最終話 マキナ
「みんなで夢を見た方が楽しいですよ?」
私は心臓が激しく動き、破裂してしまいそうだった。
マキナを叩いて、私の方が我に返ろうとしていた。
「マキナを連れて下の階まで戻ることはできる。行きの半分の時間があれば……」
あの防護服を着て、翼の民を持ち帰る。私は、鳥籠のエレベーターまでマキナの手を引っ張ろうとした。だが、彼女の体は動かなかった。さっきの翼の民は血反吐を吐き散らしながら、まだ痙攣して生きている。
「マキナ、どうしたの。なぜ動かないの」
「だって、ここはあなたが夢見ていた世界なのですよ。夢がついに現実になったんですよ。本物の王族がいて、綺麗な花がこーんなに咲いていて、玉座が崩れてないままあるんです」
私は何度も何度もマキナをひっぱたいた。
大地に根でも張ってあるかのように、マキナは動かない。
「なぜ? どうして? 訳が分からない。そんな――そんな――ずっとここにいるっていうの? 死肉を食って、糞尿をたらして、それのどこが王……王族なのよ」
「醜さは、翼を生やす代償です。飛ばなければならない理由があるのです」
「理由?」
「なぜ、ここで待っているべきなのか。やがて、塔の腐食が進み、一階の壁が限界を超えてしまい、決壊し、大量の穢れが大洪水のように国へと流れ出します。塔そのものも倒れてしまい、国を潰してしまう時、次なる土地へ旅立つのです」
翼の民らは腹をすかすと、共食いし、または街人や調査隊の肉を喰い、糞尿は下の階に垂れ流しているのだ。吐瀉物をまき散らしながら、男も女もなく交わり、皆が皆妊娠している。排泄と出産は同じ事であった。
「その代償として、多少はああなってはしまいますが、私の夢の力で、少しずつ自我を取り戻して、また王の姿に戻る。そうして次の土地で、政を行うのです。その中心に、女王。あなたがいるのです」
――雨かと思えば、これは経血だ。花がまた赤に染め直される。
「しばらくの間――ほんのしばらくだから、あなたもあの中に。そして、時を待って欲しい」
「嫌だよ」
「ごめんなさい。あなたの気持ちはとてもよくわかる。でも、また下におりたら、倒壊が始まったとき、あなたは死んでしまう。汚物にまみれて」
「翼の民になるくらいなら、死んだ方がましよ!」
私がそう叫んだとき、マキナのもう片方の腕が伸びてきた。彼女の手が、私の目を覆った。
信じられないくらい、とても、暖かかった。一気に、地上の木陰に戻ってきたようだった。蓮の池があって、玉座があって、草花が青々としていて。すべてがありありと浮かんだ。
だが、それだけだった。
「どう? 見えた? さあ、ここに残りましょう」
私は見えた景色の嬉しさに涙を流しながらも、首を横に振った。
「それは私の夢じゃない……王国の夢は私の夢じゃない……」
私達二人は英雄の顔をした瀕死の翼の民を連れて、一階まで下りることになった。
マキナは私に夢を見させて、大人しくさせようとしたけれど、私は夢を見ることを拒否した。鳥籠の中で十分に眠っていたからかもしれない。
外からまわる階段を下りる頃には、夕陽が山の端にかかっていた。とても、美しかった。玉座のまわりの赤い花は、グロテスクな美しさだったかもしれないが、この太陽を見れば、すべて馬鹿馬鹿しかった。くさびは外れて崩れそうだと思っていたわりには、帰りの私達の踏み込みにも十分に耐えた。ハシゴも楽に下りきった。
翼の民を抱えて下りるのは危険なので、ロープと壁に取り付けた携帯用滑車を使って適当なところに降ろしては階段を辿った。マキナの夢の力のおかげで、翼の民の追撃はなかった。捉えた翼の民にマキナが命令すればフラフラしながら少し歩いたりした。持ち運ぶ苦労はほとんどなかった。
防護服の私から少し距離を取ってマキナは歩いていた。これから、私達の居場所に帰るのに、どうしてもっとくっついてくれないのか。
「マキナ、帰ったら、夢、見ようね」
私は明るい声で彼女に話しかけた。
反応があまりなかった。
「マキナ!」
「なんでしょう?」
「え……いえ、なんでもない……よ……」
マキナの笑みが消えていた。口調も少し変わってしまった。
でも、廃墟の王宮に戻れば、また池の畔で、優しい日々がある。今、マキナは疲れて不機嫌なだけなんだ。
「はぁ~」と、長い溜め息が後ろから聞こえてきた。
ぶつぶつ、呟く声もあった。使えない……とかマクロが言いそうな言葉が聞こえた気がした。私は疲れてるんだ。それにマキナもきっと、翼の民を相手するのに、疲れたのだろう。
防護服の耐久時間は、一階のあの木の扉まで、ぎりぎりに間に合いそうだった。
「帰ったら夢、見させてね」
「ん?」
マキナは首をかしげて、「あぁ……」と低い声で言った。目が見開かれていたので、怖くなった私は後ろを振り返るのをやめて、ずっと前を向いた。
これほどまでに不機嫌なマキナは初めてだった。不機嫌なフリはあったけれども、マキナが本当に不機嫌になること自体も初めてだった。翼の民と一緒になることを拒んで、夢を二人きりで見続けることを選んだ私に――マキナはなぜ腹を立てているのだろう。
「翼の民を売り飛ばして、たくさん夢を見ようね、ね、ね」
私はヘルメットの奥から必死に笑顔が届くように、楽しげなジェスチャーをした。
マキナは「何を言ってるのです。翼の民を売った金で、この国を脱出するんですよ。この国全体がクソまみれになるんだから。さっさと下りないと、防護服の効果もなくなって、元も子もないですよ」と、パンパンと手を叩いて、私を急かした。
「じゃ、国を出て、引っ越した先でね……」
マキナは黙った。翼の民を下ろし続け、ようやく一階の汚物の池が見えてきた。二階のあたりに翼の民を下ろし、歩きかけた時、マキナが不意に口を開いた。
「そうですね……夢くらいストレス解消で見させてあげてもいいけど、その代わり、しなければならないこと、やって欲しいこと、あります。いいですか? それまで私は、マキナではなくなります」
「はい」
戸惑う間もなく、私は直立不動の姿勢になった。マクロに睨まれた時みたいだ。
「まず、夢を見せる代わりに、あなたはさっさと国を出る準備をしなさい。塔が倒れた後、翼の民が飛び去った先まで一緒に行くこと」
「はい」
私はとにかく頷いた。頭の中にマキナの言葉を刻む。
マキナは、この国から翼の民の新しい土地までどれほどの距離があるか切々と語った。どれだけ苦労するかも嫌になるほど話した。
「そこで女王になること」
あっさりとマキナは重大なことを言ったが、私は疲労と困惑で、「はい」とただ頷いた。
「そこまで頑張り通せば、私は――あなたのマキナです」
私が塔を下りることに決めてから、マキナは初めて優しく微笑んだ。
私のマキナ 猿川西瓜 @cube3d
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