個包装の飴を握らされる。賄賂わいろをもらっている気分だ。……いや、それはさておき。

 私はそのパッケージを見て苦笑を浮かべざるを得なかった。隣の香はあからさまに理解できないといったように首を横に振る。

 「何で塩飴……ゆきぽん、飴に関してはとことん味覚がお年寄りだよね。」

 「何を言うー。かおるちん、塩飴は熱中症対策の最強アイテムなんだぞー。」

 「あー、はいはい。そういうことにしといてあげるから……。」

 塩飴愛を語り出しそうな雰囲気を押しとどめて、私と香は改めて彼女を見上げた。

 「ゆきぽんは元気でいいよねぇ……。」

 「それは私も思った。」

 「ふっふっふー……それが私の取り柄だからねー。」

 夕葵は誰に褒められているわけでもないのだが、えっへんと胸を張って塩飴をひとつ口に放り込んだ。それから、カラコロと音を立てながらこう続ける。

 「でも、さすがにそろそろ雨は降ってほしいよー。暑くて倒れちゃいそうだもんー。天気予報じゃ、しばらくこの天気らしいけどねー。」

 「うげぇ……まじか。しんどいなぁ。」

 私は香が悲鳴じみた声を上げるのを聞きつつ、再び視線を窓の外に向けた。

 空は、梅雨も忘れた勢いで晴れている。今日もきっと、このまま雨は降らないのだろう。……次に〈六角堂〉に行くことができるのは、いったいいつのことになるのだろうか。

 私は焦れる心を抱きながら、今日も雨を降らす気がないらしい空を見上げた。

 (……ほんと、お願いだから少しだけも降ってよ。)

 もし、今後〈六角堂〉を出入り禁止になったとしても、このままずっとあの人に謝れないのだけは勘弁だった。

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雨上がりの古書店 懐中時計 @hngm

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