第6話 血と月に


「メリジュス、おまえ、宴に出るつもりなのか! 馬鹿なことするなよ!」

 自身も宴用に新しい青色の胴衣を着ているアルディンが怒りながら、廊下を歩いていたメリジュスにつっかかってきた。メリジュスが宴に出ることが気に入らないのだろうか。

「レイミィ様の給仕をするのよ」

 アルディンの雀斑のなかの鼻がゆがんだ。

「馬鹿か、お前! いい見世物にされるんだぞ! おまえ、笑い者にされるだけだぞ!」

 見世物。笑い者。メリジュスは唇を噛んだ。

「わたしは、自分の仕事をするだけよ」

 相手の鳶色の瞳が怒りに燃えた。

「なぜだよ? なぜ兄上の言うことは聞くんだ! 俺の誘いは断ったくせに!」

 メリジュスが、その怒気どきの底にあるアルディンの感情に気づくには、またアルディンが自分の怒りの正体をきちんとメリジュスに説明するには、二人ともまだもう少し季節が必要だった。そして気まぐれな季節の風は、この二人には間に合わなかったのだ。

「なんだよ、お前、その格好? 今夜は道化の代わりをするつもりなのか?」

 今のメリジュスは、首元は被衣でかくしているが、その下はドレスをまとっている。それだけでもかなり雰囲気が大人っぽくなって見え、またその事がアルディンを怒らせた。

「道化? ええ、けっこうよ! わたしはどうせ生まれたときから笑い者だったんだから。あなたもわたしを笑っていたんでしょ!」

「メリジュス、待て……俺は……」

 メリジュスはアルディンを突き飛ばすようにして廊下を走りぬけた。

 背後でアルディンが何か言ったが、彼の声はもうメリジュスの耳に入らず、ひたすらレイミィの室を目指した。中に入るまえに、胸内の怒りをとにかくおさめようと一息吐いたとき、室内の話し声が聞こえてきた。

「レイミィ、足が悪いことなど気にすることはないさ。少し歩くのが遅いぐらい、誰も気づかないよ」

「でも、心配だわ……」

 声は勿論ジェルディンとレイミィだ。

(だから、歩くのがゆっくりだったのね)

 まったく気づかなかった。ゆったりとしたレイミィの動きは、むしろいかにも名家の娘らしくかえって上品に思えたぐらいだ。

「あの娘は、ひどい痣があるんだ。あの痣にくらべたら、君の足が少し不自由なぐらい、誰も気にとめやしないさ。だから、あの娘をそばに置いておけばいいんだ」

 それに対してレイミィが何と言ったかは聞きとれなかった。

 メリジュスは、自分のするべきことを思いついて厨房へ向かった。


「どうしたんだ、遅かったじゃないか?」

 その夜、宴がたけなわになってからメリジュスはやっと二人の前に顔を出した。

 メリジュスはにっこりと笑って、被衣をとった。ジェルディンの碧の瞳は一瞬見開かれ、そして背けられた。見れば、そのどす黒くなった痣がうつると言わんばかりに。

 彼の後ろでレイミィが息をのんで口をおさえた。近くの客が酔いの醒めた顔でメリジュスを凝視している。給仕女は悲鳴をあげそうになった。

「ひどいでしょう? 昨夜気づいたんです。痣がどんどんひろがっていたことに。色も黒くなって。背中も足も、痣だらけでした」

 もしかしてそれは先日、初潮をむかえて身体が変わってきたことが原因なのかもしれない。この、妙に気がたかぶって、感情をおさえられなくなってしまったのも。

 近くの席にいた領主夫人が悲鳴をあげた。

 鮮血があたりに散り、ジェルディンがその場にくずれ落ちる。

「伝説の人魚姫は愚かね。……一瞬の夢のために破滅して……わたしも哀れな人魚姫」

 狂っている……宴の席にも顔を出していた商人がつぶやいた。領主も、駆けつけてきたアルディンも呆然として突っ立ったまま、メリジュスの手にしているナイフからしたたる血を凝視ししている。

 沈黙のなか、声をあげたのは結婚式もあげるまえに未亡人になってしまった初々しいレイミィだった。


「いいえ、あれは人間たちが勝手に夢見たおとぎ話よ。現実に陸にあがって人間と情を通じたのは姫ではなくて、王子なのよ。あなたは海の王子が人間の女と情を通じて生まれた娘なの」

 レイミィは嬉しそうに床にあふれる恋人の血を見つめ、それを白い手ですくいとった。

「わたしもそうよ。わたしはあなたより耳が良かったようで、初潮をむかえてから、海の父王の声が聞こえるようになったの。異母妹をさがして海に戻ってくるように、と」

 濡れた手がメリジュスの頬や首を撫でた。

 その瞬間メリジュスの内で何かが炸裂した。

 嬉々としてレイミィは赤いしたたりを人目も気にせずドレスをまくりあげ、自分の不自由な足に塗りたくった。

「これでいいわ。わたしたちが海に戻るためには若い男の血がいるの。わたしがするつもりだったけれど、手間がはぶけたわ。これで、あなたの痣は鱗になり、わたしの足も正しい形に変わるの。さぁ、行きましょう。妹よ」

 巨大な墓場のようになってしまった宴の広間を後に、驚愕のあまり自失している人々を尻目に、海王の姉妹たちは手をつないで優雅にすすんだ。足取りはゆっくりなのに、誰も彼女たちをつかまえられない。


 その夜、老いた漁師は崖から二人の娘が海に飛びこむのを見た。二人は楽しそうに笑っていたという。さらに老いた漁師は目をこらして、黒い波間にそれを見た。

 上半身は美しい赤毛と、銀髪の少女。月光に照らされた夜目にも白い胸が漁師の目を奪った。だが……その下半身は。

 漁師は腰を抜かしそうになって、もう一度波間に目をむけ、それを見た。

 巨大なうねる二匹の海蛇を。


                            終わり
















  

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マーメイド・セレナーデ 暗黒童話 平坂 静音 @kaorikaori1149

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