慈母と死神 続・土方歳三物語

オボロツキーヨ

一 轟音(ごうおん)

 

「ごおおおおおお・・・・・・」


不穏な音がする。

これは地鳴りか。

今にも天変地異が起るのか。

空と大地と山と川のすべてが繋がり崩れていくに違いない。

人など、あっという間に潰されて飲み込まれてしまう。

 

 あの日も耳を引き裂くような音と熱に襲われた。

おれの頭をかすめた鉛弾よ。

おまえたちは獲物を求め飛び跳ねる。

そして、大切な者たちの体に食い込み火の玉となって焼き尽くす。

おれをかすめ飛んだ、あの弾丸を井上源三郎が受けたのだ。

近藤先生の片腕で、おれに天然理心流を教えてくれた男

稽古熱心で、いつも重い木刀を振っていた寡黙かもくな男。

 まだ多摩へ居た頃は、田畑を耕しながら合間に振り、雨の日は家の土間で振る。

どっしりとした腰、太い腕と硬い肩と背の肉は鍛錬の賜物たまもの

誰よりも強かったが、弾丸には敵わなかった。

近藤先生が伏見街道で肩を打ち抜かれたのは、護衛に着いて行かなかった己のせいだと責めていた。

だから、鳥羽伏見の戦いでは危険な殿しんがりを引き受けて、あんなに奮戦したのか。

小姓の泰助は泣きながら首を持って逃げたが、大人の首は子どもには重すぎた。途中で、とある寺の木の根本に埋めたそうだ。

多摩から小姓として連れてきたばかりの井上家の子、泰助は賢く端正な顔をしていた。

すぐに多摩へ帰したが、何の為に京の都へ連れてきたのか。

叔父の生首を運ぶ為か。

泰助のあの大きな純粋な目に、この世の地獄を写させただけか。

白兎のような、真っ赤な目をしていた。

その赤みも消えぬうちに、早々に多摩へ帰すしかなかった。

井上家は深い悲しみに沈んでいることだろう。

 井上さんの死を知ったなら、江戸に残してきた総司もさぞ悲しむだろう。

実の兄のように慕っていたのだから。

優しく強い男だった。

 

 下っ腹に低く響く大砲の音に足が震える。

だが、隊士たちには気づかれないように、大将らしく振舞ったのだ。

近藤先生ならそうするだろうと思いながら、恐怖と戦った。

白刃はくじんを振るうだけなら、さほど恐ろしくはない。

だが、銃での戦いほど嫌なものはない。


 おれは、あんなに嫌っていた武士として生きる事を決めた。

いくさをしたことのない武士たちが、偉そうな態度できれいごとばかり言っているが、おれは戦を知っている。

鳥羽伏見の戦いでは刀、槍、弾丸が飛び交う血みどろの修羅場をくぐり抜けてきた。弾に当たった人の頭や顔が崩れて果実のように地面に落ち、大砲で吹っ飛んだ人の体から手足がもげて、ばらばらと地面に散らばる。

戦場の地面は臭気に満ち、様々なものが落ちているのだ。

おれは、死なない。

生き抜く為に本当の強さを身につける。

だが、強さとは何だ。

本物の武士になるにはどうしたらいい。

 

 もう、槍や刀の時代じゃないことぐらい、とっくにわかっている。

西洋歩兵術も少しは学んだ。

新選組は元治元年には、長州征伐に参戦する為に洋式の銃砲訓練をしている。

丸の内の屋敷に隠れていた時に、オランダ軍制の本「歩兵心得」を手に入れた。

書かれているのは主に銃の扱いだが、蘭語に和訳が付いているから、おれでもわかる。

それに、この脱走軍には西洋歩兵術を学んだ新しい徳川の武士たちも大勢いる。

別れて進軍しているが、大鳥圭介率いる伝習隊のやつらは、けんか慣れした血の気の多い江戸のならず者たち。

それが今ではよく調練されて強兵となった。

この戦は勝てるはずだ。

しかし、何と言っても兵糧と弾薬の補給が心もとない。

行く先々で調達しなければならない。

苦しい行軍にはなりそうだが。

あの弾を手に入れたい。

おれたちが五兵衛新田で秘かに造り貯めた弾。

流山へ送ったが届かなかったあれだ。


 手の甲を額に当てたまま横に寝返りをうつと、膝が何か柔かい物にぶつかった。

おや、柔かい。これは人の体か、腹か尻か。

そうか、着衣のまま数人の小姓たちと上州の寺の畳に雑魚寝ざこねしている。

本堂の隅にある小部屋だから手狭なのだ。

おれはこの隊を率いる参謀だというのに、手足を伸ばして寝ることも出来ないでいる。


「ぐおおおおおおおおおっ、ぐおおおおおおっ、ぐお・・・・・・」


地鳴りはどうやら、薄い壁を隔てた本堂から響き渡ってくる。

まったく、この酷いいびきは新選組一の大男、島田魁に違いない。

聞き覚えがあるぞ。

だが、奴一人ではなさそうだ。

数十人は地鳴りの元凶がいるな。

本堂にはむさ苦しい男ばかりが百人も寝ているから、無理も無い。

あいつらは気を使って、おれを小姓たちの部屋に寝かせたというわけだが、やれやれ行軍とは難儀なものだ。

この先が思いやられる。


 小姓の一人が寝返りをうち、背中にしがみついてきた。

「かあちゃん、おなかすいた」

馬鹿、そんな寝言聞きたくない。

背中が温かい、まるで背だけ風呂へ浸かってるようだ。

子どもは体温が高いからな。

日野にいる甥っ子を思い出して、妙に愛おしく思える。

ああ、こいつらを飢えさせるわけにはいかない。

もう、夜が薄っすらと明けてきた。


 眠気は取れぬが、いてもたってもいられなくなり座敷を出て、本堂の引き戸を開けて庭へ出た。

すると怪しい人影が見える。

背の高い着流し姿の男が一人、真剣を振っていた。

早朝の空気を切り裂くやいばの音がヒュンヒュンと低く鳴っている。

伝習第一大隊の若き隊長、元会津藩士の秋月登ノ助だ。

会津藩が江戸の藩邸を引き上げる際、松平容保公の許しを得て脱藩したらしい。

旧幕府軍に加わり幕府軍第七連隊の歩兵差図役並となったが、その後大鳥圭介の伝習隊に入隊して頭角を現す。 


「こんな朝早くから稽古とは、さすがですね、秋月隊長」


「ふん、若輩者じゃくはいものだからといって、からかわないでいただきたい。土方先生、これは鍛錬なんてものではない。ただ、無性に刀が振りたくなっただけです。刀と向き合って話しをしたくなったのです」


 生真面目なだけが取り得だと思っていた会津藩士だが、こいつはちょっと毛色が違う。おもしろい奴だ。

おれは腕組みして、無言で奴の太刀筋を見ていた。

たぶん、こやつもおれと同様、鼾がうるさくて眠れなかったのであろう。












 





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