12話 掴め優良物件。あるジプシーの婿探し。
「そりゃ、二人ともに決まってるやん」
クロノス南地区の居酒屋『鯛の釣り針亭』の一席にて。
ウチは向かいに座る黒髪ツンツンのガタイがよく、タッパがある男の問いにそう答えた。彼の名前はガムゆうて、この近所で傭兵事務所を経営しとる。事務所ゆうても所長一人、助手一人の小さい所帯や。
「欲張りだな、お前は」
やれやれと言った顔でガムやんがゆう。
ウチの名前はイーダ。ジプシーの出や。外見はブロンドにひっつめのポニーテールに褐色の肌、身長は女にしては高い方。体にフィットした革のジャケットとパンツを身につけている。
体型はグラマーな方や思う。
ついこないだまで、クロノス王国の転覆を目論む組織に所属しとったけど、
せやけど、ジプシーがクロノスで商売しよう思うても、一筋縄じゃいかん。
自国民にしか許可証を発行せんからな。
そこで、クロノスの商人と結婚して、国籍を手に入れてから商売しようゆうことになった。
ガムはその仲介を買って出てくれて、デートの話を持ってきてくれた。
その中身は「二人、独身の男がいるがどちらと会ってみたいか」っちゅうことやった。
その返事が最初のセリフや。
そら当然やろ?
二人を比べて条件のいい方を選ぶんが賢い選択っちゅうもんや。
それを欲張り、ゆうんは人聞きの悪い。
「ガムやんだって、グラマーなベッピンとグラマーなブスが会いたい、ったゅうてきたら、どうするん?」
「そんなのグラマーなベッピンに決まってんだろ? グラマーだったら誰にでも食い付くみたいに言うな」
「
こほんと咳払いをする。
「ガムやんだって、ベッピンな女とグラマーな女が会いたい、っちゅうてきたらどうするん?」
「そりゃ、とりあえず両方と会う」
「やろ?」
ゆうて、セイリュウハゼのフリッターをフォークで突き刺し、口に放り込む。
ガムやんの紹介してくれた男は以下の通り。
一人はエンデルクっちゅう二十八歳の不動産屋。家柄も良う、業績は右肩上がり。趣味は乗馬っちゅうことや。
もう一人はマリオーニっちゅう二十四歳の青果問屋。一般の家の出身。業績はそこそこ。趣味は散歩っちゅうことや。
そんだけ聞くと、エンデルクの方が商人としては成功してるし、先行きも安定しとるように思える。
でも、実際に会ってみてどんな人柄なんかを見極める方が大事や思う。
これからずっと一緒にやっていくパートナーになるわけやし。
ただ、一つ気になる点がある。
「その二人、ようジプシーのウチと会ってくれる気になったな。そこは大丈夫やの?」
「ああ、お前の素性は伝えてある。あの組織に属していたことはもちろん除いてだが」
「おおきに。助かるわ」
「別にお前のためじゃねえ。こないだの依頼で貰い損ねた二十万、返してもらわなきゃならんからな。お前の商人としての稼ぎで」
「ちっ。覚えとったか」
「忘れるかよ」
こないだ、ガムやんには熊退治の依頼を頼んだことがあるが、ウチは報酬額を盛って依頼した。その時のツケがまだ支払えとらんのや。
普通に考えれば詐欺で捕まるんやけど、ガムやんは猶予をくれた。『商人になった稼ぎで返すこと』と。
ホンマお人好しやな、と思う。
そんなに期待されとるんなら、こっちも応えなあかんってもんや。さっさとええ男捕まえて、商売始めたるっちゅうねん。
「なんか、前会った時より元気そうだな」
「さよか? まあ、色々あったしな。そうそう、サキちゃんにお礼ゆうといてや」
「サキがなんかしたか?」
「……なんでもあらへん」
サキちゃんに猫のお守りをやった時の、はにかんだ笑顔が嬉しかった、っちゅうんはガムやんには内緒や。
なんや癪やし。
「そういえば、熊退治した時の髪飾りはどうしたんだ?」
「もちろんキリちゃんに返したわ。そんでや、キリちゃん目え見開いた思たらウチに無言で抱きついてきたわ。こっちが面食らったっちゅうねん」
無表情が服を着て歩いとるような子ぉやから、びっくりしたわ。
ちなみにキリちゃんゆうんは、かつてウチが属していた組織の頭の侍従や。
「そりゃ意外だ」
「せやろ? ちなみにガムやんに手伝ってもろたとは言うてへんで。すまんけど」
「ああ、その方がいい」
キリちゃんの主はガムやんが手にかけたから、その関係は複雑や。
まあ、ウチのツレでもあったんやけど。
「そういや、ガムやんはキリちゃん訪ねて屋敷に行ったんやって?
なんでなん?」
口に運ぼうとしていた鶏の手羽の照り焼きを持ったガムやんの動きがピタリと止まる。
「キリの奴が言ったのか?」
手羽を持った手をテーブルに下ろすガムやん。
「他におらへんやろ」
「そりゃそうか」
ふたたび手羽を口に運び、噛んで飲み下す。
「こんなこと言うのも変なんだが、あいつのことを知りたくなったんだ」
あいつっちゅうんは多分お嬢のことやろう。
ふうん、とウチは相槌を打つ。
「俺達はお互いをよく知らなかった。俺が聞いたのは『国家転覆を狙う組織が襲ってくるから、対象を護衛しろ』ってことだったからな。大義も報酬も十分なもんだったから、俺は任務を受けた。
襲いかかってくる敵を打ち払って……ってのはお前も知っての通りだ」
ガムやんとその一行は組織の人間を何人も殺した。そして
ガムやんに恨みがないっちゅうたらウソになるけど、無くなったもんはしゃあない。
「命のやり取りをした相手のことを知らんのも不実だと思ってな。キリに生前のあいつの話を聞きたかったんだ」
「ほんで、お嬢のことどう思ったん?」
ちなみにウチはその
「優しいやつだったよ」
それだけ言い、ジョッキに半分ほど残ったエールを飲み干し、おかわりをするガムやん。
ウエイトレス(ミニスカートのため生足が目につく)がジョッキを下げ、エールのおかわりを持ってくる。
再びジョッキに口をつけるガムやん。
「……惚れたんか?」
ウチの言葉に、ガムやんがエールを吹き出す。
「バカ言ってんじゃねえ!」
げほげほと咳き込んでいる。
「いや、けっこうマジメに言うてるんやで? 喋りはキッツいけど、べっぴんやしな。髪の毛もサラッサラや。あ、これはキリちゃんが世話しとったからか」
「いやいや。俺はグラマーな美人にしか興味ないんだ」
「お嬢は着やせするタイプや。脱いだら凄いんやで?」
「やめろ。死者に対する冒涜だ」
「ウチは付き合い長かったから、かめへんやろ。こうやってお嬢のこと話して忘れんことが供養や思とるし」
「それにしたって生々しいんだよ。
もっと他の話はないのか」
ウチは「んー」と逡巡してからゆうた。
「……下着へのこだわりが強い。見た目とは裏腹に、白のレースがお気に入りで」
「だからそういうのはいいっつってんだろうが!」
だんっ、とジョッキをテーブルに下ろすガムやん。
「冗談や」
「……ったく」
「なんや湿っぽうなっとったしな。
ウチの新しいスタートなんやから、明るういこうや」
「まあ、そうだな」
ジョッキを互いに軽くぶつける。
「そんで、いつ会いたい?」
デートの日取りやな。
「今週末にエンデルク、来週末にマリオーニの順で頼むわ」
「そんなに間隔が短くて大丈夫なのか?」
「人生は短いんやで? ガンガン行かな。
ガムやんに対して失礼かもしれんけど、もしかしたらどっちも外れかもしれん。そん時はまた別の男を紹介してもらわなやし」
「おいおい、俺を誰だと思ってるんだ? 今まで何百人の依頼人と会ってきたと思ってる。人を見る目にゃ自信があるぜ?」
「そうかもしれん。やけど、仕事やのおて男と女の問題や。仕事以上に相性が大事やろ?」
「む、確かに」
ぐびりとエールを口に含むガムやん。
「主に体の相性やな」
再び盛大にエールを吹き出すガムやん。げほげほと咳き込む。
「祝勝のエールかけにはまだ早いわ」
「お前がバカなこと言うからだろうが……!」
「いやいや、至ってマジメや。
いくら気が合っても夜の生活が合わんと、険悪になる夫婦は多いんや。すると不倫に走るようになる。そうなったらウチにとっては致命的や。本来の目的が果たせんようになる」
「説得力があるんだかないんだか」
「まあウチはジプシーやから、周りに結婚した夫婦の例なんかあんまりおらんから知らんけど」
「じゃあさっきの発言はなんだったんだ」
「お嬢の雑談や。『イーダ。男女の恋愛では相思相愛が理想というが、同等に体の相性が重要だ。女を満足させられん男はクズだと言うことだ』っちゅうてな」
「眉間にシワを寄せてこっちを睨みながらか言うな。トラウマが蘇る」
「意外やな。気にしとったんか?」
「俺も人の子だ。怖いものもあるし後悔もする」
「後悔っちゅうのはお嬢を手にかけたことか?」
「…………」
「結構繊細なんやな。でも、お嬢はガムやんのこと恨んでない思うで」
「そんなことないだろ」
「なんちゅうか、スケールのでかい子ぉやったからな。相手取ってるのがガムやん
「それはそれでムカつくな」
……お嬢に認められたかったんやろか?
「まあ、お嬢の目に敵う男なんてそうおらんて」
「……というか、あいつは男と付き合ったことがあったのか?」
「ウチの聞いた限りあらへん。お嬢の色恋の話は恋愛小説の受け売りや」
「単なる耳年増かよ」
「せやけどあの剣幕で語られると不思議と説得力が感じられるんや。まあ、男性経験はあらへんかったよぉやけど」
「聞きたくない聞きたくない……。
ていうか、お前の方はどうなんだよ。恋愛経験ってあるのか? ジプシーの恋愛事情って想像がつかんのだが」
「そら、ウチかて人並みに惚れたり惚れられたりするわ。ジプシーはあっちこっちの町をふらふらしとるからな、旅先で男を作るんや。
ゆうても、また旅に出るさかい、ごく短い付き合いやけど。その間に恋を燃え上がらせるんや」
「つまりそれは……そういうことか?」
「そういうことや。ウチ、床上手や で? 試してみるか?」
ガムやんのエールを飲む手が止まる。さすがに今度は吹き出さなかった。
「そういうのはいいっつってんだろ」
「ガムやんの体、めっちゃウチのタイプやねん。タッパあって筋肉質で。おまけにタフやろ? 絶対気持ちようなれる思うねん。
女としてどんだけ気持ちようなれるか試したいっちゅうのは正直ある」
「俺は依頼人とは寝ないんだよ」
「なんやそれ。ポリシー?」
「いや。防御策だ。依頼人と寝て廃業した同業者を何人も知ってるんでな」
「そうなん?」
「考えてもみろ。傭兵が複数人の女と関係を持つとする。そんだけの関係をもてる傭兵ってのは、女を魅了する容貌と腕っぷしを持ってるってことだ。すると女達による取り合いが始まる。一転して事務所が修羅場と化す。そんな噂が漏れようもんなら、誰も依頼しに来ようとは思わんだろ?」
「せやな」
「わかってくれたか」
ガムやんがエールを口に含む。
「ウチはてっきり、お嬢に気兼ねしとんかと思うた」
ガムやんが三たびエールを吹いた。
「そんなこぼしてたらエールの神さんが怒るで」
「誰のせいだと思ってるんだ!」
ウチやろな。
「せやけど、ほんとのとこはどうやの。さっきからウチのことばっかりでつまらんわ。グラマー以外にもガムやんの好み聞きたいやん? お嬢のこと好きやったん?」
ガムやんはこほんと咳払いし
「……どっちかというと、タイプではある」
と呟いた。
この男こんな恥じらった顔も持ってたんか。
「それはどういうところやの?」
「色々あるが……、……目……だな。
最初に睨まれた時は恐ろしいと思ったが、あの純黒の瞳は妙な色気があった」
「体目当てにしてもえらいマニアックやな」
「違うっつの」
「最終的には体やろ? ウチは純愛なんてあるとは思ってへん。でもそれでええ思とる。気持ち良ければ全て良しや」
「そうだとしても、心の繋がりだって大事だろ」
「それがウチにはようわからへんねん。案外、ガムやんがお嬢に告白しとったら和解もありえたんかもな」
「立場的ににありえんだろ」
「煮え切らんなあ。敵じゃなかったら告白しとったんかいな」
「そんな仮定はもう成り立たん。全部が今更だ」
ふう、とため息をついて遠い目をするガムやん。惚れた女を手にかける心境はあに言わんやや。
っていかんいかん。ウチが湿っぽうなってどないすんねん。
「ところで、ガムやんは結婚せえへんの?」
わざとらしゅう話を変える。
「んー……特に考えてないな」
「なして?」
「特定の誰かと一生一緒に過ごすのが想像できん。たまに女と遊ぶくらいがちょうどいい」
「そんなモテんの?」
「失敬な」
そこに空のジョッキを回収しにきたウエイトレスがやってきた。彼女にガムやんが話しかける。
「なあ、デイジー。いかに俺がモテるかを教えてやってくれ」
声をかけられたウエイトレス、デイジーちゃんがウチに向き直る。
「ガムはすごいのよ?
長身、筋肉質、腕っぷしも立つし度胸もある。頭の切り替えも速い。これだけ揃ってるんだからモテないわけがない!」
そして胸を張って言う。
「ちっさい黒髪ツインテの女の子に!
しかも同棲してるしね!」
じゃあね、とそそくさカウンターに引っ込むデイジーちゃん。
「ホンマにモテるんやな、ガムやん」
「……あいつ覚えてろよ」
目付き悪ぅ……。引くわー。
「黒髪ツインテってサキちゃんか?
一緒に住んどるん?」
「ったく、サキは居候してるだけだっつうの」
「クロノスでそれは犯罪にならんの?」
「ジプシーの法では犯罪なのかよ!」
「そんなわけあらへんやん」
「じゃあなぜ聞いた」
目ぇ座ってるガムやん怖ぁ。
「それで犯罪になるんだったらチギリはとっくにブタ箱行きだぜ……」
「なして?」
「十三歳の少女と付き合っているからだ」
「はぁ!?」
ウチは思わずテーブルに手をつき立ち上がる。一瞬静まる店内。周りの客に注目を浴びる。
あたりをキョロキョロ見回し、バツが悪うなってゆっくり椅子に腰を下ろしす。ほどなくして店内に元の賑やかさが戻る。
「……どういうことやの?」
ウチは小声で尋ねる。
ダーリンが、あの不器用でカタブツそうなイケメンが女に手を出すとは思っとらんかったからたまげた。
「だから十三歳の少女と付き合ってんだよ。結婚を前提に」
「その女の子って誰やの」
「お前も会ったことあるやつだ。
ほら、いただろ? 俺ら三人で旅してる時にいた女の子が」
ウチは言われて思い出す。くりくりおめめにゆるふわウェーブの銀髪。白い法衣。負けん気の強い言動……。
「あの女か!」
ぎりぃ、と無意識に歯をくいしばる。
「あの女て」
「え〜〜〜なんでなん……?
ダーリンはあんなチンチクリンがええの?」
「お前チギリのこと好きだったのか?」
「当たり前やん。ガムやんの一万倍好きやで。敵対しとったから手ェ出せんかっただけで、いつか押し倒したろう思っとったのに」
「さっき俺と寝てみたい的な発言は何だったんだ」
「それはそれ、これはこれや。ダーリンの体でなら一晩中でも快楽に溺れられるわ。ごっつい期待しとったのになんであの女やの……」
「向こうから熱烈なアタックがあったんだよ。ていうか、熊退治の時にお前に同情した俺の気持ちを返せ」
「そんなにウチのこと好きやったんか?」
「違う」
「ほな体目当てか」
「全然違う。
お前ほんとにやりたいこと何もなくなってたのかよ。欲望まみれじゃねえか」
確かにゆうとった気がする。しかし商売を始めよう思たら、生きる気力が湧いてきたんも事実や。
「ガムやんに感謝せなな」
「なんだよ。気味悪い。
……まあ、元気が出たんなら良かったよ」
ウチはおおきに、とガムやんのジョッキに自分のジョッキを軽くかちん、と当てた。
◼︎◼︎◼︎
週末。昼下がり。
ウチはエンデルクとの待ち合わせ場所であるセントラルの時計の下に向かっていた。セントラルとはクロノス王国の中心の広場のことや。
ウチの格好は白の半袖シャツに焦げ茶色の七分丈のパンツというラフなものやった。
髪はいつも通りのポニーテール。
男とデートっちゅうんは久しぶりやから少し緊張する。
まあ、これまでこんな風にして段取りを組んでデートしたことないから余計にそう感じる。いつもなら、ええ男見つけたらこっちから声かけて強引に連れて行く。
自分でゆうのもなんやけど、ウチは器量はええ方やし、成功率は高い方や。
ほどなくしてセントラルに着くと、時計台の下に、ある男が腕時計に目線を落として立っていた。
上下の白いスーツにオールバックに撫で付けた金髪。腕には金の時計。
ガムやんから聞いたエンデルクの特徴と一致する。
その男が顔を上げ、ウチに気付く。
すると男はこちらに歩み寄り
「貴方がイーダさんですか?」
と声を掛けてきた。
「せや」
とウチは返事をする。
すると男は黙って鷹揚に両腕を広げ
「ガムさんに聞いた通り、可憐な女性だ」
っちゅうた。初対面でえらい持ち上げるやん。女慣れしてる感じやわ。
その挨拶にウチが面食らっていると
「これは失礼。私はエンデルクと申します。貴女のことはガムさんから聞いています」
と深く頭を下げ、慇懃に礼をした。
「丁寧にどーも。ウチはイーダや。
今日はよろしゅうな、エンデルクさん」
ウチも軽く挨拶する。
「エンデルク、でいいですよ」
「ホンマに? 実は敬語苦手やから助かるわあ。じゃあ改めて、よろしゅうな、エンデルク」
「はい、こちらこそ」
と答え、彼は微笑んだ。
「さて、どないしよか」
ウチが行き先を促す。
「まず昼食をと思いましたが、先に寄りたいところがあるんですが」
「ええで、どこ?」
「まあ、付いてきてください」
行き先を答えないエンデルク。そのまま歩き出す。ウチも横に並んで歩き出した。
セントラルから西地区に向かってるようや。西地区の市街地は富裕層を狙った店がよーけ並んどる。
ブティック、宝飾、旅行鞄、靴、時計などなど。店のウインドウに飾っとる品々を見たら目が飛び出るような値段しとる。ウチには縁のないもんばっかりや。まあ、見る分にはタダやからええけど。
通りを歩く人間も身なりのええ奴ばっかりや。一目見るだけで生活に余裕があるんが分かる。そいつらはウチをジロジロ眺めてはすれ違っていく。
好奇の視線。
大きい街ではこれはどこでも一緒やな。自分達のコミュニティに異分子が混ざると怪訝に思う。肌がざわついて落ち着かんわ。
「どうですか? クロノスの一流の商品は?」
「高過ぎてぴんとこーへん」
「では、あちらのドレスなどはどうでしょう?」
彼が指差したんは高級ブティックのショーウィンドウやった。
そこには三着のドレスを着たマネキンが並んどる。
左には黄色、右には青、そんで真ん中には赤……っちゅうより真紅のドレスやった。
余計な装飾を削ぎ落としたような洗練されたデザイン。胸元が大きく開き、腰からサイドにかけて、鋭いスリットが入っている。
目線を下にやると床に置かれた値札が目に入る。
目玉が飛び出しそうやった。
あんなん、一生着る機会ないわ……。
ウチが呆然と眺めとると
「決まったようですね。では入りましょう」
と、エンデルクはウチの手を引き、高級ブティックに入った。
「えぇ?」
おかまいなしに店内を進む彼。
その彼を店長らしき男が迎えた。
黒髪オールバックで襟足の長い髪型。
長身で細身、白ワイシャツに黒のスラックス。羽織った黒いベストが印象的やった。鼻の下にはハの字のヒゲが生えとる。
その後ろには部下らしき女性が控えとった。ボブカットで前はぱっつん。上下黒のパンツスーツ。顔つきは鋭い印象やった。
エンデルクは店長らしき男に声をかける。
「やあ、ベッセル殿」
「いらっしゃいませ、エンデルク様。ご用件を伺いましょう」
恭しくエンデルクを迎えるベッセルと呼ばれた男。
「彼女にあのショーウインドウのドレスを」
と言い、エンデルクは先ほどの真紅のドレスを指差した。
「さすがお目が高い。お連れの女性にぴったりです」
ベッセルはそのマネキンを引き上げ、深紅のドレスを脱がす。
そしてドレスを小脇に抱え
「さあ、こちらへ」
とウチに店の奥の試着室へと促した。
「ちょ、なんなん?」
戸惑うウチにエンデルクは
「ベッセル殿に任せなさい。君は今から変身するんだ」
と言った。
試着室の前で、ベッセルがぱっつんの女性店員にドレスを渡す。
彼女は「ではこちらに」と試着室にウチと一緒に入り、扉を閉めた。
試着室にはウチとぱっつんの女2人きりや。
彼女はドレスを試着室内のハンガーにかける。
そして「失礼します」と言うとウチの服を脱がし始めた。
両脇腹から手を入れられ、胸、脇、肩を通してシャツをスルッと脱がされた。
そして目にも留まらぬ速さでズボン、ブラジャー、パンティをはぎとられ、ウチはあっちゅうまにすっぽんぽんになった。いつのまにかポニーテールにまとめていた髪留めも外され、髪を下ろした状態になっとった。
驚き、っちゅうより感心した。
世の中には人の服をこんなに素早く脱がせられる人間がおるんかと。
「どうぞ」
無感情に、ぱっつん女は上下の下着をウチに手渡した。
黒の、スタイリッシュなデザインのもんや。
ウチが着けとった下着はぱっつん女に取られてもうたから、それしか着る物はなかった。
しゃあないな。
パンティーとブラを着ける。
どちらも肌にフィットし、着心地は良かった。
次にぱっつん女から真紅のドレスを被せられ、これまたあっという間に着せられた。
このドレスも体にフィットする。
まるでウチのために仕立てられたようや。自惚れやけど。
鏡に自分を正面から映したり、背中を向けて頭だけ振り向き、背面を確認したりする。
自分で言うのも何やけど、めちゃ
ぱっつん女をみると、彼女はにこりと微笑み
「お似合いですよ」
と言った。
無愛想からその笑顔はズルいわ。
◾︎◾︎◾︎
試着室を出るなり、ドレスを着たウチをエンデルクがしげしげと眺めている。あんまり見つめられるとなんや気恥ずかしいんやけど……、とウチが戸惑っていると
「素晴らしい!」
と彼は快哉をあげた。
「びっくりするわ。何やの」
「自分で言っといてなんですが、ここまで美しくなるとは」
お世辞のバーゲンセールやな。
「いやいや。私は審美眼にかけては右に出るものはいないと自負してます。これならばミスコンに出ても優勝間違いなしです」
「……おおきに」
若干照れるわ。しかし、悪い気はせんのも事実や。
「今までこんな綺麗なドレスを着たことなかったから、嬉しいわ」
「気に入りましたか?」
「うん。ええ経験になったわ」
すると、エンデルクはベッセルに向き直り
「貰おう」
と言った。
「かしこまりました」
とベッセルが答える。
「ちょお待ちいや!」
ウチが止めるとエンデルクは
「どうしました?」
と、不思議そうに聞いてきた。
「なに買おうとしとるん!?」
「今、貴女が着ているドレスを」
「なにって、そうゆう意味ちゃうわ!
どうしてこのドレス買おうとしとるん、っちゅうてんねん!」
「これはまた不可思議なことを」
ウチのゆうとることが分からん、っちゅう感じで彼はきょとんとしとる。
まるでウチの方がアホの子みたいになっとる。彼はこほん、と咳払いし
「そのドレスは貴女を美しくする。それだけですよ」
っちゅうた。
「うっ、ううううっ、美しゅうって……!」
その言葉にウチは赤面する。顔から火が出そうや。正面からそんなん言われたんは初めてや。
何か言葉を発しようとしたが、口がぱくぱくするだけやった。
「美しいものには美しいものこそふさわしい。私の美学です」
そう言ってエンデルクはにこりとした。
ウチがまごまごしとるうちに彼は支払いを済ませてしまった。
小切手に書かれた0の数は、きっと一生忘れられんもんになるやろう。
▪️▪️▪️
ブティックを出て再び街を歩く。
通行人から注目を浴びるが、さっきとはぜんぜん印象が
物珍しさではなく見惚れるような、憧れの混じった視線を感じる。
ブティックに入る前の居心地の悪さはだいぶなくなったが、今度はこそばゆい。
「馬子にも衣装、っちゅうやつか」
ウチがぽそりと呟くと
「いえいえ。イーダさんが磨けば光る原石だった、という話ですよ」
抜け目なくエンデルクが返答した。
「せや、ウチがさっきまで着とった服はどうしたん?」
「店で処分するよう頼みましたよ。構わないでしょう?」
「……んー、まあ、ええけど」
これだけ高級なドレスを買ってもらっといて、着ていた服をほかされるんに文句を言う訳にはいかん。せやけど、勝手にほかすんはどうかと思う。
せめて一言欲しかった。
「これから、どこに行くん?」
隣を歩くエンデルクに問う。
「レストランでランチを予約しているので、参りましょう」
「せやな。腹も空いたし」
人通りの賑やかな通りをしばらく歩くと、立派な門構えの高層ビルにたどり着いた。
「着きました。入りましょう」
エンデルクが案内する。
ここ、市街区で一番背の高いホテルや。出入りが許されるのは富裕層の人間のみっちゅう噂や。
玄関前の両脇にはライオンの石像が二体。
玄関を抜けてロビーへ。
オールバックのホテルマンがウチらを出迎える。彼は恭しくお辞儀をした。
「ようこそエンデルク様」
彼はちらりとウチを見て
「本日も美しい女性をお連れで、羨ましい限りです」
と言った。
「おいおい。それじゃまるで私が女性を取っ替え引っ替えしてるようじゃないか」
「羨ましさからつい。失礼しました」
ホテルマンが頭を下げる。
「いや、いいんだ。
君、すまないが支配人を呼んでくれたまえ」
「かしこまりました」
エンデルクに答えるホテルマン。
彼はそのままロビーのカウンター奥に
引っ込む。
しばらくして坊主頭に近い短髪の男が現れた。長身でガタイもええ。
その表情は自身に満ち溢れていた。
特徴的なのは額の中央のホクロや。
彼はこちらに近寄り
「これはエンデルク様。いかがされました?」
と問うた。
エンデルクはロビーの片隅に佇む、先ほど出迎えたホテルマンを指し
「あのホテルマンをクビにしろ」
ったゅうた。
「……なにか粗相を?」
支配人が問う。
「あの男は女性の目の前で私に恥をかかせた。名誉毀損だ」
「ちょお、待ちいや!」
ウチは思わず声を上げた。
「ほんの挨拶みたいなもんやろ?
そんなんでクビにするて、アンタ正気か?」
「このホテルには私が出資している。あんな程度の低い人間を置いておくと、ホテルの評判が下がる。そうすれば売上が下がる。君にもわかるだろう?」
「そんなら、注意してやり直させるだけでええやんか。クビはやりすぎや」
ウチの言葉にエンデルクは眉根にしわを寄せた。
こんな高級なホテルに連れてきてもらっといてなんやけど、理不尽に人の居場所を奪うのは許せん。
支配人は数秒押し黙ったのち
「……どうか寛大な処置を望みます」
と言った。
「……今回だけだぞ。しっかり教育してくれたまえ」
ピシャリと言うエンデルクに、支配人は深々と頭を下げた。
「さあ、気を取り直して行きましょう」と言ってエンデルクがウチの手を引き、ロビーから続くレストランへと入って行った。
◾︎◾︎◾︎
「今日はおおきに。ごちそうさん」
夕方。デート後のセントラル。
エンデルクはウチを見送るために、付いてきてくれた。
昼間のホテルでの一件の後は順調だった。食事は一流、接客も一流。言うこと無しやった。いや、美味すぎるわ!とは言いたかった。
昼食の後は
「いえいえ、こちらこそ有意義な時間を過ごせました」
にこりとするエンデルク。
「また、お誘いしても?」
「もちろんや」
「それは光栄です」
「なんやカタいなあ、自分」
「仕事柄、人と付き合うとどうしても、ね」
苦笑いする彼。
「ではまた連絡しますね」
「ん、待ってるわ……。ところで、これ」
ウチはドレスをちらちらと見やる。
「ああ。先刻言った通り、差し上げますよ」
さらりと言う彼。
「いや、でもこんな高いもん……」
「いいんです。美しいドレスは着る者を選びます」
また歯の浮くようなセリフを。
「それと、どうか私の面子を守らせて下さい。デートした女性に送った物を突き返されたなどという噂が広がれば、男としての評判がガタ落ちです。助けると思って、どうか受け取ってください」
はあ、そんなもんやの?
「それじゃあ、恐縮やけどいただくわ」
「良かったです」
安堵するエンデルク。
「ほな、また」
「ええ。おやすみなさい」
うちらは別れ、帰路についた。
はあ、上流階級の男ゆうんは他とはちゃうなあ。ウチみたいなジプシーにも紳士的な扱いやったし。
今まで付き合うたどんな男とも似とらんかったわ。
むずがゆいこともぎょうさん言われたけど、不思議と悪い気はせんかった。
◾︎◾︎◾︎
翌週。昼過ぎ。ウチは再びセントラルに来ていた。
正午から一時間ほどが過ぎた。いまだに今日のデートの相手–––マリオーニやったっけ?–––は現れん。
最初のデートでこんなことあるんか?
ウチも含めてジプシーはわりと時間に対する感覚は緩い方ではあるが、デートで遅れるということはあんまりない。次の放浪に出るまでの限られた時間を無駄にしたくないからや。
ましてクロノス王国の人間は時間に厳しいと聞く。なんかあったんやろか。しかしレディーをこんだけ待たせるっちゅうのも失礼な話やで。
うちがイライラしながら待っていると、通りの向こうから一人の男が走ってこちらに向かってきた。
その男はウチの前で立ち止まるとうなだれ、ぜえぜえと肩で息をしながら
「ごめん、待った?」
っちゅうて、にこりとした。
「あんたがマリオーニか?」
「そう。はじめまして、イーダ」
人の良さそうな面持ちや。
茶髪、白の上下のスーツに、胸ポケットには赤いハンカチ。身長はウチよりちょっと低い。
「だいぶ待ったで。なんかあったん?」
彼はしばらく深呼吸してから息を整え
ると
「ここに来る途中で、倒れてるおばあちゃんを病院に連れて行ってたら遅くなっちゃって……」
とか言い出した。絶対ウソや。
「今時、そんなベタな言い訳通じるか! ウソならもっとマシなウソつきや」
「いや、ウソじゃないんだ……」
ウチはため息をつく。
「まあええわ。お腹空いたし、どっか美味しいごはん食べられるとこ連れてってや。それでチャラや」
「それなら任せて。僕はクロノス中のうまいレストランを知ってるから」
ほんまやろか。まあ、商人なんやから、そのへんの知識はウチよりずっと詳しんやろ。
「さあ、行こう」
っちゅうて、マリオーニはうちをエスコートし始めた。
◾︎◾︎◾︎
「おねえさーん、八宝菜とレバニラ追加で」
「はいよー」
注文するマリオーニとそれに答える女性店員。彼は女性店員を「おねーさん」言うたけど、彼女の年齢は五十手前や。恰幅の良い体格に黄ばんだエプロン、パーマがかった頭髪の上に
彼に連れてこられたのは下町の定食屋だった。テーブル席が三つ。十人も入れば満席になるこじんまりした店や。壁や天井には油が染み込んでおり、年季を感じさせる。しかしレバニラて。普通デートでは絶対頼まへんやろ。
「イーちゃんは普段なに食べてるの?」
「虫でも食うとるように見えるか?」
「カブトムシかクワガタなら食べてそう」
「……外殻が歯応えあって案外と美味…って、誰が食うか!」
「あはは、ノリいいね」
会って一時間せんうちにイーちゃん
っちゅうあだ名つけられた。どんだけ馴れ馴れしいねん。
「……肉を主に、って言いたいとこやけど、金ないから魚や。川で釣ったやつ」
「町の西の方?」
「そうや」
「じゃあ、今度北の方に行ってみるといいよ。比較的水が綺麗で水草や苔も豊富だから、魚がよく育ってる。セイリュウヤマメがお勧め。特に塩焼き」
「わかってんなぁ、ジブン。確かにセイリュウヤマメは塩焼きが最高や。放浪してる時にしょっちゅう釣ったけど、煮たり蒸したりより、焼きが一番や」
「レモンハーブで蒸し焼きにしてもいけるよ? ハーブの香りがヤマメに移って、香りは爽やか、身はほっこり」
「なにそれ、うまそ」
そこに女将が
「八宝菜とレバニラお待ちぃ」
と、注文した料理を持ってきた。
八宝菜は野菜が色鮮やか、レバニラの方は食欲をそそる香りと湯気が立っている。
さっきレバニラはない、っちゅうたんは取り消しや。
ウチは思わず生唾を飲み込む。
「先にどうぞ」
テーブル端の円筒形のフォーク立てから、マリオーニがウチにフォークを手渡す。
「じゃ、遠慮なく」
八宝菜をひと口。
「うまぁ」
野菜はシャキシャキと歯応えが良く、あんかけのダシがしっかりと染みている。
お次はレバニラ。フォークですくい取り、口にして運ぶ。もう、口に入れる前からニラの香りが鼻腔をくすぐる。
そして口に入れる。
「……ん〜〜〜〜っ!」
ニラの旨味とレバーのジューシーさが組み合わさって、美味い。舌が喜んどるんがわかる。レバーの臭みもええアクセントになっとる。
続けてレバニラを一口。これはフォークが止まらんわ。
「うまい?」
マリオーニの問いに無言でウチはうんうんと頷く。
「良かったねえ、マリオーニ」
厨房から女将がこちらを覗く。
「姐さんの腕がいいからね」
「なに言ってんだよ。あんたが持ってくる野菜のおかげさ」
「へへ」
得意そうにマリオーニ。
「マリオーニがこの店に野菜を卸しとるん?」
「ああ、そうだよ。気に入ってもらえたようで良かったよ」
「それでこの店に連れてきたんか」
「僕がどんなことしてるか知って欲しかったからね。まあ、僕は野菜を卸してるだけだから、料理が旨いのは農家さんと姐さんのおかげさ。ね?」
言って、女将にウインクするマリオー二。
「褒めたって何も出やしないよ?」
「ちぇ、失敗」
十年早いよ、と彼をあしらう女将。
「でもまあ、あんたがいい野菜仕入れてくれるから、客も喜んでくれる。料理のしがいがあるってもんよ」
女将の言葉に彼はへへ、とはにかんだ。
「じゃあ僕も」
言って、うちが食べてた皿にフォークを伸ばし、レバニラを取る彼。口に運ぶと
「やっぱうまいや」
と満足げや。
一緒の皿から食うんかい。
どおりで自分の分を頼まんかったんやな。
「二人で食べた方が得でしょ?」
彼がこっちを覗き込む。心を読むな。
まあ、ここの金は彼が出してくれる、ゆうから文句言えへんけど。
◾︎◾︎◾︎
夜。ある店の中。
まず目に飛び込んでくるのは煌びやかなシャンデリア。大理石の床と壁。間隔を開けて設置された十数のテーブルと幅の広いソファ。
接待を受けるには十分豪華な店や。
そのうちの一席に着くウチとマリオーニ。これから夕食っちゅうわけやけど、問題が二つ。
ウチらが座っとるソファにウチら以外の人間が五人座っとる。
そんでこっちに近寄ってきた女が
「はじめましてぇ。わたしぃ、シフォンっていいまーす。よろしくぅ」
と言って、ウチの隣に座った。
肩まで伸びる茶髪で前髪は目にかかっとる。肩の大きく開いた、膝下まで裾の伸びる濃紺のドレスを纏っている。やや痩せ過ぎの感があり、強風に煽られたら転びそうや。そしてやたらメイクが濃い。気弱そうな子ぉやわ。
って、ここ、キャバクラやないか!
「どないなっとんねん!?」
ウチはマリオーニに詰め寄る。
「シフォンちゃんは好みじゃなかった?」
「ウチはもうちょっとふっくらした娘の方が好み……ってアホか!」
「イーちゃんのそういうとこ好き」
「やかましいわ!」
ウチはマリオーニの襟首を掴む。
「どこの世界にデートで女をキャバクラに連れてくる男がおんねん!」
「夜の店はここ以外知らないんだよね」
「ウソつけ! セントラル付近でやってる店なんて腐るほどあるわ。お前の夕食って女って意味か!」
「まさか。それはサウスの方に、とっておきの店が」
「本気にすんなや!」
そうやって彼の襟首を掴んでぐわんぐわんと振り回していると
「まあまあ、イーちゃん。これでも飲んで」
と、シフォンちゃんがエールの注がれたグラスをウチの前に置いた。シュワシュワとグラスの底から小さな泡が湧き上がっている。
ウチはグラスを掴み上げ、ぐいと一息に飲み干す。
「叫びすぎて喉カラカラやったから、染みるわ〜。そんでもってエールと泡の比率もキレイなもんや」
「ふふ、イーダちゃんに喜んでもらえて良かった。デイジーに習った甲斐があったわ」
ウチの賛辞にシフォンちゃんはご満悦や。
「って、うおおおい! ついエール飲んでもうたやないか!」
ウチを見てマリオーニが
「シフォンちゃん、エールみんなの分を頼む」
と言った。彼女は
「喜んで」
と一礼して、席の近くに立っていたボーイにエールを持ってくるよう頼んだ。
「何お構いなしに進めとんねん!」
ウチがマリオーニに噛み付くと
「だって、まだみんなで乾杯してないよ? イーちゃんが先走るから。粗相だね」
と彼に窘められた。そして隣のベリーショートでサングラスをかけた男に
「ジェイクもそう思わない? 宴をするなら乾杯はみんなで揃ってだと」
同意を求めた。
ジェイクと呼ばれた男は
「……………………………………あぁ」
と小さく頷いた。
「はっきりしゃべれや!」
ウチが突っ込むとジェイクは
「………………………………」
と、ウチをちらりと見て俯いてしまった。
勝手に物事を進められるのも腹立つけど、これはこれでイライラする。
「まあまあイーちゃん。こいつはジェイク。僕の幼なじみなんだ。昔っから手先が器用で、今は鍵師をしてる。クロノスで家を建てるときは、ジェイクに鍵の設置を頼むと間違いないよ」
「いろんな意味でその可能性は低そうや……」
デートでキャバクラに連れてくる男との結婚なんてとてもやないけど考えられへんわ。ガムの面子を立てるためにもこの場は付き合うたるけども。
「それから、ジェイクの隣がリッキー。漁師だよ」
「イーちゃん、オッス」
見た目は二十代後半、褐色の肌、角刈り、鉢巻、筋骨隆々の男がにっかと笑顔を向ける。黒のスラックスにワイシャツっちゅう格好やが、ボタンが止まり切らんのか胸板がチラリと見える。
あかん、体めっちゃ好みや。
「よろしゅう」
自分でも語尾にハートマークが付いとるのがわかるわ。
「そんでリッキーの隣がマル。香の卸しをやってる」
「あなたがイーちゃん? はじめまして。マルです」
見た目は二十代前半、サラサラの黒髪ロング、和都の国の服(羽織りっちゅうやつや)を身につけた、線の細い男や。物腰が柔らこぉて、好感持てる。
「よろしゅう」
ウチはペコリと頭を下げる。
「そんで、その隣がリィン。刃物の研ぎ師をしてる」
「こんにちは、イーちゃん。今日は楽しく過ごそうね。わたし大きな仕事がひと段落したから、飲み明かしたい気分なの」
「こちらこそよろしゅう」
ちゅうか、イーちゃんイーちゃんって、どいつもこいつも初対面で馴れ馴れしいな。
「おまたせ、みんな」
そこにシフォンちゃんが背の高いグラスに入ったエールを運んできた。各々に手渡す。
「では」
こほんと咳払いし、マリオーニがグラス片手に立ち上がる。
「本日はみなさん、足下の悪い中……」
「結婚式の挨拶か!
しかも今日は晴天や!」
「はい、キレのいいツッコミをもらったところで、かんぱーい!」
『かんぱーい!』
全員でグラスをかちゃん、と合わせる。ちなみにウチは一歩出遅れた。
もしかしてこいつらいつもこんなノリなん?
◾︎◾︎◾︎
「……迫りくる巨熊にウチが自慢のハルバードを投げつけて、瓦礫の向こうに追いやったってわけや!」
「よっ!」
「さすがイーちゃん!」
「男前!」
「惚れた!」
ウチの熊退治の話に皆が拍手喝采やった。あの無口で陰気なジェイクまで、うんうんと頷いている。
最初は不安と戸惑いしかない夕食やったけど、酒が進めば宴会モードやった。
「で、そのガムって男とはどんな関係なの?」
シフォンちゃんがウチのグラスにエールを注ぎながら尋ねる。
「どんなて……ただの傭兵と依頼人やん」
「でもぉ、話を聞いてると、どこか信頼し合ってる感じするのよね」
さすが水商売してるだけあって鋭いな。
ガムやんはウチの仇敵や。刃を交えたことはないけど、人となり、腕っぷしの強さは知っとる。
ウチのツレを殺され、確かに憎んだし恨んだ。そして全てが虚しくなり、全部お終いにしよう思うた。
やけど、そんなウチに新しい道を示してくれたのもガムやんやった。
ウチらの関係を一言で言うのは難しい。
「まあ、男として悪くはないわ」
「それって、好きってこと?」
「好きとは
「けっこう距離が近い関係なのかしら?」
シフォンちゃん、めっちゃ突っ込んでくるやん。
「それは聞き捨てならないな」
そこにマリオーニが割って入る。
「あら、マリオ。妬いちゃった?」
返すシフォンちゃん。
「確かにガムさんは屈強な傭兵さ。
正面から戦っても僕じゃ勝てない。
でも、商売でなら負けないよ?」
「ふふ、そうね。ごめんなさい」
悪びれることなく微笑むシフォンちゃん。
「ところでマリオはイーちゃんのどこが好きなの?」
横からリィンちゃん。彼女の質問にマリオーニは眉をピクリとさせ
「もちろん顔と体さ」
と言いよった。
「直球すぎるやろ」
「同じ男としても引くぜ」
「女性は内面を褒めるのが吉ですよ?」
ウチの突っ込みにリッキーとマルが追従する。
「何言ってんのさ。
人は見た目が九割、いや十二割だよ?」
「溢れとるがな」
「僕は美しいと物は美しいと言うし、醜い物は醜いと言う。商売人は審美眼が命なんだ。」
「本心剥き出しで商売になるんか?」
「今はデートだからね」
っちゅうてからマリオーニが
「いや、キミの人生を買い受ける場だったよ」
と、キメ顔でゆうた。
「全然上手いこと言えてへんからな」
ウチは突っ込む。
「寒いでしょー? マリオはいつもこの調子なのよ。
ところでイーちゃんから見てマリオの印象はどう?」
リィンちゃんが尋ねる。
「アホやな。いい意味でも悪い意味でも」
会って初日の相手にこんな感想、普通やったら怒られる。
『それ正解』
全員がハモる。ただしジェイクはうんうんと頷いとるだけやったが。
「いやあ、それほどでも」
「なんでちょっと嬉しそうやねん」
「悪口言われるくらいイーちゃんと仲良くなれたと思って」
どんだけポジティブなん?
せやけど、マリオーニと喋ってて悪い気ぃはせえへん。アホなことばかり言いよるけど、こっちもつい本音が出てまう。
「ところで、イーちゃんってモテるでしょ?」
とマリオーニ。
「男に不自由したことはないで。っても、みんなで放浪しとったときの話やけど。旅から旅への根無し草やから、基本一夜限りの関係や。その分激しかったとは思うけど」
「あぁん。セクシー」
リィンちゃんが身をよじる。
「けど、一人になってからはさっぱりやな。男に興味がなくなってもうた」
「美人でスタイルいいのにもったいない。でも、じゃあなんでマリオとデートしようと思ったの?」
シフォンちゃんが尋ねる。
これ、正直に言うてええもんやろか。
ええい。ままよ。
「商売したいからや。クロノスで」
ウチの発言に周りがしぃんとする。
そしてマリオーニが顔を伏せ、重々しく口を開く。
「……イーちゃん、本人を目の前にしてそれは、いくらなんでも……」
やばい。怒らせてもうたか。
「賢すぎじゃない!?」
彼の顔がパッと輝く。
「天才ね!」
「俺も驚く一本釣り!」
「すでに貴女からは商売王の香りが漂っています」
「色仕掛けでも何でもしてさっさと落としてあげて!」
シフォンちゃん、リッキー、マル、リィンちゃんが続く。やはりジェイクはうんうんと頷いていた。
大絶賛やった。
「自分の目的のために最短の道を選択する選球眼……。まさに商才の塊。恐ろしい女……」
マリオーニが慄いとった。
そんな彼を尻目に、みんなは再び酒を飲み始め、ワイワイと喋り始める。
ちゅーか、みんなのマリオーニに対する評価低ない?
てんで得体のしれんジプシー女が、友達の嫁になってもええと思とんやろ か。
ウチは立ち上がる。
「イーちゃん、どうしたの?」
マリオーニが尋ねる。
「ちょお酔おた。外で風に当たってくるわ」
◾︎◾︎◾︎
店の外の玄関。半径三メートルほどの半円形に大理石が敷き詰められとる。その縁からは五段、階段が下っとる。その階段の一番上に腰を下ろす。
あたりを眺めると、大勢の人があっちゃこっちゃしとる。宵の街の喧騒。一人一人は無関係なのに、全員が等しく高揚しており、一つの部族を形成しとるようや。
ウチにとってはえらい昔に感じた記憶や。
「……はぁ」
ため息ひとつ。
「なんか寂しそ。どうしたの?」
頭上から声。そちらを見上げると、シフォンちゃんがウチを覗き込んどった。
「あー、ちょっと昔を思い出しとった」
「隣、いいかしら?」
ウチが返事をする前に、彼女は隣に腰掛けた。
「マリオのこと、どう思う?」
唐突に聞いてくる。
「どうって、さっきゆうた通りアホやなって」
「そうじゃなくて」
こちらを真剣に見つめてくる彼女。
「彼のこと好き?」
「……」
本気の質問やな。
これははぐらかせんな。
マリオーニはええやつやし、友達からも好かれとるようや。やけど男として好きかどうかっちゅうのはまだなんとも言えへん。ちゅうか、今日会ったばっかりや。
「私は彼が好き」
シフォンちゃんが突然告白する。
ウチは目を白黒させた。
「あっ、ごめんなさい。急にこんなこと言われても困るよね。
ええと、何から説明すればいいかしら」
慌てた様子の彼女。
「幼なじみなの。私とマリオ」
「そうなん?」
「ええ。
彼とは家が隣同士で、毎日のように遊んでたの。
お互い家は貧乏だったけど、楽しかったわ。
彼は小さい頃から好奇心旺盛で、色んなものに興味津々だったわ。
虫取り、魚取り、お絵描き、体操、水泳、植物の観察……数えたらキリがないわ。ああ、でも勉強はイマイチだったけど」
あかんやん。ウチも人のことは言えへんけど。
「でも、取り分け経済に熱心だったわ。ある日、私たちはシロツメクサの花冠を作ってたの。そうしたら通りすがりの大人の男性が『その花冠を僕にくれないか? もちろん代金は払う』って言うから、売ってあげたの。
マリオはその男性に『なんで花冠が欲しいの』って尋ねたわ。そうしたらその男性は『彼女にプレゼントを贈りたいけど、花屋で売っている花は派手すぎて彼女に似合わない。そのシロツメクサの素朴な可愛らしさが彼女にピッタリなんだ』って」
グッとくる話やん。
「その時、マリオは自分が作ったものが売れたのはもちろん、どんな物だろうが需要があれば売れる、ということに興味を持ったの。そこからね、彼が商人を目指し始めたのは」
どこに商売のヒントが落ちとるか、わからんもんやな。
さっき、マリオがあなたのどこが好きか尋ねられた時、彼、眉毛をピクっとさせたでしょ?」
そう言われれば、そんな仕草をしたような。
「あれはね、嘘ついてる時の印」
え、嘘だったん? 体には結構自信あるのに。
「あはは。そういう嘘じゃないわ。他に好きなところがあるっていうこと」
うーん。思いつかへんわ。
「夢を追う彼のキラキラした目は素敵だったわ。そして夢を叶えた彼も、ね。」
恍惚として遠くを眺めるシフォンちゃん。こっちが照れてまうわ。
でも
「好きな男が急に現れた女に取られるのは我慢ならん、ゆうことか?」
ウチは語気を強めて彼女に問う。
彼女はふるふると首を横に振る。
「……それは正直、わたしだって、女だもの。でも、ううん。そうじゃないの。イーちゃん……いえ、イーダさん」
裾を正し、ウチを見つめる彼女。
「私は彼とは一緒になれない。私には病気の母がいるの。母を看病するためにはたくさんのお金が必要。
水商売は苦手だけど、稼ぎがいいから……。
私が彼と一緒になれば、彼の夢の枷になるわ。彼にはいつまでもキラキラしていて欲しいから」
「……」
「それにね。私にとってもいいきっかけになると思うの」
きっかけって、なんの?
「彼が今日、どうしてこのお店を選んだか、わかる?」
デートに選ぶような店じゃないっちゅうのはわかる。
「私のためなの。私の売上、少ないから。彼が定期的に知り合いを連れてきて、私を指名してくれてるの。そうやって、なんとかノルマを達成できてるの」
はあー、とため息を吐くシフォンちゃん。
「でも、それももうおしまいにするわ。私は自分の力でお客さんから指名を取る。そして自分の店を持つの。もっと稼げるようになれば、母をいい病院に入れることもできるわ。そのきっかけをくれたのはあなたよ、イーダさん」
ウチは、そんなつもりは。
「私は、彼が胸を張って自慢できるような友達になりたいの」
「……」
「だからね、イーダさんには彼と一緒に夢を追って欲しいの。初対面の人間が何言ってんだって思うだろうけど」
「いや、そないな」
「彼が幸せなら、私は十分。
それにあなたは、大切な人のためなら本来以上の力を出せるような気がするわ。……マリオをよろしくね、イーちゃん」
儚げな彼女の微笑み。
「あー、いたいた二人とも。いつまでも戻ってこないから心配したんだよ?」
玄関から現れたマリオーニと、後ろには友人一同。
「主役がいないんじゃ、盛り上がらないでしょ」
とマリオーニ。
「ごめんなさーい。私が話し込んでたの」
申し訳なさそうにシフォンちゃん。
「さあ、戻りましょ」
ウチに手を差し伸べ、立ち上がらせる彼女。
ガヤガヤとみんなで玄関から店の中へと入る。
シフォンちゃんのあんな思いを聞いてもうたら、クロノスで商売したいゆう理由で男を選ぼうとしとる自分が浅はかに思えてまうやん。
◾︎◾︎◾︎
宴会がお開きになり、店先でウチとマリオーニと一同を笑顔で見送るシフォンちゃん。
「また来てね」
彼女はウチらの姿が見えなくなるまで手を振っていた。ええ子や。
マリオーニはこの子と一緒になった方が幸せになれるんちゃうかと思う。
せやかて、ウチもウチの目的がある。
商売人になることが、意地汚くても生きていくための一筋の光や。
元来た道にはもう戻れんのや。
でもこれってデートやったんか?
えらいガヤガヤしとったし、キャバクラやし。でも、不思議と安心感があったような。
なんやモヤモヤした一日やったわ。
そこに一人の男が近寄ってきた。
茶髪に黒いスーツの、ホストっぽい若い奴や。
その男はマリオーニに
「よお、マリオ。いい女連れてんじゃんよ。いい身分だな、ああん?」
っちゅうて絡んできた。
「なんだ、イゾじゃないか」
どうやらマリオーニの知り合いのようや。するとイゾはマリオーニの両手をがしっと掴んだ。なんや、喧嘩か?
「昼間、婆ちゃんを病院に連れてってくれたんだってな。婆ちゃん高血圧だからよ、あんまふらふら出歩くなって言ってんだけど、聞かなくてよ」
「あはは。君のお婆さん散歩が好きだからね」
「助かったよ。ありがとな」
「昔からよく面倒見てもらってたからね。それくらいお安い御用さ」
イゾはじゃあな、っちゅうてウチらの前から去った。
ウソじゃなかったんや。
◾︎◾︎◾︎
「目的のためなら、他を蹴り落とす。当然かと思いますが」
いかにも商売人のセリフやわ。
翌週末。
ウチは再びエンデルクと夕食のため、以前訪れたホテルのレストランにいた。ウチはカジュアルな青のワンピースのドレス、彼は濃紺のスーツを纏っている。
さっきの彼のセリフは、『ウチの友人が結婚しようとしとるんやが、恋敵がいるため悩んでいるけど、アンタはどう思う?』という質問への回答や。
「結婚も商売も一緒ゆうこと?」
「契約という点では同様かと。そこに愛があれば結婚になると考えます」
愛なんて単語がようポーンと出るなぁ。
「商売なら物とお金を取引して終わりですが、結婚となると二人の関係の継続が前提です。互いの長所を活かしつつ、欠点を補い合う。これが理想だと私は考えます。」
「それでも、恋敵に対する罪悪感はないん?」
「ないと言えば嘘になりますが、その男を勝ち取った者は、それだけの努力をしたということになるでしょう。それを敗者が後から文句をつけるのは逆恨みです」
「徹底してんなぁ」
「少なくとも私と同じ意見の者がほとんどですよ? 商売人のならね」
眉を釣り上げ微笑むエンデルク。
「さあ、ディナーが冷めないうちに食べましょう」
促す彼。
テーブルの上には今日のメインディッシュである牛のステーキが乗っていた。ウチはナイフで一口大に切り、フォークで突き刺し、口に運ぶ。ひと噛みしただけで特級品だというのがわかる。脂の甘みと肉の繊維のほどけ方が尋常やない。
そこに遠くから見つめるような視線を感じた、と思たらエンデルクがこっちをじっと見とった。
「お気に召していただけたようで何よりです」
赤ワインを片手に彼が言う。
「人の表情見とったん? 案外やらしいねんな」
「いえ、美味しそうに食事をする女性を見ると、ご馳走のしがいがあるので。いい思い出にもなりますし」
思い出? ウチはその言葉に違和感を覚えながらもグラスのワインを飲み干す。
「いい飲みっぷりですね」
「酒は強いねん。ボトルだったら十本は余裕や。せやかて、味わってへんわけちゃうで。このワインも一流品やわ」
「さすが、お目が高い。タバンの三十年物です」
ボトル一本で十万は下らんわ。
苦笑しながらエンデルクがウチのグラスにおかわりを注ぐ。
ウチはそれを飲み
「うまいな。止まらんわ」
とグラスを空ける。
「喜んでいただけたなら何よりです。貴方のような美しい人に飲んでもらって、ワインも幸せですよ」
「また、そんな歯の浮くようなセリフを……」
直後、ウチの視界がふらつく。
あれ? まだ酔うにはまだぜんぜん飲んでへんねんけどな……。
そのまま視界が暗転する。
直前に見たのは、口の端を釣り上げ歪んだ笑みを浮かべたエンデルクやった。
◾︎◾︎◾︎
「う……」
ひんやりとした感触が頬に感じられる。目を開けると、辺りは薄暗く、ウチは石の床に寝転がされとった。
両手には手枷。それには鎖が取り付けられ、その先端の
そんでよく見ると、ウチのドレスは先日エンデルクがくれた深紅のものに変わっとった。
目線を上げると、鉄格子がある。どうやら地下牢のような所に閉じ込められとるようや。
鉄格子の外の通路の壁には
どこやろう、ここは。まさかな。
その時、コツ、コツと足音が近づいてきた。
「目が覚めたか?」
鉄格子の向こうから、全身黒スーツの男が覗き込んできた。歳は二〜三十ゆうとこか。
「なんやねんお前」
「お前の見張りだよ。エンデルク様の命令でな」
「どこやねんここ」
「知ってもお前には関係ない。どうせ明日には出荷されるんだからな」
「出荷ってなんやの」
「言葉通りだよ。まあ、助けが来るなんて思わない方がいいぜ?
ガムっつうんだっけか? お前をエンデルク様に紹介した男は。
元王宮騎士らしいが、無駄だぜ?
ここにゃ見張りが何十人といるからな。全員武術の心得もある。諦めな」
割とペラペラ喋りよんな、こいつ。
「余計なお喋りはよしなさい」
別の声がこっちに近づいてくる。この聞き覚えのある声は。
「アンタは……」
姿を現したのはエンデルクやった。
やっぱりか。
「タバンの三十年ものはお気に召しましたか?」
「ウチも酒に弱なったもんや。ボトル一本空けんうちに酔い潰れるなんてな」
「いえいえ、大したものですよ。熊でもひと匙で昏倒するほどの睡眠薬が少量入ったワインをボトル半分開けたのですから」
「アンタには効かへんのか」
「無効化する薬を事前に飲んでいたもので」
便利なもんがあるもんやな。
「で、ウチをどうする気や?」
「おや? 話が早いですね。それは都合がいい。貴方は好事家の元に売られるのです」
やっぱりか。こいつ、裏では奴隷商人やっとるな。以前にもこういうことはあった。ジプシーは身元の保証がないので、昔から奴隷として誘拐されることがままあった。
そん時は済んでのところで難を逃れたが。
「最初から結婚する気なんかなかったんやな。アンタ、ガムやんの紹介なんやろ?
ウチがおらんなったこと、どう説明するん?」
「早々に新婚旅行とでも称して国外に出ると言えば問題ないでしょう」
「用意周到なこっちゃ」
「商人ですので」
エンデルクが鉄格子の鍵を開け、こちらに近寄る。ウチの顔を覗き込み、右手でウチのアゴをくい、と上げる。
「貴方を美しいと言ったのは嘘ではありませんよ? 客に渡すのが惜しいくらいです」
「ほんなら、見逃してや」
「そうはいきません。もう貴方には結構な額を投資していますので」
投資……ああ、ドレスと食事か。
「採算取れるん?」
「もちろん。投資額の三倍は堅いですよ?」
「えらいぼったくったもんやな」
「貴方にはそれだけの価値があるということです。この前のデートの時言ったでしょう。『あなたは変身できる』と。ただし奴隷にですがね。さて……」
言うと、エンデルクはウチの頬をべろりと舐めた。
「ひっ……」
突然のことにウチは悲鳴をあげる。
「おや? 意外な反応ですね。こういうことには慣れてると思いましたが。」
「……ウチが体を許すんは気の合った相手だけや。お前みたいなモンはぶちのめしたるわ」
「威勢がいいのは結構。ですが、貴方は拘束され助けもない」
エンデルクが背後に回り、ドレスの下からウチの乳房と股間をまさぐる。
「ここの具合次第で、客の満足度も変わってくるのでね。確かめさせてもらいますよ? 何、大人しくしていれば手荒な真似はしません。貴方は大事な商品なんですから」
彼が横からウチの顔を覗く。
「人を拘束しといてよう言うわ。この小物が」
ウチはエンデルクの顔に唾を吐いた。
彼の方がぷるぷると震えている。
「……これはお仕置きが必要ですね」
彼に頬を殴られ、ウチは床に倒れ伏した。
「目的もなく漂泊し、無意味に治安と風紀を乱し、自分勝手に生きてきて、どれだけ世界に迷惑をかけているのか、自覚がないんですか。あなた?」
「……」
「この世で何の役にも立たないジプシーを、有償で人の役に立ててあげようっていうんです。何の不満が?」
「……っ!!」
それは、ウチが、いちばん……!
「……あんたは人を何やと思っとるんや」
「駒ですよ」
即答やった。
「誰も彼もがわたしの駒です。有能な者は私の手足となり、平凡な者は身を粉にして働かせて、役立たずはその身柄を売り飛ばす」
「正気か」
「そうやって私は一代で富を築いてきた。そしてこれからも昇り続けるのです」
「なんが目的でそないなことを」
「私はこの国の経済を牛耳り、裏から支配したいのです。金、金、金が必要なのですよ」
「でかすぎる野望は身を滅ぼすで」
「馬鹿なジプシーは黙りなさい。貴方とはここの出来が違うんです」
自身の頭を指さすエンデルク。経験者の言葉は聞いといても損せんのやけどな。
「ところで貴方、商人になりたいそうですね。薄汚いジプシー風情が何を夢見てるんです?
貴方の行く末など奴隷以外あるわけないでしょう?」
嘲るエンデルク。
はあ……。上手くいかんなあ。
ウチかて好きでジプシーに生まれたんやない。けどジプシーの生活に慣れんで仲間と離れて一人ウロウロして。
八つ当たりみたいにして世界を壊そうとお嬢についてったけど叶わんかった。
お嬢を放って、ウチだけやりたいことやろうとしたバチが当たったんかなあ。
こんなことなら、あの時お嬢と一緒にいったら良かった。お嬢と一緒やったら怖くなかったやろうに。
どうせ、もう、ロクな人生は送れんのんやろうし……。
「そんなわけないでしょ」
エンデルクの後ろから、男の声。
それは暗闇から姿を現したマリオーニやった。牢屋の中に入ってくる。そんでなんや、甘い匂いが漂ってきたような。
「これは、野菜問屋のマリオーニさんではありませんか」
「僕みたいな商人をご存知で?
光栄だなあ」
「商人は情報が命。どんな小さなものでも取りこぼしては失格です」
ニヤリとするエンデルク。
「どんな小さなものでも、とは言ってくれるね」
不敵に笑うマリオーニ。
「ところで、マリオーニ君。あなたは何をしにここへ?」
「決まってるでしょ。イーちゃんを取り戻しに来たんだ」
「イーちゃん? ああ、この薄汚いジプシー女ですか。しかしなぜ、彼女がここにいると分かったんです?」
「あれ、知らないの? セントラルのホテルのレストランに野菜を卸してるの僕なんだよ? 今日はちょうどその日で、厨房から客席を見てたら、倒れたイーちゃんが運ばれてたから何かあるなと思って」
あんとき遠くから感じた視線はマリオーニのもんやったんか。
「それはなんとも。タイミングが悪いこともあったもんです」
「あとジプシー女って。そういう偏見は世界を狭めるよ、エンデさん?」
「馴れ馴れしく私の名前を呼ばないでもらいたいものですね。あなた風情の商人に」
「僕とは格が違うって?」
「ところで、君はどうやってここまで侵入したんです? 屋敷の門は閉まっているし、屋敷内にはこの時間見張りが十二人、この地下牢の入り口にも鍵をかけていたというのに」
見張りが何十人ってハッタリかい。十何人やないか。
「知りたい?」
「ええ、ぜひ」
「手の内を明かすのは避けたいけど、エンデさんになら、いいか。この際だし」
「勿体ぶりますね」
「僕の切り札だからね。
……まず屋敷の門。リッキーの縄術で、屋敷の塀をよじ登ることで乗り越えた。
次に見張り。マルの催眠香で屋敷全体を包んで眠らせた。
そして地下牢の鍵。これはジェイクにかかれば朝飯前だね。鍵だけに。っと、これは冗長か」
マリオーニの後ろでジェイクがうんうんと頷いている。
アイツいつからおったんや。
そんでさっきから漂っとるこの甘い匂いはマルの香やったんか。さすがに地下となると効力も十分やないようや。
「……見事なものですね。人を使うのが上手いようで」
「使う? 僕はエンデさんとは違うよ?」
「ところで貴方は何をしたんです? 人にばっかり働かせているようですが」
「みんな優秀だから僕はやることがなくって困っちゃうんだよねー。これくらいしか」
言ってマリオーニが取り出したのは羊皮紙の束だった。
「貴様……すぐに返せ……」
底冷えするような声でエンデルクが言う。
「これ、契約書でしょ? 今まで売り捌いてきた人間達の」
言うなれば、奴隷の販売履歴っちゅうとこか。
「こんな物が表に出れば、エンデさん、貴方は失脚だ。『好』青年実業家で通ってきた地位は失墜し、逮捕される」
クロノス王国では奴隷の売買は法律で禁止されとるからな。ところでその『好』って『好色』も入っとる?
「いくら欲しい? その契約書を君の言い値で買おう。私は商人だ。取引といこうじゃないか」
「ジェイク、これ持ってて」
マリオーニは契約書の束をジェイクに渡す。
「貴様、どういうつもりだ?」
「わかってねえよ、アンタ」
冷たく言い放つマリオーニ。それは普段の柔和な彼からは想像もつかんような響きやった。
「なに?」
「僕は取引がしたくてここに来たんじゃない。アンタを殴りにここに来たんだ」
「貴様、何を言って」
僕の妻に人生諦めたような顔をさせたのが許せねえって言ってんだよ!!
マリオーニの腕が大きく振りかぶられ、エンデルクの顔面にその拳がめり込んだ。
牢屋の奥の壁まで吹っ飛ぶエンデルク。しばらくして、むくりと起き上がる。
「くそ、こんなことをして貴様ただで済むと思うなよ……」
「ジェイク、鍵外したげて」
鼻血を垂らすエンデルクの言葉などどこ吹く風、ジェイクは無言でウチの手枷の鍵を、持っていた針金であっさりと外した。
「おおきに」
無言でうんと頷くジェイク。
「それも勘違いだよ。エンデさん。アンタの違法の証拠はこっちのもの。人質もこっちのもの。もうアンタはおしまいさ」
「果たしてそうでしょうか?」
エンデルクが不敵に笑う。
殺気。破擦音。
一瞬後、ウチらは糸に絡め取られ、身動きが取れなくなっていた。
「はぁい。ごきげんよう」
いつの間にか、牢獄の中央にはボンテージ姿の若い女が立っていた。その両手の指からは糸が伸びている。こいつ、よく見たらブティックのぱっつん女や。
「よくやりました。素晴らしい働きです」
「後でいっぱい可愛がってくださいねぇ」
「もちろんです。ですが、その前にこいつらを始末しなさい。ただし、女以外です」
「うぅん、無傷は難しいかもぉ」
「顔が無事なら多少は痛めつけても構いません」
「おっけ〜ぃ」
エンデルクに擦り寄るぱっつん女。
めっちゃ喋るやんけお前。あとイチャイチャすんなや。
糸の締め付けがきつくなり、肉に食い込んでくる。やばい。これ、鋼線や。
ウチのドレスが切り裂かれて胸や太ももが露わになっとる。悪趣味か。
いや、下手に動くとドレスどころか身体中切り裂かれる。
マリオーニもジェイクも苦しそうにうめいとる。
「どぅお? 蜘蛛の巣に絡め取られた蝶の気分は?」
ぱっつん女がウチの頬を舌先で舐める。流行っとるんか。
「ま、汚らしいアンタは蝶っていうより蛾だけどね。キャハハ」
「ウチにこのドレス着せたんはお前か」
「そうよぉ? どうかした?」
「このドレスはウチの滞在先に置いとったもんや。なんでウチの滞在先がわかったんや」
「アンタがエンデルク様とデートした後に尾けたのよ。憎たらしいわあ。わたしだってあんな綺麗なドレス買ってもらったことないのに。でも、ずいぶん汚い宿だったわぁ。ドブネズミにはピッタリだけど」
「蛾がドブネズミかハッキリせぇや。好き勝手言いよってからに。おまえ絶対しばいたるからな」
「やぁめたほうがいいわよぉ? 暴れれば暴れるほど食い込むようになってるからぁ、アタシの糸。その辺のナマクラじゃ切れないしねぇ」
カラカラと高笑いするぱっつん女。
「じゃあ、わたしの出番かな」
通路から女性の声。仄かな灯が牢屋に近寄る。片手にランプ、片手に包丁を携えてゆらりと現れる。
リィンちゃんや。
「なぁによ、アンタ。言っとくけどそんな包丁じゃあ、アタシの巣は切れないわよぉ?」
言うが早いか、リィンちゃんは包丁を『巣』に振りかざした。
ぎぃん、と甲高い音を立て包丁が弾かれる。その衝撃がこっちに伝わり、糸が更に食い込んだ。
ぐぅっ。リィンちゃん、何考えとんの。
「だから言ったでしょおう?」
ニヤつくぱっつん女の煽りに黙るリィンちゃん。
その様子に、マリオーニもジェイクもも一言も発しない。すでに苦痛が限界に達したんか。いや、ジェイクは元から喋らへん。
すると、リィンちゃんが再び『巣』に包丁を叩きつけた。何度も、何度も。
その度に包丁が糸の上を滑り、ウチに糸が食い込む。首が締まり、頭がぼーっとしてくる。ヤケになったんか?
「何回やっても無駄よお?」
「早く片付けなさい。しつこい輩は嫌いなんです」
エンデルクが命令する。
「おっけ〜い」
ぱっつん女がリィンちゃんの横腹に爪先を打ち込む。体をくの字に曲げるリィンちゃん。
「……できた」
リィンちゃんがぼそっと呟き、包丁が二、三閃したかと思うと『巣』はバラバラに切り刻まれた。ウチらは解き放たれ、床に崩れ落ちる。
「う、うそぉ!? なんで?」
パッツン女もエンデルクも驚愕に目を見開いている。
「アンタいい鋼線使ってんね。お陰でこの子、スッパスパだわ」
包丁をフリフリするリィンちゃん。
まさか、綱線で包丁を研いだっちゅうんか。
「やっぱリィンちゃんならやってくれると思ったよ」
と、マリオーニ。
『巣』の戒めが解け、エンデルクらから距離を取るウチら。体中締め付けられとったから、呼吸がしんどいわ。牢屋から離れたいとこやけど、入り口はエンデルクとぱっつん女と黒スーツが塞いどる。
「ここまで投資して逃すわけにはいきません。多少の損害は認めます。足の一本くらいは無くなっても構いません。あのジプシーを身動きできなくしなさい」
怒りに満ちた声で、エンデルクがぱっつん女に命令を下す。
「お任せをぉ。そっちの方が得意ぃ」
ぱっつん女がニヤニヤ笑うとる。両手全ての指先から綱線を伸ばし、確実にウチを捉えるつもりや。弱り切った獲物なんぞ、トドメ刺すんは簡単っちゅうわけか。
……でも、お前ら知らへんやろうから教えたるわ。ウチがかの悪名高い『逆針の徒』の一員やったことを。
ウチは腰を落とし、半身で構えて右手を後ろに引き、左手をその右手にかざす。そして息を細く長く深く吐く。
「痛いのは一瞬だからぁ、我慢し」
ぱっつん女がこちらに両腕を振りかざし、言い終わらんうちに。
轟音。
砂埃。
直後に眼前に現れた光景は通路の壁に転がってのびているエンデルクとぱっつん女と黒スーツの男、そして瓦礫の山と化した鉄格子の成れの果てやった。
あちゃー。やりすぎた。
ダーリンと森の中でやり合った時、最後に出そうとした技。あん時はお嬢に制止されて不発に終わったけど、決まったらこんなもんや。加減の利かんのが欠点やな。
そんでもっと深刻なんはウチの右手や。骨が何個かいっとるな……。
強大な威力の代償。
この技は和都を放浪しとった時に、ある爺さんに教えてもらったもんや。『ハチク』っちゅう名前で呼んどったな。山奥に隠遁しとる仙人のような生活しとったくせに、ウチの胸と尻をガン見しとったんをよう覚えとる。その代金っちゅうわけやないんやろうけど、ウチがねだったら教えてくれた。
抗力と体重のエネルギーを体内で回転させて威力を三倍、それを腕に集約して放つっちゅう理屈やったような。
爺さんは会得するのに五年かかったらしいんやが、ウチは三日でいけた。
『美人で天才って何でもありかお前』っちゅうとった。
集中力はまあ、人並み以上にある思うとるけど。
『お前が長身なのもその技向きだ』ともゆうとった。ん、それってウチが重いっちゅうこと? って『ハチク』を構えたら、爺さん半ベソやったわ。
でも威力が上がる分、反動もこの通りや。そういや爺さんは『ハチク』出した後、手はかすり傷程度やったな。なんでやろ。まあ、今はええか。
しばらく右手は使いもんにならんな……。メシ食う時はガムやんにあーんしてもらおか。
眺めると、エンデルクとぱっつん女と黒スーツはピクリとも動かない。しかしどうやら息はあるようや。
こら逃げるが勝ちやな。
ウチらは地下牢から脱出し、エンデルクの屋敷を後にした。
◾︎◾︎◾︎
「イーちゃん、さっきのは……」
帰る道すがら、マリオーニがウチに尋ねる。ジェイクとリィンちゃん、リッキーとマルも一緒や。
「なんかすげえ音がしてたな」
「何があったんですか? 貴方達、ボロボロじゃないですか」
リッキーとマルが尋ねる。
一番ボロボロなんはウチの服やけどな。マリオーニがジャケットを貸してくれたんで、なんとか露出狂にならずに済んどる。
あかん。リッキーとマルにはともかく、現場におったマリオーニとジェイクとリィンちゃんは誤魔化しきれん。
あんな技を撃てる人間はカタギやない。この縁はおしまいやな。
まー、しゃあないか。みんなウチを助けに来てくれたし、こいつら大怪我せんで済んだだけでも儲けもんや。
「あー、実はな……」
『めっちゃすごかった!』
ウチのセリフを遮って、マリオーニとジェイクとリィンちゃんの声がハモった。
いや、ジェイクに関してはウチの幻聴やった。
なにあれなにあれ全然見えなかった何が起こったのかわかんなかった気づいたら牢屋ボロンボロンでガレキでどんがらで……などなどキャッキャしとった。
「おいおい、もっと詳しく教えろよ。それは俺の一本釣りよりすごいのか?」
「地下牢へ向かい、舞い戻った貴方達の晴れやかな顔、どうやら起死回生の香りがします」
こいつらいい意味でも悪い意味でも子どもやな。善悪の区別がつかんのか。
ん? ところで何か忘れとるような気が……。
ウチはこそっとマルに近寄り
「そういやアンタらこないだウチと飲んだ時、マリオーニとのデートやってこと聞いとったん?」
と尋ねた。するとマルが
「ええ」
と、さらっと答えた。
アンタらもうちょっと気遣いっちゅうもん知らんのか。普通、他人のデートに飲み会感覚で部外者が参加せえへんやろ。
「でも、ちょっと変だと思いませんでしたか」
何が。
「デートにキャバクラっていう選択ですよ」
せやねん。
「あれは彼の気遣いですよ。イーちゃんはずっと一人で放浪してたいたと聞いてます。大勢での食事は久しぶりだったのではないですか?」
……そういえばそうや。
「彼はきっと思い出して欲しかったんですよ。イーちゃんが一人になる前の、皆で食事をした楽しい思い出を」
「……っ!」
あん時覚えた安心感は、一族みんなで移動しとった時の賑わいやったんや。
ウチはジプシーの何もかもが嫌で一人飛び出したのに、あいつ、余計なことを思い出させよって。
胸の奥がちくりと痛む。
まあ、それはええわ。
まだ何が大事なことを忘れとる気がするんやが。次にウチはマリオーニに近寄った。
「マリオーニ、さっきなんて言ったん?」
「え? めっちゃすごかったって」
「いや、もっと前に」
「僕の妻に人生諦めたような顔をさせたのが許せねえって言ってんだよ!! って」
普通そんなとこピンポイントで思い出さへんやろ。でも、そこが聞きたかったんや。
「何やの妻って。ウチのこと?」
マリオーニはドギマギしながら
「あ、あれはついっていうか、頭に血が上って、本音が」
っちゅうた。
「本気なん? まだ会って一日やで?」
ふぅー、とマリオーニが深呼吸する。
「正直に言うと……ガムさんから君のことを紹介された時、真っ先に君の知見が欲しいと思った。世界を渡り歩いてきた君の経験を、僕は僕の商売に活かしたい。結婚は二の次だった」
だった?
「……会ったら想像以上に美人だったから、その、惚れてしまったんだ。
でも、目利きには自信がある。君はきれいだ」
そないな、真っ直ぐな目で。
今まで放浪して、世界の爪弾きもんとしてウチは生きてきた。誰にも貸しを作らず、誰からも借りを作らず。
はぐれて、さすらって、死に場所を探すように歩いて。でも、死に切れずにふらふらして。
そんなウチを必要としてくれる人が現れるなんて。
あかん。マルの話を聞いた時は我慢しとったのに、景色が滲む。しっかりせえ。
膝が立たん。見えるのは地面だけや。
「あー、マリオがイーちゃん泣かしたー。いーけないんだ、いけないんだ」
リィンちゃんがマリオーニを非難する。
「いや、僕はそんなつもりは……」
しどろもどろになるマリオーニ。
ええんや。こんなあったかい涙は初めてや。いつまでも泣いていたい気分やった。
◾︎◾︎◾︎
「じゃあ、結婚せんでも、ビジネスパートナーっちゅうことでええんちゃう?」
しばらくして落ち着いた後、みんなと別れ、マリオーニはウチを病院に送ってくれとる。
「何言ってんの? 君はきれいなんだだから、ビジネスパートナーとしてはもちろん、僕は君自身も欲しいんだ」
よう恥ずかしげもなくゆうわあ。
でも、エンデルクにゆわれたんとは違う、本音が感じ取れた。
ウチにとっては渡りに船なんやけど、ジプシーはやっぱり偏見持って見られるし。それがマリオーニの商売に差し支えんかが心配やわ。
「僕のことなら大丈夫だよ。商品がしっかりしてれば、結果は後から付いてくるから。それに僕は僕の顔で商売をしてる。君がいるからって理由で断るような客はいないよ。
それでも心配だって言うなら、まずはお試しで僕の商売を手伝ってみるのはどう? 君は商売の仕方を、僕は君の人となりがわかるし、君のことを客に紹介できる。いい条件だと思わない?」
確かにな。でも、なんでウチのことをそんな信用できるん?
「ガムさんの紹介ってのもあるけど、イーちゃんのそれを見ればわかるよ」
ウチの右手を指さすマリオーニ。
「みんなを守るために体を張った奴が悪い奴なわけないからね」
なんや照れくさいな。あとガムやん、結構信頼あるんやな。見直したわ。
……だらだら悩むのもウチらしくないし、ここはマリオーニの好意に甘えて商売の道を歩き始めるとしよか。
「ほな、よろしゅう」
差し出した左手を、彼は握手で返してくれた。
「ウチを買ったこと、後悔させへんからな」
–––優良物件を掴め。あるジプシーの婿探し–––END
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