第8話 マキナ

 目の前に、王宮の玉座そのものがあった。歴史書に書かれてある通りだった。柱があり、石像があり、天球儀があり、政を行う場があった。

「どうして……」と私はつぶやいた。

「心配、してました」

 マキナが、私の側にゆっくりと歩いてきた。マキナはマキナのままだった。私は嬉しくて、懐かしくて、動けないでいた。

「ずっと眠ったまま動かないし、起こそうにも、防護服の脱がし方もわからないし、叩いて壊れちゃったら悪いし……」

 マキナは舌を出して笑った。

 私は、一面に広がる赤い花に目を奪われていた。

 強い夕陽が差し込んでいるのかと思った。

 茜色の花が、微風に一斉に揺れる。遥か上空を、翼の民が飛んでいる。

「驚いた? 顔が呆けているよ。服、ここでは脱いでも大丈夫だよ」

 防護服をすべて脱ぎ終えて、私はふらふらと歩いた。護身用の武器として、ボウガンと剣だけは腰から下げておいた。

 そして、マキナをそっと抱きしめた。涙も何もでなかった。

「もう、あの服を着たりしなくてもいいのよ」

 と、マキナは私の髪を撫でた。

 私は上を見た。王族の歴史が描かれた石のドームになっていた。天井画を背に、翼の民達が大量に舞っていた。塔の最深部であり、登頂部だと、上に続く階段のないことでわかった。

 私は赤い花畑を歩いた。土は強い粘りけを帯びていた。

 花の一輪を、私はそっと指先で触れた。猛烈な血の臭いが私の肺の中に入り込んできた。

 指に朱色のものがついた。血――? 緋の花弁にこびりついているものはすべて血が乾いたものだった。足に血が移り、真っ赤になった。私は玉座へと歩き始めた。

「マキナ……なんでこんな所にいるの……」

「ここが、本当の王宮の世界だから。あなたの夢に、幾度も描かれた世界だから、いるのです」

 ひときわ体つきの大きな翼の民が、マキナの側に下りてきた。建国の英雄と顔がうり二つだった。きっと、実際にそうなのだろう。

「ここには、あなたが夢見た、ぜんぶがある。王族すべてがいまだに、生き続けている。ここが、夢の王国という、現実なのです」

「そうじゃないのマキナ……私は……」

「あなたは、女王として玉座につく。そのまままっすぐ階段を上って。翼の民は、いつかまた玉座に着く継承者を待っていた。ここに連れてこられて、みんなとつながって、わかりました」

「…………」

「一緒に、みんなで、楽しく暮らしましょう」

 英雄の顔をした翼の民の身体中から、無数の蛆と、血が垂れていた。尻のあたりから放屁をしながら、マキナに顔を近づけようとした。顔中にイボがついていて、膿が噴き出していた。体中がぬらぬらと体液で光り、ヴァギナとペニスの両方を持っていた。

 英雄でも何でもない。どうしてそっくりだと思っていたのか。ただの化け物じゃないか――私は咄嗟に、ボウガンを放った。それから素早く距離を詰めて、英雄の顔の翼の民を殴り飛ばし、剣をのど元につきたてた。ドーム中に断末魔が響いた。

 私は大量の返り血を浴びた。

「なんてことを……」

 マキナが顔を歪めた。血はマキナにも降り注いだ。

 私はこの後、同胞の声を聞きつけた翼の民に、犯しつくされ、殺されるかもしれない。一階の糞尿の湖に落とされ、発酵して溶けていく。クソと区別がなくなるくらい――マキナも? しかし、一向に仲間が来る気配はない。

「翼の民達が、私みたいなの、一人ですら追い返せずにいる理由って……」

 マキナは私を困った顔で見つめている。

「きっと、そう。翼の民に剣を突き立てて殺しても、何も襲ってこないのは……」

 私は興奮して震えた声でマキナに聞いた。

「みんなでいま、楽しく夢を見ているんですよ。夢をみんなで見るのは、楽しいことですよ。まだまだ彼らの心は癒えないけれども、少しずつ、落ち着いてきているかしら」

 マキナはうれしそうに笑った。いったい何千という翼の民と関わっているのか。翼の民はみな、マキナの夢を楽しんで、怒りを忘れ、呆けているのだ。

 私はマキナのまわりに、翼の民の廃棄物、乳房、ヴァギナ、ペニス、山のような数の指が見えるようだった。心の内に、かつてない、暴力的で、この血塗れの花よりも、さらに赤く鋭い迸りを覚えた。マキナの元に駆け寄って、髪の毛をひっぱって、それから強く平手打ちをした。

「マキナは……私だけの……私だけのマキナ。私だけの!」

 彼女の顔は微笑んだままだった。

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