第10章 姫たちの憂鬱 傭兵たちの呆然

1.


 ティアが王都の西部にある女学校へと帰着したのは、クロイツたちと別れてから3日後のことだった。

 門衛にはウォレスを先駆けさせて通報してあったため、挨拶をするだけですんなりと通れた。そのまま馬房へ行き、愛馬をつなぐ。寄宿舎のほうへ行こうとして、ふと振り向いた。視線を感じたのだ。

 愛馬が、じっとこちらを見つめていた。馬方が目の前に置いてくれた飼葉にすら目もくれず。

「……なによ、ミュラ」

 心の内を見透かされているような気がして、思わず問うてみたのだが、もちろん馬がしゃべるわけもなく。

 しばらくにらめっこをしたあと、ティアは逃げた。

 小走りでたどり着いた寄宿舎の玄関には、同室の女子が2人とも待っていてくれた。ウォレスはこちらにも気を利かせてくれたらしい。

 再会を喜ぶ。と同時に、自らの置かれた境遇も改めて身に沁みる。

 同室の女子は、血筋や家柄だけでなく、実家の経済状況も加味されて選ばれる。つまりティアの仲間と言える存在はこの2人だけである――というのは、ティアの独断と偏見なのだろうか。

 旅の話を聞きたがる2人を従える形で、女学生のまとめ役に挨拶をしに行こうと思ったのだが、

「ああ、アマリエ様はお出かけよ?」

 姉であるランブリッシュ公のお供でお国入りらしい。

「最近また沈んでらっしゃったものね、アマリエ様……」

「せっかくのお美しい顔が曇っちゃって……」

 2人の言葉を聞きながら、別の女学生に挨拶に行き、こちらは型どおりの受け答えで早々に退室となった。

 自室に向かいながら、視線を落として思う。

 アマリエは公爵の妹という高貴な身分ながら、それを鼻に掛けることもなく、親しく声を掛けてくれる人である。今回の帰省を告げにいった時も悲しげな顔をして、餞別をくれたりした。

 帰ってきたら、真っ先に会いに行こう。そこまで考えて、自分の言葉に赤面する。彼とした、あの別れの約束を思い出したから。

「あらら、なんか真っ赤になってる!」

「ねぇねぇ、なんかいい出会いがあったの?」

「べ、別にないわよ。そういえば、うちの領民にね――」

 ティアは旅の一幕として――あくまでも添え物扱いをして――クロイツたちのことを話した。自分が魍魎と戦ったことも。

 懐かしの我が部屋。わいわいやりながら戻ったその前では、

「お帰りなさいませ、ティア様」

「ただいま、トリーチェ」

 侍女が恭しく迎えてくれた。他の2人についている侍女も同様に、温かみのある声で迎えてくれる。

 荷物の整理をトリーチェに託して、ああ忘れてた。

「先生方にあいさつ行かなきゃ」

「そういえばね、ティア様――」

 女子2人がにやりと笑う。

「また先生が増えたわよ?」

「また? 今度は何?」

「舞踏よ」

 ティアが帰省する2ヶ月前には歌唱とか言って、散々アーアーウーウー歌わされて閉口したというのに。

「こうやってね――」

 と同室女子がその場で2人で実演――かなりおぼつかないながら――してくれたところによると、男女一組でクルクル回りながら踊るらしい。

「それ、農民が秋祭りで踊ってるのとどう違うのよ?」

「違うらしいわよ。その先生曰く」

 ノスレーヌのさらに北方にある大国、チェスカフランで考案され、ノスレーヌで洗練されたものらしい。

「ほら先日、陛下がノスレーヌから還御あそばしたでしょ? で、向こうの宮廷で宮中舞踏会とかいうのが開かれていたから余もやりたいと仰せだされて」

「陛下のノスレーヌ好きも困ったものね……」

 ティアはそう言って、首を振った。母后がノスレーヌ出身なのだが、文化はあちらのほうが上と公言しているお方である。その影響を多大に受けている王がなにかとノスレーヌに倣えと公私にわたってお言葉を発するのだ。

 トリーチェが解いた荷物の中からささやかながらお土産を2人に渡し、あれこれと旅の話をしながら、ティアの気持ちは沈んだ。

 魍魎の話をした。クロイツのことも、アリシアのことも。ティア自身が魍魎と戦ったことも。しかし、

(まるで興味がない……)

 もはや旅人が難儀し始めるほどその数が増えてきているというのに、この女学校ではまだそよ風ほども揺らぎを感じない。

(がんばれ龍戦師、か)

 今、どの辺りかな。ティアは小さな溜息とともに憂鬱を追い出すと、先生方に挨拶に向かうべく腰を上げた。


2.


 メイが王都の北門をくぐったのは、クロイツたちが廃村の魍魎勢を壊滅させた日の夜であった。不夜城である王都とはいえ、陽が落ちれば当然のごとく諸門は閉められる。メイは四大諸侯の一族に連なる者として特別発行された手形を使って入城したのだ。

 城門前まで出迎えに来ていた家臣の先導で、公爵家の屋敷へと向かう道すがら、メイはこっそり溜息を漏らした。

 夜半の入城は不本意である。なぜって、もう1泊して、羽を伸ばしたかったのだ。

 明日から始まるのは、公爵令嬢としての立ち居振る舞い。国王への拝謁に始まって諸所への挨拶回り、逆にメイを尋ねてくる者たちの謁見や会見が始まるのだ。それに、昼となく夜となく開催される宴にも出席せねばならない。兄との王都詰め交代の時期であることは知る人ぞ知る定例行事であり、既に5件ほどの宴への招待が舞いこんでいた。

 私なんかいてもいなくても同じなのに、とメイは憮然とした表情を隠さなかった。どうせ、始まってしばらくしたら忘れられるのだ。愛想も色気も無い"公爵令嬢"なぞに、この華の都の誰が――男女を問わず――気をかけ続けるというのか。

 左斜め後ろを騎乗して進むベリウスの仏頂面は、メイの憂鬱とは違う理由である。彼女の龍戦師としての優先すべき予定が、公爵令嬢としての予定により後回しにされたのだから。

「まあ、いいじゃないですか。魔神は逃げませんよ」

 バーガインの物言いにくすりと笑うと、ベリウスににらまれた。

「早く見ておくに越したことはないのだ。それを虚礼にうつつを抜かさねばならぬとは……」

 そう、この王都の中心部にある祠に封印されている魔神を見に行く。これが今回の王都詰めの最大の目的と言ってよかった。

 まあいい。メイは頭を一つ振ると、気分を無理やり明るい方向へ変えた。先導する家臣に声をかける。

「あれは届いているのか?」

「は? ああ、はい。届いております」

 路上で燃え盛るかがり火に照らされた家臣の口元は、ほころんでいるように見える。

 あれとはすなわち、顔合わせ用絵姿を我慢する代わりに、父公に作ってもらった甲冑のことだ。色から材質まで細かく指定した注文書を、この王都一の鎧師に送った一品である。

 明日の夜明けとともに起きて、朝日の中でそれを検分しよう。メイはそう考えて、その後の憂鬱をしばし忘れることにした。


3.


 アマリエが馬車の窓からのぞく景色は、白と黒のまだら模様ばかりであった。もうお昼近いというのに、厚い雲が天を覆っているせいで、まるで夕方のように暗い。

「旅人の数が少ないわね」

 そうつぶやいたのは、アマリエの対面に座る姉、ランブリッシュ公クロヴィア。その切れ長の目は、アマリエと同じ窓の景色を見ていても、着眼点は違う。

 今回のお国入りの目的は、近頃国許からの報告が上がり始めた魍魎による被害について、対策を検討する会議を開くためである。

 公領のうち東に位置する城塞都市カティダートで開催されるこの会議に、アマリエは参加しない。

 彼女も公領内に所領を持つ身である以上、参加資格に不足はない。だがこの伯領は化粧料という名目の、いわば捨扶持すてぶちとして与えられたものなのだ。彼女が女学校で隠棲するに足る収入を得るための。

 それに、会議に呼ばれないことについては、姉の密かな意思を感じる。魍魎のこと一切に妹を触れさせたくないという。それは彼女がカティダート近郊の保養地にではなく、城塞都市の中で居住させられることからも明らかであった。

 アマリエは、白黒まだらな大地から、馬車に近侍する騎兵たちの上下動するさまに目を移した。ぼんやりと眺めながら、しかし心は波立っている。

 魍魎のことなど忘却の彼方に追いやってしまって、穏やかな暮らしがしたい。それを望んだからこそ、さほど大きくもない伯領を捨扶持に望み、とうに卒業して姉の元に戻らねばならない身を女学校に置き続けているのだ。

 だが、享楽にうつつを抜かすことができない。心の奥底で、当のアマリエ自身が叫び続けているのだから。

 魍魎が憎い。機会があれば、この手に力さえあれば、魍魎を滅したい。

 あるいはこの騎兵たちを使ってとまで考えて、アマリエは無力感に苛まれた。彼らは姉の家臣である。公妹の意思は『要請』でしかなく、分をわきまえろと言われるのがおちだ。優しい姉はそんな言葉遣いはしないだろうが。

(私わたくしは、いったいどうしたいの?)

 姉が心配げな眼で見つめているのにも気づかず、アマリエの憂鬱は白い息となって窓の外に吐かれ続けた。


4.


 ビギナダートを発ってから24日。クロイツたちはついに王都タラントワ―プにたどり着いた。暦は既に2月に入っているが、真冬の寒さなど、到着の高揚感が吹き飛ばしている。

 西門の開門こそ逃したが、いやむしろそれが正解だとティジェルンに笑われて門をくぐると、クロイツの脳にその理由が沁みる情景が広がっていた。

 人、人、荷車、人、屋台、屋台、馬、馬、人。いままでクロイツが見たどの街よりも人と物で溢れている。それらがひっきりなしに往来を行き交い、会話し、門を出入りしてるのだ。現に立ち止まった瞬間、後ろから押されたうえに怒られるありさま。

 クロイツの傍らで呆然としていたアリシアが、

「すごい……」と一言発したのみで、また沈黙してしまった。

「ああ、すごい活気だな」

「違うわ」

 彼女の視点は別のところに着目したらしい。眼前遥かにそびえ立つ塔を指差して、

「あの高い建物、どうやって建てたの?」

「俺たちに訊かれてもな」とヴァクエルは苦笑い。

 先々代の王が建てた時計塔なのだそうだ。そう聞いて、クロイツとアリシアはともに眼を丸くした。

「あんな高い建物に大きな時計を……」

 真龍は傭兵兄弟に向かって、

「やるわね! 現代人!」

「いや、まあ、そう言われると照れくさいな」

 そんな会話をしながら、イレイサ街、通称『傭兵町』へ向かう。

「まずはねぐらを確保しねぇとな」

 というティジェルンの提案にクロイツはうなずいた一方で、アリシアは傭兵登録を優先しようとした。

 だが、

「住所不定だと、登録できないぞ」

「世知辛いわね……」

 かくして、兄弟が世話になっている大家のところへ向かっているというわけだ。

「ところで、傭兵はほかの所に住んじゃだめなんですか?」

「だめってことはない」

 クロイツの問いに微笑んで、ヴァクエルは丁寧に説明してくれた。

 どこに住もうと構わない。ただし、傭兵団を結成し運営していくのなら、自然と団長の住まいかその近辺が団の溜まり場になる。つまり、

「昼となく夜となく、ガッチャガッチャうるさい連中が集うわけだ。近所迷惑なのさ、傭兵団は」

 それに、団員の補充という点でも、あるいはどこぞの団へ志願するという点でも、一つの地区に集まっていたほうがはかどるのは自明の理である。だから自然発生的に傭兵町が形成されたのだろう。ヴァクエルはそう結んだ。

「なるほどねぇ……」

 とつぶやいたアリシアが突然立ち止まり、ついで道の脇へと避けた。前からいかにもな集団がやってきたのだ。

 それは、30名ほどだろうか。揃いの鎧に身を固め、漫然と歩いているように見えるが、その歩みには乱れがない。

 集団の先頭を騎乗する大柄な男が眼を見張り、大声を上げた。

「よぉ! 潰し屋! 最近見ないからのたれ死んだと思ってたのに、まだ性懲りもなく生きてるのか?」

 クロイツが横目で見やると、隻腕の男はどっと笑う集団を冷ややかに見つめていた。やがてその口から、落ち着いた声が漏れてきた。

「ああ、あいにくだが、やることが見つかったんでな。まだ死ぬつもりはない」

「先に断っとくが――」と大柄な男は顎ひげを捻り、口の端を曲げた。

「俺のところは雇わないぞ。ま、俺はお前に斬られることはないがな」

 この機会にと、クロイツは横から声をかけようとした。だが、集団はクロイツなど眼中に無く、哄笑を残して歩み去っていった。

「何者なの? あれ」

 ヴァクエルの返答は、実につまらなそうな調子だった.

「三大傭兵団の一つ、パトラ傭兵団の団長ですよ」

「へえ、あれが……」

 やっぱりちゃんと挨拶しとくんだったと後悔しても、もう角を曲がってしまっている。彼の表情を読んだのか、ティジェルンが肩に手を置いてきた。

「気にすんな。挨拶なんざするだけ無駄だぜ」

「どうしてです?」

「お高くとまっていらっしゃるからさ」と肩をすくめるヴァクエル。

「5年以上傭兵として働いてないと、傭兵として認めないんだと」

「まあ道理ではあるけど――」と歩みを再開しながら、アリシアは首をかしげる。

「3大なんちゃらでも、30人くらいなんだね」

 それを聞いて、兄弟は首を振った。

「あそこは全部で7支隊あるぜ」

 あれは団長直属の隊と聞かされて、真龍とともに眼を見張る。ほかの2団も同程度の規模との話に、アリシアはまた首をかしげた。

「なんでそんな規模が維持できるの? 平和だったんでしょ? この20年以上」

 傭兵団は依頼を遂行した報酬がなければ維持できない。世の中が平和なら、傭兵団の仕事は減るのではないか。

 アリシアの問いに対する回答は、ティジェルンのひねた笑いだった。

「平和だから、傭兵団の仕事が増えるのさ。仕事が減ったのは、お貴族様の歩兵隊っすよ」

 平和になれば、傭兵団も歩兵隊も不要な人員を削減して、身の丈に合った規模に収まろうとする。だがそれは組織の理屈であり、解雇されるほうは飯が食えなくなる。まさに死活問題の瀬戸際に立たされた人間が取る選択肢の一つが、盗賊や山賊となることなのだ。

「腕っ節には自信がある。それしか能がない。そんな奴らが巷に溢れたんだ。伝手つてを頼ってどこぞに潜り込めたら幸運だったのさ」

 そして歩兵隊には、貴族の子弟が多数流入して来た。だがこちらは平和ゆえ、傭兵団ほど仕事が無い。旅の一団の護衛など、お貴族様がするはずも無いからな。ヴァクエルはそう結んだ。

 そう説明を受けながらたどり着いた先は、立派とはいかないまでも小ぎれいな一軒家だった。前庭で花壇の手入れをしているのは、短く刈った髪から見て奴隷だろうか。ティジェルンが彼女に声をかけると、すぐに屋内へと入っていった。

 しばらく待つこともなく出てきたのは、でっぷりと太った50代後半と見える男性。彼は傭兵兄弟を見とめるや、大声を放った。

「ああ、あんたら。ちょうどいいところに来た。会いたかったよ」

「やあ、キオモさん。今帰ったんだ。家賃を払いに来たぜ」

「家賃を払ってもらうのは当然さ」と大家は鼻を鳴らして続けた。

「話があるんだよ」

「俺たちに?」

 大家はうなずくと、また大声を上げた。

「あんたらには、あそこを出て行ってもらうよ」

 龍戦師の旅はまたしても、手強い障壁を乗り越えていかねばならない。


(続く)


※取りあえずのあとがき

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。感想などいただければ幸いです。よろしくお願いします。

 王都にようやく着いたらいきなりアレで前途多難ですが、なに、すぐに住処は見つかりますよ(住めるとは言ってない)。次巻は傭兵登録して王様に謁見して資金繰りに七転八倒……遠いねどうも。あんまり長々コマゴマとやると書いてるほうもだるいので、巻の前半から3分の2くらいで『傭兵団結成できるかな』をやりたいと思います。ホローン・アルトゥーンの消息も、この中で分かるでしょう。

……というところまでがなろうでのあとがきで、『Ⅲ』はまだできてません(2017年6月23日現在)。公開できるようになったら近況ノートで報告しますので。

ではまた、いずれ。

 

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繚華の龍戦師 タオ・タシ @tao_tashi

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