第4話 こころ浮き立つ新メニュー
初めて入った彼の部屋のベッドにゆっくりと下ろされ、毛布を掛けられる。店長はすぐに身を離し、軽く日向の額に唇を寄せて軽くキスをした。
「待ってて。眠っててもいいからね。」
優しく囁くように言うと、明かりを消して階下へ足早に下りて行ってしまう。
えー、と思わず声が出てしまいそうだった。
いや、だって、ここまでしておいて、普通置いていくだろうか?この流れだと、このまま深い関係に、と言う事になるのでは。明らかに自分がそれを期待している事に気が付き、恥ずかしくなった。
遊ばれた?からかわれた?有り得ない話ではない。ずっと好きだと言ってくれたけど、それはあくまで口先だけの事だったのかもしれない。考えれば考えるほどにそんな気がして泣きたくなる。
服を脱がされ、身体中にキスをされた後ベッドの上に残された自分の立場が今一つわからない。自分のアパートへ帰ろうとも思ったが衣服の全てを厨房に置いてきてしまった。動くに動けない。
ごろんとベッドに横になると、大きな枕にぶつかった。酷く甘い香りがする。バニラか何かだろうか。ずっと厨房でスィーツばかり作っているからなのか、ルーファスの寝具は御菓子の香料の匂いがした。暗いので余計に匂いが引き立つ。
それから10分も経った頃、階段を上って来る足音が聞こえ日向は跳ね起きた。ふっと明かりがつき、部屋に戻って来た店長の姿が目に入る。急に明るくなったので眩しい。
「お待たせ。はい、食べてみて。」
店長は片手に皿を乗せたトレイを手にしていた。
ベッド脇まで歩を進め屈んだ彼は、日向の目線までそのトレイを下ろす。
「…僕さ、チョコレートのスイーツは好きじゃなくて新メニュー浮かばなかったんだ。」
言われて見れば、『ブランブル』のスィーツメニューにはチョコレートをメインにしたものが少なかった。
差し出されたスィーツは、四角いケーキ。表面にチョココーティングがされて、切断面がまるで地層のように複雑に見える。
「あ、オペラ、だ…。」
「うん。日向に最初に食べてもらいたいと思って。」
「どうして?」
そう尋ねると、店長は妙な顔をした。
「…だって、君、僕の店に面接に来た時、『チョコのメニュー少なぁい』って言ったじゃない。」
日向は青くなった。
そんな事を言った覚えはない。だが、面接に来た日は非常に緊張していたので、何を喋ったのか覚えていないのだ。英語でなければ構わないだろうと思って口走っていたのかもしれない。
「僕凄く悔しくてさぁ…、絶対君の印象に残るようなチョコを作ってやろうと思ってて。さ、食べて。」
「い、いただきます。」
空腹を覚えていたので、遠慮なく手を伸ばす。裸であることが余りにも心もとないが、なんだかそれに文句を言える立場ではないような気がした。
「美味しいです。凄く。」
「そう?よかった。来週からこれ、新しくメニューに加えるね。」
「きっと売れますよ。」
「いいの、売れ行きは二の次。ねぇ、これに使ったチョコレートなんだけど。」
「はい?あ、もしかして、私が駄目にしちゃった奴だったんですか?」
「そうなんだ。君の身体が浴びたあれと同じ奴。」
にやりとルーファスが笑う。
ブルネットの綺麗な女性が店長の方を向いて何か言っている。相変わらず彼はもてまくりだ。どうやら店のおすすめを聞いているらしい。
晴れて店長の公認の恋人となれた日向は、それでも彼が多くの女性に囲まれていると不安になってしまう。相思相愛の恋人同士で、そしてこれは仕事なのだとわかっていても、ため息が出るような笑顔で接客する彼を見ているとどうしても心乱さずにはいられなかった。
「ヒナタ、あのお客さん『オペラ』だって。」
ローサが、呆れたような声で耳打ちする。
「あ、はい。わかりました。」
日向は顔を真っ赤にしながらもケーキのショーケースへ向かう。丁寧にケーキを白い丸皿にのせ、作業台の上でデコレーションを付ける。
隣に、淹れたてのコーヒーを乗せたトレイが置かれた。
ふと隣を見上げると、ルーファスが満面の笑みを浮かべている。
「これを出す時、君っていつも顔が真っ赤だ。」
それを見るのが何より楽しみでね、と付け加えると、店長はそのままトレイにそれを乗せて注文した客の元へ歩いて行く。
人の悪い恋人を遠目で睨みつけながらも、日向は心が浮き立つのを押さえられなかった。
こころみだれる新メニュー ちわみろく @s470809b
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