第31話 救いの手とジェハの覚悟と

 アーバレストの矢がジェハの背中を貫くことはなかった。間一髪で差し出されたターゲット・シールドに弾かれていたのである。

「ジェハ!」

 メイス鎚矛を手にして背中合わせに立ったのは、ずんぐりとした固太りの中年男だった。

「オヤッサン?」

 本隊とは名ばかりの「その他大勢」ともクローヴィスとも離れた別の部隊を率いていたはずである。

 まさかジェハひとりを追ってきたわけでもないだろうが、突然に現れて命をすくってくれたオヤッサンには驚きもしたし、胸が痺れるほどありがたい思いもした。

「何でここに」

 本当は理由などどうでもよかったが、言葉にならない感情を、戦う者としての判断が冷静に抑え込んでいた。

 しかし、戦況がどうなっているのか、オヤッサンは答えなかった。

「とにかく来い」

 アーバレストを構えたローク側の傭兵は、もういない。代わりに現れたのは、奇襲をかけたオヤッサンの部隊である。その経緯は、一言だけで語られた。

「もともとこっちから攻めることになっていた」


 オヤッサンに従って走ると、ローク側の傭兵たちがもともとジェハのいた「その他大勢」の部隊がいる方向へと逃げ去るのが見えた。

 だが、その先には湿地の中に出っ張った林の端が見える。今朝、歩哨を襲った連中とジェハが戦った辺りである。「その他大勢」が攻撃をかけるためには、湿地沿いに固い地面の岸を迂回しなければならなかった。

 ジェハは焦った。

「あいつら立ち直っちまう!」

 結果としてはジェハに気を取られて兵を失い、その上、オヤッサンの奇襲であわてふためいて隊列を乱したわけだが、人数では遥かに勝っているはずだ。

 オヤッサンは、周囲にいる部下たちに怒鳴り散らす。

「食いつけ! 追い散らせ!」

 逃げ遅れたローク側の傭兵がひとり、またひとりと背後から刺され、斬られ、うちのめされていく。

 だが、その多くは林の端へと消えた。オヤッサンは苦々し気につぶやく。

「間に合わんか」

 グルトフラング団長から聞いた作戦は、すでに放棄されていると見ても差し支えないようだった。

 もともとは、こちらが陣取っている辺りの見当つけて攻撃してくるローク側の傭兵団の後方を攪乱し、それが反転する際に見せる隊列の横っ腹を「その他大勢」の本隊が突くことが狙いだった。

 ところが、すでに後方は警戒されている。クローヴィスの率いる別動隊が攻撃を仕掛けても、それほどの動揺は期待できない。

 その原因の一端を作ったにも関わらず、ジェハの心は躍った。

「真っ向からぶち当たるしかないな」

 アーバレストを手にしたローク側の傭兵が、何人か背中を見せて逃げている。合流を目指しているのだろう。

 ジェハは剣を構えて突進した。

 ……逃がすか!

 何とかジェハの振るう剣をかわして、そいつは木々の間をちょこまかと逃げ回った。広い場所を求めてか、林の外へと駆け出す。ジェハは追いすがると、固い地面の岸から湿地へと踏み込んだ。

 振り向きざまに矢を放つ。だが、ろくな狙いをつける間もなかったのだろう、あっさりとジェハの剣に弾き飛ばされた。

 ……当たるかよ!

 ぬかるみの中では、鐙を踏んで矢をつがえることもできない。うろたえるのには目もくれず、ジェハは湿地の中へと駆け込んだ。  

 弩弓兵を追い詰めはしたものの、足がぬかるみに取られて、なかなか動かなかった。その隙にローク側の傭兵は、幅の広い短剣を腰から抜き放つ。

 だが、剣の間合いの上でも速さの上でも、ジェハの敵ではなかった。

 ほとんど無防備の相手を正面から革鎧ごと斬り捨てると、あっさり仰向けに倒れて泥に沈んだ。 

 1人倒して、ジェハは荒い息をついた。全力疾走した後なので、鼓動が耳にまで響いてくるようにも思われた。

 だが、逃げる連中は何人もいた。さっきのが最後の1人ではない。

 ……他の奴は?

 上がる肩を抑えて息を整えていると、再び風を切る音がした。とっさに剣を振るうと、再びアーバレストの矢が弾き飛ばされた。

 ひとたび撃ってしまえば、長弓とは違って矢の装填に時間がかかるのがクロスボウの弱点である。そこを弁えてか、ぬかるみの中を迫ってきた傭兵は、振り上げたアーバレストを横殴りに叩きつけてきた。

 樫などの固い木で作られているクロスボウは叩きつけても、領主に反乱を起こした修道士が戦闘で使う十字棍棒と同じくらいの破壊力を持つ。下手に受け止めれば、脆い剣なら折れてしまうこともある。

 泥で足を封じられたジェハは、低い背を余計に屈めてかわすしかない。だが、それが罠だった。

 顔面に泥が蹴りつけられる。目を背けてかわすのに捻った全身のバネを使って、相手の腹に斜め下から蹴り上げる。しかし、既にアーバレストを投げ捨てていた手に足を掴まれてしまった。

 当然の反撃として、ジェハは泥の中で仰向けに転がされた。ローク側の傭兵は、腰に提げた鞘からダガーを逆手に抜き放つ。

 それが覆いかぶさるようにして振り下ろされたとき、ジェハは傍らに放り出されていたアーバレストを片手で掴むや、声もなく吠える目の前の顔に向かって叩きつけていた。

 こめかみ辺りを張り飛ばされて、相手はダガーを落として横倒しに転がった。ジェハはすかさず馬乗りになったが、小柄な分、押さえ込みが利かない。懐に隠し持ったスティレット刺突用の短剣を抜く間もなく跳ね返されて、再び泥にまみれることになった。

 下から腹を蹴り上げて体勢を逆転したとき、オヤッサンの怒声が響きわたるのが聞こえた。

「バカ野郎! ジェハに当たるじゃねえか!」

 長弓兵が湿地越しに、林の端のローク側を射ようとしていたらしい。

 ……勝たなくちゃ。

 自分が味方の攻撃を止めているのだと思うと、つい焦りが出た。そこに隙が生まれたのか、腰を跳ね上げられて頭から転がされる。

 泥の中に頭から押し込まれて息が詰まり、その隙に剣をもぎ取られたのが分かった。

 ……まずい、このままじゃ。

 泥を吐き出しながら起き上がると、身体の大きな相手はまだ、ジェハから奪った剣を手に両手両膝を突いているところだった。取り返そうとして捩じ上げた腕ごと倒されたが、ジェハは手を離さない。

 だが、相手が剣ごと腕を引き抜こうとするなら話は別だ。自分の武器で指を落とされるわけにもいかない。

 剣を手にした腕が泥で滑る。指を離すと、相手は起き上がって剣の切っ先を突き付けてきた。それでもジェハは動かない。振り上げた剣が、逆手に持ち替えられて襲いかかる。

 その切っ先が、ジェハの身体を貫くことはなかった。それを振るう者が、悲鳴を上げて倒れたからである。

 ジェハが間一髪で拾った相手のダガーが、持ち主の脚の腱を断ち切ったのだ。すかさず跳ね起きて、胸への一撃で仕留める。そいつが動かなくなったのを確かめて、ジェハは荒い息を吐いて立ち上がった。

 ……ここを離れないと。

 長弓兵の邪魔になる。疲れでふらつく足を泥の中から強引に引き抜きながら、ジェハはオヤッサンの部隊が待機する岸へと近づいていった。


 ようやく固い地面を踏んだと思った時、待っていたのはオヤッサン自身ではなくて、その鉄拳だった。

 いきなり殴り倒されて抗議の言葉も思い浮かばないうちに、罵声が浴びせられる。

「何でこんなとこにいるんだ」

「偵察だよ」

 泥だらけの顔を拭きもしないで、ジェハは力なく弁解した。だが、オヤッサンはそれをバッサリと切り捨てた。

「そんな計画はない」

 だが、曲がりなりにも配属された部隊の隊長が下した命令である。ジェハは食い下がった。

「俺にも意地ってものがある」

「お前の意地で作戦がぐちゃぐちゃになってるんだよ!」

 オヤッサンの激昂に、ジェハは思わず縮み上がった。だが、それを認めてしまったら、もう立つ瀬がない。

「臆病者にはなりたくない」

 なおも言い張るしかなかったが、オヤッサンはいきなり静かな口調になってたしなめた。

「臆病者になるのも根性だ」

「全然わからない」

 強情を張ったわけではなく、本当に理解できなかったのである。臆病と根性は、ジェハにとって相容れないものであった。オヤッサンは苦々しげに、その背中をぽんと叩いて本隊のいる方へと押し出した。

「恥ずかしいなら、その気持ちと闘え」


 やがて、ローク側の反撃が始まった。林の中で態勢を整えると、アーバレストを抱えたクロスボウ部隊が固い地面に展開し、岸までも完全に固めてしまったのである。これで、ジェハたちは湿地側からしか攻められない。

 勝機があるとするなら、この林の向こうの湿地を隔てたところに陣取っている「その他大勢」が動いたときだ。

 ジェハはその「本隊」へと走った。おそらくあの隊長は、作戦通りの事態にならなければ絶対に動くことはない。味方が劣勢であることを告げれば、余計に尻込みするだろう。

 木々の間を、身を隠すように駆け抜けながらジェハは考えた。

 ……都合の悪いことは言わない。聞かれたら、「分からない」と答えるんだ。

 勝っているか負けているかは自分の判断に過ぎないのだから、言わなければ嘘をついたことにはならない。判断を下す隊長に、要らぬ知恵をつけることもないのである。

 行きはそんなにかからなかった道のりがやけに遠く感じられるのは、あちこちに見張りの影が見えるからだ。その目を避けて木の陰に隠れながら走ったところで、速さは知れている。

 しかも行く先には、見張りらしき連中の影が、交代のためか集まりつつあった。

 ……強行突破するしかないか。

 その集結店に見当をつけて、誰も来ないうちに駆け抜けるのだ。そうすれば、追跡は去れても包囲されることはない。

 もう、戻ろうにも戻れなかった。血糊と泥で汚れた剣の刃を一振りして、一か八か全力疾走を試みる。

 だが、それは無茶というものだった。ローク側の傭兵たちが呼び交わす。

「あれ誰だ!」

「アルケン側のヤツだ!」

「お前らこっち来い!」

 すぐに発見されたジェハは、たちまちのうちに包囲された。周りに見える武装は、グルトフラング傭兵団と同じくらいバラバラである。パイクと呼ばれる騎兵攻撃用の長槍を構えて上半身鎧を着こんでいる者もあれば、両刃のバトルアックスを片手に、胸当てしかつけていない者もある。

 ……こちとら急ぐんだよ。

 いちばん動きの鈍いのを一撃で倒した穴から、包囲の輪を抜け出すしかない。まず狙うべきは、重武装の相手だ。最初の突破口を開けば、相手は多少なりとも怯む。脱出のチャンスは、そこにあった。

 ……こいつだ!

 全身を金属製の鎧で固めてハルバード斧槍を持った、妙にリーチが長くて守りの堅い相手である。普通に考えれば、生き延びてこられたのはそのおかげだ。

 ……そうかもしれないが。

 鎧の重さのせいか、のっそり動く。突き出したハルバードは、ジェハがその先を低い踏みこみでかわすと、また鈍い動きで振り上げられた。

 ……それでいい!

 脇の下がガラ空きだった。そこに剣を突き上げると血飛沫が噴いて、ハルバードが落ちた。駆け抜けた背後で倒れた相手の生死など、どうでもよかった。邪魔をされなければ、それでいい。先を急がなくてはならない。

 だが、その先も、ジェハは戦うので精一杯だった。

 武器が手になじんでいない者、勝っているときにしか勢いがない者、負傷している者。

 次から次へと襲ってくるローク側の傭兵たちに剣も足も阻まれて、進もうにも進めない。1人を斬って囲みを突破しても、生き残った者に次の輪をつくられてしまうからである。

 また1人斬った後に、フェイントをかけて退いてみた。数歩だけ足を進めたジェハにつられて前方へ走ったローク側の傭兵たちをやり過ごし、身体を翻す。

 ガラ空きになっている背後へいったん逃げて、振り切るつもりだった。優勢になっている戦いで、わざわざジェハ1人を追い回したところで大した手柄にはならない。それに気づけば、ローク側の傭兵たちは自ら、もっと実入りのいい戦闘に身を投じるだろう。

 だが、いつのまにか、そこには別の傭兵たちが待ち構えていた。斬り伏せられた味方を見て頭に血が上ったのか、雄叫びを上げて突進してくる。それに勢いづいたのか、背後でも吠え狂う声が聞こえた。

 ……挟まれた!

 だが、立ち止まっている暇はない。前後から迫りくる敵の間には、走り抜けられるだけの隙がある。選ばなければならないのは、湿地から離れるか、そちらへ敢えて駆けるかということだった。

 ……こっちだ!

 ジェハは敢えて湿地の岸を選んだ。ローク側の傭兵たちは、戦いに不利な方へ走るとは思っていないだろう。裏をかいたその一瞬が勝負だった。そのわずかな時間でも、生き延びていたかった。

 木々の生い茂った方へ背を向けて明るいほうに走ると、傭兵たちの雄叫びが止まった。ジェハの読みは当たったらしい。その静けさの中で、ジェハは武器を手にした腕を、防具に覆われていない腹を、鎧の隙間を、左右に斬りまくった。

 捨て身の行動と味方の死に、しばしローク側の傭兵たちは意表を突かれたのか、ジェハの剣技と疾走を呆然と許していた。

 だが、それも長くは続かなかった。

 林の中から地面の固い岸へ駆け出したジェハの背後から、我に返った数名がジェハに打ってかかる。湿地側から来る者はないので、振り向きざまに渾身の一撃を振るうことができた。

 剣は1人の喉笛を切り裂いたが、その背後から現れた者がいた。正面から斬りつけようとしたところで、そいつは手を横に振った。しかし、その手の中には何もない。

 呆然としたところに一瞬遅れて飛んできたのは、棘状の突起がある鎖付きの鉄球だった。いわゆるモーニングスターだ。

 とっさに屈んで避けたが、鉄球は剣に命中した。

 ……しまった!

 落とされた剣は目の前にあったが、拾おうとすると、眼の前で蹴飛ばされた。次の攻撃を見極めようと顔を上げると、駆けつけてきた別の傭兵が喉元に剣をつきつける。

 背後は湿地だから、逃げ込んでもすぐに捕まる。予備の武器は、隠し持ったスティレット刺突用の短剣ぐらいしかない。それも、身の軽さを確保するために可能な限り小さいものを選んだのだ。

 ……もうおしまいだ!

 ジェハは目を閉じて、自分の剣が、今までやってきたように自分自身の喉笛を切り裂くのを想像した。

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