第4話 幕間2並河記念館・平安神宮・無隣庵 

 岡崎にある並河靖之七宝記念館へ行こうと誘ってくれたのは、美香だった。

「嵐山さんは、京都人やから行った事あるよねえ」

「ええでもずっと昔、小学生時代でしたから」

 今は亡き祖母に連れられて行ったのだけは覚えている。

 町家を今は改装されて七宝記念館になっている。

 庭は岡崎一帯の別荘のほとんどを作庭した、七代目植治こと小川治兵衛である。

 入ってすぐに、七宝のきめ細やかな、繊細な模様の器、花瓶などが由梨と美香を迎える。

「うわあ、きれい」

 由梨は思わず声を出した。

「でしょう。これを嵐山さんに見せたかったのよ」

 改めて日本人の手先の器用さに痛感した。

 由梨は見た。

 美香は花瓶の文様の美しさに何度もため息をついた。

 絵付け焼き物なのに、まるで筆で描かれたかのような繊細、かつ優美な美しさは見る人のこころに、美の神様が宿ったかのような安らぎと幸福感を与えていた。

 花鳥風月を描いた作品は、自然の美しさと対等を誇る。

 明治期に作られた作品の多くは外貨を稼ぐために外国に輸出された。

 外国でも、日本の美は多くの支持を集めた。

「この花瓶は、何十年経ってもこの美しさを保っていけるんよねえ」

 とつぶやいた。

「ええ」

「それに引き換え、人間の美しさはすぐに消えてしまう。はかないものよねえ」

「チーフ、どうしたんですか、今日は。えらいナーバスですねえ」

「そうかあ嵐山さんは、まだ若いから実感はないと思うけど。花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふる ながめせしまに」

 美香は小野小町の有名な歌を詠んだ。桜の花と自分の美貌の衰えを詠んだものだ。

「はあ・・・」

 もう少しで、

「チーフ年は幾つなんですか」

 と聞きそうになった。しかしこれは都座の案内係の間では禁句だった。

 醍醐からも

「冗談でもチーフの年を聞いては駄目だぞ」

 と釘を刺されていた。

 母屋に入る。純和式の部屋に応接セットが置かれていた。

 液晶テレビが置かれ、七宝焼きの工程が映し出されていた。庭の端には、工房を再現した窯もあった。

「和洋折衷」

 美香がつぶやく。

 縁側には途中、柱がない。だから遮るものがないので、庭が一望出来た。

 次に庭に降り立つ。

 母屋の柱が石で支えられて、奥まで池が浸食していた。

 踏み石は、所々に瓦が植えられていた。

「こんな遊び心、洒落ているわねえ」

 と云いながら美香は微笑んだ。庭で、二人で記念撮影した。

「インスタやフェイスブックにアップしないでね」

 やんわりと美香が云った。

「もちろんしませんよ」

 チーフと二人だけの京都ぶらたびなんて、他の案内さんに見つかったらどれだけ非難されるか。特に同期の白川和美の嫉妬が怖い。

 今年は空梅雨で雨が少ない。

 明日から七月だと云うのに、雨が降ったのは数えるほどだ。

「もう今年も半分過ぎたのよねえ」

「早いですねえ」

「こうしてあっと云う間に一年が過ぎてまた年を取って行くのねえ。時間は止められない。自分の老いも自分では止められないのよねえ」

「チーフ、本当に今日はおかしいですよ」

 由梨は云った。

「ごめんねえ。私、一年のうちで一番今がうつの季節かもね」

「梅雨の時期は誰でもうつになります」

「でも今年は空梅雨よねえ」

「一般論です」

 力強く由梨は云った。

「それにチーフあと半分しかないんじゃなくてあと半分もあると考えましょう」

 と続けた。

「嵐山さんはポジティブ(上昇志向)でいいわあ。やはり落ち込む私をフォローしてくれる。やはり今日連れて来てよかったわあ」

「チーフに褒められて嬉しいです。ファイト チーフ美香」

 と云って由梨は美香の肩に手を置いた。

 美香は由梨の手の上に自分の手をそっと置いた。

(何て冷たいんだろう)

 汗ばむ季節に、こんな冷たい手の持ち主がいるんだと思った。

「冷たいでしょう」

「ええ。でも手の冷たい人は、こころが温かいと云いますから」

 由梨は慌ててフォローした。本当に美香さんは年は幾つだろうかと思った。

 一説には四十歳を過ぎているとか、いや五十歳過ぎているとか所説様々である。

 和美が年齢を探ろうと、

「チーフの時代のジャニーズタレントって誰がいましたか」

 と控室で聞いた事があったのを由梨は、急に思い出した。

 冷静な美香は、その手に乗らずに、

「さあ誰でしょう。私、そう云うものに、うといから」

 とすっとぼけたのを思い出した。

「じゃあ次行きましょう」

 美香の声にはっと我に返った由梨だった。

 次に向かった先は、ここから歩いて五分ほどの平安神宮だった。

 京都市立博物館の横にある朱色の鳥居が夏空の色の中でくっきりと浮かび上がり際立たせていた。鳥居自体、登録有形文化財である。

「ここは何度も来たことがあるよね」

「はい。私、ここで七五三祝いしました」

「うらやましいわあ」

「チーフはいつ、どこでやったんですか」

「もうそんな昔の事忘れました」

 面長の色白の京風の美香にまたしてもはぐらかされてしまった。

「この平安神宮は、明治時代に建てられたのよ」

「いやあ明治時代に建てられたなんて知りませんでした。名前からして平安時代かなあと思ってました」

 由梨は、改めて美香の博覧強記ぶりに脱帽した。

(美人で賢くてやさしくてなのに結婚しないのは何故なんだろうか)

「そやないんよ」

 突然由梨のこころの問いに答えたかのような美香の声にぴくっと全身を痙攣したかのような由梨だった。

 美香の説明では、平安建都千百年を記念して一八九五年に、この岡崎一帯で、博覧会が開催されたのだ。

 平安神宮は、平安京の朝堂院の大きさの五分の三の大きさに復元された。

 予定では、博覧会終了後取り壊される予定だったが、それでは、もったいないの声が上がった。それで神社として再出発する事になる。神社なら誰を祭るのか。

 幾多の議論を経て平安京を造営した桓武天皇から、京の都の最後の天皇、明治天皇の父上様の孝明天皇まで歴代の天皇を祭っている。

 ここで各自祈願してから、奥に広がる神苑には行かず、無隣庵に向かう。

 無隣庵とは明治の政治家山県有朋の別荘である。通年公開している。

 この岡崎界隈は、住友、野村、松下幸之助等の別荘がある。

 明治以来ここに別荘を構えるのは関西財界人にとってはステータスだった。

「ここが岡崎で私が一番お気に入りのところ」

 美香の一押しでもあった。入場料を払い中に入る。

 三角形の庭には、浅瀬の川が走っている。緑が眩しい。

 縁側でお茶を戴く。

「この庭の奥に琵琶湖疎水の取り入れ口があるんです」

「へえ見たいです」

 由梨は、美香が個人ガイドに見えて来た。中央を貫く川は三十センチの深さもない。

「ここの庭も小川治兵衛さん作庭です」

「小川さんが小川作り。もう岡崎は小川だらけ」

 由梨は美香を元気づけようと、おじさんギャグを発したが美香には通用しなかったようだ。その証拠に、

「はい、小川治兵衛は、初めて琵琶湖疏水をこの岡崎の別荘の庭に取り入れたのよ。それで今まで京の庭の池は、循環しないから淀んでいたけど、ここ岡崎の別荘の川は絶えず流れて、次の別荘地に流れているからきれいなんです」

 真顔で美香は説明を続けた。

 向こうからどこかで見た事あるおじさんが目に入った。

「あっ大道具の百万遍さん!」

 最初に見つけたのは、由梨だった。

「どうしたんですか」

 美香が云った。

「これ、わしの嫁はん」

 由梨も美香も何も云ってないのに、百万遍は隣りにいる女性を紹介した。

 百万遍は、女性の手をしっかりと掴んでいたのが目に入った。

「そしたら」

 すぐに百万遍はその場を離れて歩き出した。

「ああ、いいなあ」

 その後ろ姿を目で追いながら由梨はひとりごちた。

「何がいいの」

 凛とした声で美香は聞き返した。

「そやかてあの年になっても仲睦まじく手をつないでデートしてるんやもん」

 正直に由梨は答えた。

「嵐山さん、あなたの目は節穴ねえ」

 意外な言葉が美香から帰って来た。

「えっ、どういう事ですか」

「よくご覧なさい。奥様がご主人の腕に手を回すんじゃなくて、ご主人、つまり百万遍さんが奥さんの手をしっかりと握ってました。それも力強くね。まるで逃げ出さないためみたいに」

「どうしてそんな事までわかったんですか」

「そやかて、百万遍さんの奥さん掴む手首、血管が浮き出てました」

「それは見えませんでした」

「何事もなければいいのに」

 最後につぶやいた美香の真意の言葉を理解出来ずにいた由梨だった。
















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