【超ベニヤ杯1】Once Upon A Time
ある夏の暑い日の事だ……といっても僕はてんで暑くないからへっちゃらなんだけど。アイスは食べられないけれど、浮遊霊はこういう時お得だとおもう。例えば歩く必要もなくフワフワ浮かぶ事もできるし。
だからといって油断しちゃいけない。この間ホバー移動で『漆黒の三流星ごっこ』をしていたところ、ユカリさんにガッツリ見られてしまったのだ。完全に黒歴史だ……僕は人が死んでも歴史は消えないのだとまざまざと思い知ることになった。
そんなわけで僕の見るもの感じるものは、普通の人のそれよりも少しだけ違う――だからだろう、僕は木陰で文庫本を開くユカリさんにあるものを見つけたのだ。
「ユカリさん。右手の小指の所……見えづらいですが傷があるんですね」
「ああ……そうですわね」
苦虫を噛み潰したように
それはユカリさんの美しさを損なうほどの瑕疵じゃない。でも傷ができるとすればそれは――。
「いわゆる古傷ってやつですか?」
「……あまり良くない
これには僕もびっくりして飛び跳ねてしまった。いや、もとから浮いているのだけれど……ユカリさんが苦戦しただなんて、なんて思いもしなかったから。
「あの、どんな事件だったんですか?」
「とびっきりの悪夢でしてよ。私がまだ中学生……駄作バスターとして駆け出しだった頃の、ね」
「……思いがけずで失礼なんですが、ユカリさんにも中学時代があったんですね」
「当たり前でしょう、何事にも順序という物があってよ。でも……そうね、いい機会だし少し語るとしましょう」
そう言ってユカリはさんは蕩けるような声で切り出した。
◇ ◇ ◇
その日は今日のように暑い日でしたわ。朝から式部の家は騒々しく、叔父様は朝食も取らずに駄作退治に出掛けていました。ここ数日は駄作の化生が数多く発生し、あまりの忙しさに『少納言家の力も借りねば』と囁く者が現れる程でした。
そのように駄作が増える事があるか、ですって? 無いことはないですわね。山が突然噴火するように、化生が立て続けに現れることが稀にあります。私達はこれを『百鬼夜行』と呼びますわ。西洋風に言えば
ですが本当の百鬼夜行はまだ鎌首をもたげてさえ居なかったのです。
事が起こったのは丑三つ時……午前2時前後ですわね。ある地点で一度に大量の化生が顕現しました。式部でも警戒していた淀みの集まる地なのですが、この日は運悪く対処できるのは未熟な私一人しかいなかったのです。
……当然向かいましたわよ。『兵は拙速を尊ぶ』は式部の家訓ですからね。私一人では勝ち目はなくとも、時を稼ぎ凌ぐことはできる。ならば潮目が変わるまで耐えれば良いだけのことですわ。式部家でもその判断をしたからこそ、私を送り出したのですもの。
ですがこの見積もりはやはり甘かった。私が目にしたのは悍ましい魑魅魍魎のパレードでしたわ。かつて京に都が栄えた時と同じように、悪鬼悪霊が跳梁跋扈していたのです。私とて一目で手に余る事は理解しましたわ。私は凡人ですからね。
……なぜそこで首を傾げるのかしら。私は間違いなく凡人でしてよ。ただ才能というものは磨き研ぎ澄ますことで高められる、それだけの話ですわ。
話を戻しましょう。私が目にした化生の行軍、それは酷いものでした。
筆頭は中身のない伽藍堂の『がしゃどくろ』。
支離滅裂な散文の『
同じ事を繰り返すばかりの『
ああ、勿論『一反木綿』や『
そのようなもの、一人で何とかする範疇を明らかに超えていますわね。思えば本当に苦肉中の苦肉でしたわ……最早生贄を捧げるに等しい。式部の者達もその点は理解していたのでしょう。出来うる限り最高の装具を整え、ただ叔父様達の到着まで凌ぐことを厳命されました。
ただ私が一つ誤ったのは、ここに戦果を求めてしまったことでしょうね。当時は式部の者として重圧に苛まれていましたから……当代としての使命を全うせんと焦っていたのですわ。
……なんですかその顔は。まるで私が元より完全無欠とでも言いたげですわね。先程も申し上げた通り、物事には順序というものがありますわ。私とて未熟な頃は御座いましたとも。この世に完全完璧な人間など存在しなくってよ。
だからこそ、私は役割からほんの少しだけ道を外れてしまったのですわ。ただその『少し』こそが致命的な隙だった。押し止め、凌ぐに足る筈の結界にほころびができてしまったのです。初めから耐えることに終始していれば出来なかった物……と、今の私ならば言うでしょう。我が事ながら全く愚かしいにもほどがあります。
……結果がどうなったか? そんなものはご想像どおり、ですわね。私は惨めにも敗北した。結界は破られ、波濤の如く化生が押し寄せたのですわ。
正直に申し上げて私は死を覚悟しました。あの熱い疵の痛み、流れ失われる血の滑り、砕かれる骨の音、底冷えする地面の冷たさ、そして徐々に失われていく感覚のすべて……未だに肝が冷えますわ。
……大丈夫などと馬鹿をおっしゃい。心配無用ですわ、無事だったから私はここに居るのではありませんか。まぁ、本当に無事だったかと問われれば……多少疑問ではありますけれど。
何にせよ私は些細な事から大失敗をして死に瀕しました。『彼女』が顕れたのはその時ですわ。『がしゃどくろ』の豪腕を払い、『鵺』の爪を弾き、『大百足』の巨体をも防いだ彼女……それが何者かですって? 私も詳細は存じ上げませんわ。
ですが……強いて言うならば『女神』が正しいでしょう。それほどの権能と神威をもって、私の前に顕現したのですから。
……ああ、神は実在しますわよ。捉え方は宗派に基づき違いますけれど、広義でいうところの神や仏は実在します。世界に数多くある神話や伝承、それらが示す神代は確かに存在したのですわ。
なので神話に関する知識は正しく身に着けるべきですわね。最古にして最大のフェアリーテイルであり、存在した史実でもあります。事実は小説より奇なりとはよく言ったものですわね。
さて、そろそろ話を戻しましょう。
倒れ伏した私が目にしたのは、輝ける無数の
ああ、貴方には少し分かりづらかったようですわね……なら理解できるよう言いましょう。実際に私がそれをやるならば、最低でも私が二百人必要ですわ。……これで彼女の異常性が理解いただけたかしら。
そんな彼女は勿論化生の気配はしなかった……けれど、それと同じぐらいおかしな事を口にしたのです。
「やぁ、紫の君! 久しいというべきか、始めましてというべきか……とりあえず古い
……いえ、私ではなく『女神』の台詞でしてよ。早くそのポカンと開いた口を閉じ遊ばせ。このように馴れ馴れしい彼女ですが、少なくとも
でも確かにその声、その音色……聞き覚えがありました。もしかしたら何処かで会っていた……のかもしれませんわね。何にせよ私の心が、魂が、『彼女は敵ではない』と訴えましたわ。それほど優しく、親しげな声だったのです。
……姿ですか? 実は判らないのです。なにせ私は声しか聞いておりませんから。何故、といえば……彼女自身が姿を見ないよう忠告したからですわ。顔をあげようとした私を彼女は制し、
「君はそのまま伏せていたまえ。力を減退させた今のゆかりっちでは、
と寂しげに言ったのです。……本当に神かと疑うほど優しい
……そうですわね。本当に優しい方でしたが、しかし同時に苛烈な方でもあります。何故ならこの百鬼夜行という大事変をただの夢へと落とし込んだのは、正に彼女自身なのですから。
私は地に伏せたまま、彼女の声を聞きました。
「いやはや懐かしい。あのときも暑い夜で、こうして化物を前にしていた……ゆかりっちの言い方を借りれば、揃いも揃って何とも下らぬ駄作が雁首揃えて来たものだ。しかも今回は格別にゴミ屑共だな……この
私は言葉に背筋が凍りましたわ。声に煉獄の怒りを垣間見たのですから。触らぬ神に祟り無し、それが荒御魂たれば尚更の事。私は怒りを向けられていない事に安堵し……同時に恐怖しました。その怒りは、きっと道過てば私にも向く類のものですから。
……怒りの正体ですか? 私も全ては分かりかねますが、あえて言うならば『
本当に神らしからぬ神ですわね。上から見れば私達など有象無象だと言うのに、その一つ一つに心を痛めるなどと……優しすぎるとも言えますわね。
故に化生は神の怒りを買ってしまったのです。同時に彼女は激昂してしまったのですわ。
……貴方は神の怒りを目にしたことが――いえ、愚問でしたわね。神と実際に会うなど基本的に有り無いこと。
始まりはやはり言葉から、深い深い水底から沸き立つような声で。
「ああ、嫌だ嫌だ……何時まで経ってもこのような矛盾は潰えることがない。理不尽は不条理のまま、不合理は非合理のまま、荒唐無稽は烏滸がましくも、頓珍漢に練り歩いている」
と、彼女は嘆息をつきました。次に凍えるように冷たい口調でぽつり。
「だから――
……そう言ったのです。本当に、ごく当たり前の事のように殺害を宣告したのですわ。いいえ、『殺す』と明言する分やはり神としては優しいのでしょう。あるいは人に近いと言うべきかしら。
なぜ、ですって? ……ふぅ、たまにはその透き通る脳細胞を確りと働かせては如何かしら。神々と私達が同格な訳がないでしょう。先程も申し上げたとおり、神にとって常世の全ては有象無象の塵芥なのですわ。
降臨した神は何者をも歯牙にかけず、ただ蹂躙を選ぶこともできた。でも彼女はそうしなかった……だからこそ悲しく、そして恐ろしいのですわ。神世と常世が分たれて幾星霜。神気を衰えさせず顕界した彼女は正しく理性を持っている。
つまり彼女は、選んで殺す断罪の概念なのです。
え……話の続きはですって……? 全くお気楽なのだから。貴方はもう少し神というものの恐ろしさを知るべきですわね。神が自ら告死を行う……それは絶対の理だというのに。
まぁいいでしょう、これは見たものにしか分からぬことです。彼女はあまりに大仰で、またしずしずと恙無く執行してゆきました。未だに覚えておりますわ。彼女の爪弾く言の葉の刃、その鋭さを。
「なんと
ただそれだけの
……そうですわね。彼女の言葉は力ある言霊に類するのでしょう。化生へ向けた言葉とはいえ、その声を聞き取るだけで魂が軋む思いでした。ですがそれで終わるわけがありませんわね。
「なんと
鵺、といえば所謂和製キマイラの事を指しますわね。当然戦力も相応に高い……ええ、まさしく百鬼夜行にふさわしい存在ですわ。ただし彼女の前を除いて、ですけれど。うめき声を挙げるまでもなく、鵺は言葉通りに枯れ果て塵となって消えましてよ。
……怖い? ええ、ええ、本当にその通りよ。私達が相手取る化生は元は文字に陰気が募って生まれたもの。しかし彼女の告死はそのものを殺しきってしまう……断筆を論じる少納言家より質の悪いものですわね。それが延々と、刻々と化生に刻まれてゆくのです。
私は……安堵するより畏れを抱かずに居られなかった。同時に……何故でしょうね、決してその矛先は私に向かぬと確信していたのです。私にも理由は分かりませんが……彼女は恐らく、私以上に私を理解しているのでしょう。
おかしな話ですわね? 彼女は私が如何なる運命にさらされようが、外道へ堕ちるなど毛ほども思って居なかったのです。勿論堕ちる気はさらさらありませんけれど、一分の可能性もなく彼女は信じ切っていました。なんとも危なくて、逆に心配してしまいますわね。
そして『大百足』の最後。これは彼女を象徴すべき、最大に恐るべきものでしたわ。
「なんと
そう、ここまで言えばもうお分かりね。『消えろ』と告げればそのものが消滅する……それが彼女の繰り出した言霊の力ですわ。『
そして……ついに彼女の言葉は私へと向いた。いいえ、最初から最後まで、彼女は私のために言葉を振るっていたのです。だからごく当たり前なことで……私にとって忘れられない言葉となったのですわ。
『さて……今宵のわたしはメアリー・スーだ。故に
そう言って女性は私の手に、指切りをするようにちくりと傷を付けたのですわ。すると私はそれきり眠くなってしまって、気づけばいつものお布団の上でした。
致命に至る傷も、流れ落ちる血もなく、五体満足の私がそこにいましたわ。起きて早々慌てて叔父様に問いただしましたけれど……誰に聞いても
ここで夢落ちなどと落胆しないでくださいましね。事実原因となった作家たちを調べれば、そもそも存在しないことになっていたのですから。そう、世界は予めそうあれかしとばかりに、全て全て、何もかもが無くなっていたのです。
◇ ◇ ◇
……そうして語り終えたユカリさんは、小指を懐かしげに見つめながらつぶやいた。
「だからこの傷は、この傷こそが夢が夢でなかった証なのですわ」
「ユカリさんを疑うわけじゃないんですが……信じがたいですね。だって一反木綿や姑獲鳥ですらあんなに強かったのに、それを簡単に倒せるだなんて本当に『メアリー・スー』じゃないですか。そんな非常識が実在するはずがないです」
「その通り、彼女はまさしく
「でも夢……なんですよね?」
「いいえ、夢であってたまるものですか。
ユカリさんはギュッと手を握りしめ、頑なに夢を否定した。それはどこか拗ねているようにもみえる。
「でも、その女神さん? はユカリさんを助けてくれたんですよね」
「そう、ですわね。でも彼女が言ったとおり、もう二度と会うことは無いでしょう。なにせあの瞬間に垣間見た光景こそは、『
ユカリさんの瞳はどこか遠くを見ているようで、でも少しだけ畏れているようで、それでいて寂しげで……。彼女が仕事に対し拙速である理由は、そんな終わりの果てを見てしまったからかも知れない。
だが悲しげな様子も一瞬だけだ。ぱたんと本を閉じたユカリさんはサッと立ち上がった。
「さて、今日も参りますわよ。『
「分かりましたよユカリさん」
少しだけ傾いた日差しは、しかし変わらず世界を照らしていた。
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第1回 #超ベニヤ杯 売り込め!コラボ短編コンテスト
http://blog.livedoor.jp/veneercup/archives/10185426.html
http://blog.livedoor.jp/veneercup/archives/10835998.html
書付想起譚 水縹F42 @Mihanada_F-42
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