牙と、首筋。【ハロウィン短編】
「来週はハロウィンだね!」
「え。はぁ、そうですね」
読書中。ちょうど見どころのシーンを読んでいたぼくは、多華子さんからの問いを上の空で答える。
多華子さんは構わずに、ぼくに話しかけてくる。
「ハロウィンといえば、ここ数年で徐々に日本でも浸透してきて行事だよね。いまではすっかり仮装をして盛り上がれる日になっていて、あたしも前々から興味があったんだ」
「そうなんですね」
いま良いところなのに。
多華子さんはぼくのことなどお構いなしに、話しを続けている。しょうがないので、ぼくは読書を辞めると、栞を挟んだ本をわきに置いた。楽しみはあとにとっておいてのんびりと読もう。
顔を上げると、多華子さんはなにやらニヤニヤとした顔でぼくを見ていた。
全身の毛が逆立つような嫌な予感がする。
その予感が的中しないことを祈りながら、ぼくは多華子さんに聞いた。
「で、そのハロウィンがどうしたのですか?」
ふ、ふ、ふっと笑い、多華子さんが懐から何かを取りだす。
「じゃっじゃーん! 昨日、百均で買ってきたんだぁ!」
「それは……?」
ぼくは目を細めて、多華子さんが掲げているものをまじまじと見る。
白い……とがっているのがふたつある……。
「牙?」
「正解ッ!」
「それがどうしたんですか?」
話がみえない。
「これをね、いまからこーたにつけてほしいんだ」
「……え?」
牙をつけて、どうするんだろう。
ぼくはすぐにハッとした。
ここ一か月、多華子さんは何かを作っていた。多華子さんは服を作るとき、完成するまで僕に見せてくれない。先月末に見せてくれた(ぼくが着た)服は、秋らしいワンピースだった。それから約一カ月間、多華子さんは自分の作っている服を隠すようにぼくに背を向けてミシンでカタカタとなにかを縫っていたように思う。それが、その牙と何か関係があるのか?
牙と挙げて、思いつくコスプレは、スタンダードな
たぶん今回ぼくがコスプレをするのは、女吸血鬼だ。それもとびっきりフリフリしたワンピースの、ツインテールの吸血鬼かもしれない。
そう思案していると、多華子さんは牙をぼくに渡してくる。それから背を見せて背後でなにやらごそごそとしている。きっと完成した服を、ぼくに見せてくれようとしているのだろう。
よしと、ニヤリと笑った多華子さんがジャジャーン! とできたばかりの服を掲げた。
「こーたには、これを着てもらおうと思ってね」
ぼくの目が点になる。
「そ、それは……」
フリルの付いたワンピースというところまではぼくの予想通りだった。
でも果たして女吸血鬼の背中には、蝙蝠のような羽が生えているものなのだろうか? それも、スカートの裾は予想よりも短く、チラリと先がハート型になっている槍のようなものが覗いている。いや、あれは槍ではなく、しっぽだろう。
「サキュバスだよ」
「…………………………は?」
サキュバス?
いったい、多華子さんは何を言っているんだ?
「こーたに、これを着てほしいんだ」
無意識だろう、若干上目遣いになる多華子さん。
そんな顔をしても……ぼくは、ぼくは……。
そのキラキラした瞳に生唾を飲み込み、ぼくは震える唇をこじ開けて返答した。
「……はい」
自分の身長よりも高い姿見を前に、ぼくは盛大なため息を吐いた。
なんだこれ、思ったよりも似合ってる。
鏡に映っているのは、ヘソが出ている黒いタンクトップに、黒いフリルの付いたミニスカート、それから背中に蝙蝠のような羽をはやし、スカートの裾からは先がハート型にとがった尻尾が覗いている――サキュバスの姿をした、ぼくこと
カツラを被っているから辛うじて女子だと認識できるが、これはさすがにアウトなのではないだろうか?
長めのスカートならともかく、ミニスカだ。それも少し屈んだだけでぼくのボクサーパンツが覗いてしまいそうなほど短い。男のパンチラなんて誰得なんだ?
「こーた、まだ?」
扉の向こうから多華子さんが呼びかけてくる。
ぼくはスカートを軽く伸ばしながら、「もういいですよ」と応じた。
「こーた!!」
扉を開けた瞬間、多華子さんが破顔した。
満面の笑みのまま、両手を広げて多華子さんが飛びかかってくる。
「かわいい、かわいいよ、こーたぁ!」
抱き着かれてドキッとしたけど、これはよくあることなので表情は冷静に保つ。
多華子さんはすぐにぼくから離れると、四方八方からぼくの全身をなめるよう見てくる。
「写真撮るね!」
これもまたいつものことだ。
ぼくは多華子さんに言われたポーズを恥ずかしげもなく披露しながら、笑顔で被写体と化す。
恥ずかしくない恥ずかしくない恥ずかしく……恥ずかし………………いや、この姿が恥ずかしくないわけがない。いままで以上の恥ずかしさだ。もしこの写真が知り合いに見つかったらたぶん一生土に埋まって出てこられないだろう。恥ずかしい恥ずかしい。さすがにサキュバスはないだろ。ありえないだろ。なんでぼくはこんな格好をしているんだ。お尻を吐き出すように上半身をお辞儀させるように屈めて、なんでピースなんかしているんだ。パンツが見えたらどうしてくれる。うわああああああ、この記憶を消し去りたあああいいぃ。
――でも。
嬉々としながらぼくの恥ずかしい写真を撮り続ける多華子さんを見る。
学校では見かけることのない笑顔。普段クールぶっているのに、ぼくの前でだけ見せてくる、子供のような、無邪気な笑み。
この笑みの記憶だけは、消えてほしくない。
ずっとずっと、ぼくの中に留めておきたい。
彼女と一緒にいられる、この時間を。
写真撮影が終わり、ぼくは正座で多華子さんと向き合っていた。
「あ」
撮ったばかりの写真を眺めてニヤニヤしていた多華子さんが、ハッとした顔になる。
もしかして、ぼくのパンツでも映っていたのか……?
「こーた、牙つけてないよ?」
はっと、ぼくは自分の口許に手を当てる。
サキュバスの衣装の衝撃で、すっかり忘れていた。
姿見の傍に落ちていた牙を拾い、ぼくは口につける。ちょうど犬歯の部分が伸びるようにできているみたいで、愛らしいサキュバスの姿がたが、一瞬で小悪魔に変った気がした。てかこれサキュバスっていうよりもやっぱり吸血鬼じゃあ。
多華子さんが無言でシャッターを切る。
「こーた。これいいよ」
多華子さんが撮ったばかりの写真を見せてきた。
そこには上目がちに、ムッとした顔でにらみつけるような小悪魔サキュバスの姿が映っていた。
その姿は、自分で言うのも変だけど、ぐっとくるようなかわいさがある。特に狙った表情ではないんだけど。
「これ、待ち受けにしようかなぁ」
「絶対にやめてください」
「冗談だよ、こーた」
あはは、と多華子さんが笑う。
「あ~あ、こーたはかわいいなぁ。作った甲斐があるよ」
「……多華子さんも……」
「ん? なーに?」
ぼくは口ごもりながらもごもごいう。
「多華子さんも、十分、かわいいですよ……」
「え、聞こえないよ。こーた?」
ずいっと、多華子さんの顔が目の前に現れた。
いや、顔だけではない。その、首筋も近い。
「いや、あの……その……」
ぼくは多華子さんの首筋を見つめながら、言った。
「……この牙が、本物だったらいいのに」
「え?」
多華子さんがぼくから体を離し、首を傾げる。
「なんでもないです」
「ええー、意味深な言葉だけ残さないでおくれよぅー」
ぶーぶー文句を言う多華子さんに、ぼくは背を向ける。
――ただ、ただ、ぼくは、この衣装が愛らしいサキュバスではなく、ドラキュラの衣装だったらよかったのにって思っただけなんだ。多華子さんよりも身長が高くて、多華子さんよりもカッコよくって、かわいい多華子さんを守れるような男に、ぼくはなりたい。
吸血鬼に血を吸われた人間は、眷属になるという。吸血鬼と――陽の光は浴びることができないけれど――一緒にいることができる。
そんな力がほしい。
多華子さんの傍にいられる、力が。
女装ほりでー 多華子さんとぼくの秘密 槙村まき @maki-shimotuki
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