第30話 たった一人の脱出行

 ジェハにはもともと、ローク側傭兵団の動きを報告しに戻ってくる気などなかった。このまま湿地を避けて林の中を駆け抜け、敵の背後に回ってクローヴィスと行動を共にするつもりだったのである。

 だが、ローク側傭兵団は意外に近くまで来ていた。さっきクロスボウ兵や網兵たちと戦った湿地の向こう側から、固い岸伝いに移動していたのである。

 こちらにはまだ、気づかれていないようだった。ジェハは木の陰に隠れて、様子をうかがった。

 おそらく、数はグルトフラング傭兵団よりも多い。正面からぶつかったら、ちょっと不利だ。だから陽動作戦が必要なのだろう。

 ……報告に戻るか?

 だが、ここで「その他大勢」に注意を促しても、クローヴィスが率いる後方攪乱部隊が動き出さない限り出番はない。それは、活躍の場がないということだ。

 戻るまいと決めて、ジェハはローク側の部隊が通り過ぎるのを待った。いずれ、クローヴィスの部隊が後を追うはずである。

 木の幹の後ろで息を殺して身を縮めていると、突然、背後から鋭く問いかける声がした。

「何をしている!」

 思わず剣を抜いて振り返ると、そこには声に似合わず眠たげな顔をしたクローヴィスがいた。

「偵察だよ」

 嘘はついていない。報告に戻る気がないだけだ。

 それを見抜いたのかどうか、クローヴィスは静かに歩み寄り、耳元で囁いた。

「どういうわけで?」

「知らねえな、あんないるのかいないのか分からん隊長は」

 そう答えるのも面倒臭かったが、クローヴィスへの態度はもっと厄介だった。

「理由はどうあれ、戻るべきだ」

「ここまで来たのに」

 口を尖らせてごねると、説教が淡々と返ってきた。

「だったら余計に報告すべきだ。ローク男爵の傭兵は君たちの隊に向かっているんだから」 

 ジェハはクローヴィスの目をまっすぐに見つめた。リナのために人外のものどもと戦ってきた仲間なら、分かってくれる気がしたのである。

「あそこには俺の居場所がない」

 それは、他の傭兵には見せない心の底をさらけ出してみせた一言だった。だが、それはすげなく無視された。

「ここだって同じだ」

 ジェハは唇を固く引き結んだ。クローヴィスにも分かってもらえないのなら、もう誰に本心を打ち明けることもない。できることは、こんな風に逆らってみせることだけだ。

 さらに、紋切り型の言葉が追い打ちをかけてきた。 

「命を大切にしろ」

 芸のないことに、オヤッサンと同じことを言っている。

 ジェハは落胆した。2人だけの戦いを乗り越えてきたのだから、お互いに言葉抜きで分かり合えるものがあるはずだった。

 今まで心のどこかにあった期待は、脆くも崩れ去っていた。

「命が惜しかったらこんなことやってない」

 他の傭兵の中傷に食ってかかるときと同じ言葉が繰り返された。だが、その意味ときっかけは、クローヴィスだけが知っている。

 共に戦う中で、そんなことまで口にできるほど、信頼に似たものが生まれ始めていた。ここでも生死を共にしたかったが、クローヴィスにその気はないらしい。

 心を閉ざしかかった時、厳しさの中にも温もりのある叱咤が放たれた。

「リナを守れ」

 ジェハは、戦いへのこだわりの中から、はっと我に返った。なぜ、今、ここにいるのか。戦場に戻るためではない。

 次の新月までに、リナを変身から救わなければならないのである。そのためには、「深き水底の王」を探し出して屈服させるか、何らかの取引をしてリナから手を引かせる必要がある。

 だが、その居場所を感じることができるのはクローヴィスだけなのだ。二人で共に戦いを終わらせない限り、探索に出発することはできない。

 そんな秘密を知る由もない傭兵が、どこかでジェハをからかった。

「また命を買ってもらう気か」

 道を外れて迷い込んだ森の中で出会った少女と、そこで巡り合った流浪の剣士との経緯に思いを馳せていたジェハだったが、その一言で怒りに火が付いた。

 後方攪乱の別動隊の中へほとんど反射的に分け入ろうとしたとき、クローヴィスはジェハの手を止めようとした。隊長として当然の行為だったが、それだけにジェハの癇に障った。

「邪魔だ」 

 その手をふりほどくジェハも、クローヴィスの立場は分かっていた。その一方で、気持ちは酌んでほしかったのである。せめて部下への一喝、無理でも一言ぐらいたしなめてほしかった。

 そう思うと余計にムキにならないではいられなかったが、今度はクローヴィスに後ろから羽交い絞めにされた。

 部隊の中の誰を指すでもなく、ジェハは叫んだ。

「俺ならこいつより戦える!」

 その口を押さえて、クローヴィスは囁いた。

「私も予定通り作戦を遂行したい」

 動けないままに身体をぐるりと回された先では、林の木々の先をローク側の傭兵団の最後尾が通り過ぎていった。

「あの野郎ども!」

 1人の歩哨を3人がかりで殺そうとしていた連中の姿が、ついさっきまで目の前にいた兵の影と重なった。じたばた暴れてクローヴィスの腕を引き剥がすと、ひとりで駆け出そうとする。

 その背後から、クローヴィスが小声で呼び止めた。

「部隊に戻れ」

 振り向くと、長い銀髪をなびかせて、頭をさっと横に振った。だが、ローク男爵の傭兵たちが去ったのとは逆の方向である。

 ……逃げても見なかったことにする?

 クローヴィスの仕草の意味をそう察したジェハは、うなずいて一言だけ返した。

「分かった」

 ローク側の傭兵たちが去った方向へと、全力で走りだす。逃げるくらいなら言う通りにするつもりだった。背後のクローヴィスは、もう何も言わなかった。指図通りの行動なら、咎められるいわれはない。

 

 木々の間をすり抜けながらしばらく走った。そうそう息が切れるほどヤワではない。

 敵方に並走しながらも、姿を隠してこれを追い抜く。

 グルトフラング傭兵団の中でこんな芸当ができるのは、ジェハを除いて数えるほどしかいない。伝令に走っているのが、その限られた何名かである。

 だが、その技を生かせるのは、あくまでも「並走」していることが前提であった。目の前に出現した敵には、全く意味がない。

「いたぞ!」

 声の聞こえた方向から、木の陰に潜む者の居場所がどの辺りか見当をつける。

 ……そこか!

 人影が見えた瞬間、身体を捌いて喉元を切り裂く。ひゅうという笛に似た音と共に血飛沫が上がる。これで1人倒したわけだが、ローク側には間違いなく発見された。

 ……別動隊に気付かれた?

 さっきのいざこざが聞こえたのかもしれない。だが、後悔しても仕方がなかった。ジェハのせいであるにせよ、ないにせよ、林の中に居残っていた見張り役は死の直前に役割を果たしたのである。

 次の攻撃を警戒して林の木の陰に隠れると、果たしてクロスボウの矢が幹の両脇を通り過ぎた。

 ここを抜けようとするなら、矢が装填される瞬間を狙うしかない。すぐには矢が飛んでこないのをみると、射る者の後ろに矢をつがえた者がたいきしているわけではなさそうだ。

 ジェハは木の陰から飛び出すと、全力でローク側の傭兵団を引き離すべく失踪した。

 林の中を逃げるには、邪魔な木々の間を、勢いを殺さずに駆け抜けなくてはならない。だが、背後の物音や交わす声から、林の中に入り込んでくる追手が増えてきたことが分かる。

 風を切るクロスボウの矢の音が聞こえて、ジェハは地面に伏せてかわした。頭の上を飛び過ぎた矢が、木々の枝や葉を派手にざわめかせて遠ざかっていく。

 それを追うようにして、立ち上がったジェハは再び走りだした。だが、矢は次々に飛んでくる。その度に地面に倒れ込んでいては、逃げ切ることなど到底できる相談ではなかった。

 何本目の矢をかわした後かは分からなかったが、立ち上がった時にはもう、数名のローク側に追いつかれていた。

 ジェハは、敢えて逃げなかった。その姿を見咎めた傭兵たちに包囲されたが、これで、少なくともクロスボウの矢に狙われることはなくなった。ジェハを狙った矢が味方を射殺すような事故は、ローク側としても避けたいところだろう。

 ……逃げ回るよりマシだ。

 相手が槍や剣を構えているうちは、ジェハの俊敏さと剣の速さで勝機を掴むこともできる。

 動かないで隙を狙い、相手の呼吸を読む。耳をすませば、それぞれの吐く息と吸う息の区別はつく。

 ……そこだ!

 一瞬の隙にジェハの剣で喉笛を切り裂かれた1人が、声も立てずに絶命した。

 人間はたいてい、構える時に息を吸う。だから、息を吐いた瞬間に踏み込めるかが勝負だった。吸う息に合わせて斬り殺せば、反撃できないまま相手を屠り去ることができる。

 しかし、それも最初の一撃だけだ。乱戦になってしまえば、そんな余裕はない。相手が怯んだところで、一気にケリをつけるしかなかった。

 だが、いかんせん、人数が多すぎた。斬りに切り伏せてきたジェハの剣も、とうとう弾かれる時が来た。

 ……鎧かよ!

 対峙する相手は、鉄兜に鎖帷子、脚も鉄板に覆われていた。騎士の鎧のように一揃いのものとして作られたのではなく、とにかく使えそうなものを集めてきた感があるが、それでも全身鎧には違いない。

 ご丁寧に、フェイスマスク面頬さえつけている。

 ……それなら!

 動きは鈍く、視界は狭いはずだ。ジェハはフェイスマスクに開かれた唯一の穴である目の辺りに、渾身の力で剣を突き出した。

 まっすぐに目を深々と貫かれた完全武装の傭兵は、その場で絶命する。

 ……それでよく生き残れたな。

 相手を笑っている場合ではなかった。新手が、次々に集まってくる。だが、囲まれているわけではないので、まだ戦いようはあった。

 1人、また1人と、防具に守られていないところを時間差で斬っていくのだ。

 武器を持つ腕を斬り飛ばし、脛を斬って地面に転がしては心臓を突き、背後から来る相手の脇の下から斬りつける。動けなくなった者、死んだ者が次々に倒れていった。

 木の幹を背にした最後の1人は、フレイルを手に震えていた。柄の先に数条の鎖でつないだおもりが、チャラチャラと音を立てている。

 わずかの間に、何人もの味方を失って孤立したのだから、無理もなかった。大人数でかかる上に、ジェハが小柄だと舐めてかかっていたのが災いしたのである。

 ……甘いんだよ。

 追い詰めた相手は、アーミング・ダブレットしか身に付けていない。武装を買う金がなかったのだろうが、情けをかけてはいられなかった。

 ジェハの剣なら、袈裟懸けの一撃で片づけられる。

 だが、剣を振り上げたところで、背後から大人数のものと思しき足音が聞こえてきた。

 そこに注意がそれたとき、追い詰められた相手は反撃に出た。フレイルを振り上げて、ジェハの頭上から叩きつける。身長差のあるところで兜もない脳天に直撃を食らえば、その場で気を失うどころか、頭蓋骨までも砕かれてしまう。

 ……腹がガラ空きなんだよ!

 フレイルを持った腕を斬り落とし、返す刃を横薙ぎに一閃させる。狙い通りの深手を負って倒れた相手に目もくれず、ジェハはその場から逃げ去ろうとした。


 しかし、遅かった。

 いくらも走らないうちに、ジェハは遠巻きに囲まれていることを悟った。近づいて来ようともしないことから、相手の武器も見当がついた。

 飛び道具に決まっている。アーバレストを構えたローク側の傭兵が、おそらく射線の重ならない3方向から狙いをつけているのだ。

 こうなると、逃げ道はない。できるのは、撃ってくるのが同時か、時間差かを見極めることぐらいだ。

 同時なら地面に伏せて、次の矢が装填される前に1人を斬れば逃げ道を得られる。

 時間差なら、最初の矢を射た者を、その場で斬ればいい。残りの者がジェハを狙えば、無防備の味方を射ることになる。

 いずれにせよ、射られた矢が何本かということが問題だ。

 1本か、2本か。

 おそらくは相手も、同じことを考えているだろう。ジェハがどう動くかで、矢を放つ間も決まるということだ。

 伏せることが分かっているのに、わざわざ矢を同時に放つことはない。同じ理屈で、自分に斬りかかってくるかもしれない相手を真っ先に射ることもないのだ。

 ジェハは、勝負に出た。取り囲む傭兵のうち、1人に向かって中腰に剣を引く。間合いを悟らせない構えだ。

 斬り込みを予測してか、放たれた矢が風を切る。

 ……3本!

 ジェハは瞬時に身体を伏せ、背中の上の矢をやり過ごした。すぐさま立ち上がって、狙った一人を斬りにかかる。

 だが、ジェハの読みは甘かった。その場にいるのが、いつまでも3人だけとは限らないのである。

 背後で、アーバレストの弦が太い音を鳴らした。

 全身に悪寒が走る。それは、ジェハを襲った死の予感だった。

 ……リナ!

 朝日の中で微笑む少女の面影が、目の前に浮かぶ。それは、あの雷雨の中での悪夢のような戦いをすべて嘘に変えるかのような思い出だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます