第5話 伝説

 

 なかば強引にジェルディンに腕をひっぱられ向かった屋敷の東の室には、跡取り息子の婚約者のために、高価な調度品や色とりどりの衣装を持参してきた商人たちがたむろしていた。なかには、あの太った商人もいた。  

「おお、久しぶりだな、人魚の娘か」

 内心、メリジュスは嫌な気持ちになったが、商人の方はまるで数年来の知己にでも会ったかのように妙に親しげに寄ってきた。

「何ですの? 人魚の娘って?」

 涼やかな声が商人の太い声を聞きつけて割って入ってくる。つねにうつむいてるメリジュスの目には、赤い絨毯のうえ、庭の泉水から立ちのぼったかと思われるような、目もあやな水色のドレスが近づいてくるのだけが見えた。

 まるで真紅の炎の上を、薄瑠璃うするり色の波がゆっくりとすべってくるようだ。

 おそるおそる顔をあげたメリジュスがそこに見たのは、世にも美しい生き物だった。

(なんて……綺麗な人……)

 純白の雪白の肌に、夜空を切りとったような漆黒の瞳、身体をつつむように伸ばされた長い髪は銀糸ぎんしを紡いだかのような見事なプラチナブロンド。メリジュスは感嘆のあまり息を飲んだ。そしてまた被衣をいっそう深くかぶった。

「レイミィ、これがメリジュスだよ。君の良い話し相手になるよ」

「こんにちは、メリジュス。仲良くしてちょうだいね。でも、人魚の娘って、どういうことかしら?」

 海に接する地域にはよくある話だが、この地にも人魚伝説というものがあり、当地では親のいない子どもは人魚の生み落とした子だという言い伝えがあることを、ジェルディンはなるべくメリジュスを見ないようにして説明した。

 聞きながら、メリジュスは首筋に汗を感じた。都の人々は父親の知れない子をひどく忌むという。

(この話を聞いて、レイミィ様はわたしのことをどう思うかしら……?)

 レイミィは一瞬、メリジュスに同情するような視線をおくったが、そこには蔑みはなく、朝露あさがすみのようなきらめきがはじけた。

「人魚の娘……素敵ね。わたしの生まれ育った都にも港があってね、母から、人魚の姫が王子と恋に落ちる伝説を聞いたことがあるわ」

 人間の王子に恋した人魚姫の物語だ。人間の姿になるため人魚姫は足の痛みに耐え、美しい声をなくしてしまい、そして最後は……。メリジュスは顔をうつむけた。レイミィは歌うように語る。

「人魚姫は王子の命を奪うように姉姫に命じられるのだけれど、恋しい相手を殺すことができず、最後は海の泡になってしまうの」

「ああ、それは有名な伝説ですなぁ。さてさて、おまえもいつか王子様に恋するのかな?」

 商人の冗談に室に笑い声がひびく。メリジュスは頬を熱くしてまたうつむいた。言い返してくれるアルディンはいない。ジェルディンはレイミィとならんで苦笑するだけだが、それでも話を変えるように言葉を切りだした。

「明日の宴の席では、おまえがレイミィの給仕をしてくれ。女中頭にお仕着せを用意するように伝えておくよ」

「あら、それならわたしのドレスを貸すわ」

 レイミィの親切な申し出に、あわてたメリジュスだが、後ろの長櫃ながびつから出された純白のドレスは拒否の言葉をうばってしまった。

「明日の宴は、わたしにとって婚約の祝宴でもあるの。いっしょにお祝いして」

 レースや飾りの真珠も美々しく、手触りも素晴らしい。女中にはもったいないほど美しいドレスだ。心は躍るが、襟もとがかなり開いているのが気になる。これを着たら、首元があらわになってしまう。しぶるメリジュスにジェルディンがささやいた。

「メリジュス、君は痣のことを気にし過ぎだよ。隠そうとするからよけい惨めになるんだ。いっそ、さらけ出してしまえばいい。もし、誰かが君の痣のことを笑ったら、私がそいつを殴ってやる」

 メリジュスはドレスを持つ手に力をこめた。


(そうだわ。わたしは自分から幸せを拒絶していたんだわ。思い切って手をのばしてみよう。お化粧すればごまかせるかもしれないし)

 純白のドレスを着て華やかな宴の席に出るなんて、もう二度とないかもしれないのだ。

 粗末な女中部屋にもどると、メリジュスは恐れにも似た高揚感にせきたてられ、ドレスをベッド上にひろげてみた。被衣も粗末な衣も脱ぎすて、ドレスを試着しようとした。

 そして、そのとき自分の身体にある異変が起きていたのを知ってしまった。


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