第5話そして、150ミリの雨
卵型の機械の中で、二人の記憶を辿っていると明け方の静かな軒先に、ぽたりと雨どいを伝って雨が地面を打ちました。
一粒の雫がたくさんの雨を連れてきます。
それはまるで悲しみがこちらのほうへと押し寄せているようでもありました。
きっと、あの日の雨も初めはこんなふうに、霞のような弱い雨だったに違いありません。
紘一さん―――ファザーはアマネさんが起こす異常現象について詳しく調べるために、猫島を離れました。
アマネさんはその間、また一人でじっと本を読む日々に戻ることになりました。夏の甲子園が終わって、夏休み最後の日に、アマネさんはこっそりと病院を抜け出しました。
そして―――
「人の過去を黙って盗み見するのはよくないな」
卵型の機械を覗き込むようにして、誰かが私の耳許で呟きました。
「ファザー。もう起きていらっしゃったのですか」
「その前に説明してもらいたいね。ハッキングの許可なんて出した覚えはないぞ。どこで習ったんだ?」
「しかしファザー。これは調査の一環です」
せっかくファザーの記憶を探っていたのに、不正にログインしてデータを漁っていたことがばれたみたいです。残念。
でも私が本当に知りたかったのは、その先。
「調査の一環も何もない。次に許可を出していないことをしたら廃棄だ。いいな」
ファザーは眉間に皺を寄せてこちらを睨みます。
「アマネさんはどうして亡くなったのですか」
「……そんなこと聞いてどうする」
卵型の機械の中に寝ている私を見下ろす、ファザーの険しい顔を見れば話しをしてくれそうにありません。私は自身の親機である気象観測衛星にアクセスしました。これは不正ではありません。
端末内に残っていた、ファザーの研究所での雇用履歴から、アマネさんと出会った時期を算出し、また島を出た前後10日の天気を調べます。
すると、10年前の7月2日のこと。
猫島に大雨が降った記録が残っていました。それも、洪水を引き起こしてしまうような、大雨。
しかもそれは記録上晴天の日に起きた、未曾有の災害。
誰もが予測できなかった―――気象観測衛星すら予測できなかった大雨は瞬く間に島を水で覆い潰そうとしていた。
アマネさんはそこにいた。
たくさんの悲しみを抱いて。
いなくなったコーイチさんを探して。
―――何をしている?
私はこの島に降る不可解な雨の調査をしています。
だからと言って、不正なハッキングを許可した覚えはないと言っているだろう、今すぐやめろ。
―――ファザー、アマネさんに会いたいですか?
アマネ? 霧島雨音のことか。
はい。10年前の今日……大雨の中、堤防が決壊した川の水に流されて、この島で亡くなったただ一人の犠牲者。霧島雨音さんのことです。
お前はこの島に降る異常気象の原因が霧島雨音の霊だとでも言いたいのか。
はい。霊、という概念が何かはわかりませんが、その不思議な力をこの島にもたらしているのはアマネさんだと思われます。
そして、ファザーの記憶とアマネさんの言葉を照らし合わせるならば、気象衛星に映らない不可解な雲が現在発生している原因は、ファザーとアマネさんの離別にあると思われます。
もし二人が再会されるならば、私が調査として抱える問題の90パーセントは解決されるでしょう。私はファザーが一度、アマネさんとお会いになることを提案します。
……機械が霊の話をしだすとはな。わかった、ただしもう今日は終わりだ。明日、改めてお前の解析したデータを調べてみるよ。
霊の話は信じがたいが、人格構成データにバグが見つかるかもしれん。
―――アマネさんに、お会いしたくはないのですか。
アマネさんは、あんなにコーイチさんに会いたがっているのに。
こんなに悲しんでいるのに。
すると、ふとファザーはかけていた眼鏡を取って、雨が降っているにもかからわず、ひぐらしの鳴いている夕暮れに耳を澄ませました。
―――会いたいさ、会えるものならな。そのために10年研究してきたんだ。
ここまでが、気象観測機ヒマワリの中にかろうじて残っていた降谷紘一の音声データである。
ここから先に彼の声は残っていない。
ちなみに、これより10秒後に、降谷紘一は副所長である私―――水島虹子に対して緊急事態連絡を行っている。
最後に降谷紘一が呟いた言葉より、およそ5秒後にヒマワリは暴走した。そして、ヒトであり、製作者である降谷紘一を殺害したのである。
降谷紘一の四肢を欠損させたところで、最終確認をした。
―――アマネさんに会いたいですか。
雑音と彼の叫ぶ声しか入ってはいないが、ヒマワリは承認と受け止めたらしい。胸部を圧迫して心停止させた。
私―――水島虹子が現場に辿り着いたのは、降谷紘一が気象観測機ヒマワリに殺されてから10分後のことである。
緊急事態を知らせる連絡を受けたが、大雨によって到着が遅れたのだ。
私が最初に行った処置は、ヒマワリの停止である。
「……人を殺す機械はいらないわ」
そのときである。
ぽつりと、ヒマワリが呟いたのだ。
「コーイチさんとアマネさんは会えたのでしょうか」
さきほどまで降っていた大雨が、少しずつ弱くなっていきます。
「あなたは廃棄よ。わかってるだろうけどね」
「はい」
私はファザーの血を浴びていましたが、雨戸もしていない縁側に立ちました。すると雨が血を流してくれます。
そう言えば、不可解な点がある。
気象観測機ヒマワリが廃棄すると伝えたあとにゆっくりと縁側に立ち、雨を浴びたのである。
そしてヒマワリの身体に付着した血液がすべて雨に流れてしまったあとに、気象観測機ヒマワリは私に向かって呟いたのだ。
―――雨は一時的なもので、すぐにやむでしょう。
空が、ゆっくりと青さを取り戻します。アマネさんの悲しみがなくなってこの島を覆っていた雲が晴れていきます。それはきっと、誰もが望んでいたこと。10年前に、病室にいたアマネさんも―――そしてコーイチさんも。
ヒマワリの本来の仕事はたしかに、天気の観測と予報である。
到着直前まで、視界を遮ってしまうほどの大雨が降っていた。しかも気象観測衛星にすら映らない雨雲である。気象観測機が予測できるはずはない。しかし突然、雨はやんでしまった。それだけではない、雲が晴れて青空すら見えたのである。
―――雨はもう、やみました。不可解な雨は降らないでしょう。雨が、やんだのです。
150ミリの大雨。その15センチが、アマネさんが悲しんだ涙の量。でも、もうきっとそれが増えることはないでしょう。
ああ、よかった。もう、アマネさんが悲しむことはないのです。
気象観測機ヒマワリの、最後の言葉を聞いて私は彼女の稼働を停止させた。ちなみに後日、ヒマワリのデータを解析したところ、シミュレータ内でバグが発見された。
そのバグによって、ヒマワリがシミュレータ内で稼働していたときと同じようにとある人物データを現実でも見ていた可能性がある。
それは降谷紘一が作った人物データであるが、しかしそのバグが彼女の暴走の一因になったのかどうかは現在も調査中である。
雨女さんと気象を観測する人形 東城 恵介 @toujyou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます