エピローグ

「──ふう」

 ビラーゴを降り、ヘルメットを脱いだ。

 頭頂部を圧迫する真夏の陽射しに、思わずくらりとしてしまう。

「はー……、バイク、気持ちいねえ!」

「だろ」

 タンデム用のハーフヘルメットを外した窓海が、首筋に貼り付いた髪の毛を払い、ふるふると首を振った。

「世のバイク乗りさんたちの気持ち、わかった。こりゃハマるってもんだねえ……」

「ハーレー欲しくなったか」

「買う!」

「まずは免許だな」

「免許取るまでは、たまにでいいから、ビラーゴの後ろに乗せてよね」

「それは構わんが……」

 ちいさく溜め息をつく。

「……今日みたいに、家まで迎えに来いってのは勘弁な」

「えー?」

「窓海は気づかなかったみたいだけど、おれ、お前の母親と目ー合っちゃったからな。いちおう会釈したら、なんか、あらあらまあまあみたいな顔してたぞ」

「ふあ!」

「今夜は家族会議だな」

 ぐへへと嫌らしく笑ってみせる。

「……今日、ささみんとこ泊まろうかな」

「男と連れ立って出掛けて朝帰りってのは、いくらなんでも問題あるんじゃないか」

「たしかに……」

 保護者代わりとして、日没までには帰したいところだ。

「いいもん。ちゃんと友達だって言うもん」

「それで済めばいいけどな」

「宗八だって、他人事じゃないんだからね!」

 そうだった。

「あー……」

「ううう……」

 そんな会話を交わしながら外塀沿いの道を歩いていくと、やがて、高等部区画へ繋がる第二正門が見えてきた。高さ三メートルの偉容を誇る正門の前に、ふたりの黒服が立っている。この暑いのにご苦労なことだ。

「──……げっ!」

「どしたの?」

「今日の門番、芹沢さんだ……」

「芹沢さん?」

「ささみを連れ出したときに門番やってた、その片割れ」

「あー……」

「あの件で減給になったらしいからなあ……。素性もバレてるし、女連れで通ったりしたら、なに言われるかわかったもんじゃない」

「なーんだ、そんなの簡単じゃない」

 窓海がおれの手を掴む。

「ダ───ッ、シュ!」

「おわ!」

 窓海に引っ張られるようにして、おれは駆け出した。

 黒服のひとりがおれたちに気づいたが、時すでに遅し。

「あ、お前! 山本──」

「お疲れさまです!」

 慌てて正門をくぐり抜け、翡翠色のアーチ橋を目指す。

 そのうち、飲みにでも誘って機嫌を取ろう。幸い接待は苦手ではない。酒飲んで美味いもん食べてガハガハ笑っていれば、大抵のことは解決してしまうものである。



「──お、宗八さん! にわっち! 夏休みなのに、どしたん?」

 夜間照明付きテニスコートの傍を歩いていると、テニスウェアを着たクラスメイトの女子が通りかかった。部活動中であるらしい。

「さんじゃなくて、呼び捨てでいいよ」

「呼び捨てじゃ落ち着かないからさー、宗八くんでいい?」

 ああ、と頷き、最初の質問に答える。

「ドットラインのライブ。まあ、暇になったら来てやってよ。イシハマ電器とデイマートのあいだの細い道を抜けたら喫茶店があるから、そこな」

「あー、カミ・シモ・キートと中世末くんのバンドだっけ。あれ、すごいの?」

 窓海が楽しそうに答える。

「けっこう本格的だよー」

 ドットライン──カミ・シモ・キートwithピカソのバンド名である。惑ヰ先輩の誕生日ライブをきっかけとして、正式にピカソをメンバーに加え、本格的に活動を開始したのだという。

 ライブ会場は例の喫茶店だ。四人の演奏をいたく気に入ったマスターの厚意により、定期的にミニライブを開催させてもらえることになったらしい。舞台にも手が加えられ、レンガの上にコンポジットパネルを敷いただけの前回のものなんて比べ物にならないような仕上がりになった──と、LINEでシモが言っていた。

「そっか。練習早めに切り上げて、行ってみようかな」

「うんうん、四人とも喜ぶと思うなー」

 クラスメイトと別れの挨拶を交わし、星滸寮への道をのんびりと歩いていく。

「……みんな、おれが年上だってわかっても、あんまり態度変わらないんだな」

 ささみの転校が撤回されたあの日、よりにもよって百人以上が勢揃いしている場で、ピカソがおれの秘密を漏らしてしまった。原因は、うっかりである。

 ちなみにピカソは、おれの年齢について、ささみへのストーカー疑惑が晴れた時点で既に察しがついていたらしい。鋭いんだかなんなんだか。

「だって、奇行なら星寮生で慣れてるもん」

「ああ……」

 つい納得してしまった。

「家庭の事情で何年も留年してる先輩とかいるらしいよ。卒業すると利権争いに巻き込まれるから、成人するまでは星滸寮で暮らすんだって」

「……金持ちも大変なんだな」

「二十八歳で高校生っていうのは最高記録だと思うけどねえ」

「十一月には新記録を見せてやるよ」

「お誕生日会の準備、しとかないとね」

「……ささやかでいいからな、ささやかで」

「わかってますよう」

「本当かな……」

 まさか、惑ヰ先輩の誕生会ほどの規模にはならないと思うが、ここは星滸塾学園である。なにが起こってもおかしくはない。

 楽しみ半分、不安半分の心持ちで、溜め息をひとつつくのだった。



「惑ヰせんぱーい!」

「……ヤア、ふたりとも。時間どおりだね」

 艶めいた黒色の内門の前で、惑ヰ先輩と合流する。

「こんにちは、惑ヰ先輩」

「ウン、こんにちは」

 おれの年齢が二十八歳であることが公になったにも関わらず、どうしてか、惑ヰ先輩のことだけは惑ヰ先輩と呼んでしまうおれだった。

「……? 先輩、その包み、どうしたんですか?」

「アア……、もらった反物で、窓海くんの浴衣をコシラえたんだ。ソウいう約束だったからね……」

「わあー!」

 窓海がきらきらと目を輝かせる。

「惑ヰ先輩、ありがとうございます!」

「ナニ、反物の礼さ。トコロで──」

 惑ヰ先輩が、もうひとつの風呂敷包みを、おれに差し出した。

「……君の浴衣も、ひとつ、仕立ててみたんだがね……」

「え、あ、はい。ありがとうございます」

「サイズが合わなければ、仕立て直すから、遠慮ナク言ってくれたまえ……」

 思わず受け取ってしまったあと、不意に気がついた。

「……これ、もしかして、女物だったりしませんよね」

「──…………」

 惑ヰ先輩と窓海が同時にあさっての方を向いた。

「お前たちは! どうして! おれに女装をさせたがるんだ!」

「だって似合ってるんだもん。ねー惑ヰ先輩!」

「ウン、ウン……とてもヨク似合っていたよ……。少々嫉妬を覚えるくらい……」

「──とにかく!」

 声を荒らげてしまった自分を恥じ、ボリュームを落とす。

「とにかく、女装なんて二度としませんからね……」

「えー」

「セッカク仕立てたのに……」

「高等部区画の第二グラウンドで、毎年夏祭りやってるんだよ! 一緒に行こうよう」

「──…………」

 しばしのあいだ思案する。

「浴衣を着るだけなら、いいです。せっかく仕立ててもらったものだ。ありがたく使わせていただきますよ。……でも、女装はしません。それで構いませんよね?」

「ウン、構わないよ」

 有情な惑ヰ先輩の言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。

「……デモ、その柄だと、男のママ着るのは、すこし恥ずかしいかもしれないね……」

「──…………」

 包みを開き、中身を確認する。

 白とピンクを基調とした花柄の浴衣。

「だあー、もー!」

 この瞬間、おれの二度目の女装が決定したのだった。



 内門をくぐり抜け、星滸寮へと進み入る。

 フィレンツェを思わせるレンガ造りの街並みにも慣れ、上京したての若者のように周囲をじろじろと見渡すこともなくなった。

「惑ヰ先輩、浴衣に似合うウィッグって、どんなのだと思います?」

「ウン……やはり、黒髪で、ソレなりの長さが──」

「でも、黒髪ロングって、こないだ──」

「……アア、結い上げるのなんて──」

 おれの女装について賑々しく語り合うふたりからすこし離れ、そっと溜め息をつく。

 厳密に言うのなら、女装が嫌なわけではない。

 女装に喜びを見出してしまいそうな自分が嫌なのだ。

「──……はあ」

 幾度めかの溜め息を漏らしたとき、


「ソ──ぅハ──ッ、さ──んッ!」


 遥か後方から猛烈な速度で駆け寄ってくるものがあった。

 言うまでもなくピカソである。

「ソーハッさん、来てくれたんスか!」

「そりゃ、ドットラインのファンだからな」

 嘘ではない。おれは、この四人がどこまで行けるのか、本当に楽しみにしている。

「あざーッス!」

 ピカソが深々と頭を下げ、ふたりのほうへと向き直る。

「惑ヰ先輩、ちわッス! ちちち親庭さんもゴゴご機嫌うるわしゅう!」

「……ヤア、今日は期待シテいるよ……」

「こんにちは、ピカソくん」

「──……ふおおおおおお……!」

 興奮している。

 挨拶した後に逃げ出さなくなっただけ、進歩したと言えよう。

「……ところで、ピカソ。相談があるんだが」

「なんスか?」

 ピカソの肩に腕を回し、小声で告げる。

「……夏祭りのとき、一緒に女装しないか?」

「いッスよ!」

 即答だった。

「──ィよし!」

 道連れが増えた。

「あ、そだ! 俺、急がないと!」

「どうかしたのか?」

「リハあんの忘れて指の毛抜いてて!」

 もうすこし同情の余地のある理由はなかったのか。

「あー、キートに怒られる! ──んじゃまた後で! 行ってきまッス!」

 クラウチングスタートの姿勢をとり、来たときと同じ速度でピカソが去っていく。

「──…………」

 元気だなあ。

 三人でピカソをぼんやりと見送っていたとき、不意におれのスマートフォンが震えた。

 ささみだった。

《まだー?》

 血の付着したナイフのスタンプ。

「──こわッ!」

 ライブ会場の喫茶店へと急いで向かわなくては。



 イシハマ電器に差し掛かったとき、喫茶店のある路地から複数の人影が出てきた。

「……あ、宗八」

 カミ・シモ・キートの三人だった。

「おー! 宗八! 親庭! 惑ヰ先輩も!」

「来てくれてありがとー!」

 キートが両手を振っておれたちを出迎える。

「……ね、宗八。ピカソ見なかった?」

 淡々と尋ねるシモに、怪訝に思いながら答える。

「ついさっき猛ダッシュで駆けて行くのを見たけど」

「あー。あの馬鹿、また見当違いのほうに走ってんのか」

「バカソ、方向オンチだからねー」

「方向オンチっつーか、前しか見ねーもんだから、道を記憶してないんだよな」

 カミが呆れたように肩をすくめる。

「ま、いいや。どーせぶっつけ本番でも余裕で音合わせてくんだから、待つだけ無駄無駄。俺たちだけでリハしとこうぜ」

「……賛成」

「りょーかーい!」

「……宗八、新曲あるから期待してて」

「おう!」

 小走りで路地へと取って返す三人を追いかけるように、ゆっくりと道を曲がる。

 いつもの喫茶店が見えてきたころ、

「──宗八くん!」

 ぽす。

 ちいさくてあたたかく、懐かしい感じのものが、おれの胸に飛び込んできた。

 ささみだった。

「──…………」

 心音は異常。込み上げる微笑みを噛み殺し、断腸の思いでささみを引き剥がす。

「……その抱きつき癖、直さないと、いろいろと問題になるぞ」

「あ、そか」

 ささみが残念そうに頷いた瞬間、

 ぎゅ。

 やわらかいものが、おれの背中に張り付いた。

「ささみばっかりずるいもんね!」

「あー! 駄目ですよ、窓海! 宗八くんから離れてください!」

「やだぷー」

「あーもー……」

 押し付けられた胸の感触にどぎまぎしながら、窓海の拘束から抜け出した。

「ぶーぶー」

「こんな路地だって監視カメラはあるんだから、やめな──」

 言葉の途中で、不意に、腕を取られた。

「……自分ナラ、問題にはならないハズ、だね……」

「──…………」

 たしかに。

「いや、たしかにじゃねえ!」

 一瞬、惑ヰ先輩の色香に惑わされかけたが、よく考えるとそれ以前の問題だった。

「お前ら、いい加減に──」

 そう声を荒らげたとき、

「──こらッ!」

 こん、

「いた!」

 こん、

「つッ──」

 ごギッ!

「お、おおおおお……」

 頭蓋骨が変形しかねないほどの衝撃が脳天に走った。

 どうやら、窓海、惑ヰ先輩、おれの順番で、背後から頭頂部を殴られたらしい。

「星滸塾学園の敷地内で不純異性交遊は厳罰──って、何度言われたらわかるんだい!」

「……コトラ、コトラ、おれだけ威力おかしい……」

「監督責任!」

「ああ……」

 納得してしまった。

「──アノ、自分は、不純異性交遊に当たらナイと思うのですが……」

「目の毒!」

「ことらセンセ、ささみ叩かれてないよう!」

「ひいき!」

「おい」

「この私が、ささみのことを殴るはずないだろう?」

「まどれ……」

 コトラとささみが見つめ合う。

「……アホらし」

 さっさと喫茶店に入ろうとしたとき、ささみが口を開いた。

「──あ、宗八くん!」

「どうした?」

「八月に入ったら、おとうさんが休みを取ってくれるんです! そしたら家に帰れますから、そのときまた、ビラーゴの後ろに乗せてくださいね!」

「……ああ、もちろん」

「やた!」

 まだ子供とは言え、可愛い女の子だ。悪い気はしない。

「あ、私も!」

「窓海は今日乗ってきただろ」

「あ、ずるい!」

「ずるくないもんねー」

「ずるいですよ! だって──」

 ささみが満面の笑顔で言った。


「──宗八くんは、私の恋人なんですから!」

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ジュブナイルリロード 八白 嘘 @neargarden

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