第33話 林の中の戦わない隊長
ジェハは斧を落とすと荒い息をついて立ち上がったが、上った血がすっと引いた後の頭の中は朦朧としていた。
それを覚ましたのは、必死の叫び声である。
「ジェハ君、……が!」
クローヴィスの声だということは分かったが、何を言っているのかは見当がつかない。どうしていいか分からずにきょろきょろしていると、後ろから回された腕が首を絞めつけた。
懐のスティレットを抜いて、背後の相手に突き刺す。倒れたところを、振り向きざまに覆いかぶさって
身体を起こしたところで見えたのは、いかつい体格をした男に数人の傭兵が迫るところだった。
……オヤッサン?
聞き取れない言葉がその名前だったと気付いたとき、頭の上でクローヴィスが叱りつける声がした。
「何してる、ジェハ君!」
泥から足を引き抜きながら遠ざかっていく背中に、きらめく銀髪が揺れている。返事をする間もなかった。ジェハはさっき放り出した自分の剣を拾うと、スティレットを懐に収める間もなく、クローヴィスの後を追った。
駆け付けたときには、泥の中に尻餅をついて動けないでいるオヤッサンに、剣やら斧やら棍棒やらが、立て続けに振り下ろされているところだった。
そんな状態になっていても、オヤッサンはやられっぱなしになりはしなかった。片手で身体を支え、もう片手でメイスを振り回す。
それでも、相手に傷を負わせることはできない。なんとか攻撃を弾き返す程度だった。だが、それにも限界がある。
「オヤッサン!」
防戦一方の中で力尽きたのか、その手からメイスが滑り落ちた。跳ね返されてきたいくつもの武器が、一斉にオヤッサンの頭上に落ちかかる。
……間に合わない!
そう思ったとき、オヤッサンは最後の悪あがきに出た。さっきやったように、襲い掛かるローク側の傭兵のうち、1人の足に取りついたのである。
だが、完全に勝てると思っていたらしい男たちは、完全に不意を突かれたようだった。足を取られた男は背中から倒れ、立っているほうの武器は次々に空を切った。
「ジェハ君!」
クローヴィスが低く囁くと、その背中で黒太子の剣が唸った。持ち主に、抜けと促しているのだ。
その囁きが意味するのは、斬り込みを援護しろということだ。だが、ジェハとしては先を越されるのも、使われるのも我慢がならない。
クローヴィスは自分の剣を腰の鞘に収め、黒太子の剣を手にかける。だが、ジェハはその間に行動を起こしていた。
懐のスティレットを投げたのである。
……当たるか!
ローク側傭兵が、革鎧の背中から血しぶきを上げて倒れる。死んだかどうかは分からないが、少なくともオヤッサンを手にかけることはできない。まだ残っている敵にしても、背後から現れたジェハたちから身を守る方が先だったろう。
最初に1人が振り向いたが、その首は黒太子の剣の一閃で吹き飛んだ。
……俺が先だったのに!
不意打ちに次ぐ不意打ちに、ローク側の傭兵たちは慌てふためく。低い姿勢で迫ったジェハは、立ち上がっても低い位置から斬りに斬った。
分厚い装甲の者はいない。胸甲だけを付けたガラ空きの腹はジェハの剣で薙ぎ払われる。革鎧をまとっていても、まっすぐに突き出した刃が貫通した。
オヤッサンはと言えば、その身体の下には、取っ組み合いの中でうつ伏せにされた男が横たわっている。息が詰まるまで押さえ込まれたのだろう。
クローヴィスは、傭兵たちを唐竹割りに、また胴体斬りに屠り去っている。黒太子の剣の、凄まじいまでの威力だった。
やがて、その場にローク側は1人もいなくなった。黒い長剣を手にしたまま、クローヴィスは腰を屈める。
「……!」
ジェハには聞き取れない名前を呼んでオヤッサンを助け起こす。だが、その背後から立ち上がった者がいた。ジェハは叫ぶ。
「クローヴィス!」
倒れていたと見えた男は、まだ息があったらしい。長い棍棒を振り上げて、クローヴィスの脳天に降り降ろす。
たかが木の棒と言ってしまえばそれまでだが、樫などの硬い木の芯を削り出したものは、ちょっとやそっとのことで折れるものではない。死にかかっている者が捨て身で叩きつければ、ただでは済まない。
だが、そこはクローヴィスだった。
「分かっているよ、ジェハ君!」
オヤッサンの手を取った姿勢のまま、黒太子の剣で背後の影を真っ二つに叩き斬る。ジェハのほうを向いたままで、その刃を背中の鞘に収める。
まるで、黒太子の剣が自らの意志で動いているかのようであった。オヤッサンは呆然とつぶやく。
「化物だな、お前は……」
クローヴィスは目を伏せて、眠たげにつぶやいた。
「そう思うね、自分でも」
ジェハはといえば、絶望と戦慄に立ち尽くしていた。
……勝てない。
グルトフラング傭兵団では、処刑されるところを救われた。クローヴィスがジェハの代わりに戦うことを誓ったからだ。
そして、「帰らずの森」でリナを救うことは、クローヴィスなしではできない。リナの運命を支配している「深き水底の王」を探し出せるのは彼だけだ。
更に、黒太子の剣。
生きているかのように、いや、クローヴィスを操っているかのように相手を一刀両断にする。
どれをとっても、ジェハの及ぶところではなかった。それを思うと、堂々とリナの前に立つ事などできないような気がした。
……関係ないだろ、リナを助け出せるんなら。
深く沈んだ気持ちを紛らせようとして、ジェハは辺りを見渡した。ローク側はアルケン側の猛反撃で湿地から逃げ出すことができず、壊滅状態になっている。ぬかるみの中で踏み荒らされた苔にまみれて、あちこちに無残な屍を晒していた。
生き残った者も、林の中へと逃げ込んでいく。それを眺めていると、オヤッサンがジェハを叱りつけた。
「何してる! あいつら追うぞ」
クローヴィスも同意した。
「さっき逃げた奴らは別動隊だ。僕たちみたいな、ね」
2人の隊長が合図すると、グルトフラング傭兵団の男たちは一斉に勝鬨の声を上げて隊列を整えはじめた。
逃げたローク側を追って入り込んだ林の中は、ほとんど無人だった。
ほとんど、というのは、木々の陰から狙撃してくるクロスボウ兵がいたからだが、オヤッサンもクローヴィスもそれは計算済みだった。盾を持っている者を側面に立たせて、飛んでくる矢を弾いては射手を見つけ出して倒していった。
林を抜けたジェハたちが見たのは、湿地沿いの固い地面を進んでいくローク側の傭兵たちだった。
オヤッサンが憎々し気につぶやく。
「仲間を見殺しにするとはな」
クローヴィスやオヤッサンの隊の攻撃に回した別動隊が全滅しかかると、本隊はさっさとアルケン側の「その他大勢」隊へと向かったのだ。
そのアルケン側本隊はというと、動く気配がない。いるのかいないのかも分からないくらいである。
ジェハは歯ぎしりした。
「何やってんだ、あの隊長……」
だが、その判断は当然といえば当然であった。最初の作戦では、クローヴィスの隊が背後を襲って反転を誘い、その時に見せた隊列の側面を狙って「その他大勢」部隊が攻めかかるはずだったのだ。
ところが、偵察に行ったジェハは帰ってこなかった。その報告もないうちにやってきたローク側の傭兵たちは、反転もしない。作戦によれば、まだ動くべき時ではなかった。
オヤッサンが鼻で笑った。
「あの男が自分から動くはずがねえ」
やっぱり、とジェハは思った。初めて顔を見たときにも、誰だか思い出せなかったくらい影の薄い男である。そこそこ戦っていれば、ジェハの記憶にも残っているはずだ。そう思うと、あの隊長がいかに何もしない男であるかということは納得が行った。
その会話を聞いていたクローヴィスが、眠そうに言った。
「動かしてやればいいでしょう、作戦通り」
振り向きもしないで、別動隊の部下たちに命じる。
「後方を撹乱する」
すると、オヤッサンはジェハの背中を叩いた。
「行け。今度こそ本隊を動かすんだ」
オヤッサンはジェハを護衛するかのように林の中へ入って、ローク側の側面へ回り込んだ。
そこを離れてジェハは駆け出した。邪魔する者はない。もう、伏兵はいないようだった。そんな余裕はなくなったのだろう。
だから、疲れた体に鞭打って全力で走ったジェハが元の「その他大勢」部隊に戻ってくるのに、それほど時間はかからなかった。
目の前が真っ白になるのもこらえて、息を切らして告げる。
「ロークの連中、もう目の前まで来てるぞ」
だが、部隊の連中が色めき立つ様子はなかった。気持ちが落ち付いて視界が戻ってくると、どいつもこいつも面倒臭そうに立ち上がる。
ぼそっとつぶやく声が聞こえた。
「戻って来なけりゃよかったのに」
疲れで身体の奥底に引いていたはずの血が、ジェハの頭へといっぺんに上った。
「お前らやる気あんのか!」
林の中で所在なく立っている男どもは、武器を担いでうろうろ歩いたり、木の幹にもたれかかったりと落ち着きがない。仲間が命を危険にさらして戦っているのに、助けに行こうという気もないようなのだ。
そんなやる気のない連中の群れの中から、いたのかいなかったのかよく分からない男がのっそりと顔を出した。
「ないなあ、少年」
少年、と呼ばれたのは初めてだった。あのクローヴィスだってそんな呼び方はしない。
だが、問題はそんなところにあるのではない。
「あんた隊長だろ、団長から部下任された」
ジェハの声は怒りに震えている。こうしている間にも、クローヴィスやオヤッサンは命懸けで戦っているのだ。
答えはしれっと返ってきた。
「その通りだ、俺は部下を任されてる」
「だったら……!」
鋭く放たれたジェハの反論は、するりとかわされた。
「だから、勝手な判断で死なせるわけにはいかん」
「お前の部下じゃないだろ!」
「そうだ、団長の部下だ」
ジェハの抗議をのらりくらりとかわしたところで、止めの一言を放った。
「だから、生かすも死なせるも団長次第だ、団長のな」
それはごく当たり前の理屈であったが、ジェハにはこたえた。偵察をダシにクローヴィスの部隊に加わろうとしたことも、この事態の一因なのだ。この隊長をこれ以上責めるのは、作戦の失敗を団長にかぶせるようなものだった。
答える術を失ったジェハは林の中から、ローク側の後方に襲いかかったクローヴィスの部隊を眺めた。
後方を撹乱するには、人数が少なすぎた。それを援護して、側面からはオヤッサンの部隊が短弓で攻撃を仕掛けている。だが、ローク側は盾を持った傭兵を林の側に回して、さらに部隊の一部をクローヴィス隊に振り向けていた。
……ダメだったか。
ローク側の本隊は、アルケン側の「その他大勢」に向かって湿地の岸を進んでくる。
「隊長!」
ジェハの叫びは、ほとんど哀願に近かった。だが、隊長は戦況を眺めたまま、部下たちに何の命令も下さない。ただ、ジェハにはこう答えたばかりである。
「あの銀髪とオヤッサン、死にたくなかったら何とかするさ」
もう、この男の話など聞きたくもなかった。ジェハは「その他大勢」部隊に背を向けると、さっき来た方へ林の中を歩き出そうとした。
それを止めたのは、隊長の物憂げな声である。
「俺たちを見捨てて行こうっていうのか? 敵が目の前にいるってのに」
ジェハは言い返せなかった。確かに、この連中は見捨てられても仕方がないことをやっている。しかし、だからといって放り出していくわけにもいかなかった。必ず動かすと、クローヴィスに約束したのである。
リナのことを思っても思わなくても、もう男として遅れをとりたくなかった。借りを作りたくなかった。
どう説得しようかと考えながら、林の外を眺める。クローヴィスもオヤッサンも心配だった。
だが、その戦いぶりを見て、ジェハは息を呑んだ。
……勝ってる!
ローク側の本体を離れてクローヴィスの隊の攻撃に回った部隊は、いつの間にか武器を短弓から近接戦闘用に持ち替えたオヤッサンの隊に横から攻撃されて、湿地の中に追い込まれていた。
さっき泥の中での戦闘を経験した方にしてみれば、ここに追い込めば多少の人数差は慣れの違いで補うことができる。ローク側の部隊はあっという間に細切れの分断状態に陥り、再起不能にされていった。
「見ろ、言った通りだろ、少年」
勝ち誇ったように隊長は笑った。ジェハは焦りを抑えきれず、悲鳴に近い声で非難する。
「そんな呑気なことを!」
ローク側の本隊が背後の惨劇など気にも留めていないかのように、固い地面を進んで来ていたのである。
そこは「帰らずの森」 兵藤晴佳 @hyoudo
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作者
兵藤晴佳 @hyoudo
ファンタジーを書き始めてからどれくらいになるでしょうか。 HPを立ち上げて始めた『水と剣の物語』をブログに移してから、次の場所で作品を掲載させていただきました。 ライトノベル研究所 …もっと見る
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