第7話 マキナ
突然、目の前が黒く覆われた。頭上から呻き声が聞こえる。私は歩みを止めなかった。左手で剣を上に突き立てたまま進んだ。ビュービューという呼吸音がすぐ上にあった。ヘルメットの視界を確保する強化プラスチックが細かく震えている。
「オルンボボボバジュワゴボオォォォオブリュリュ!」
すぐ頭上で、吐き気をもよおす声で鳴いている。よだれとクソを私に頭から浴びせ続けている。剣を向けている限り安全なようだった。だが、いつ捨て身で襲いかかってくるかわからない。頭の上からの攻撃に、すぐ対処できるはずはなく、どうかそのまま去ってくれと願いながら足を前に進めるしかない。
「マキナ……マキナ……」呪文のように唱える。私の心臓がキュッとしまってばか
りで胸が痛かった。
ニュマア・ギュリイイ・ノアア……。
マア……ギュ……ノア……。
マ……キ……ナ……。
マキナ? 私は思わず、剣を掲げたまま、上を見た。
塔の上層階いっぱいに大量の翼の民が渦を巻いて飛んでいた。
翼の多さによって真っ白に蠢く天井があるように思えた。すべてがこちらを見下ろしていた。何百、何千といるだろう、数え切れない。
私は走っていた。多分、速さとしては、登り始めた時の私とあまり変わらないだろう。心の中では全力で走り、登っているつもりだった。引き返すわけにも、立ち止まっているわけにもいかなかった。
剣を振り回し、襲い来るであろう何千の翼の民を牽制しながら、階段を上がる。翼の民の羽ばたきが何度もすぐ横をかすめる。どれくらい走っていたのかわからない。
翼の民は、私のまわりを飛び回るのを止め、ある言葉を叫んで、一斉に塔の上階を目指して飛んでいった。私は、ぜいぜい息をしながら、やっと翼の民の声を冷静に受け止められた。
マキナ。
翼の民はマキナと言っていた。
マキナ? なぜ?
まず、翼の民にその名を口に出して欲しくない不快があった。
その次に、マキナだ、マキナがいるという喜びがあった。急がないと、マキナは、あの幾千もの翼の民に囲まれて何をされているのか……。
剣を握る手に力が入る。ふとそこで、ずっと剣を掲げっぱなしであることに気が付いた。私は素早く剣を持ち替えた。下ろした腕にじーんと血液が流れていく感触があった。
少しだけ、いままで歩いてきた塔の底を眺める。一階は闇に飲まれていた。
半分以上は来たのではないか。だが、高さの正確な情報も、どこが中間地点かもわからない。
ただ、石段一つ一つが一個の大理石に変わっていたり、壁が白く、あまり汚れていないことに気が付いた。白亜の輝きが眩しく、塔の所々にある小さな窓からの陽光をはっきりと反射していた。上層階にはどの歴史書にも載っていない、金の文字や太古の狩りの図がしっかりと残されていた。
また、見上げる。階段の途中から、金細工の手すりがついていた。更に上層にいくと、白と黒の石がモザイク画のように並んでいた。隙間なく石をはめて作られた模様が階段の螺旋と相まって、大きな竜巻の中にいるみたいだった。
手すりが一つあるだけで、ずいぶんと歩くのが楽だった。翼の民はなぜか一斉に消え去った。再び出てくる気配もなかった。補給水はすでに尽きていた。帰りは、脱水症状にならないか心配だった。
急に天井が狭まり、黒い穴がぽっかりあいていた。
金の鎖が下りてきていて、人が二人ほど入ることが出来る金の鳥籠がぶら下がっていた。階段は鳥籠にむかって、壁側からまっすぐ伸びていた。これも調査隊の先人が作ったものだろうかと思ったが、明らかに雰囲気が違っていた。
鎖が下がっている穴は直径百メートルほどで、目をいくらこらしても、奥まではまったく見えない。ここから先にあがったら、二度と戻ってこられないかもしれない。おそらくほとんどの調査隊は、さっきの大群と遭遇する場所でみなやられてしまったのだろう。ではなぜ、私はたった一人にもかかわらず、死なずにすんだのか。
階段を上りきり、金の鳥籠に手を触れる。音もなく、重く揺れた。そっと扉を開け、中に入る。中にはスイッチもなにもない。しばらく待っていると、自動的に鎖が巻かれ始めた。私は金の鳥籠と共に穴の中へと吸い込まれていった。闇が、私を包んだ。
鎖と歯車の音がすぐそばから聞こえてくるが、一切が闇であり、何も見えない。
ライトは、バッテリーを考慮して点けないでおいた。ここまで来た、マキナと帰る。
マキナと帰る。明かりがいる。水がいる。マキナに対する一つの想いから、いくつもの冷静な考えが生まれた。五分、十分経っても、音は鳴り止まなかった。ふと、緊張が緩み、腰を下ろしてしまった。それから瞬きを何度しただろうか……。
ふと明るさを感じて立ち上がってから、意識がはっきりしだした。周りを見渡すより、まず時間を確認した。時間のカウントが残り六時間をきっていた。体が浮き上がるような感覚の後、全身から冷や汗が流れた。まずい……と独り言を漏らす。
翼の民を捕まえるのをあきらめたとしても、マキナを連れて帰ることができるだろうか。どうにもならない。私は何時間眠っていた? 下りる時間はいくらかかるのか。鳥籠のエレベーターはどれくらい作動していたのか。防護服は一日をオーバーしても若干は保つだろう。それにかけるしかなかった。
私は鳥籠の扉を開けて、一歩踏み出した。
思わず、ごく自然に、防護服のヘルメットを外していた。
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