第6話 終わらぬ夢
「睡眠時無呼吸症の発作ですね。やっかいな病気のうえに、ここへ来るまえに彼女は薬物も摂取していた。突発的に窓からとびおりたそうです。意識がもどることは……残念ですが、お母さん、現段階ではむずかしいです」
「……本当に、お恥ずかしい話ですわ。先生、いろいろ娘のためにお骨折りいただいて」
和服すがたの上品そうな母親はそう言って医師にむかって頭をふかぶかとさげ、病室を後にした。その疲れきったような小さな背中を、担当医師は哀れみをこめて見おくった。
「山下法務教官、あなたも今夜はもう帰った方がいい」
言われた若い女性は首をふった。
「いえ……もうすこしついています。この少年院で起こったことは、わたしに責任がありますから」
きついアーモンド型の目じりは濡れて光っていた。
「まだ……十六歳なのに、どうしてこの子はこんな馬鹿なことばかりくりかえすんでしょう?」
「自分を責めてはいけませんよ」
初老の医師のやさしい言葉を彼女は力なく首をふってこばんだ。
「わたしのせいなんです。鈴木玲美に自殺願望があることを知りながら、やっぱり自殺した院生の部屋に入れてしまって……。死んだ彼女の分もがんばってほしいと思ってその院生の話をしたのですが、かえって悪い影響をあたえてしまったようです」
「自殺した生徒というと……三年まえの岩木摩子のことですか?」
「はい。鈴木玲美とおなじです。……彼女も家庭でいろいろあって」
山下と呼ばれた女性は自殺した少女のことを思い出したのか、痛ましげに眉をよせた。
「彼女もリストカットをくりかえして、薬物にもはまってしまって。結局窓からとびおりて自殺したんです。……あら、この子」
「どうしました?」
「すこし唇がうごいたような気がしたんです。……夢でも見ているんでしょうか?」
せめて……。山下は願わずにはいられない。その夢が、玲美にとって幸せなものであることを。
こんな森の奥の医療少年院で薬物でぼろぼろになってベッドに寝ている現実とはちがい、十六の少女らしくすこやかで、夢と希望にあふれ青春を謳歌している、幸せな夢であるといい。夢のなかだけでも幸せであってほしい。自分が救ってやれなかった少女の白い頬を見つめながら、山下はまた涙ぐんだ。
「身体をこわしてしまうといけない。もう今夜は休みなさい」
「……では、また明日」
さらに医師に言われ、彼女は今度は素直に病室を出た。
廊下には、帰ったと思ったはずの玲美の母親がぼんやりと放心したようにして長椅子に座っていた。そばには若い娘が心配そうにつきそうようにして立っている。山下が近づくと頭をさげた。
「娘の……
母親がぼんやりとした表情のまま紹介した。
「今はこの子だけがたよりです。……この子がいてくれなかったら、どうしていたか」
フリルのついた白いブラウスが似合う清純で真面目そうな娘だ。年頃からいって玲美の姉だろうか。しきりと母を気づかっている様子が見ていて痛々しかった。こんなやさしそうな母親や姉にかこまれて、どうして玲美は薬物に手を出したりしたのだろう。
山下は、自分の身体を傷つけ命を粗末にする玲美に、もどかしいような、腹立たしいようないらだちをおぼえた。
ふたりにはげましの言葉をかけてやりたがったが、なにも言えず目をふせて通り過ぎようとした。
そして、その瞬間、白いブラウスからのぞく若い娘の色白の腕に、奇妙な赤い痣があることに彼女は気づいた。
(まさか――)
彼女はこんな傷をもった少女たちをたくさん見てきた。こんな傷のもつ意味も身にしみるぐらい知っている。
(でも……わたしの管轄じゃない。それに……今は、それどころじゃない)
こみあげてくる疑惑をおさえこみながら、山下は足をすすめた。そしてただひたすら祈らずにいられなかった。
玲美の見る夢が愛と希望と自由にあふれた幸せなものであることを。
終わり
象牙色の花園 ガールズ・ミステリー 平坂 静音 @kaorikaori1149
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