第2話 (幕間 1)安井金毘羅
都座からほど近い、祇園安井金毘羅さんは、京都の数あるパワースポットでも上位の人気を誇る。特に女性に大人気である。
旅の雑誌、女性向けの冊子、ネットでも評判を呼んでいる。
四月の蹴上鯛蔵公演は、大入りの内に無事に千秋楽を迎えた。
今日は休館で、早めに残務整理を切り上げた。
この金毘羅さんへ行こうと誘ってくれたのは、案内チーフの墨染美香だった。
同行は由梨と和美の二人。
美香の話では、新人の案内さんは必ずここへお参りすると云う都座伝統の行事だそうだ。
「嵐山さんは、金毘羅さんは初めて?」
美香が聞いて来た。
「初めてです」
生まれてからずっと京都に住んでいる。
よく京都以外に住む人から、
「京都人かあ。いいよねえ、あちこちの社寺行っているんでしょう」
とよく云われるが、そんなに行ってない。
行ってない社寺の中に安井金毘羅さんも入る。
境内に入り、社務所の前に鎮座するものが一同の目に入った。
「チーフ、あの小山は何ですか」
和美が聞いた。
由梨も見た。よく見ると表面が白い小さな紙で覆われていた。
さらに近づくと、小山の真ん中には人一人がやっと通れる小さなトンネルがある。
「これは、形代(かたしろ)と云う紙です。ここに悪縁、つまり縁を切りたい事と良縁、つまり縁を結びたいものを書くんです」
「ストーカー相手には悪縁。恋の成就には良縁ですね」
うまくまとめる感じで和美が云った。
「何も色恋だけではないのよ」
「じゃあ他に何がありますか」
「例えば、自分のこころの中にある悪いもんとええもん」
「具体的にどんなものがありますか」
今度は由梨が尋ねた。
「そうやねえ、自分がええなあと思う縁。お金持ちとか、美しさとか」
「それでチーフはいつまでもきれいなんですね」
「そんな事ないです」
少しはにかんで美香は答えた。
「反対に悪い縁て何やろう」
素朴な疑問が由梨の口から出た。
「そらあ借金とか、体重増加とか、皺とか」
すぐに和美が返答した。
「それは違うんちゃうの」
由梨は反論した。
「いいえ、そんなもんよ。さあ形代にそれぞれ書きましょう」
美香に促されて由梨らはそれぞれの願い事を書き始めた。
由梨は、良い縁はすぐに書けた。
(いつまでも都座と、美香チーフと良い縁でありますように)
しかし、悪い縁が中々思いつかなかった。
ふと横を見ると美香は、熱心腐乱に細かく何やら書いていた。
(そないに、たんと書く事があるんかなあ)と思った。
「おや、嵐山さん筆が止まってますねえ」
「ひょっとして、恋の良縁書き過ぎているんとちゃうの」
と云いながら和美が書きかけの形代を覗き込もうとした。
「ちょっとやめて下さい」
由梨は慌てて両手で形代を覆う。
「さあ白川さん、先にお参りしましょう」
美香が小山のトンネルの入り口へ歩き出す。
「チーフは何を書いたんですか」
「ひ み つ」
満面の笑みを浮かべて答えた。
由梨が書く机から二人のお参り風景が見える。
まず美香がお手本を示すために、先にトンネルの前で一礼する。目を瞑り、両手で形代を持ち無言で何やら唱える。口元がかすかに動く。
美香の表情は、かなり真顔で真剣そのものだった。
(あんな怖い顔の美香の顔は、都座でも見た事がない)
トンネルの長さは、三メートルもない。しかし幅がかなりきつい。
普通の体形の人が一人やっと通れる。ちょっと肥満は少しつらい。
やや肥満は、尺取り虫よろしく、身をよじりながら何とか入れる。
かなり肥満は、顔と肩が入ってもお腹、お尻でつかえてまず入らないだろう。
「嵐山さん書けましたか」
トンネルを往復した美香と和美が同時に声掛けした。
「ああ、ちょっと待って下さい」
慌てて由梨は、悪い縁をこう書いた。
(都座の御芝居を邪魔する全ての悪い縁)
「まずは行きは悪い縁を念じてね。帰りは良い縁を念じてね」
「蛸蔵さんの恋の縁かなあ。あの人、あちこちに女作ってるから」
早速、和美が茶々入れた。
「あの人、そんなんと違います」
「そしたら何」
「和美さんこそ、何書いたん」
由梨はむきになって云い返した。
「ひ み つ」
美香の口調を真似した和美だった。
云われた通り由梨は往復、神妙に念じてトンネルを出た。
「じゃあ形代は、この小山に貼っといてね」
文言がわからないように、美香は形代と形代の中に自分の形代を紛れ込ませた。
由梨らもそれに倣った。
それから三人は、境内の奉納されている絵馬を見て回る。
絵馬に書かれてある文言は、やはり圧倒的に恋の縁、悪縁が大半占めていた。
(どうか、一日でも早く北大路さんの妻が早く死にますように。椥辻{なぎつじ})
(主人と愛人の千本朱雀が一刻も早く、縁が切れますように)
「ちょっとこれって過激すぎる」
和美が皆のこころの内を代弁するかのように叫んだ。
由梨は一つの意味不可解な絵馬を見つけた。
(出町柳から鞍馬へは行けません 大社)
「何や変な文言。出町柳から鞍馬へは叡電で行けるのに」
「ほんまやねえ」
横から美香が覗いて云った。
またいつもの穏やかな口調に戻った美香だと由梨は思った。
「何で人はここまで憎むんですか」
由梨は聞いた。
「人間の情念かしら。自分の幸福を得るための」
「さすがはチーフ、良い事云いますね」
「ほんまやわあ」
「もうほめんといて下さい」
最後は櫛塚にお参りして出ようとして何気なく由梨は、振り返る。
「あれっ」
と思わず声を上げた。
「どうしたの」
美香が声をかけた。
「あれ、都座小道具係りの松尾さんでは」
しかし、二人が見た時は、すでにいなくなっていた。
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