情報将校―田所浩二―

@VITA_SEXUALIS

プロローグ

士官候補生――田所浩二――

 田所は何よりも嘘を嫌う心根の優しい青年だった。そんな彼が権謀術数を要する情報部の道へ進もうとしていた。平和な時代に生まれていれば医者か教師になっていただろう男は自ら茨の道を選んだ。

 だが皮肉なことにそんな矛盾が英雄を生むのが歴史の常である。

 これは後に連合から「野獣ビースト」と渾名される情報将校――田所浩二のはじまりのはじまりである。


 ――帝都シモキタサワ

 帝国陸軍士官学校にて


「もう辞めたくなりますよぉ…も〜」

「今日も訓練きつかったゾ」

 田所と供に弱音を吐く三浦は疲れの余り軍で矯正された筈のサイタマ訛が出てしまう。

 無理もないことなのだ。今日の訓練は徒手格闘術、それも多くの訓練生か音を上げる鬼教官秋吉専任軍曹による迫真空手の稽古だ。

 情報将校は多くの軍人とは異なり戦闘を生業とする訳ではない。しかし、諜報活動においては偽装や潜伏といった活動が主となるため身を守るに十分な装備を携行できないことも多々ある。そのような状況下で危機に瀕したときは己の鍛え抜かれた五体と知恵のみが頼りとなる。事実、後に田所は迫真空手により多くの修羅場を超えることになる。


 訓練を終えた二人は教官に見つからぬよう細心の注意を払いながら井戸へ向かった。門限はとうに過ぎている。田所は井戸を引き上げて桶から瓶を取り出した。

「ビールビール」

「おーい、冷えてるか」

「ええ、バッチシ冷えてますよ」

 あろうことか瓶の中は麦酒だ。

 そう、この二人は飲酒という重大な規則違反を犯していた。本来なら規則に縛られない型破りな性格とは軍隊に於いて致命的欠陥である。

 最初にこの遊びを試みたのは田所であった

 校舎の構造と見回りの巡回経路から警備の死角を発見したのだ。三浦も門限破りの計画を聞かされたときは当初こそ呆れていたもののやはり人間である。酒が無性に欲しくなるときだってある。結局は田所の計画に便乗し協力することにした。

 田所等は予科生として生活した3年間、一度たりとも規則違反による処分は受けていない。この時既に優れた軍事工作の才能の片鱗を見せていた。それに、田所はこの門限破りと飲酒を遊びと称して訓練を自ら課していた節もある。

「三浦さん、夜中腹減んないすか」

「腹減ったなぁ……」

「この辺に美味い支那そば屋があるんですよ」

「行きてぇなぁ……」

「じゃけん、戦争が終わったは行きましょうね」

「おっ、そうだな」

 三浦は今年で予科を修了し、曹待遇で前線へ配属される。この他愛のない会話も当分お預け度なるのだ。

 士官学校出は卒業一年以内に昇進し少尉となる。ただ、田所はその後部隊長となった三浦の部隊へ配属されたために昇進が遅れることになる。指揮官と同階級の者が部隊に居たならば、指揮系統に混乱が生じるためである

 だが、これは決して不幸では無かった。頭は切れるが、主体性のない三浦を行動力に長けた田所が補佐する。後に「野獣」として恐れられたこの男のノウハウは一人の智将の下で培われたのだ。田所にとって三浦は生涯に渡り公私を共にした良き友であった。


 月日とは早いもので、三浦が卒業して一年が経とうとした。

 ――シモキタサワ日報

 インム暦114514年2月6日号朝刊の一面記事

 見出し

 インム陸軍の快進撃により連合の敗走続く戦勝は間近也


(前略)

 今回の連合領ゲイパレス攻略作戦において、我が帝国の将来を担う精鋭若手士官三浦少尉大いに功あり。我等が帝国軍がレ領内に橋頭堡を得た。次なる決戦では脆弱なレ兵たちは我らの精強なるインム群になす術もなく蹂躙されるであろう。


 この記事は物資の調達と次なる辞令のために大本営ヘ帰還していた三浦の目にも届いた

「なんだ……これは」

 当の本人である三浦はこの一面を見て魂消た。ゲイパレスの攻略に成功したのは紛れのない事実であるが、幾分の誇張が含まれている。まず、お世辞にも快勝など言えない。こちらの損害も馬鹿にならなかった。

 また、十分な準備を経ないままレ領内に進軍したことも問題だ。インム軍内は一枚岩ではないことが原因だろう。それに伸び切った補給線が途絶えたら決戦どころか帝国軍はたちまち瓦解してしまうだろう。

 三浦にとってはこの一面は報告書の体を成さない怪文書に思えた。だが、多くの軍上層部に至るまで帝国臣民は記事を鵜呑みにしていた。このように踊らされては狂宴の中インム帝国は崖っぷちに突っ込むことになる。

(このままだと帝国は滅びるゾ……)

 内心そう思いながらも若き智将は沈黙を守る。戦勝ムードにある中、そのようなことを口にしようものなら敗北主義者として処分を受けることは必至だ。


「おう、英雄のお出ましか」

 固まった三浦に声を掛けたのは軍内部でもヤクザ者と名高い谷岡中佐だ。三浦は上官の存在に気付いて慌てて姿勢を正して敬礼をした。

「おう、肩の力を抜けよ……凱旋は初めてか? 今回のお前の働きは見事だった、御上さんには昇進は認められなかったがな。代わりといっちゃ何だがオレの方から何か欲しいものが在るならくれてやるよ、戦勝祝だ」

「それは公人としてでありますか、それとも私人としでありますか」

「どっちでもいい」

「では、中佐の御力で人事面で融通を図って頂けませんか。部下に欲しい男が一人おります」

「おう、考えてやるよ」

 三浦は上官の責任回避的な言い回しが気掛かりだった。その一方で谷岡の立場からしても安請け合いは出来ない以上明言を避けるのは仕方のないことだとも理解していた。人事ともなると尚更である。

「で、どこのどいつだその奴は……」

「今年度に予科を修了する田所浩二という男です」


この二ヶ月後、田所と三浦は前線のゲイパレス高原で再開することになる。

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