第7話「再び旅する頼子さん」
その後のことを、かいつまんで話そう。
直前にジュンが連絡を入れておいたらしいわたしの弟が駆けつけ、警察と救急車を手配してくれた。
ジュンへの殺人未遂容疑により、校長はその場で逮捕。
弟が長年かけて調べ上げた証拠が功を奏して、さらに重い罪を科せられることとなった。
合唱会はもちろん中止。
校長の逮捕により一時は分校の存続も危ぶまれたが、智恵を中心とした子供たちの署名活動が実を結び、結果的に事なきを得た。
証拠品として押収された
裁判が終われば有価物として売却処分──つまりまた、流浪の旅に出る定めが待っている。
「それにしても大吾め。お姉ちゃんより背が高くなるとは生意気な……」
埃臭い倉庫の片隅で、あの時のことを思い出した。
泣いてばかりだったチビの大吾は、スラリと背の高い立派な若者に成長していた。
愛しのお姉ちゃんの仇を討つことに人生を費やしすぎたせいか、少し目つきのきつい感じに育っていたけど、それもじきにとれるのではないかと思えた。
なんといっても彼は、まだまだ若い。
そしてジュン──
あの後ジュンはどうなったのか。
ご心配の方も多いだろう。
鈍器で頭を殴られて気絶して、後遺症に悩まされたりしてるのではないかと。
実際わたしがそうだった。
毎日毎夜、ハラハラしながら過ごした。
でもひと月もすると……。
倉庫の引き戸が、ギギギと重々しい音を立ててスライドした。
半袖の夏服を着たジュンが、掃除用具を片手に現れた。
「おはよう、頼子さん」
「おはよう……ジュン」
「外はすごくいい天気だよ。? ホント、ちょっと気が遠くなるくらいに暑いんだ」
「それは大変ね……」
「今日はこの辺一帯を片付けるからね。そしたら頼子さんも気持ちよくしてられるでしょ?」
「う、うんそうね。ありがとう」
わたしが礼を言うと、ジュンはパアッと明るい笑顔を浮かべ、倉庫の片付けにとりかかった。
ここから動くことが出来ないわたしのために、環境を整えようとしてくれているのだが……。
「田舎の人って懐が深いわよね……」
わたしはしみじみとつぶやいた。
直接の凶器や危険物ではないにしても、仮にも押収品が収納される倉庫に一般の学生が出入りして、しかも勝手に片付けることを許すとか……ちょっとザルすぎない?
「ねえ、頼子さん」
わたしが何とも言えない気持ちでいると、ジュンが作業の手を止めて振り返った。
「検察の人に聞いたんだけどさ。1年もしたら頼子さんはここを出られるんだって」
「……それって競売にかけられるって意味でしょ? イコールわたしがドナドナ状態で運ばれるってことなんだけど、わかって言ってる? ……あ、わかってるって顔ね」
「大丈夫だよ、大吾さんが買うって言ってくれたから。姉さんの形見だから当たり前だろって。だから心配しないで?」
「そう……」
ということは、わたしは16年ぶりに実家に帰ることになるわけか。
あまりにひさしぶりすぎて、かえってピンとこないなあ……。
それにしても東京か……けっこう遠いけど、ジュンはあまり気にしている様子はない。
ま、子供だしね。
あの言葉だって、きっとその場の勢いが8割くらいだろうし。
「でさ、頼子さん」
「うん?」
「ボク、高校は東京に行くことにしたから」
「うん……うん?」
「頼子さんとこ、立派なお屋敷だって言うじゃない? 部屋が広くて人がたくさん住めるって。大吾さんもなんだかボクのことを気に入ってくれてさ。東京に出たいなら、うちに下宿したらどうだって。若いうちに世間を見ておくのも悪くないだろうって」
「え、ちょっと……ちょっと待って、ジュン」
わたしが止めると、ジュンはきょとんとした顔をした。
「なに? 頼子さん」
「あなた、いったいわたしにどこまでしてくれるつもりなの……?」
「……うーん、どこまでって言われると難しいんだけどさ」
ジュンは首をひねった。
「とりあえず、頼子さんの身の回りの世話ぐらいは出来るようになろうかなってさ。調律とか修理とか……ピアノ自体もけっこう年代物みたいだし、専門知識も必要みたいだしさ。だから、ゆくゆくは海外の専門学校に行って勉強しようと思って……ってあれ? 頼子さん?」
──なんということだろう。
「どうしたの? 口を手で覆って」
──わたしは知らず知らずのうちに。
「おーい、頼子さーん?」
わたしの目の前でひらひら手を振るジュン。
大きな事件を乗り越えたせいかその顔はわずかに大人び、以前あったような険がとれている。
わたしへの信頼と愛情がいや増し、そして……。
「大丈夫だから安心して? 頼子さんを絶対ひとりにはしないから。ボクがずっと傍にいるからね」
すっきりと澄んだ瞳で微笑んだ。
「あなた……それって……」
わたしは愕然とした。
疼痛がして、こめかみを抑えた。
「どうしたの? 今日はホントに変だよ、頼子さん」
「変なのは明らかにあなたのほうだと思うけどね……」
「え、なんでさ?」
「……わかんないならいいわ」
わたしは小さくため息をついた。
春先に分校へ来た時は、まさかこんなことになるとは思ってなかった。
「……ま、いっか」
もう一度ため息をついた。今度は深く。
しょせんわたしは幽霊で、ジュンは人間だ。
いつまでも一緒にはいられない。
どれだけ望んだとしても、共に幸せにはなれない。
いつかジュンもそれに気づき、わたしから離れて行くだろう。
わたしとは異なる方角へ旅立って行くだろう。
だからこんなのはしょせん束の間の関係で……。
「……あれ? 頼子さん、この曲……」
「合唱会、流れちゃったしね」
わたしが弾き始めたのは、合唱会で弾こうとした曲だ。
ジュンとともに奏でようとした曲だ。
すぐにジュンが歌い出した。
わずかに低くなり始めた声で。
それは切ない青春の歌だ。
夏の銀河の真下にいる自分と、銀河のように輝く無数の友と。
儚く瞬き、孤独の怖さに押しつぶされそうになりながら、それでも
わたしとジュンの関係に似ていると思った。
決して交わるはずのない星の軌道が、奇跡的に一致した。
だけどそれはあくまで一瞬の出来事であり……であり……。
「どうしたの頼子さん? 急に止めたりして」
「え、いや……別になんでもないわ。変な想像しちゃって……」
わたしは小さくかぶりを振った。
そうだ。そんなことがあるわけないのだ。
この関係がずっと壊れることなく続いて、いつまでもわたしたちは一緒にいるなんてことがもしあったとしたら……。
──それじゃまるで、本当に憑りついちゃったみたいじゃない。
なんてことを考えて、気が遠くなった。
旅する頼子さん。 呑竜 @donryu96
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