第29話 オヤッサンの鉄拳と昼行燈の隊長

 ローク側の傭兵と戦ったときのように跳躍力を生かしたかったが、武器がない以上、身が小さいのは不利な条件でしかない。飛び蹴りを食らわそうにも、逞しいオヤッサンに踏ん張られたら終わりである。

 間合いを詰めて、低い姿勢から攻めるしかなかった。

 手っ取り早いのは、足や腰にタックルをかけることだ。だが、これも体格差や体重差があると、かえって相手の眼前に身体を差し出すことになる。

 実際、オヤッサンの拳は頭の上から降ってきていた。このまま逆さまに地面へと叩きつけられるおそれもある。そういう点で、上から来る拳はダメージが大きかった。

 だが、それが分かっていて相手の胸元へ飛び込むようなジェハではない。オヤッサンの前へ足を踏みこむと、膝のバネを使って、顎の真下から拳を突き上げる。

 背の低さを生かしたアッパーカットだったが、それは既に読まれていた。身体が垂直に伸びきったところで、こめかみ辺りに横からの拳が飛んできた。

 鮮やかなカウンターフックを食らって、ジェハの手足からは一気に力が抜け落ちた。

 コマのようにくるくる回って、その場に崩れ落ちるとき、ジェハには痛みはなかった。悔しさも、怒りもなかった。あるのは、起こるべきことを見届けた後の、気の抜けたようなすがすがしさばかりである。

 ……やっぱり、オヤッサンにはかなわない。

 仰向けに転がると、木漏れ日がキラキラ輝いているのが見えた。

 オヤッサンのしかめっ面が、それを遮った。見下ろされるのが嫌で、ジェハは顔を背けた。

 その耳の真上から、何も分かっていないオヤッサンの説教がもっともらしく注ぎ込まれる。

「クローヴィスに命を買われて置いてもらっているのを忘れるな」

 言って聞くならこんなことにはなっていない。これはあくまでも、ジェハを叱っているふりにすぎなかった。オヤッサンがそれをやってみせれば、他の者が敢えて手を出すことはない。

 それはジェハにも分かっていたが、ここで非を認めるのは、他の連中に屈したのも同じことだった。

「俺はまだ戦える」

 その口答えは、どちらかというと周りの傭兵たちに聞かせようとしたものだった。それを察したのか、誰かがよく聞こえる独り言を口にした。

「そりゃそうだろ、魔法使いが後ろについてりゃ」

 オヤッサンがそっちを睨みつけたので、それっきり口を挟む者はなかったが、ジェハはどこにいるのかも分からない皮肉の主に食ってかかった。 

「別に命が惜しかったわけじゃない」

 これ以上のケンカを招くまいとしたのか、オヤッサンは間髪入れずに低い声でたしなめた。

「そんなら、死んだ仲間にどう言い訳するんだ」

 ジェハは言い返せなかった。傭兵団に売り払った命は今、クローヴィスの命で買い戻されているのである。

 言い換えれば、自分を捨てて懸けたつもりの命が、ここにはないのだった。そう考えると、ジェハはたまらなく空しくなった。

 ……じゃあ、俺はもういなくていいんじゃないか?

 さっきは頭に上った血が、今度は全身から地面に抜け落ちてしまったような気がした。それでいて、上半身は軽く起き上がる。自分の口元が薄笑いを浮かべているのが分かる。手は、腰の辺りを探っていた。

 ……じゃあ、1人か2人、道連れにしてやってもいいな。

 そんなことでしか、屈辱を晴らす方法はなかった。いつでも抜けるように、剣の柄に手をかける。

 だが、オヤッサンは一喝した。

「こいつが死ねばいいと思ってるヤツは前へ出ろ!」

 斬り死にしようとしているジェハにではなかった。ケンカの原因はジェハにあるのだから、他の傭兵たちも面白かろうはずがなかった。

 開き直って何名かが足を踏み出したが、ジェハも負けてはいなかった。それに応じて一歩踏み込む。

 その両方を、オヤッサンは交互に睨み据えた。歴戦のツワモノの眼光に傭兵たちがすくみ上り、理屈抜きの威圧感にジェハもたじろいだ。

 もちろん、ジェハが死ねばいいなどと言う者など1人もいない。オヤッサンは面倒くさそうに両手をばたばたと振って、解散するよう指示した。

 傭兵たちはジェハに背を向け、林のあちこちへと散る。ジェハは最後の最後に一言だけ、誰に言うともなく、しかし誰にでも聞こえるようにつぶやいた。

「口だけかよ」

 これ以上、自分も含めて誰ひとり何もできないのを知ってのことである。オヤッサンが無言で一同を解散させたのは、後のゴタゴタを避けるためでもあった。

 グルトフラング傭兵団においては、私闘は禁止というのが建前であった。これを破れば、命で償わなければならないこともある。

 だから、この期に及んでは、聞こえるように独り言を口にするしかない。ジェハに対しても、それはどこからか聞こえてきた。

「また逃げんじゃねえぞ」

 もっとも、建前はあくまでも建前であって、事情によっては団長にしても、人払いをして決闘を挑むこともある。だが、それはお互いに口外しないというのが暗黙の了解だった。

 そんな意味で、ジェハの独り言は続いた。

「死んでも逃げやしない」

 そうは言っても、人の口に戸は立てられない。関係する者が多いだけに、秘密を漏らす者がいないとは断言できない。少なくとも、勝負がつく前にいさかいを自発的にやめたという言い訳は必要だった。

 だから、最後の一言は挑発ではなく、個人的に吐き捨てたものとして聞けばよかった。

「どうせ生きて帰ってくるんだろ、誰かが死んでも」

 やがて、その場には誰もいなくなった。ジェハも、その場から離れて作戦開始を待つことにした。何かの間違いでケンカの一件がグルトフラングの耳に入ったとしても、ここには誰もいなかったことになっていればごまかしやすい。

 だが、再びオヤッサンがジェハを呼び止めた。

「よくこらえたな」

 そんなことを言われると、なんだかくすぐったい。このくらいの知恵は、グルトフラング傭兵団の人間としては当たり前のことだ。

 もっとも、その一員としてみなされていないのなら別である。

「もうほっといてくれ、アテにされてないんだからさ、俺は」

 誰に、とは言わない。オヤッサンがそんな目で見ていないのは分かっていたが、慰めの言葉をかけてもらうのはごめんだった。

 ケンカを吹っ掛けたのは自分だという自覚はある。それを咎めないオヤッサンに自分が甘やかされているような気がして、かえっていたたまれなかった。

 もちろん、当の本人にそんなつもりなどあろうはずがない。またケンカが蒸し返されるのを避けようとしているのか、やたらとさっきの連中を持ち上げ始めた。

「どいつもこいつも、帰ってきたお前が気になるんだよ」

 心配しているという意味で言ったのだろうが、逆の意味にも取れる。ジェハが顔を出したときに聞こえてきた噂話には明らかに、敵前逃亡の疑いと遅参に対する軽蔑の響きがあった。

 それに対する怒りはもうなかったが、代わりに心を満たしていたのは、たまらない空しさだった。

「もう目障りなんだろうさ、俺は」

 あの男たちが言ったことは間違っていない。だから余計に許せなかったのだ。多くの仲間が死んだ戦いには居合わせず、クローヴィスのおかげで死なないで済んでいるだけのジェハに出番が与えられるわけがない。

 グルトフラング傭兵団の中に、ジェハはもういないことになっているのだ。

 ……グルトフラング傭兵団の中で、戦わなくていい者は死者だけだ。

 これは、死んだ仲間を決して忘れないという合言葉であるが、ジェハにとっては別の意味を持っていた。

 ……グルトフラング傭兵団の中で戦わないなら、死ね。

 そう考えたとき、オヤッサンが口を挟んだ。

「お前が死ねばいいと思ってるヤツなんぞおらん」

 まるで、ジェハの心の中を全て見通していたかのようであった。


 やがて散り散りになっていた「その他大勢」部隊の面々が戻ってくると、オヤッサンは自らの部隊に戻っていった。どこかに雲隠れしていた隊長も、やっと現れた。部下がケンカしているのを知っていたのか、それとも知らなかったのかは分からない。

 それから間もなく伝令役が走ってきて、動き出したローク側傭兵団の背後を別働隊が衝きに行ったことを告げた。

 本来なら、そこで甲高い音を放つ嚆矢こうしを天高く放って、一斉に合図をするところだ。しかし、奇襲をかけるにあたっては、攻撃開始を悟られるわけにもいかず、こんなまどろっこしい方法を取らざるを得ないのであった。

 もっとも、今回の作戦では、「その他大勢」の部隊は数が揃えばいい。個人の能力はそれほど問題にされてはいなかった。

 後方攪乱に陽動された相手が向きを変えようとする隙に、数にものを言わせた力押しで突進して隊列を突き崩すのが任務である。それほど芸のない者にとっては数少ない活躍の場であるが、ジェハのように体格と技に特徴と自信のある者にとっては、いささか役不足の立場であった。

 動き出すのも、いちばん最後である。それまでは、息を殺して待っていなければならない。おまえけ攻撃の判断をグルトフラング団長から任された隊長は、その場にいてもいるのかいないのかよく分からない男で、全くあてにならない。

「とりあえず、木の後ろに」

 一応、隊長の命令で林の木々の後ろに全員が隠れたが、誰もが怪訝そうな顔をしている。

 いくらなんでも、作戦中の命令に「とりあえず」はあり得ない。

 ……やってられるか。

 そう思うと、ジェハは各部隊とグルトフラング団長の間を走り回る伝令役がうらやましかった。身の軽さを生かして危険な戦場の中を駆け抜ける役割は、自分にこそふさわしい気がしてならなかった。

 まだ、ローク側の部隊は湿地の向こうの林に姿を現さない。こちらの存在には気付いているはずだから、林の中や湿地の岸といった固い地面を選んでくることだろう。

 さっき歩哨を助けに行ったときにも、大して遠いとは思わなかった。ローク側の傭兵団がどの辺りにいるのかはジェハにも見当がつかなかったが、動きだしたというからには、こっちへ来るのもそう遅くなるはずがなかった。

 ……何やってんだよ。

 味方ではなく、敵の攻撃を急かすかのような気持ちが自分でも奇妙に思われた。そうはいっても、裏切りの機会を待っているのとは微妙に違う。

 待っているのは、命を懸けられる時だ。自分の終わりに満足できる時だ。あてにされていないなら、せめて、納得できる戦い方をして死にたかった。

 だが、そこで下った隊長の命令は、あまりにも拍子抜けだった。

「敵が見えるまで休息」

 全員が、ぽかんとして顔を見合わせた。作戦中には、およそ考えられない。さっきのようなゴタゴタを起こすまいと思っていたジェハも、さすがにこれには食ってかかった。

「そんなのあるか!」

 こんな戦い方には、とても納得できなかった。休息中に奇襲されたら、それこそ命に関わる。隊長となった男にどれほどやる気がなくても、こればかりは考えるまでもなく分かるはずだった。

 だが、返ってきたのはさらに気の抜けるような答えだった。

「来ない相手にピリピリしていても疲れるだけだ」

 ローク側傭兵の出現を木の陰から警戒しながら、ジェハは誰も口にしない非難をたった一言、ひとりで隊長に浴びせた。

「やる気あんのか!」

 たしなめるような物言いが、やんわりと切り返す。

「必要なのは、やる気ではなく、やり抜けるだけの余裕だ」

「余裕ねえだろ!」

 ジェハが即座に言い返したのは、敵の攻撃をゆっくりくつろいで待っているような場合ではないからだ。だが、これも隊長に軽くまぜっかえされた。

「見たところ、確かにお前にはないようだな」 

「俺だけじゃなくてなあ……」

 林の木々にもたれた傭兵たちを見渡すと、面倒くさそうにジェハを見ているだけである。

 言葉に詰まったジェハに、隊長はようやくまともな返答をした。

「行ってみるか? 様子だけ見に」

「俺が?」

 思ってもみなかった提案に、ジェハは問い返さないではいられなかった。聞き間違いかもしれないという心配があったのだが、隊長ははっきりと答えた。

「気になるなら、お前が責任持って行ってこい」

 一も二もなく、ジェハは無言で立ち上がって林の中から駆け出した。余計なことを言って、前言を撤回されては困るからである。 

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