第4話 バスルーム
「姉ちゃーん、風呂ー」
「……はぁい」
階下から投げられた弟の声に、気のない返事をする。スマホを消灯してベッドから降り、伸びをする。夜着を持って階段を下りると、夕食の支度が鼻をくすぐる。――ハンバーグ。鉄板の上で油の踊る音。ニュース番組のアナウンサーの声。脱衣所の戸を閉じる。音が遠ざかる。脱衣所の音だけが、耳に迫る。場面の転換がここにある。このとき張り詰めた糸が弛緩するのを――安堵を感じる。
するすると衣服を下ろし、髪をほどく。折り重ねられたバスタオルを一枚ひろげてタオル掛けにさげる。
浴室に入り、ふたを開け、椅子を引き寄せて腰をおろす。湯を掬って肩に流す。洗面器を持ち上げたとき、肩の痛みを感じて気遣う。――文化祭の準備にいつもより動いたからだと、痛みは記憶に繋がる。ふと、わけの知れない悲しみが漂った。
ボディタオルを泡立たせながら、そういえば、と別の記憶が呼び出される。そういえば、帰宅路でおばさんに声かけられたな。私はその人が誰だか分からなかったけど、向こうは私を知っているようで、まじまじと私の顔や格好を見てはまあ、まあと感嘆を漏らして色々質問してくるのだった。
「まあ立派になって」
「もう中学生? まあ二年生になったの」
「おばさん分かる? おぼえてないわねぇ、小さいころ以来だものね」
「まあほんと、大きくなったのね」
腕を洗いながら、大きくなった、立派になった、と満面の笑みを浮かべたおばさんの顔が、まぶたに立ち上がってくる。その言葉を素直に受けとることができなかった。受けとれないでどぎまぎしている自分が、無様だと思った。そして、おばさんに対し、後ろめたい気持ちでいっぱいで、いち早くあの場を立ち去りたかった。立ち去りたいと思っていることにも罪悪感は伴った。ほぐすように肩を洗って、胸におろしていった。
体は勝手に大人になる。私に確認もしないで大人になる。大人になりたいなんて私は思ってないのに。知ったときにははじめから大人だったおばさんが、私をほめる。大人の体になる私をほめる。私は独りぼっちになったように寂しくなった。まだ、私は何者でもない。大人も分からないし、社会なんて知らないままだ。周りが私を大人にする。自分の誕生日が居たたまれないのも、私をおいて体だけ成長していくからだ。
また湯を汲んで、泡を落とす。濡れて光をはねかえす体は、自分のものではないように見えた。私の体が遠い。さっきから漂っていた寂しさが耐えられないうねりとなって、涙がぼろぼろこぼれた。
夜着を着て戸を閉じて、場面を転換する。
「上がったの。できてるからそのままこっち来なさい」
何もなかった風で返事をして、私はリビングのドアを開けた。
少女四景 湿原工房 @shizuki
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