第四幕 五章 ロペ エドゥアルドの対峙


 エドゥアルドが勝手口を開けた時、一見裏路地には誰もいないように見えた。

 あたりをゆっくりと睥睨しても、そこには動くものを確認できない。勝手口のノブを押し切り、路地裏へと躍り出る。

 ヤツヲは、その勝手口の扉の裏にいた。ちょうど開いた扉と外壁の隙間にできた死角に、小さく身を屈め、収まっていたのだ。

 扉が押し切られたことで、彼女の小さな肩が外壁に押し付けられる。どくん、心臓が激しく跳ねる。歯の根が合わず、呻きが漏れてしまう。その口を手の平で抑えることで、音を押さえつけた。その恰好は、ちょうど

 彼女はそこでハッとして、着物の前合わせに手を入れ、それを取り出した。鈍色に光る旧式の銃、¨街道の警邏¨だ。ヤツヲはそれを持つと、撃鉄に親指を掛ける。そしてそれを倒そうとするが―――その細指に中々力が入らず、倒れない。

 そうこうしている内に、扉がゆっくりと閉じられた。広くなった視界、隠れていたヤツヲがホーツゴートの陽光の元に晒される。目を挙げれば、そこには愉しそうに笑う女衒。

 ヤツヲは銃を取り落とした。銃は転がり、彼女の背後へと滑り込む。

それを着に停めたのは数秒、ヤツヲは脱兎のごとく駆け出した。だが走れたのはせいぜい勝手口から5歩ほど先。その腕をすぐに女衒の節ばった手が掴み、引き上げる。

「離してっ、痛い!」

「わがままをいうなお姫様、カカカッ。お前には手を焼かせられたよヤツヲ」

 エドゥアルドがその手を引き、ヤツヲを引きずって表通りへと連れて行こうとする。

 その時、勝手口の扉が開いた。それと同時に、一枚の灰皿がエドゥアルドの頭へ飛来。彼は首をかしげてそれを避ける。

 見ればそこにいるのはあの少年……肩を上がらせて呼吸を整えるロペを見て、ヤツヲの表情は陽が射したが如く明るくなった。

「ロペ……!」

「その子を離せ!」

 彼のその手には、厨房で拾ったのだろう、小ぶりの包丁が握られていた。それを見ると、エドゥアルドは腹を抱えて笑いだした。

「ハハハハハハハッハハハハハハハハハハハッ!」

「なっ……何が、そんなに可笑しい!」

 その表情が嗜虐的に歪む。奇妙な光景であった。片方は武器を構えているのに、その表情は弄られているかのように切迫している。だがもう片方は、ちょうど猫が鼠を虐めるように、勝者特有の余裕をもってそこに立っているのだ。

「いいことを教えてやるよ、少年……ヤツヲはな、処女だ」

ロペの口が、呼吸の仕方を忘れた。意味がわからず、思わず視線をヤツヲに向ける。彼女は恥というよりは、苦痛を味わっているかのように、口を真横文字に結び、うつむいた。許されない悪事を犯したような、黒い感情がロペの胸を支配していく。

「どうした。喜べよ少年。好きだろ?そっちのほうが」

「う、五月蠅いっ!黙れよ黙れよっ!ぼ、僕は、体目的で彼女を連れ出したんじゃない!」

「そうか。ならなおさら極悪人だな」

 途端、燃えるような愉悦交じりの笑みは、荒野の鎌鼬のように冷たくなった。その眼に映るのは、罪人を誅する裁判官のような、辛辣で慈悲無きもの。

 ロペはそれに、思わず慄然としてしまった。その一瞬の隙をついて、エドゥアルドは肉薄する。

 しまったと思ってももう遅い。ロペの腹に蹴りが突き刺さり、勝手口の扉に叩きつけられる。当然、包丁はその手から落ちた。

「金でも身体でもねえなら……目的は魂か。カカカッ!見てろよヤツヲ!」

 エドゥアルドはその包丁を拾い、背後、自分が地面へ投げ出したヤツヲへ掲げて見せる。それが意図するところを、聡明な彼女はすぐに察した。故に、自由となれど、この場から一人逃げ出すことはできないのだ。

「駄目……やめて」

「いいや、やめねえ」

 ロペは地に額を押し付け、腹から膨らむ苦痛をじっくりと抑えつけていた。呼吸が乱れたままで、脳に酸素がいかない。何かの内臓が傷ついたのか、じっとりと脂汗が滲む。だが、ここで意識を手放しては、全てが終わってしまう。

「ヤツヲ……お前はうちの¨商品¨だ。なるべくしてそうなった。違うか?いまさらそれは変えられんよ……わかってるだろ?」

「そんなことない!……だって、だってロペは、私を」

「救えねえ女だ」

 ロペの視線が錯綜し、手は周囲を這って、何かを掴もうともがく。なんでもいい。なんでもいい。この場を変える武器になるものならば、なんだっていい。

 ¨責務¨――――先ほどあの食堂で、悲しい目をした旅人から言われた言葉が、彼の脳を占めていた。まだ、自分の役割を果たせていない。終わらしちゃいけないんだ。

 その手が¨それ¨に触れる。一日だけとはいえ、それに触れていたからか、ロペには視界が混濁していても、感触だけでそれが何か分かった。

 其の襟首を、女衒が掴む。背後で上がるヤツヲの痛ましい悲鳴。

「じゃあな坊主、ウチのアバズレの前で英雄的に死ねるんだ。本能だろ?」

 嘲りの色が籠った言葉と共に、ロペの首元に包丁が突きつけられる。

 すると、ロペは身を捩って、女衒がら逃れるのではなく―――近づいた。思わぬその行動に女衒は一瞬目を剥き、彼と肉薄するのを許す。

 瞬間、彼は胸に当たるその感触を知覚した。

 ロペは力いっぱい¨街道の警邏¨の銃口を女衒の胸に押し付けると―――引き金を、引いた。


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H a u t s goat 終わりを探す旅 あほろん @ahoronn

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