クロックワークエッグ リストウォッチ

つぶあん

01話 勘違いは殺しの後で

彼は英雄だった。

しかし彼女にとって彼は仇だった。

彼のせいで彼女は両親を失った。

だから彼女は学んだ。

彼女が生き抜く術を。彼を殺す術を。

これは暗殺者の彼女が死ぬまでの物語だ。


◆◆◆


「本当にごめんなさい……」

震えるような声で黒髪ツインテールの少女は呟いた。目の前の大柄な男に対して。石畳の上で土下座して。上下黒の下着姿で。

対する男は、自分の後頭部を手で搔きながら、困ったような顔で少女を見下ろしていた。

じっとりと汗が浮かぶその体は痩せているというより引き締まっているという感じだった。

男、ガムはその体つきが暗殺者のものであると直感した。

「そんな理由で俺は殺されかかったってのか……。かなわんな」

ガムが呟く。

「……ごめんなさい」

少女が再び謝った。

なぜこんなことになったのか。自分は。土下座して。しかもほぼ裸の状態で。

相手に負けた悔しさと、路上で裸になっている羞恥心で顔から火が出そうだった。

しかし土下座しているので相手に今の自分の顔を見られていないことが唯一、少女にとっては救いだった。

……なぜこんなことになったのか。その出来事の始まりは数時間前に遡る。


◆◆◆


「……っぷは~~~! このために生きてるな~~!」

エールを一気に呷ったガムは、ジョッキを片手にそう漏らした。

大柄、黒髪、ツンツン頭。年の頃なら二十代後半。酒には強いらしく、既にエールのおかわりをウエイトレスに注文している。

「ガム。そんな一気に飲んで体に毒だぞ?」

ガムの向かいに座る男が言う。彼の名前はチギリという。金髪碧眼、ガムと同い年くらいの見た目。そしてガムと同じくらいの背丈。彼のジョッキも既に空だった。

「デイジー、僕もおかわりで」

彼もエールを注文する。

「はぁい、チギリ。あなたイケメンだから、おまけしちゃう」

ロングの金髪をひるかえし、厨房に引っ込むデイジーと呼ばれたウエイトレス。彼女は二年前から働いており、ガムとチギリとは顔なじみだ。プロポーションは抜群で、胸の箇所が大きく開いたブラウスに、ミニスカートといういでたちだ。スカートからすらりと伸びた脚がなんとも艶めかしかった。

二人が座っているのは町の酒場『鯛の釣り針亭』。夕暮れ時、一日の仕事を終えた人々が自然と集う。四十席ほどある店内は八割方が客で埋まっていた。仕事の愚痴、達成した仕事、将来の話など、それぞれの話で店内は賑わっている。

ガムとチギリも同様に一日の仕事を終え、この酒場に来ていた。

「チギリはいいよな。顔がいいってだけで得するんだから」

「望んでそうなったわけじゃない。……が、悪い気もしない」

チギリの返答に苦笑するガム。

「お前、あれ以来ぶっちゃけるようになったな……」

「ん。同僚からも言われた。前より付き合いやすくなったって」

つい三か月前だ。二人はこの世界の危機を救うための戦いに身を投じた。結果としては救うというより現状維持に留まったが。その戦いが彼らの価値観を変えたのも確かなようである。

「礼儀を気にするばかりが、人付き合いで大事じゃないんだな、って思って」

チギリが言う。

「だろ? 遠慮してばっかりじゃ人生損しちまうからな。しかもお前は顔立ちがいいんだからナンパでもすりゃ、すぐに彼女ができるぞ?」

「いや、そういう意味じゃない。だいたい僕にはもう……」

「はいはい。みなまで言わなくてもわかってるよ。ちょっと耳貸せ」

テーブル越しにチギリに耳打ちするガム。その内容に驚いて、チギリは困惑顔だ。

「なんで僕がそんなことを」

「やらないなら、こないだのポーカーの負け分今すぐ返せ」

「……くっ、汚いぞ」

「これも人生の勉強だと思って」

「君が遊んでるだけだろ。わかったよ……」

しばらくするとガム達のテーブルにウエイトレスがエールのおかわりを持ってきた。チギリがエールを受け取ると、ウエイトレスに言った。

「ありがとう、デイジー。今日も笑顔が可愛いね」

ガムが見たことない笑顔を浮かべるチギリ。こいつこんなにキザになれるんだなー、と思うガム。

「やあね、チギリ。褒めても何にも出てこないんだからね」

不意打ちをくらったように照れるデイジーと呼ばれたウエイトレス。

「でも、ありがと」

言って、デイジーがチギリのほほに軽く口づけをする。途端にチギリの顔が真っ赤になった。

「可愛いデイジー、こっちにも頼むよ」

言って、ほほを差し出すガム。

「じゃあ、恥ずかしいから目を閉じて」

デイジーに言われ、ガムは目を閉じる。そして、デイジーの唇が近づく感覚がガムに伝わり……。

「冷て!」

軽く悲鳴を上げるガム。ガムに口づけしたのは、デイジーが持ってきた、エールがなみなみと注がれたジョッキだった。向かいのチギリが笑っている。

「エールちゃんが早くガムに食べて……、もとい飲んでほしいって」

猫なで声で言ってテーブルにジョッキを置くと、デイジーは他のテーブルに注文を取りに行ってしまった。

「ちくしょう。この差は何なんだ」

「人徳じゃない?」

「いや、顔だ。俺のあごがもう少し細ければ……」

「むしろその三白眼の方が先だろう」

「るせえ」

気にしてたのか……。チギリは友人の意外な一面を発見した思いだ。

「あっらあ~~。ガムったらだっさ~い。振られてや~んの」

甘ったるい言葉使いで近づく人影が一人。ガムとチギリが声の方を見ると、筋肉質な男が立っていた。がっちりした体形。モヒカン。タンクトップ。ぴっちりした桃色のズボン。内また歩き。手には若い女子に人気の紫色の発泡酒が入ったグラス。そのちぐはぐさは見る者をひるませるには十分だった。

「なんだよケイミ―。来てたのか」

ガムにケイミ―と呼ばれた男は、ガム達のテーブルに着いた。

ケイミ―は本名をケインという。しかし本人は本名で呼ばれることを嫌い、ケイミ―と呼ばせている。彼(彼女?)はその見た目とは裏腹に、裁縫士の仕事を生業としている。腕は一流で、どんな服の製作、補修もこなすが、特に上流階級の夫人からの注文が多い。

「今日、やーっとマクシミリアンご婦人ご注文の服が完成したの。あの方好みがうるさいでしょう? さすがのワタシでもくたくたよお~。で、打ち上げってわけよ」

「へえ。それはお疲れさま」

三人はそれぞれジョッキとグラスをかちん、と当て合った。

「ところで、最近妙な事件が起きているんだが知ってるか?」

チギリが神妙な顔をして言う。

「妙な事件?」

ガムが聞き返す。

「ああ。王宮でちょっと噂になってる。深夜になると、どこからともなく音が聞こえるらしい。金属同士が擦れ合うような、ジャラジャラという音が」

「なんだそりゃ。まるで一昔前の『引き回しのジン』事件じゃねえか」

「『引き回しのジン』事件?」

ケイミ―がガムに問う。

「ケイミ―はまだこの領地にいない頃の話だ」

ガムがケイミ―に説明する。

『引き回しのジン』事件とは、十年前にここ王都クロノスの市街で起こった連続殺人事件の通称だ。ジンと呼ばれる犯人が、貴族や領主を殺害する事件が相次いだ。共通点として、被害者には長距離を引きずられたであろう血痕が地面に残っていた。

事件の期間、深夜町中には、鎖を引きずるような音が響いていたという。ジャラジャラ……ジャラジャラ……、と。

そして犯人はいまだに捕まっていない。

「きゃあーーーーーーーーーこわ~~~い!」

ガムに抱きつくケイミ―。

「やめろ。色んな意味で暑苦しいわ!」

ガムがケイミ―を自身から引きはがす。ケイミ―はなぜかむくれている。

「なによ。デイジーに振られて傷心のあなたを癒してあげようと思ったんじゃない」

「いらん。お前よりエールの方が俺を癒してくれるわ」

「あっ、ひどい。そんなこと言うなら、今預かってるガムの一張羅に、猫ちゃんのアップリケ付けてやるんだから」

「お前それでもプロか!? こっちは客なんだぞ!」

「お金を滞納するような人は客じゃなくてチンピラよ」

「ぐ……、今度の依頼料が入ったらすぐに払うんで勘弁してください……」

「謝罪が足りないわ」

「美しいケイミ―様、どうかこの愚民にご慈悲を……」

テーブルに頭を擦り付けるガム。

「苦しゅうない。面を上げなさい」

どうやらガムは許されたようだ。そのガムにチギリがあきれ顔で

「君って懲りないよね。もうこのやり取り何度目だよ」

と言った。

「三十五回目よお~? 確か一回目の内容は……」

「憶えてんじゃねえよ!」

思わず突っ込むガム。その様子を見てチギリは嘆息する。

「……話がそれたね。ガムが言ったように、ジンが再び戻って来たんじゃないかっていうのが大勢だ。まあ、そうじゃないのが一番なんだけど」

「被害者は出てるのか?」

「いや、今のところは出ていない」

「騎士団は何か対策を?」

「まだ噂の段階だからね。動きようがない。個人的にパトロールくらいはしているが」

そうか、と言いガムはエールを一口飲み、当時の様子を思い出していた。

事件の期間、王都は荒れた。狙われたのが貴族や領主ばかりだったので、犯人は殺された貴族と対立する貴族からの刺客ではないかという憶測が飛び交った。貴族達は互いに疑心暗鬼になり、互いの毒殺や暗殺が相次いだ。当時王宮で騎士見習いをしていたガムも、当時のピリピリした空気を覚えている。互いが互いを信用していない、貴族からはそんな空気が感じられた。

ガムがチギリの様子を伺うと、彼もガムと同様に当時の記憶を思い出しているようで、遠い目をしていた。ガム達のいるテーブルは周りの喧騒から取り残されていた。

そんな空気を打ち破るように、ケイミ―が

「そうだガムちゃん。久しぶりに手相みてあげよっか?」

と、笑顔で言った。

「え、やだよ。お前の占い当たるんだもん」

「え~なによぅ。当たるんだからいいじゃない」

「こないだ占ってもらった後、マジで町のチンピラと喧嘩になったんだからな!」

「んまあ! 悪い未来が見えたっていうのに、何の対策もしなかったの?」

呆れ顔のケイミ―に、チギリが割って入る。

「ガムがチンピラと喧嘩なんかしょっちゅうだ。その占いは当たった内に入らない」

「うるせえバカ!」

「んもぅ。四の五のいいから、とっとと見せなさい!」

ケイミ―が強引にガムの右手を掴み、その手のひらをまじまじと観察する。

「ガムちゃんの本名は?」

「ガム・ヴォータン。前も言ったろ?」

「ごめ~ん。ワタシ、イケメンの名前しか覚えらんないの~」

「けっ、言ってろ」

しばらくしてケイミーの眉間にしわが寄り、彼はうーんと唸った。その表情にガムが怪訝そうに肩眉を吊り上げる。

「なんだよ。悪い知らせか?」

問うガムに、ケイミ―が答える。

「ううん。どっちでもないわ。ただ、近いうちに運命の人との出会いがある、と出てるわ」

『運命の出会い?』

ガムとチギリの声がハモる。

「そうよ。ガムちゃんにとって人生で大事な出会い、がね」

「なんだよ。俺の未来の嫁さんか?」

「ううん。男か女かはわかんないわ。視える影が小さくて」

「なんだ。残念」

ガムが小さくため息をつく。

「ほんとに残念だね、ガム。君に彼女ができれば傭兵よりもっと安定した職業に就けって言えるのに」

やれやれといった風にチギリがガムをからかう。それに対してガムは

「るせぇ逆玉ロリコン」

とチギリに一言。

「ぎゃ、ぎゃくたまろりこん?」

目をぱちくりさせるチギリ。

「お前は、まだ年端もいかないいいとこのお嬢さんと結婚を前提に付き合ってるだろうが」

「んまあ! そうなのチギリ!?」

ケイミ―が目を見開く。

「ワタシというものがありながら……! 貴方のワタシへの愛は偽りだったの!?」

チギリはぎょっ、と驚いた。

「な、何言ってるんだケイミ―。僕は君にそんなことを言った覚えは……、第一僕らは男同士じゃないか」

「性別なんか関係ないの! 愛しているか、愛していないか。それだけよ! 貴方はワタシを愛していないの!?」

「……愛していない」

「!」

ケイミ―が再び目を見開く。そしてズボンのポケットからハンカチを取り出して目元を拭う。

「僕は君を愛していない……。だけど、君は僕の大事な友達だ。……すまない」

「ううん。わかってたの。ワタシは貴方と一生一緒にはなれないって。でも、夢を見たかったの。もしワタシが本当に女で、貴方と一緒になって、貧しくてもささやかな幸せを育んで過ごせたらって……」

「君の気持には感謝している、ケイミ―。刻が回ってお互い男女になって巡り合えたら、一緒になろう」

「……チギリ、きっとよ?」

「ああ、きっとだ」

互いに見つめ合うチギリとケイミ―。

「デイジー。エールおかわり三つ」

カウンターの向こうにいるデイジーに注文するガム。

「お前らいつまで茶番やってんだよ」

ガムが呆れ顔で言う。

「いや、ちょっと興が乗っちゃって。酔ったかな」

「んもぅ! いいところで邪魔しないでよ!」

ばつが悪そうなチギリと憤慨するケイミ―。

以前のチギリならばケイミ―にこんな絡まれ方をされれば困って一言も返せなかっただろうが、慣れたものである。対してケイミ―のチギリに対する想いは本気だったりする。しかし性別の壁を超えられないのも本人は承知なので、たまにこうやってじゃれて遊んでいるのであった。

デイジーがおかわりのエールを持って来て、三人はそれぞれ受け取る。

「違うだろ。チギリにマジで彼女ができたんだって」

「それはショックだわ~~~。でも、それだけチギリがいい男になったってことだから、お祝いしないとね~」

ケイミ―がジョッキをチギリのジョッキに軽くぶつけ、かちゃん、と小気味いい音が鳴る。

「それで、どんな娘なの?」

ケイミ―は興味津々にチギリに尋ねる。

「そうだな……芯が強くて、優しくて、でも怒りっぽいかな」

「そうじゃなくて、外見よ! 見たことのない女の性格聞いたってしょうがないでしょ!」

「そ、そう? ええと、銀髪で、目が大きくて目尻は下がり気味で、頬はふっくらしてる。身長はこのくらい」

言って、チギリはテーブルより少し上の位置に手をかざした。それは十二~三歳の平均的な子供の身長だった。

それを見てケイミ―はガムに耳打ちする。

「……マジで子供じゃない。一体何がどうなってんのよ?」

「仕方ねえだろ。向こうから熱烈なラブコールを受けたんだから」

「でもあのお堅いチギリちゃんがそんなの真に受けるの?」

「一緒に旅した仲だからな。大人と子供でも男と女だ。チギリも目覚めちゃったんだろ」

「目覚めちゃったって、まさか……」

『ロリコンに』

ガムとケイミ―がハモる。

「聞こえてるぞ。二人とも」

チギリがジト目で二人を睨む。チギリはエールをあおり、ジョッキをテーブルにたたきつける。

「誤解がないように言っておくけど、僕らは真剣に付き合っている。確かに年の差はあるが、僕は彼女が成人してから結婚を申し込むつもりだ」

「わかってるさ。お前がロリコンだろうと俺は一生お前の友達だ」

「そうよ。ワタシは貴方がロリ……幼女嗜好主義者だとしても貴方への愛は変わらないわ。刻が回って巡り合ったら……」

「全然わかってないじゃないか!」

声を荒げるチギリ。

「冗談だよ。そんな怒んなよ」

「そうよ。ガムちゃんもワタシも貴方の恋がうまくいくことを祈ってるわ」

そう言って、ケイミ―は両手でチギリの手を包み込んだ。その直後、ケイミ―の脳内には、とあるイメージが浮かんだが、チギリに告げるのはやめといた。

告げても告げなくても、彼が行く道が前途多難なのは言うまでもなかったからだ。


◆◆◆


その後ガム達三人はしこたま飲んで酔っ払い、店の前で解散し、それぞれ帰路に着いた。

「あー、飲みすぎた。ケイミ―の奴、相変わらず底なし沼だぜ……」

足取りがふらふらになりながら、ガムは自宅を目指す。ガムの家は酒場から歩いて十分ほどのところだ。王都の中心の王城から見れば、南の端の方である。

時間は深夜。昼間の喧騒はどこへやら、町の明かりは消え、ほとんどの家が眠りについている。幸いにも今夜は満月で、まったく道が見えないということはない。

「俺も早く帰って寝よ……」

町の本通りを歩いていたガムだが、進路を変え路地へと入った。路地はさらに暗く、材木や燃料缶などのがらくたが散らかっていた。

クロノス王国の治安は、上流層はともかく下町はお世辞にもいいとは言えない。ひったくり、窃盗、強盗が起こるのはたいてい路地である。野犬が住み着いたり、ネズミなどの害獣もいるため、一般人はわざわざ入ろうとはしない。昼間でも犯罪が起きるくらいなのだから、夜なら尚更である。

しかしガムの耳は捉えていた。路地の奥深くで鳴る、ジャラジャラという金属音を。

「出て来いよ。いるんだろ?」

じゃら……じゃら……。

金属を引きずるような音が路地の奥からガムに近づいてくる。

じゃら……じゃら……。

その音は徐々に大きくなっていき、やがて民家の陰から音の主の姿が現れた。

ちょうど月明かりに照らされたその姿は、全身が黒いフードに覆われていた。まるで黒い影のようだ。その背丈は十代半ばくらいのものだ。フードを目深にかぶっているためその顔は窺い知れなかったが、両腕の袖の部分からは鎖が地面まで垂れ下がっていた。どうやらこれが金属音の正体のようだ。

「こんな深夜に何してる?」

「…………」

黒い影は答えない。

「お前が今王都で噂になってるジャラジャラ野郎か?」

「…………」

黒い影は答えない。

「お前を見つけといてなんだけど、おとなしく帰ってくれないか? 騒ぎになるのもしょうもないし、俺も早く帰って寝たいし」

「……お前は、帰さない」

黒い影がしゃべった。それは少年のような、少女のような、中性的な声だった。

「ん? 俺に用なのか? 依頼ならまた日が明けてから願いたいんだが」

おどけたようにガム。

「……依頼? そうだな……」

一呼吸置いて、黒い影が言葉を発す。


お前の命を、置いていけ!


言葉と同時に、黒い影がガムに飛びかかった。

黒い影は右腕の鎖を横薙ぎにガムに振りかざす。

「いきなりかよ……!」

全身をかがめながら前方に走り鎖を回避する。じゃらんっ、という音とともにガムの頭上を鎖が通り抜けた。ガムは走りつつ、路地の脇にある、小ぶりな角材を手にした。

ガムが後ろを振り向く。黒い影は既に右手を振りかぶっており、そのまま地面に叩きつける勢いでガムに鎖を振りかざす。

ガムは手にした角材で鎖を受ける。じゃらじゃらと鎖が角材に巻き付く。

ガムはすぐさま角材ごと黒い影をぶん投げた。黒い影は路地の奥に投げ飛ばされ、背中から地面に落下する。

「……っく!」

黒い影から小さなうめき声が漏れる。

「酔ってるから激しい運動はしたくないんだが。なあ、お前さん。目的はなんだ?」

「…………」

「まだだんまりか」

黒い影は立ち上がり、再びガムに向かって駆け出した。そして地を蹴り、民家の壁へと跳ぶ。さらにそこから反対の民家の壁へ跳ぶ。次々と壁から壁を跳ね回り、鎖でガムを攻撃する。ガムはその動きを捉えきれず、両腕で頭を防御する。じゃらん、じゃらん、という音が響くたびに、ガムの腕に、体に鎖が打ち付けられる。打ち付けられた皮膚が赤く腫れ、出血する。

黒い影の動きは軽妙だ。機動力で相手を翻弄するのを得意としている。ヒットアンドアウェイで相手の疲弊を狙っているのだろう。だが、攻撃そのものは軽い。

「うらっ」

じゃらん、という音が頭上で鳴った直後、ガムは音の方に手を伸ばす。そしてそのまま黒い影に振りかざされた鎖を掴むと、黒い影ごと鎖を地面に叩きつけた。

「~~~~~~っ……!」

体を地面に引き落とされ、悶える黒い影。ガムはその姿を見下ろし、声をかけた。

「もうちょっと喋ってくれないか? お前が何をしたいのか俺にはわからん」

「……こ、ろす」

咳き込みながらフードの奥から声が発せられる。

「そりゃ物騒だ。でも俺を殺してもなんの得もないぞ? 貯金もないしその日暮らしだし。強盗するんならもっと金持ちを狙うんだな」

さらっと物騒なことを言うガム。

「……わたしは、お前を、ころす……!」

「ん? もしかして俺狙いなのか?」

「…………」

「酔ってるとこ狙うとか、お前なかなか手堅いな。チギリとは気が合うかもな」

それに殺されてやってもいいのは、あの不愛想なメイドくらいしかいないんだが。とガムが一人ごちる。

「どこの誰だか知らんが、やめとけ。見たところお前さんはまだ幼い。人殺しに身をやつすのは、さすがに俺でもおすすめできん」

ガムが言っているうちに、黒い影がゆらりと立ち上がる。肩で息をしているのが見て取れた。そして呟いた。

「お前を殺すことがわたしの全てだ」

言って、再び黒い影は民家の壁の間を縦横無尽に跳び交い始めた。じゃらん、じゃらんと鎖の音が深夜の路地に響き渡る。そして再びガムに振り下ろされる鎖の雨。ひとつ、ふたつとガムの体に傷が増えていく。

「……次は手加減できねえぞ」

先程と同様、黒い影の体を地面に叩きつけるために、防御しながらガムが鎖の音の方に集中する。


じゃらん


ガムは音のする方向に腕を伸ばし、鎖を掴んだ。そして鎖を振り下ろす。そのまま黒い影は地面に叩きつけられる。

はずだった。

ガムが掴んだ鎖に黒い影の体重が感じられない。

地面を見下ろせばそこに。

こちらにナイフを突き出す黒髪ツインテールの、下着姿の少女の姿があった。

しまった……!

鎖による攻撃はこのための布石か。

黒い影は鎖で攻撃を繰り出し、ガムに鎖の音をさんざん聞かせた。そして耳が鎖の音に慣れた頃に、ローブを脱ぎ捨てナイフによる攻撃に切り替えた。

裸同然の姿になっているのは衣擦れの音を最小限に抑えるためだろう。

予想外の攻撃に、ガムになす術はなかった。

ガムの喉にナイフの切っ先が迫る。


ここまでか……。ケイミ―の奴、悪い占いの時は外れるようにしろっての。


ガムが覚悟を決めた刹那。

がきぃん、と乾いた金属音がガムの目の前で響いた。

「何がどうなったらこんな凶運を引き当てられるんだい?」

チギリのレイピアが黒い影のナイフを弾き飛ばしていた。そしてチギリはそのまま素早く黒い影をうつ伏せの状態で組み敷き、両腕を後ろでにローブで縛り上げた。

「……助かった。すまない」

ガムが安堵のため息を漏らす。

「これが君の運命の人かい?」

皮肉たっぷりにチギリが言う。

「うわー腹立つ。やっぱ今のなし」

「ひとつ貸しだね。……さて、こいつの目的は……ってなんで裸!? しかも子供!?」

今初めて気づいたのか、チギリが狼狽する。裸の少女に上にまたがる王宮騎士、というのも相当な絵である。

「エウァに言いつけてやる」

意地悪そうに言うガム。ちなみにエウァとはチギリが現在付き合っている彼女である。

「ば、馬鹿言うな。これは君を助けるためやむを得ずやったことだ」

「でも年端もいかない女を裸にして組み敷くっていうのは男としてどうかと」

「言い方がおかしい。まるで僕がこの子を押し倒すのが目的だったみたいに言うな」

「いや、でも裸の少女に跨るのはいくらなんでもやりすぎかと」

ガムがチギリをからかっていると

「はだかはだかっていうな! うー……!」

チギリの下から小さな叫びが聞こえた。ガムがしゃがみ、少女の顔を覗き込む。路地の隙間の月明かりに照らされたその顔は肌が白く、吊り上がり気味の目に大きな瞳、まつ毛も長い。鼻は小ぶりだが形が良く、唇は薄桃色でつやがあった。全体的に愛らしい顔立ちをしている。

「ガムの知ってる子?」

「いや、知らん」

チギリの質問に答えるガム。

「お前は知らなくっても、わたしはお前を許さない!」

「って言ってるけど、ほんとに知らないの」

「……ああ」

ガムが少女の言葉に困惑する。

「まず、お前は誰だ?」

ガムが少女に尋ねる。

「……わたしはサキ。お前に父親を殺された」

『え?』

「とぼけるな。お前はわたしのお父さんを殺したんだ!」

ガムはしばらく思案顔をし、サキに尋ねる。

「二、三質問させてくれ。お前の出身はどこだ?」

「……どこって、クロノスよ」

「お前の父親は軍人か?」

「……いいえ。大工をやってたわ」

「不謹慎なことを聞くが、お前の父親が亡くなったのはいつだ?」

「……三年前」

「じゃあ、人違いだな。俺は昔宮廷騎士団に所属していたが、殺したのは敵の軍人だけだ。そして俺は騎士団を三年前には辞めている。その後傭兵をしているが、民間人を殺したことはない」

ガムはきっぱりと言う。そしてチギリもサキに言う。

「初めて会った君に言うのもなんだけど、傭兵っていってもガムは一般人を手にかけるような人間じゃない。それは僕が保証するよ」

「……そんなこと、信じられるもんか!」

「差支えなければ、君のお父さんが亡くなった時のことを聞かせてくれないかな」

「……………………」

サキが沈痛な表情を浮かべる。

「無理にとは言わない。でもこのままだと僕は君を傷害の現行犯で警察に突き出さなきゃならなくなる」

「……いいわよ。話すわよ」

チギリはサキを地面に座らせた。もちろん両腕は後ろで縛ったままで。そして彼女はぽつぽつと語り始めた。

「……三年前、お父さん、クイド・ベネットは大工仕事で民家の建築をしてたの。その日民家は完成して、お父さんはお給料をもらった。その夜、帰り道に強盗に襲われたの。お父さんは抵抗したけど、持っていた金づちを強盗に奪われて、それで頭をやられて……。夜だったから、犯行を見ていた人は少なかった。けど証言では犯人は黒髪の大柄な男だったって……」

「特徴は合ってるね」

「やめろ。俺を見るな」

構わず、サキは続ける。

「お父さんが死んでから、家を支えるためにお母さんが働きに出たわ。でもお仕事といったら石炭堀りや石運びっていう、つらいものしかなかった。半年もしないうちに、お母さんは過労と、お父さんを失ったさびしさでおかしくなっちゃった。今はそういう人の施設に入ってるわ」

ガムとチギリは何も言えなかった。

「わたしは犯人を恨んだわ。わたしのかけがえのない家族を奪った犯人を。だからこの三年間、犯人を捜してとことん調べまわったわ。そして犯人の正体がわかったの。それが、あなたよ!

ガム・ヴォーテン!!」

「……………?」

「……………?」

ガムとチギリがきょとんとする。

「だからお前が犯人よ、ガム・ヴォーテン!」

「……………」

「……………」

再び沈黙する二人。

「っな、何よ! 言い訳があるんだったら言いなさいよ! でも、どんなやむを得ない事情があったって、絶対わたしはお前を許さないから!」

ガムとチギリはサキに聞こえないように小声で話し始めた。

「……どうするガム。黙っとくか……?」

「……いや、ここは真実を伝えるべきだろう……」

「……でも三年だよ? それが全て水の泡に……」

「……ここで本当の事を隠してみろ。この先ずっと人生を浪費……」

「……じゃあ、真実を伝えるしか……」

「……ああ、それが本当の優しさだ……」

二人がひそひそ話をしているのに気を揉んだサキがいらいらする。

「ちょっと。なにこそこそしてんのよ! はっきり言いなさいよ!」

ガムとチギリがサキに向き直る。

「いいか、お前さん。正気を保つんだぞ」

「気を落とさないでくれ。君はまだ若い。いくらでもやり直しはきく」

親の仇とその親友の言葉に妙な優しさを感じ取るサキ。二人が彼女を見る目に、多少の哀れみが含まれているのは気のせいだろうか。

「な、なによ。今更失くすものなんてないわ。言いたいことがあるんなら言いなさい!」

一呼吸置いて二人が言う。

「俺は」

「彼は」


『ガム・ヴォータンだ』


……

………

放心した表情でサキが一言。

「…………ひとちがい?」

無言でガムとチギリが頷く。

サキは自身の気が遠くなるのを感じた。目の前の景色が全て視点の中央に収束していく。そしてこの三年の記憶が駆け巡った。殺された父。過労で倒れ、施設に送られた母。生きていくために泥水をすするような毎日。父の仇討ちのために修業した日々。犯人の捜査、エトセトラ、エトセトラ。

そして最後に訪れたのは目の前のガム・ヴォータンに対する申し訳なさだった。

わたしは勘違いで犯人とは全く関係ない人を殺そうとしてしまったのか?

それじゃあ、動機は異なれど、わたしの父を殺した犯人とやってることは一緒じゃないのか? この人を殺していたら、今隣にいるチギリという人間が悲しんだり、怒ったりしたんじゃないだろうか。わたしみたいに……。


◆◆◆


そして、現在に至る。

「本当にごめんなさい……」

土下座して、震えるような声でサキは呟いた。といっても、後ろ手で縛られているので、額が地面に擦り付けられている形になっている。

ガムは、後頭部を手で搔きながら、困ったような顔でサキを見下ろしていた。

その体はじっとりと汗が浮かんでいる。

「そんな理由で俺は殺されかかったってのか……。かなわんな」

ガムが呟く。

「……ごめんなさい」

サキは再び謝った。

しばらくすると相手に負けた悔しさと、路上で裸になっている羞恥心で顔から火が出そうだった。

しかし土下座しているので相手に今の自分の顔を見られていないことが唯一、サキとっては救いだった。今の顔を見られれば、たぶんこの先まともに生きてはいけないと思った。

チギリがガムに問いかける。

「ガム、どうする?」

「どうするって?」

「君を襲ったことに対してだよ。傷害の現行犯で警察に送ることもできるけど……」

ガムは数秒うーん、と腕組みして

「人違いだったんだろ? 別にいいよ」

と答えた。

「そう言うと思ったよ」

チギリがサキの両手を縛っていたロープをほどく。彼女は路面に座り直した。

「君の身の上は分かったけど、あんまり無茶はしないようにね」

「戦闘の腕は大したもんだ。でも仇討ちなんかじゃなくて別のことに活かせ」

そしてガムが傷ついた腕をさすりながら言った。

「達者でな」

呆然と見つめるサキを残して、二人はその場を後にした。


◆◆◆


その日の夜、ガムは夢を見た。遠い昔の夢を。

まだガムが故郷の村にいた頃。夢の中でガムは眠っていた。温かい布団の中で。

瞼の裏で感じる日差し。目が覚める前のまどろみの中、とんとんと、台所から包丁がまな板を叩く音が聞こえる。

ぐつぐつと、スープが煮える香りが鼻先をくすぐる。

ああ、もう朝だな。

母さんが朝ごはんを作ってる。

もうそろそろ起きて、父さんと母さんと朝ごはんを食べよう……。


そこでガムは目を覚ました。

……えらく懐かしい夢を見たな……。

そう思うと、目の端が濡れていることにガムは気づいた。

顔を手で拭い、ガムは朝食を摂るため、ベッドから起き上がった。そこで気付く。

台所から響くとんとん、という包丁がまな板を叩く音。そしてぐつぐつ、とスープが煮える香り。

「……?」

不審に思って寝室を出て、台所を覗くとそこには一人の少女がいた。

黒髪ツインテールの少女。上下黒の下着。その上に白いエプロン一枚という姿で。

間違いなく昨夜ガムを襲った少女、サキだった。

色々突っ込みたかったガムだが

「……何してる?」

とサキに問いかけた。サキは振り向かず

「もうすぐ朝ごはんだから」

とだけ答えた。そして何事もなかったのように調理を続ける。

「いや、なんでお前さんがここにいる」

「小さなことは気にしないで」

「いや気になるわ」

「見かけによらずちっさい男ね」

「話を逸らすな。内容次第では、今度こそ警察に突き出すぞ」

「…………………………」

サキが振り向き、持っていた包丁をガムに突きつける。

ガムは身構えたが、サキの顔を見るとなぜか真っ赤になって涙ぐんでいた。

「他に行くとこがないのっ!」

「……は?」

「だから、他に行くとこがないの! わたしほとんどみなしごだから!」

ガムは思い出した。サキの話によれば、彼女の父は殺され、母は精神病患者の施設送りになったと。

「今まではどうしてたんだ?」

「……師匠と一緒に暮らしてた」

「じゃあ、その師匠とやらのところに」

「帰れないの! 師匠とは喧嘩して出てきたから! だからここに来るしかなかったの!」

「無茶苦茶だな」

「わかってるわよ。だから朝ごはん作ったげてんじゃない!」

「意味がわからん。だいたい、お前さんが俺の立場だったら、自分を殺そうした人間の面倒を見ようと思うのか?」

「そんなの御免だわ」

「そうだろ?」

「そこをなんとかしなさいお願いします!」

言って、包丁を床に置き、サキは土下座する。朝日に照らされたむき出しの背中と尻がやけに白く見える。

「土下座すれば自分の意見が通るってわけじゃねえ。出てけ」

サキは顔を上げ

「う~~……どうしても、だめ?」

とガムを見つめる。

「だめだ。話にならん」

サキはおもむろにエプロンを脱いだ。そしてガムにすり寄り、彼の胸に両手を置き、上目遣いで見つめる。

「こんなに若い肉体を好きにできるのよ? それでも不満?」

言って、サキは小さな胸をガムに押し付ける。

「アホなこと言ってんじゃねえ。どこで覚えたそんなセリフ。俺はあの金髪逆玉ロリコン野郎とは違う。グラマーなお姉ちゃんにしか興味ねえんだ」

ガムがサキの頬をつねり上げる。どうやら本気で怒っているようだ。

「いだだだ、ごめんなさい~~~調子に乗りました~~」

ガムがサキの頬から手を離し、サキは一歩下がった。そしてぽつりと言葉を漏らす。

「…………わたし、本当に行くところがないの」

「それはさっき聞いた」

「お母さんが施設に送られた後、わたしは一人で生きていかなきゃならなくなった。親戚もいなかったし。でも、学問も教養もない子供のわたしが働けるようなとこなんてなかった。家も借り物だったからすぐに追い出された。それでも生きていかなきゃならないから、路上や草むらで寝起きして、食べ物はごみ箱から漁って凌いでた。でも、寝床もごみ箱も、わたしと同じような人たちの縄張りがあって、すぐに追いやられたわ」

「…………」

そうなのだ。この国では庶民が一度普通の生活から脱落すると、這い上がれることはほぼ不可能だ。福祉に回すべき税金は全て貴族や領主が持っていく。そして彼らは庶民のことなど替えの利く部品くらいにしか思っていない。役に立たなくなった歯車はすぐに捨てられる。サキに限らず、ガムだって同じことだ。

「飢えて死にそうだったけど、わたしはお父さんを殺した犯人に復讐するまでは絶対死ねなかった。鼠や雑草食べて、泥水すすってなんとか命をつないだわ。でも、それにも限界が来て、いよいよ孤児院に連れて行かれそうになった」

孤児院行き。それは社会的な死を意味する。孤児院が孤児を保護するというのは建前で、ほとんど強制労働施設のようなものである。過酷な労働。最低限の食事。不衛生な環境。その過程で病気にかかっても医者に診てもらい、薬をもらえることなどまずない。死んだらそれまで。使い捨てだ。

この国では孤児には二つの道しかない。

飢えて路上で死ぬか。過酷な労働の末に孤児院で死ぬか。

「そんなわたしを救ってくれたのが師匠だった。空腹と疲労で意識が朦朧としていたわたしを、師匠は自分の家に連れて行ってくれたの。わたしに食事と寝床、そして暗殺術を与えてくれたわ」

「暗殺術て」

どんな師匠だ。もっと先に教えなくちゃならないことがあるだろう。

「今わたしがこうして生きていられるのは、全部師匠のおかげなの」

「師匠がどんな人間かは知らんが、なんでお前さんは喧嘩したんだ」

「復讐するのはまだ早いって。わたしは師匠の教えを全て習得したから、もう実力は十分だと思ったの。師匠に『今出て行ったら破門だ』って言われたんだけど、犯人に目星がついたら、居ても立ってもいられなくなっちゃって……」

「お前さんが先走っちまったってわけか」

「うん」

「師匠はお前さんの命の恩人なんだろ? なら言いつけは守るのが筋なんじゃないか?」

「でも、わたしの気持ちも考えてよ。お父さんの仇をとるために泥水すすって生きてきたんだよ? 殺せるときに殺しとかないと」

平然と言うサキ。ガムはサキの言動に危うさを覚えた。今の若者って、買える時に買っとかないと、みたいな感覚で殺すとか言っちゃうの?

「やめとけよ仇討ちなんて。くだらねえ」

「……くだらない、ですって?」

「ああ、くだらねえ」

その言葉に、サキの全身がわなわなと震える。

「わたしのお父さんの命を奪って、お母さんをぼろぼろにした奴を殺すことの、何がくだらないって言うのよ!!」

サキが激高する。

「普通に暮らしてたわたし達の幸せを奪った奴が今ものうのうと生きているなんて、わたしは絶対に許さない! お父さんの無念を晴らすためにも、絶対にわたしは犯人を惨たらしく殺す!」

「それがお前さんの父親のためだと?」

「ええ。そうしなきゃ、お父さんは安らかに眠れないわ」

「それは、お前さんの思い込みじゃないのか?」

「そんなことない! お父さんだって犯人を憎んでいるに違いないわ!」

ガムは大きくため息をつく。

「あのな、よく聞け」

「……なによ」

「死んだ人間は何も思わない」

「!」

「復讐なんてのは自分のためにやるもんだ。仮にお前さんが復讐を果たしたとしても、得られるのは自己満足だけさ。その後には何も残らん」

「あ、あなたにわたしの何がわかるって言うのよ!?」

「わからん。お前さんとは昨日会ったばかりだ」

「じゃあ、偉そうなこと言わないでよ!」

「別に偉ぶってるわけじゃない。ただ、俺は昔、故郷を滅ぼされて家族を失ってる」

「…………え?」

ガムはぽつぽつと語った。

十歳の頃に彼の故郷のサンネア村が隣国ジョゴウの侵攻を受けたこと。村人はガムとチギリを除いてほぼ皆殺しにされたこと。そして滅ぼされた理由は、サンネア村がジョゴウの侵攻ルート上にあり、気まぐれの略奪だけのためだったこと。

「な? 理不尽だろ?」

なんでもないことのように、財布を落としただけのことのように、ガムは言う。

「………………」

聞いていたサキが、ぽろぽろと涙を流し始めた。

「……なんでお前さんが泣くんだ」

「……っ……だって、あなたが、とても、悲しそうだから……」

「あーあ、女の子を泣かしちまった。これじゃチギリのことをとやかく言えねえな」

おどけるガム。

「あなたは、悔しくないの? 憎くないの? あなたの大切な村を壊されて。あなたの大切な家族を殺されて」

「そりゃあ悔しかったし、憎かったさ。復讐だって考えた。だけど、俺一人じゃどうにもならないし、何より復讐を果たしたところで新たな憎しみを生む。キリがないんだ。だったら、自分がどうやったら楽しく暮らせるかを考えたほうがいい」

「わからないよ……! わたしの憎しみは犯人に復讐することでしか消せないんだよ! それに、お父さんが殺されて、お母さんはぼろぼろになったのに、わたしだけが楽しく暮らしなんかしたら、わたしはきっとお父さんとお母さんに怒られる……!」

「ばーか」

ガムはそう言って、サキの頭にぽん、と手を置く。

「そんなんでお前さんの両親は怒らねえよ。子供の幸せを願わない親がいるもんか」

そのままわしわしとサキの頭を撫でる。

サキは肩をふるふると震わせてしばらく黙りこくっていた。そして

「……っうっ、っうぅうわあああああああああああああああぁぁぁあぁぁあぁぁ………!」

と、今まで張りつめていたものが緩んだのか、サキは大粒の涙を流して泣いた。


◆◆◆


「ガム、お願いがあるんだけど」

「いきなり呼び捨てかよ。スープ飲んだら帰れよ」

テーブルをはさみ、サキが作ったスープを飲む二人。先ほど延々泣いたため、サキの目の周りは少し腫れている。

「わたしをここで使ってほしいの」

「ん? どういうことだ?」

「あなたは傭兵業をやっているんでしょう? なら、わたしをあなたの助手にして」

「何を唐突に」

「あなた、昨日言ったでしょ? わたしの腕を別のことに活かせって」

「そんなこと言ったっけか」

「ええ。言ったわ」

頷くサキ。

「師匠から見ても、わたしの暗殺術はかなりの腕前らしいの。一晩考えたけど、わたしはこの力を他にどうやって使っていいかわからない。だから、あなたに教えてほしいの。わたしの力の使い方を」

「そんなのお前さんの師匠に頼めよ」

「だめよ。わたしの師匠は社会人としては失格だもの。曲がりなりにもあなたは傭兵としてそこそこ信頼されてる」

ガムを父の仇と思い、ガムのことをある程度は調べたのだろう。それにしても弟子に社会人失格と言われる師匠というのもどうなのだろう。躾がなってない。

「そこそこは余計だ」

「あなたの元で働けば、わたしはわたしの力の使い方を見つけられる気がするの。戦闘に関してはあなたの足を引っ張ったりはしないはずよ? どう?」

「どうって言われてもなあ……」

このままサキを追い出しても、行くところがないという。こいつの言う『師匠』とやらがどんな人間かはわからない以上、あてにもできない。それに今は落ち着いているが、仇に対する復讐心が、再びいつ燃え上がるかもわからない。それならしばらくは目の届くところに置いておいたほうが安心か……。

ってなんで縁もゆかりもない小娘の行く末の心配を俺がせにゃならんのだ……。

ガムが色々考えて

「社会人としては、態度がなってないんじゃないか?」

と言った。その言葉にしばらく思案した後、サキは背を正して

「わたしを、あなたの元で働かせて下さい」

とお辞儀をした。

「よろしい」

こうして二人の共同生活が始まった。


                    ―――勘違いは殺しの後で―――END

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