第32話 救いの手とオヤッサンの危機

 その時だった。耳の隅っこに、どこかで聞いたような声が引っかかった。

「ジェハ君!」  

 誰の声だか思い出せなかったが、どっちみち殺されるのだから、たいした違いはない。

 ……負けちまった。

 傭兵の最期などはこんなものだろうという諦めが、全身を満たしていく。何だか気持ちよかった。今まで意地を張って戦ってきたのがバカバカしくなるほどだった。

 だが、肝心の一撃はなかなか来なかった。覚悟し続けるのもなんだか飽きてきて、目を開いてみる。

 さっきまでのしかかっていた傭兵は、ジェハの剣を手に立ち上がっていた。腰を落として身構えているのをみると、何かを迎え撃とうとしているらしい。

 ……返せよ、高かったんだから。

 血塗られた金貨の袋が目に浮かぶ。今まで生きてきた中で一番みじめな記憶が、命の終わる瞬間に蘇ったわけである。だが、ジェハにはもう、何を恨む気も呪う気もなかった。

 だが、その全てはジェハの思い込みに過ぎなかった。最後の時は、まだ来てはいなかったのである。

 目の前の相手がよく晴れた空を仰いで倒れたとき、ジェハは何が起こったのかを悟った。

 さっきの呼び声は、空耳ではなかったのである。救い主の顔も見ないで、ジェハは荒い息をつきながら自分の剣を拾い上げると、怒鳴り声と共に立ち上がった。

「余計な事すんな!」

 長い銀髪を真昼の太陽に輝かせて、クローヴィスがバスタード・ソードを片手に現れた。黒太子の剣は、まだ背中にある。こんなに負けが込んだ戦いの中でも、抜けてくれないらしい。

「まだ戻ってなかったのか!」

 叱りつけるクローヴィスから目を背けて、剣を構える。その先では、ローク側のクロスボウ兵が正面から狙いをつけていた。

「見つかっちまったんだよ!」

 そう吐き捨てながら、ジェハは横目で味方の長弓兵を確かめる。ローク側の兵に狙いをつけてはいたが、その矢はジェハに飛んでくることになる。

 当然、地面に伏せるしかない。だが、それだけではらちが明かない。矢をよけたらどうやって斬り込むか、考えておかなければならなかった。

 だが、クローヴィスは言った。

「伏せるな、すぐに来る」

 一瞬、何のことだか分からなかったが、そこで聞えた鬨の声と悲鳴で事情はすぐに知れた。林の中に展開していたローク側の傭兵たちが、湿地へと追い込まれたのだ。これで、戦況はまた膠着した。

「あれ……」

 それ以上、ジェハが尋ねることはなかった。見れば分かる。攻めかかっているのは、クローヴィスの部隊だった。

 部下を置いて駆けつけてきた銀髪の隊長はジェハの背中から、いつもの眠たげな口調でつぶやいた。

「君を放っておけなくってね」

 それは、皮肉にも聞こえた。

「大きなお世話だ」

 そう応じたジェハだったが、クローヴィスが部下として任された別動隊の傭兵たちは優秀だった。湿地の中へ転がり込んだローク側の傭兵たちを、足が止まったのをいいことに岸辺で仕留めていく。それでも逃がした相手には、執念深く追いすがる。

 クローヴィスは、泥の中から足を引き抜くと、戦う部下たちのほうへと歩き出す。

「ジェハ君の言う通りかもしれないね」

 足を取られているのはクローヴィスの部下たちも同じだった。ぬかるみの中でのつばぜり合いや取っ組み合いが始まっている。そこから仲間を救うべく、ジェハも後を追った。

 そこに矢が飛んでこないのは、味方に当たるおそれがあるからだった。互いに弓を射込めなくなったクロスボウ兵と長弓兵は、武器を短いものに持ち替えると、乱戦の真ん中に突入していく。

 クロスボウを背負ったローク側の傭兵が背後に迫ったのを、ジェハは振り向きざまに斬り捨てた。

「急げ、俺はこっちを引き受ける」

 その申し出に、クローヴィスは別段、慌てる様子もなく淡々と答える。

「君次第だが、心配はいらない」

 ムッとしながらも、ジェハは新たに襲いかかってきた相手を迎え撃つ。その向こうから1人、また1人とクロスボウ兵が現れたが、ジェハを挟んで斬りかかってくることはなかった。

 それがなぜかということは、遠くから聞こえてくる声で分かった。

「ジェハ! 待たせたな!」

 林の中にいたオヤッサンたちが、湿地内へと踏み込んできたのだった。その中には弓を持っていた者も多い。岸辺から矢を射かける者が誰もいなくなったのは、ジェハにとって戦いやすかった。不意に射殺されるのを恐れることなく、剣を振るうことができるからだ。

 やっとの思いで相手を突き倒したジェハは、剣についた血糊を払って叫び返した。 

「別に待ってない!」

 すると、その声が聞こえたかのように、湿地にまで転がり込んだアルケン側の傭兵たちは固い地面へと移動し始めた。ジェハは唖然とした。

「オヤッサン?」

 ろくに戦いもせず、オヤッサンたちも向きを変えて岸へ戻り始めた。それは、味方を得たはずのクローヴィスたちも同じだった。

「おい、置いてくのか!」

 叫ぶジェハに、ローク側の傭兵たちが向かってくることはなかった。

 戻ってくるアルケン側を、林の中に残っていたローク側は、岸を移動して迎え撃とうとする。それに呼応して、湿地の中にいた方も動き出したのだった。

「何やってんだ!」

 背後を襲われた仲間を助けようと、ジェハは泥の中の重い足を、必死で前へ前へ運ぶ。だが、逃げるかに見えた行動の真意は、すぐに分かった。

 アルケン側の傭兵たちが、突如として反転したのである。湿地の中のローク側は、不意を突かれて次々に斬り伏せられた。

 ……そらみろ。

 だが、ジェハはその勢いに乗ることはない。次に何が起こるかは分かっていた。その場に踏みとどまって、来る者を待ち受ける。

 ……俺の出番はこれからだ。

 アルケン側の反撃を受けた味方を救うべく、岸にいたローク側が泥の中に踏み込んできたのだった。それは自らの足を封じる行為であったが、一方で腕力だけがものを言う乱戦となることをも意味していた。

 だが、こうなると小柄な者が不利である。

 敵味方が入り乱れた時には、ジェハは大きな両刃の戦斧を振るう相手に、剣の速さで力の差を補っていた。

 だが、それはあくまでも「補う」だけであって、「凌ぐ」ことにはならない。剣に叩きつけられる斧の衝撃が、防戦一方となったジェハの手から腕へ、そして全身へと広がっていく。   

 ちらりと見れば、オヤッサンの部隊も攻撃を受けていた。湿地に追い込まれて、大人数が立ち往生している。

 当然のことながら、暴力というものは常に弱い者に集中する。ここぞとばかりに襲い掛かるローク側の槍や斧の前に、ジェハの見知った仲間たちは次々に倒れていった。

「オヤッサン!」

 心配になって叫びはしたが、ジェハも目の前の敵で精一杯だった。斧をかわし、剣を振るうが、それも広い両の刃が盾となって弾き返してくる。

 横目で眺めれば、オヤッサンも攻撃を防ぎきれないでいた。振り下ろされるウォー・ピック戦闘用のつるはしにターゲット・シールドで抵抗してはいるが、それで精一杯だ。

 メイスを振るおうにも振るえないでいるうちに、ウォー・ピックのクチバシ部分が、盾の中央に叩きつけられる。

 ……何とかしたいけど。

 こっちの斧も凶悪だ。剣で流し、その隙に斬りつけて牽制しないと、いつ脳天に降ってくるか分からない。

 その危機がやってきたのは、オヤッサンの方が早かった。ウォー・ピックが盾を叩き割ったのだ。

 ……間に合わない!

 ジェハは、足もとの泥と相手の斧と、そして自分の不甲斐なさとを呪った。目の前でオヤッサンが命を落とそうとしているのに、自分を守るのがやっとなのだ。

 ……斬れないくらいなら!

 ジェハは、斧が振り上げられるのを狙って、思い切って剣を投げ捨てた。だが、勝つのを諦めたわけではない。それに気を取られている相手の隙を突いて、猛然と組み付いたのだった。

 不意を突かれた相手が、のしかかられて仰向けに倒れる。その瞬間、手から離れた斧をジェハは見逃さなかった。無我夢中で引っ掴むなり、馬乗りになった身体を弧に反らして持ち主に叩きつける。その生死は、確かめるまでもなかった。

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