エピローグ

逆・逆光源氏計画観察計画、逆観察計画

 事件収束後しばらくして。優紀が元の平平凡凡な二十歳ボディに戻れた頃。

 優紀と陽菜は、大学の駐車場に停まる一台のキャンディブルーな車の中にいた。陽菜が世話になっているという、初代オネショ研所長・佐伯義明さえきよしあきに面会するためである。

 しかし。

 助手席では、陽菜がネクタイを相手に壮絶な泥仕合を繰り広げていた。


「むむむむむ……」


 どうやらクロスノットの結び目に納得がいかないらしい。傍からみればそれなりの形になっている。しかしなぜか解いては結びなしを繰り返していた。

 すでにアポを取った時間まで五分を切っているというのに、拘り続ける。


 そもそも、なぜタイを結ぶ必要があるのかが分からない。服装も相変わらずの就活用パンツスーツだし、陽菜がぐちゃぐちゃと結んでは解いてを繰り返しているタイは本来は優紀の私物である。

 しかも、さんざん結びなおしているせいか、渡したときより解れが目立っている。


 ――ま、安物だからいいけどさ。


 優紀は窓の外をぼんやりと眺めた。キャンパス内を歩く学生たちの男女比は、やや女性多めの半々程度。姉月市ではないのだから当たり前である。

 当たり前のこと――の、はずだ。やや女性が多いのも福祉系の大学だからだろう。


「うぅぅやぁぁぁあ!」


 毛糸玉と格闘する猫のような喊声である。

 気合い一発、タイの小剣を巻きつけたのはいいが、結び目を押さえる指が離れてしまっている。おそらく、また失敗するのだろう。

 優紀は額をハンドルにコツンとぶつけ、苦笑した。


「うおぉーい、ハナちゃーん。手伝おうかー?」

「大丈夫です! 結構練習したんです! きっと、きっと自分でできるんです!」


 十五、六分前から、すでに三回は同じやり取りを繰り返している。

 フロントパネルの電子時計は、アポを取った時間まで残り三分になっていた。


「時間切れ。あと三分しかないよ?」

「うぅぅ――やぁ!」

 

 陽菜はネクタイの小剣を引っ張った。

 びみょん、とクロスノットで二重になるはずのタイの結び目がずれ、横に膨らんだ。引きだされた小剣と大剣が横並びになり、まるで間延びしたスカーフのようだ。

 優紀はため息交じりに言った。 


「だから、なんでタイ結びだけ気合いでなんとかしようとすんの。貸してみな?」

「うぅ、分かりました……」


 優紀は助手席に向き直り、手早くタイを締めてやった。

 すぐさまに陽菜はバックミラーを捻ってチェックし、


「すごい! 可愛い! なんでですか!?」


 と、子供のような歓喜の声をあげた。

 優紀はしたり顔をして、陽菜の肩をつついた。


「そりゃ、社会人経験は俺の方が長いかんね」

「先輩はそういうところを直すと、もっといい先輩になると思います」

「ひでぇな。結んでやったのに。ほら行くぞ。案内してくれよ」

「はい! 急がないと、ですね!」


 陽菜はむふん、と鼻で息をつき、車を降りた。だいぶ自信がついたらしい。

 ハナちゃんのせいで遅くなったんだからね。と思いつつ、優紀はタバコの箱を取って後に続いた。


 小走りで追うこと三分ほど。

 陽菜が研究室の扉を叩くころには、すでに二分の遅刻になっていた。

 扉の向こう側から優しげな声がノックに応えた。


「開いてるよー。入ってくれー」

「しっつれいしまーす!」


 慣れ親しんだやりとりなのだろう。

 陽菜の挨拶は、優紀の聞きなれない、少しまるっこい声色だった。

 後に続いて部屋に入ると、窓際の机に片肘をつく、人のよさそうな初老の男がいた。


「やぁ、久しぶりだね。藤堂さん」

「はい! お久しぶりです、先生。連絡が遅くなっちゃって、すいませんでした」


 陽菜は深々と頭を下げた。

 男は二、三度うなづき、優紀の方へと視線を滑らせ、腰を浮かせた。


「はじめまして、佐伯義明です。藤堂さんがお世話になっているようですね」


 優紀は頭を下げ、手を差しだした。


「高塚優紀です。はじめまして。はなちゃ、じゃない。えーと」


 優紀の失言に、佐伯は微笑で返した。


「いや失礼。ハナちゃんでいいですよ。彼女は学生たちにそう呼ばれていました」

「すいません。藤堂さんにはお世話になっております。優秀な生徒さんですね」

「優秀!? 私、優秀でしたか!?」

「藤堂さん。お世辞だよ、お世辞」

「えっそうなんですか? 先輩」


 佐伯は楽しげに笑い声をあげ、コーヒーメーカーからポットを取った。


「高塚さんも苦労しますね。コーヒーでよければ、お出ししますが?」

「あ、いや、俺――じゃねぇや」


 慣れない雰囲気に言い間違えて、優紀は顔を覆った。

 再び部屋に佐伯の笑い声が響いた。


 ――いい雰囲気だ。これなら話を切り出せる。


 と、優紀はタバコを取りだし尋ねた。


「失礼ついでで申し訳ないのですが、タバコを吸えるところ、ご存知ですか?」

「おや、高塚さんはお若いのに吸われるのですか。意外ですね」


 そう言って佐伯は立ち上がり、アルミ製の小さな灰皿をテーブルに置いた。


「どうぞ。最近では、どこも禁煙ですからね。お辛いでしょう?」

「ありがとうございます。まぁ、辛いのはそれだけじゃないのですが」


 そう言って、優紀は陽菜に目を向けた。

 陽菜はすでにジト目になっている。


「先輩? その一本だけにしてくださいよ?」


 優紀は苦笑いを作って、佐伯に言った。


「この通りでして」

「なるほど。たしかに大変ですね」


 佐伯の楽しげな笑い声が、再び研究室を満たした。

 優紀はタバコを一本取りだし、灰皿の横に箱を並べて置いた。



 部屋には陽菜の事件報告だけが響いていた。

 優紀はそれを聞き流しつつ、部屋を見回した。

 大学の研究室ってこんなもんなのか。と、部屋にあるものすべてが物珍しかった。

 そう広くはない部屋の棚という棚すべてに本や資料が詰め込まれている。本のタイトルからすると、どれも教育学に関係するのだろう。

 

 ――逆光源氏計画も教育学の延長なのかねぇ。


 優紀は口の中で呟き、観察を続けた。

 ときおり本棚の隅に猫のフィギアが寝転んでいる。学生が持ってきたのだろうか。見れば、貼られているポストイットにも丸い字体が目立つ。

 陽菜の親戚とでも話しているかのような口調で怒らないあたり、寛容なのは間違いない。資料の状態から察するに几帳面さもある。おそらく女子ウケもいいのだろう。


「……じゃあ、ここからは先輩、お願いしますね?」

「そうだな」


 時間が静かに流れていく。

 優紀はコーヒーを一口すすり、話はもう終わったのだろうか、と思った。

 陽菜は、すぅ、と息を吸い込み、怒鳴った。


「もう! ちゃんと聞いてますか!?」

「えっ?」

「『えっ?』じゃないです先輩! ちゃんとしてくださいよ。めっ、しますよ?」

「めって、ハナちゃん、それはやめてよ。俺、トラウマだって言ったじゃんか」

「藤堂さん、やめてあげなよ。先輩に対して失礼だぞ?」


 佐伯は笑いながらそう言い、優紀に目を向けた。


「いま、神林先生がその後どうなったのかを、話していたんです。できれば事件の当事者である高塚さんの口から聞きたいと思いましてね」

「ああ、なるほど……失礼しました。大学教授の部屋って、ちょっと珍しくて」

「もう先輩、しっかりしてくださいよ」

「はいはい」

「はいはい、じゃなくて、はいって一回言えばいいんです!」

「あのなぁ……まぁいいや。はい、わかりました」


 佐伯が口元を隠して笑った。


「いやいや、藤堂さんのいう通りみたいだね。あの事件以来、頭が上がらない?」

「あぁ、まぁなんていうか、新型の変身装置のせいなんですかね。どうにも」


 優紀は目を逸らし、鼻を掻いた。その目は、笑っていなかった。


「と、すいません。神林たちの処遇でしたね」

「うん。よろしく頼むよ」

「神林は警察に連れていかれました。ただ元が国家機密なので、不問でしょうね。もっとも、いまは公安が監視しているそうですが。もちろんオネショ研の方は事実上の更迭です。それと観察部部長。こちらも解任の上で監視付きです。少し予想外でしたが、部長の方が罪が重かった。実行者の方が、罪って重いもんなんですね」


 優紀は冷めたコーヒーを一口すすった。普段はインスタントを飲んでいることもあり、まるで別の飲み物のようだ。

 佐伯は顎を撫でただけで、黙っている。次の言葉を待っているのか、あるいは興味がないのだろうか。佐伯と神林は友人関係だと聞いていたのだが。

 優紀は、もう一口コーヒーを飲み、説明を続けた。


「それから、春風七海について。彼女は降格人事で済みました。いまは研究員として研究開発部の方に。まぁ、元から暴走するところのある人のようでしたし――」


 優紀は陽菜に視線を送った。視線に気づいた彼女は、少し悲しそうな顔をしてうつむいていた。

 


「俺が受けたものを除けば、野に放たれた少年擬態者以外に実害はありませんからね。それに彼女の研究能力と開発能力は、どちらをとっても、おねショ研には欠かせない人材です。仕方ないと言うべきなのか、妥当と言うべきなのかは迷いますが」

「その少年擬態者たちはどうなんです? いまだに逆紫の上計画とかいう活動を?」

「たしかに逆紫の上計画と名乗って活動している残党はいます。とはいっても少年擬態者を生み出した春風七海が降格ですからね。少年擬態者の供給が止まったのですから、残党が街から消えるのは時間の問題でしょう。それに――」


 優紀はうつむきかけた陽菜に、続きを話せ、と顎をしゃくった。

 陽菜は唇を湿らせ、膝の上で指を遊ばせながら言葉を継いだ。


「部長――いえ、七海さんは、いまでは改心しています。その証拠に、少年擬態者の情報は全てこちらに提供してくれました。判別のための機材も開発しています」


 佐伯は、深くため息をついた。


「彼女が優秀な人材なのは事実だからね。今回の事件の被害者たちが良しというなら、それでいいさ。君たちも納得しているんだろう?」


 優紀と陽菜は互いに顔を見て、うなづき返した。

 肩をすくめた佐伯は、満足そうにマグカップを手に取った。


「なら問題なしだ。わざわざ悪かったね。僕が聞きたかったことはこれで全部だよ」


 佐伯は机の上にあるアンティークの時計を見て言った。


「おっと、もうこんな時間か。二人とも、今日は来てくれてありがとう。申し訳ないけど、講義があるんだ。ちょっと準備があるから、このへんで終わりにしよう」


 言いつつ、佐伯は椅子から立ち上がり、優紀に手を差しだした。


「本当に来てくれてありがとう」

「いえ、こちらこそ。大して新しい報告がなくて申し訳ありません」

「先輩。そういうときは、こちらこそありがとうございます、だけでいいんです。わざわざ謝ったりしたら、弱味を見せることになっちゃいますよ?」


 陽菜は腰に手を当てドヤ顔をしていた。まるで、ダメな子ね、とでも言いたげだ。

 優紀は唐突に義母の叱責を思い出させられ、眉を歪めた。


「そっちこそ最近口うるさくなってない? ハナちゃん、俺の母さんみたいだ」

「お母さんじゃありません! おねぇちゃんです!」

「あのね。ハナちゃん、俺より年下じゃんか」


 優紀はがっくりと肩を落としてみせた。

 佐伯はその様子をみて、唇の端をあげた。


「なるほど。うまくやってるようだ。二人とも、その調子で頼むよ?」

「はい! 任せてください!」

「勘弁してくださいよ。いまでも口うるさいんだから」


 優紀の苦情に対し、陽菜はジト目で応戦した。


「ユウくん?」

「マジかよ。だからそれ止めてっていったじゃん。せめて観察中だけにしてよ」

「ごめんなさいしたら、許してあげます」

「はいはい。ごめんなさい、ごめんなさい」

「あ、ちょっと、せんぱ――」


 優紀は陽菜の口を手で塞ぎ、佐伯に顔を向けた。


「すいません。騒がしくして。もう出ていきますんで」


 陽菜が優紀の手を力任せにはぎ取った。


「ユウくん! 本当に怒りますよ!?」

「こらこら。藤堂さんも、その辺にしておきなさい。叱りすぎてもダメなんだよ?」

「ふぇっ? むう、分かりました! 飴と鞭ですね、先生!」


 陽菜は佐伯に向けて、両手をぎゅっと握りしめて、そう言った。


「勘弁してくれよ……」


 優紀は顔を覆い、部屋を佐伯の笑い声が満たした。

 そして優紀は、




 優紀と陽菜が退出してすぐ、佐伯の研究室で電話が鳴った。

 佐伯は電話を取りつつ、机の抽斗の鍵を開けた。


「やぁ。どうですか、先生」


 佐伯は抽斗から、ひとつのファイルを取りだし、机の上に開いた。


「ははは、そりゃ、先生には天国じゃないですか。釣り三昧なんでしょう? えっ? えぇ、そうですね。仕方ありませんよ。でも旧型は必要ないみたいなので、ちょうどいいです。えぇ。そう。高塚君、いいですね。順調に教育されていってます」


 佐伯はパラパラとファイルを確認しつつ続ける。


「やはり先生の仰る通り、計画者と対象者の間に、無自覚な実験者を挟む必要があったみたいですね。おかげさまで、もう一段階、研究が進みますよ。これは大手柄ですよ、先生。このままいけば、光源氏の量産も可能になります。えぇ……」


 開かれたファイルの一ページ目には『対象者:高塚優紀』と書かれている。

 あわせて『観察者:神林潮彦 計画者:春風七海 実験者:藤堂陽菜』とも。


「それじゃあ、今度、お伺いしますよ。一緒に釣りにでも行きましょう。ではまた」


 電話を切った佐伯は眺めていたファイルを閉じ、『終了』と書かれたシールをファイルの表紙に張りつけた。

 そこには『逆・逆光源氏計画観察計画』と、タイトルが付けられていた。

 佐伯は唇の両端を吊り上げて、声を殺して笑った。

 ファイルを抽斗に押し込み、いくつかの資料を手に取って部屋を出た。



 

 優紀はカードキーを手の平の上で遊ばせつつ、仏頂面の陽菜に言った。


「な? 言った通りだったろ?」


 そう言いながら、さきほど車中で研究室用に登録してきたカードキーをリーダーに通す。赤色に光っていたランプが、緑に変わった。

 陽菜はすっかり気落ちしたかのように俯き、呟いた。


「先輩。私、人間不信になっちゃいそうですよぅ」


 優紀は鼻で息をついて、陽菜の頭を撫でた。


「そう落ち込むなって。とりあえずさ、被害者同士なんだ。俺のことは信用してよ」

「……そうします。先輩は、絶対に裏切らないでくださいよ?」

「もちろん。先輩おれの先輩も言ってたろ? 相棒だけは信じろってさ」

「はい! 先輩! 私、先輩のことを信じてますからね!」


 陽菜はぎゅっと両手を握りしめて、そう言った。

 優紀は小さく頷き、タバコの箱――と、中に仕込んだゲゼワ三を回収した。

 それを横目で見つつ、陽菜は『逆・逆光源氏計画観察計画』をスマホで撮影した。


「でも先輩、このデータはどうするんですか?」

「どうするかねぇ」


 優紀と陽菜は部屋を後にし、そっと扉を閉めた。


「そうだな、せっかくだし、俺をこの大学に入れてもらうのに使うとか、どうよ?」

「ウチにですか? 冗談ですよね?」

「いや、ちょっと俺さ、世の中知らなすぎたかなって思ってね」

「じゃあ先輩が私の後輩ですね――って、それ、すごく悪いことです。めっ、です」

「はいはい」

「先輩? はい、は――」


 優紀は、いまにもはじまりそうな陽菜の説教を手で制し、息をついた。


「分かってるって。ただ、いまの状態で公表しても何にもならないし、まだ少年擬態者の残党も残ってる。しばらくは騙されたフリしておこうぜ? こう考えればいいんだよ。『俺たちは計画を内側から監視をしている』ってさ」

 

 陽菜は少し残念そうな顔をして助手席に乗り込んだ。


「騙すのって、あんまり好きじゃないです。私」

「それハナちゃんが言う? ハニートラップしかけたりしたのに?」

  

 むくれる陽菜に、優紀は苦笑しつつ言った。


「あれだよ。ハナちゃんが言ってたやつ。二重盲検法だっけ? あれの延長さ」

「……そういうことにしておきます。――そうだ。名前、なんてします?」

「名前? そうなぁ……逆・逆光源氏計画観察計画の観察だから……」

 

 優紀は車のエンジンをスタートさせ、言った。


「逆・逆光源氏計画観察計画、逆観察計画?」

「先輩、それ、分かりにくいですよ?」


 そう言って陽菜は微笑を浮かべ、シートベルトを締めた。

 優紀は小さく肩を竦めて、車を発進させた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

逆光源氏計画観察計画 λμ @ramdomyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ