彼方幻伝
「あなたの夢に、お邪魔させてもらうわ」
抑揚の薄い透き通った一言が、青い花畑の中に吸い込まれて消える。
ここは夢の世界。人が見る一時の幻の中だ。
美しくも不気味な花畑の中を、外套を羽織った少女が歩いていく。綺麗な花びらの舞は、青く燃え盛る炎のようにも見える。
あまりにも不気味で居心地の悪い。夢というにはあまりにも寒々しい空有感だった。
やがて外套の少女は、気を失い倒れている白衣の女性へと辿り着く。その胸からは、一輪の花が開花していた。女性は眠っているようだが、顔は苦痛に歪み、今にも吐瀉しそうにすら見えた。
花の様子をじっくり観察しようとするが、それを待っていたかのように、背後からおぞましい気配が生まれる。
振り向くと、巨大な芋虫が巨体をくねらせていた。
ただの芋虫ではない。頭に当たる部分からが、長い黒髪を持つ女性が生えていた。艷っぽい笑顔を浮かべたそれは、歪みきった殺意を外套の少女にぶつけている。
腰から下の部分はない。否。腰から下は全て芋虫の身体となっているのだ。
このおぞましい化物から白衣の女性を遠ざけるため、外套の少女はすぐにその場を離れた。暴れる度に大地が揺れ、青い花畑を次々と抉っていく。
「メザメバナ」
少女がつぶやくと、彼女の周りに向日葵の頭花が無数に生みだされた。それらは少女が手を振るのを合図に、化物へ次々と突っ込んでいった。
化物頭が粉塵に包まれると、ガラスを引っ掻いたような悲鳴が辺りに轟く。
だが、化物は特に傷ついてはいなかった。むしろ怒り狂い、反撃してきた外套の少女に一撃を食らわせるため、巨体をうねらせ突っ込もうとする。
が、粉塵を抜けたばかりの化物の視界は、また何かに塞がれてしまった。纏わりつくそれは、あの少女が羽織っていた外套だ。
外套を取り除くのに必死な姿を見て、今しがたそれを脱ぎ捨てた少女がつまらなそうに、あるいは何も感じていないかのように言葉をかける。
「不意打ちをしてくるから、少し頭が良いと思っていたわ。買い被りだったようね」
挑発的な割に悪意の薄い一言だった。が、化物にはそれが通じたのか、挑発に乗るかのように外套を引き裂いた。
少女は、興味なさげに化物を見下ろしていた。輝く黄土色の着物に身を包んでいるが、下は袴のように動きやすい構造になっている。
波立つようなふわりとした長髪を風に揺らした彼女の顔に、表情はない。ただ、目の下に隈があるのがやけに目に付く。
「夢守人(ゆめもりびと)が、陰獣(いんじゅう)に期待するのもおかしな話かしら」
そう陰獣と呼ばれた化物に告げると、彼女は両手を平行に広げた。その手の上には、向日葵の種がポツンと置いてある。
「ヒノワバナ、ヒナタバナ」
着物の少女が呼びかけると、向日葵の種は発光しながら割れ、その形を細長く変えていく。
光が消えると、そこには長ドスと短ドスが握られていた。
「私は夢守人、彼方(かなた)。冥土の土産に覚えてもらえると嬉しいわ」
陰獣は奇声をあげながら、名乗りをあげる夢守人、彼方に猛突進を仕掛ける。
「そんなことを考える力は、やっぱりないのかしら」
突進してきた陰獣は、その勢いで自分の身体を鞭のようにしならせて叩きつけようとする。
彼方は、それを見ると、攻撃を避けつつ陰獣の巨体に飛び乗った。
そして長ドスの刃を突き立てながらそのまま頭に無かって背中を駆ける。
苦悶の声をあげる陰獣。芋虫が背中を取られれば、対抗手段を取れるものはいない。
普通の芋虫であれば。
「っ」
分厚い巨体を割いていると、その皮を食い破るかのように、細長い陰獣が大量的に飛び出してきた。
寄生虫のような姿をしたそれは、揃って彼方に向かって突っ込んでくる。
頭はやはり女性の顔だったが、あるいは髪が長いからそう見えるだけかもしれない。
飛び出してきた細長い陰獣の顔は、一様に溶けかかっている。だが腕は芋虫とは違い、蟷螂の鎌のようなものがついていた。
「くっ」
彼方を包囲した陰獣は、ギザギザとした鎌でその身体を斬りつけようとした。
勿論甘んじて受けるつもりはない。
彼方はヒノワバナとヒナタバナで応じる。長刀と短刀の長所をよく活かし、それぞれ得意な間合いの攻撃を受け流したり、隙あらば斬り落としていく。
しかし、数が多すぎる。全ては防げず、いくつかは彼方の身体を裂いていった。
美しい黄金色の着物の記事が、青い花びらに混ざって宙を舞う。
「メザメバナ……!」
ヒノワバナを背中に突き立て、ヒナタバナを掲げながらその名を呼ぶと、向日葵の頭花が彼方を守る盾のように周りに展開された。
頭花に押し出された陰獣達は一瞬戸惑うが、すぐ気を取り直して頭花を鎌で斬りつけようとする。
それを待っていたかのように、彼方はヒノワバナを引き抜くと、天高く飛び上がった。
同時に、猛烈な爆風が芋虫の身体を覆い尽くした。
奇声をあげて悶え苦しむ陰獣の体表は、ジリジリと焼け焦げていた。メザメバナの爆風によって、全身を焼かれてしまっているのだ。
「私に応じよ」
空高く跳躍した彼方の頭上には、一際大きな向日葵の頭花が浮かんでいた。その中にヒノワバナとヒナタバナを突き立てて戻すと、刃は薄黄色に輝き始めた。
そして彼方は、落下しながらその刃を十字に交差させて、両手を目一杯広げる。
「昇華(しょうか)・日輪天照(ひのわてんしょう)」
その掛け声とともに、彼方は挟み込むように刃を今度はバツ字に交差させ、光の速さで刀刃を飛ばす。
吐き気すら感じる程の悲鳴が周囲に轟くが、陰獣の身体が薄黄色に染まるとそれも止まり、やがてそのおぞましい身体とともに消滅した。
そして、陰獣が消え去るのと同時に、広がっていた青い花畑は嘘のように消え去っていた。
白衣の女性から生えていた花が消えたのを見て、彼方はその顔色を見る。もはや苦痛は一切消え、今は呑気に頬を緩ませながら眠っている。
夢守人としての仕事は、これで終わったのだ。
「これでもう、あなたが悪夢に蝕まれることはないわ」
いつの間にか、携えていた二刀のドスは向日葵の種に戻り、外套はどこからともなく飛来して戻ってきた。
それを羽織った彼方は、気持ち良さそうに眠る女性を振り返り、言葉をかける。
「私の分も楽しんで、その良い夢を」
夢守人は、夢を見ることはない。
しかし、いつからか彼方は自分の夢を見ることに憧れを抱いていた。
なんと馬鹿馬鹿しいと自分で思う。そのせいなのか、気づけば目の下の隈が取れなくなってしまった。
実際に他の夢守人に会ったことはないので、本当は他の連中もそうなのかもしれない。しかし、なんとなく彼方はこんなことを考えているのは自分だけのような気がしていた。
誰かに望まれない時、夢守人は白昼夢の中で過ごす。名前にこそ夢が入っているが、それは彼方が憧れる夢ではなかった。
「やっぱり、私はそんな存在にはなれないわ」
彼女の下には、現の世界で子供達のカウンセリングを行う白衣の女性が映っていた。
しかし、彼方は全く関心がないようで、特に何かが映っているわけでもない空を見上げた。
「輪平(りんぺい)……」
彼方は不意に名前を呼んだ。
もう二度と話すことが出来ない。彼女が唯一興味を持った少年のことを。
*
携帯の鳴る音がして、彼方はゆっくりと目を覚ました。
手をつくと、そこには温かい感触があった。身体を起こして、自分が何をしていたのかを思い出す。
鳴(めい)に言われたことをとりあえず実践してみせた。甘えるということがどういうことかわからず、とりあえずそれも鳴から教わった通りにやった。
結果、気づけば数時間くらい熟睡していた。完全に疲労感が取れたわけではないが、いつもよりも目覚めが良い。
ふと、自分を安眠に誘ってくれた相棒の顔を見る。彼も疲れていたのか、眠りに落ちていた。
あまり待たせるのも悪いと、彼方は携帯を見た。相手は、自分にこの安眠法を教えてくれた鳴だった。
相手が誰かわかると、寝起きの心地良さに浸りぼんやりしていた頭が、一気に特殊警察課、Tsの捜査官の頭へと切り替える。
話を聞くと、出動の要請らしい。負担の関係上、あまり一日でいくつもの任務に駆り出されないのが基本だが、今は人手不足の折、そんなことは言っていられなかった。
彼方は、相棒である輪平を起こそうとして、頭に何か電気のようなものが走るのを感じた。そして、さっき見ていた夢のことをぼんやりと思い出す。
自分が何か激しく動いていた気がするが、あまりはっきりとは浮かんでこない。ただ、最後には物悲しい思いに黄昏れる誰かの姿があったことはなんとなく思い出せる。
改めて、眠る輪平の顔を見た。もしかしたら、二度と起きないのではないかという不安が湧き上がる。
……まさか、そんなわけはないと、彼方は首を振って、相棒を起こそうとする。
だが、何故かその不安はまるで拭えなかった。頭の中の何かが、輪平を起こそうとするのを邪魔してくる。
自分の煮え切らなさに少し彼方は苛立つが、起こすのが悪いという気持ちが、そうさせるのだろうと気持ちを落ち着かせる。
そして、少し考えた彼方は、眠ったままの輪平を背負うことにした。時間もないし、きっと向かっている間に起きてくれるだろう。
「……ええ、大丈夫」
自分に何度も言い聞かせながら、彼方は部屋を後にした。
静かな寝息を立てる相棒を背負いながら。
彼女の見た夢は、本当にあるかもしれないし、あるいはただの幻かもしれない。
それはもう、誰にもわからない。
Little Ts Extra Children 灯宮義流 @himiyayoshiru
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