CHAPTER:3 RISE OF SARTANA
第29話
鉛の銃弾が落ちた音でヴィジェは目を覚ました。耳の奥で残る透明感のある音。人を死に至らしめる代物とは思えないほどの響き。
ガタガタと揺れる不快な振動と目を開けた先にある砂塵で汚れた白の幌。流れ込む先刻までの記憶に彼女は微かな頭痛を覚えていた。それでも体や記憶が鮮明に覚えているのは青く暗い灯を灯した瞳だけで、あの男に殴打された痛みはすっかりなくなっている。時間が経っているというわけでもない。彼女は戦闘の後で目を覚ました時にいつも思う。これが普通の人間ならば生を喜び、感謝し、あくなき希望を生み出し前に進むのだろうと。
人狼の彼女は傷の治りが常人に比べて異常に早い。獣へと変身した時はけた違いに早いが、人間であるときも奇跡とも呼べるスピードで回復していく。彼女に流れる血が彼女の死を忌み嫌うのだ。だがヴィジェはそれを忌み嫌う。これは呪いだ。自分の力を受け入れていないわけではないが痛みや傷こそが自分の原動力だ。いつの日かそれを忘れてしまったら自分は何のために生きているのか分からなくなってしまうだろう。考えられる限りで最も恐ろしいことだ。
幸い血族になる前に受けたこの醜い火傷の後はいつまでも治らないままだ。それでいい。この傷こそ私が私でいる証なのだから。
「目ぇ覚ましたか」
天井を見つめるヴィジェに運転席からアレンが声をかける。彼は一度目を見たかと思うと、すぐに自分のわき腹へと目をやっていた。破れた服に残る焦げ跡と血液の染み、その脇で幌馬車の揺れとともに左右に揺れるいびつな形をした銃弾。紛れもなく、あの男が放ったものだろう。
「お前のそれ、いつ見ても気味悪いぜ。自動的に鉛玉がぐじゅぐじゅ出てくるんだからな」
「嫌なら、見るな。私が拒んでも、体はそうすることを、望んでいる」
はいはい、と言ってアレンは前に向き直り流れゆく岩肌だらけの殺伐とした山の景色を望んでいた。
道を行くのは二台の幌馬車。ストンエイジに乗り込んできたハモンド一味の置き土産だ。そこに『暁』は自分たちの馬を繋いで帰路へと着いているらしい。自分が乗っている幌馬車の前にももう一台の幌馬車が揺れている。外から見ないとその揺れ具合が分からないというものだ。ヴィジェは前の幌馬車を見て初めてこの幌馬車がどれだけの悪路に苛まれているかを把握した。
「アレン」幌馬車からヴィジェが顔を出す「フランクは、ヒイロは、アーニャは」
「前の幌馬車だよ。今はアーニャが運転してる」
アレンは目元にくまを浮かべてため息をついた。
「ヒイロもおっさんも生きてはいるが、意識が戻らねぇ。ヒイロはここんとこずっと穴ぼこ空けっぱなしだ。あんなんで突っ込んだからあの坊ちゃんに簡単にやられちまったんだろうよ」
「・・生きてるのか」
機関銃がフランクの体を貫いた瞬間をヴィジェは目に焼き付けている。あれで生きているというのだからさすがはフランクと言ったところか。彼の死を誰も望んではいない。彼には彼を待っている人が多すぎる。
「だが胸はまだ撫で下ろせねぇ。早いとこレイナのところに戻らなきゃ最悪のことだって起こり得る。おっさんはまだ四発ほど銃弾が体に残ったまんまだ」
「抜いて、やれないのか」
「今それをやったらそれがとどめになっちまうんだよ。とにかく俺たちだけじゃ何もできない。俺たちにできることと言ったら一刻も早くレイナの元へあの二人を届けることだけだ」
それはとてももどかしく痛々しいことだ。ヴィジェはどうにか彼らのために動きたかったが石のように幌馬車で座り込むことに専念した。それがどんなに辛いことか。
分かりにくい痛みは嫌いだ。銃弾やナイフ或いは拳が与える痛みは分かりやすい。けれど彼女をまれに苦しませる言いようのない内側の痛みに関しては彼女自身どうしていいか分からないのだ。耐えることで精いっぱい。彼女はそうした痛みに慣れていなかった。
「・・あの男は?」
「のろま少佐か?・・一応手当は施してくれたがそれが終わるとどっか行っちまったよ。薄情な野郎だ。誰のおかげで銀があいつの手に渡ると思ってんだ」
不思議な男だ。ヴィジェは表情には出さずに笑った。息が静かに口から吹き抜ける。
それにしても。
先ほどからフラッシュバックのように思い返される、リックという男の瞳。
自分が与えた傷を忘れ得ぬままに再び自分の元へと立ってみせる姿をヴィジェは望んでいた。そして結果的にはそうなった。
だが、あれは違う。あの立ち姿、あの形相は自分の与えた傷とは関係の無いところにあった。望んだ復讐、望まぬ豹変。我を忘れて怒りに震え無関係な先住民を虐殺し、後も先もないほど狂ったように襲撃する男ではなかったはずだ。彼の瞳が頭から離れないのはそれが原因なのだろう。
彼はサルーンで自分が何かをしたようなことを言っていた。おそらくはハモンドが拠点にするために購入したサルーンのことだろう。そして、間違いなくそのサルーンは襲撃にあった。その襲撃が『暁』によるものだとリックが信じ込んでいるのなら・・自分たちは何者かにはめられたのだろう。
「あの、騎馬隊か・・」
その雇い主こそ『暁』の敵。そもそも『暁』には味方などいないのだが、これから先何者かも分からないようなこの連中が自分たちを苦しめることは目に見えている。連邦政府か、はたまたリックたちのように報復を望んだ者たちか。
フランクが目を覚ました時にはそれを話す必要がある。とにもかくにも今はしばし休息が必要だ。
落ち行く日差しが最後の力を出し絞るように幌馬車を橙色に染める。こうして『暁』の仕事の一つに幕が下ろされる。
日の入り。しばらくしてまた夜は明ける。
八年という月日は実に長いものだ。八年あれば人は変わることができる。貧民は八年の間に金を手にし富裕層の仲間に。何も知らなかった子供の綺麗な瞳は八年の歳月を経て淀み掠れて一人の大人になる。少女は母親に。飲んだくれは銀行家に。善人は悪人に。悪人は善人に。
サント・エル・ロコの入り口に立ち、照りつける日差しに汗を流すこの男はどうだろうか。伸びきった清潔感の無いブロンド、口元から顎から伸びる髭、暗闇の底から睨みつけるような目つき。ところどころ継ぎ接ぎした濃いブルーのシャツの胸元と脇を汗でさらに濃く染め上げているこの男。名前をサルタナといった。
フローディアの悪党や賞金稼ぎで彼の名を知らぬものはいない。寄せ集めの悪党崩れをまとめ上げ二つ、三つと町を自分のものにしていった悪名高い男だ。殺人、略奪、誘拐・・およそ犯罪と呼ばれるものはすべてこなしてきた。掛けられた賞金は八千ドル。それも八年前の話なのだが。
八年間、彼は刑務所に収監されていた。派手な銀行強盗の際、ふらりと現れた年端も行かない賞金稼ぎにとっ捕まったのだ。今でもサルタナはその若い賞金稼ぎの風貌を覚えている。妙に背の高い男で、灼熱の太陽の下でも深々と紺のコートを着込んだ紛れもない変人。思い出すだけで虫唾が走る。
サルタナは咳払いとともに憎き賞金稼ぎの顔をかき消してサルーンへと赴く。町の人間はじろじろとこちらの顔を窺っている。「どこかで見たような顔じゃないか?」と探っているのだろう。驚け、そして恐怖しろ。あのサルタナが帰って来たのだから。
サルーンの薄い木のドアが開く。もはや外界とを隔てるただの板だ。決して広くはないサルーンに昼間から銃を腰に下げた男たちが集っている。店主は一時間前に彼らから五十ドルだけもらって大慌てで家に帰った。「店の酒は好きに飲んでくれ」
「サルタナのお帰りだ!」
誰かが叫ぶと皆口々に声をあげた。そろいもそろって巾着切りや聞いたことも無いような略奪団のメンバーと、とてもサルタナの名に似つかわしくないような人間たちだったが、サルタナはこういう悪党崩れに支えられてこそ今のサルタナになれたのだ。口を横に開き笑顔を見せると「ただいまくそったれども」と呟いた。
「八年ぶりのシャバはどうだサルタナ」
サルーンに設けられた中央の椅子に座ると向かいの男が声をかけてきた。前髪は後退し寂しいものになっているが髭や眉毛は大層立派な中年の男だ。
「八年前と何も変わらねえさジャレッド。おい、テキーラを注いでくれ」
目の前のグラスにテキーラが注がれる。サルタナはそれを飲み干すと大きく息をついた。実に久々の酒だ。頭すら回りかける。刑務所の中じゃ水もロクに与えてはもらえなかった。今の自分にはどんな安物の酒でも美酒に変わるだろう。早いところ高い酒に慣れないと男が駄目になる。
「ムショから出てきたってのに淡白なご感想だな。俺たちはころころ変わる世の中に目を回してるっていうのに」
「それじゃ何が変わったのかお聞かせ願おうじゃねぇか」
「あんたがいなくなって・・そして帰って来た」
酔いの回った男たちが笑う。サルタナもつられて声をあげて笑った。
「悪いなサルタナ!俺は歳だから最近の事しか覚えてないんだ!」
「まだそんな歳じゃねぇだろジャレッド。じゃあ最近の事でいいから教えてくれよ」
「最近の事・・?」ジャレッドは思い返す仕草を大げさにとってからサルタナに向き直る。
「この町で派手な銀行強盗があったよ。まぁ、すぐにとっ捕まっちまったけどな。聞いて驚くなよ。捕まえたのはあの紺のコートの男だ」
サルタナの眉間にしわが寄る。まだあの男はこの辺りをぷらぷらしているというのか。次に紺のコートを見かけたら背中からでも構わない。そのむかつく図体に銃弾をぶち込んでやろう。
「相変わらず変な野郎だ。賞金首をそのままほっぽり出してすぐに町を出てっちまった。できればもう二度と会いたくないねぇあの若造には」
「そいつの話はもういい。他になんかないのか」
「悪かったよサルタナ。他・・他にねぇ・・あぁ・・一つあった。お前にとっちゃデカいことかもしれんな」
「・・なんだ?」
「砂塵のハモンドがやられたよ。誰がやったかは知らねぇ。だが拠点にしてたドルムドのサルーンがものの見事に灰になっちまった。丁度そのタイミングであんたが帰って来た」
「な・・待て・・ハモンドの旦那が?」
「あぁ、誰にやられたかは知らねぇが焼死体はみんな首を切られてたそうだ。まぁ、これで運よくあんたの前に立つ人間はいなくなった。これからはサルタナの時代だ」
サルーンの男たちが歓声をあげる。これからはサルタナの時代だ。皆口々に叫び、酒を煽った。
サルタナは一人異常な静寂の中にいた。歓喜などひとかけらも沸き上がらなかった。
「みんな聞いてくれ」
サルタナの低くも通る静かな声にサルーンは波を失う。
「・・ハモンドの旦那がいつかやられちまうって俺には分かってた」
「だろうなサルタナ!」
「違う」
サルタナは青い瞳で睨みつけるでもなく見つめるでもなく、ただ周囲の人間一人一人の表情を覗き込むように視線を流す。
「ハモンドの旦那は俺たちとは違う。昔からの悪を最後まで貫き通すような男だった。俺たちのようなこすっからい連中とは違うんだよ。悪党の中の悪党であり、男の中の男だった。俺にとっちゃ目の上のたんこぶだったかもしれねえが同時に追うべき背中でもあった」
サルタナは遠くを見つめる。小さなサルーンの壁の向こう側を見通しているようでもあった。
「今じゃこのフローディアは俺たちのようなこすっからい連中ばかりだ。正面に立った敵だけを薙ぎ払うような旦那の背中を刺しにくるような連中で溢れてる。だから旦那がそんな連中にやられちまうのも目に見えて分かっていた。分かるかお前ら。旦那は偉大な悪党だ。後ろには目もくれず最後までそれを貫き通したんだ」
サルーンは静まり返る。一人の男が語る一人の男の勇姿に誰もが耳を傾けていた。
サルタナはグラスを天に捧げて祈るように声をあげる。
「サイモン・ハモンドの旦那に」
「ハモンドに」
「ハモンドに」
市民から、保安官から、野党から、悪党から彼は恐れられ続けた。生前の彼を好きだという人間は一人もいないだろう。それがハモンドだ。まったく、なんて羨ましい生涯だ。サルタナは心から彼を尊敬する。
「悪いな旦那。これからは俺の時代だ」
一方、フローディアの中でも平和な町サンタモレラは揺れていた。
保安官殺し。それも立て続けに。
長い間この町の保安官を務めてきたウォレスは穴だらけになって付近の森から発見され、その部下のデイヴとフリオも同日の朝棺桶に入れられたままこの町に帰って来た。
そして、その数日後。保安官代理から保安官へと昇進したレニー・パーマーの遺体がサンタモレラ近くの荒野で発見された。死因はロープによる窒息死。荒野で荒々しく枝を伸ばす木の下で首を括っていた。一見すれば自殺のように見えるが彼の胸元とそこに突き立てられたナイフとの間に「臆病者は闇夜の中」と書かれた紙が遺体を下ろした際に発見された。紛れもなくこれは犯人によるメッセージだ。新しく就任した連邦保安官であるゲイリー・マーシュは語る。狙われているのは我々保安官であると。
それでも町は恐怖に包まれる。本当に狙いは保安官だけなのか。この町に根を張るように悪党が潜んでいるのではないか。様々な憶測が飛び交い不穏で溢れかえる。
アメリカからの受け入れ口であるサンタモレラは少しずつ変化を遂げようとしていた。
「気分はどうかなゲイリー」
町全体が眠りにつく頃、ゲイリーの下に男がやってくる。砂埃一つつかぬ純白の男。
突然の来訪にゲイリーはさして驚かなかった。それどころか待ちわびていた。
「随分良いものです。ミスター・ヴァルベルデ。素晴らしい街並みだ。他の町とは一線を画している。振り返れば青い海があるし、あのシディアでさえ景観という意味ではこの町に劣っている」
「同感だゲイリー。ここは私たちの美しき砦だ。決して悪党どもの手には堕としてくれるなよ?」
「もちろんです。この私の腕にかかれば・・」
「ゲイリー」
威圧ではなかった。ただ静かに口を開いただけだった。しかしゲイリーはすぐさま自分の言動に詫びをいれる。
「失礼しましたミスター・ヴァルベルデ。全身全霊をもってこの町を守り通します」
「それでいい。いつの時代も悪党は体制側の油断や余裕をつけ狙ってくるからな」
「それで私はこの町で一体何をすれば良いのでしょうか」
「先ほど言った通りだ。今はこの町で優秀な保安官を務めろ。平和を保て。我々の駒はまだそろってはいない。駒がすべてそろった時、この町から朝焼けの光がフローディアを照らし始める。何か困ったことがあったらいつでも我々を呼んでくれ」
「承知いたしました」
男は保安官事務所を後にする。
彼の名前はロバート・A・ヴァルベルデ。今はまだ名もなく、姿すらない。その身に宿る暴力への嫌悪と暴力への絶対的な信頼。それが人の形を成して歩くだけの男。
暁のデスペラード 飯来をらくa.k.a上野羽美 @eli-wallach
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