第五楽章

 時間は少しさかのぼる。


 昼休みが始まる直前、資料室におとずれた人がいた。

「作業ははかどっていますか?」

「学院長」

 ひとりで作業をしていたヨクトのもとに、学院長がおとずれた。

 学院長はヨクトの向かいに座る。

「無理していないですか?」

「先生にいやしの音を奏でてもらったから。きのうほどいたくはないんです」

「それはよかった。きのうは肝が冷えました」

 学院長は道具箱からホッチキスを取り出して、プリントを手にした。どうやらヨクトの作業を手伝ってくれるらしい。

 資料室に、ホッチキスのかしゃん、かしゃんという音がひびく。

「ヨクトさんは、人の音というものがわかりますか?」

「人の、音」

「そう、人の音。わたくしたちは息をしますね。体の中には血が流れている。他にも胃や腸や、体の中ではさまざまなものが動いています。そして心も」

 そう言って学院長はヨクトを見た。

 ヨクトは「心……」と小さくつぶやいている。

「まれに、そんな小さな音を聞き取れる人がいるのですよ。かくいうわたくしも、実はそうなんです」

「学院長もなんですか!?」

 大声を上げたヨクトに、学院長はほほ笑んだ。

「ヨクトさんもですね?」

 ヨクトはこくこくとうなずく。

 いままで生きてきて、初めて自分と同じ境遇の人に出会った。幼いころは聞こえることが普通だと思っていたから、人に言って気味わるがられることもあった。

「その耳を大事にしてあげてください。その耳は、きっとあなたの力になる」

 コンプレックスに思わなくていいと言う。

 この耳を活かせるかもしれないという気持ちで、ヨクトはハノン音楽院に来た。だからこそ、学院長の言葉はむねにひびいた。

 ふと学院長の顔がくもる。

「学院長? どうしたんですか?」

 気づかわしげに問いかけるヨクトに、学院長はこまったように笑った。

「いえ……。ミリさんのことが気になって」

「ミリ?」

 その名前はヨクトもいろんな意味で気になっている女子のものだった。

「知ってのとおり、ミリさんはヨタ……あの国一番の魔女の娘です。学業面で少し不安な部分もありますが、わたくしは期待しています。……ですが、聞こえる音に心配なところがあるのです」

「心配なところ……?」

 不安な声を上げるヨクトに、学院長は言うか言うまいか迷っているようだった。

 しかし口を開いた。

「あの子の受け継いだ力は大きい……。だからこそ、その力をまちがった方向に使ってしまわないか、心配なんですよ」

 学院長の言葉に、ヨクトは答えることができなかった。

 ミリが事件の犯人だとうたがわれている。

 学院長の言葉でそう直感した。

 学院長は、異常にミリを気にしている。きっと先生たちの間で、犯人の目星がつけられているのだろう。ミリが犯人だと。

 ヨクトはミリが犯人ではないことを知っている。ミリから聞こえる音がそう告げているのだ。

 なにより犯人は――


 ジリリリリ…………


 そこに鐘の音が鳴りひびいた。

「少ししゃべりすぎてしまいましたね。お昼にしましょうか」

 資料室を出て、職員室へとつながる廊下でヨクトは学院長とわかれた。

 そういえば、とヨクトは気づく。

 ――学院長からはなんの音もしなかったな。

 学院長ともなれば、自分の音をコントロールすることくらいかんたんなんだろうか。

 そう思いながら、ヨクトはカフェテリアへと向かった。


   ♪


 目を覚まして、部屋の暗さにあぁまだ夜中かと思った。

 いや違う! あたし床で寝てるし!

「気がついた?」

 声がして顔を上げる。まず窓の外に満点の星空が見えた。それを背景にして立っているのは――

「ピコ先輩? どうして先輩が……」

 玄関でふり向いたとき、そこにいたのはピコ先輩だった。ピコ先輩が指揮棒を振るのを見て、なんでピコ先輩がそんなことをするのかわからなくてあたしは反応が遅れてしまったんだ。

 あたしは起き上がろうとするけれど、うしろで手をしばられていてそれはかなわなかった。ちらりとうしろを見ると、あたしの手には五線譜が巻きついている。

 ピコ先輩は指揮棒をくるくる回している。あれ、あたしのだ……。ピコ先輩にとられちゃったんだ。

「まったくねぇ。よけいなことをしなければ、こんな目にあわずにすんだのに」

 なんの話をしてるの? あたし、ピコ先輩になにかしたっけ……?

 ピコ先輩は頭にはてなマークを浮かべるあたしにほほ笑みかけた。

「わからない? ヨクトと組んで犯人を探されるのは困るって言ってるんだ。君が犯人になれば、僕の計画どおりだからね」

「なっ……! 犯人はピコ先輩だったの!?」

 そうだったの!?

 おどろくあたしに、ピコ先輩はくすくす笑った。

「気づいてなかったんだ。おちこぼれだからしかたないか。……まぁそれも今夜までの話。明日の朝になれば、学院中のみんなが君が犯人だって思うから」

「そんなことできるはずないでしょ! あたしがみんなに言うんだから! 事件の犯人はピコ先輩なんだって!」

 ナノだってそんなのウソだってすぐわかるはず!

 ヨクトは……。どうかわからないけど……。

「あっはははは!」

 ちょっと不安になったあたしに、ピコ先輩は高らかに笑う。なに? なにがおかしいの……?

「まだわからないかい? 僕にかかれば、音の魔法で君をあやつるなんてかんたんなことなんだよ? 君だって、ヨクトをうたがっただろう?」

 なっ……! ピコ先輩が、あたしがヨクトをうたがうように仕向けたの……?

「講堂のツリーを破壊して、君がやったと暗示をかける。そうすれば君はみごと犯人だ」

 そんなことできるはずが……。

 いや、ピコ先輩はナノに魔法を教えてた。ピコ先輩ならできるかもしれない。

 いま何時なんだろう。わからないけど、あたしが帰ってこなければナノが不審に思うはずだ。そうすれば探しにきてくれるはず。時間をかせがなきゃ。

「二十年前の事件。ピコ先輩は知ってたの?」

 ピコ先輩はおかしそうにあたしを見下ろした。

「へぇ? 君もあの事件のこと知ってたんだ。完全にまねすることはできなかったけどね、全部が記されてるわけじゃないから。でも重要な点は一緒だ」

「なに……?」

 向けられた表情にぞくりとする。ピコ先輩は口もとをゆがめて笑っていた。

「犯人はおちこぼれの生徒」

 ピコ先輩はおかしそうに続ける。

「事件を起こした理由は知らないけどね。頭がわるいだけでも罪なのに、そんな事件を起こしたんだ。退学になって当然だよね」

 意味わかんない……。たったそれだけで、どうしてここまでできるの……?

「……どうしてそんなことをするの」

「だってさ、君、混血だろ? しかもあの国一番の魔女の娘。混血がそんな肩書きとかおかしいだろ」

 そう吐き捨てる顔にぞっとした。

 はじめて会ったときは、さわやかな先輩だと思った。頭もよくて、ナノとお似合いだなって。

 それがこんな悪意に満ちた表情をするなんて。人に悪意を向けられる本当のこわさを知った。

 あたしは身をよじってなんとか起き上がる。

「それに見合った力があるならまだいいけどさ。君みたいなおちこぼれ、この学院にはふさわしくないよ」

「それはあなたに決められることじゃない! あたしはちゃんと入学試験に合格してここに来たの! あたしはママみたいな魔法使いになるんだから!」

 ピコ先輩は、はっとあざ笑う。

「できると思ってるの? 君が入学できたのは、どう見てもあの魔女の娘だからだろ。君の実力じゃない」

 あたしはぐっと押し黙る。

 自分でもうすうす感じてたことだった。学院長はああ言ってくれたけど、やっぱりあたしは音の魔法使いに向いてないんじゃないかって。だって実技以外があまりにもおそまつだ。

 ピコ先輩の言い分に、なにも言い返すことができない。

「ミリはすごい魔女になるよ」

 声にばっと顔を上げた。

 開け放たれた窓の向こう、星空をバックに現れたのは――

「ヨクト!」

 飛び込んできたヨクトは、思いっきりピコ先輩をけり飛ばした。声に反応したピコ先輩は、うまくその衝撃をいなしてしまった。

 体勢を立て直した二人は、距離を取って向きなおる。

 ヨクトはあたしをかばうように立っていた。

「大丈夫か、ミリ」

「えっ……う、うん……」

 まさかヨクトが来てくれるなんて思わなかった。ナノが知らせてくれたのかな?

「王子様が登場なんてね。まぁいいや。手間が省けた。まとめて始末してあげるよ」

「やられるのは悪だっつーの」

 二人は指揮棒をかまえる。指揮棒を振るのは同時だった。

 ぶつかった音符が不協和音をかなでる。

「いった……」

 すごい音!

 耳を塞ぎたかったけど、あたしの両手は五線譜でしばられたままだ。

「ミリ……!」

 それに気づいたヨクトがあたしをふり向く。

「ダメ!」

 ヨクトあぶない!

 あたしの声にヨクトは反応したけど、一歩遅かった。ピコ先輩の放った音符がヨクトを突きとばす。

「ヨクト!」

「いっつ……」

 ヨクトはかべに当たってずるずるとへたり込んだ。

 ピコ先輩は、勝ちほこったかのように笑う。

「正義が勝つとはかぎらないんだよ。いや、勝ったほうが正義って言われるんだ。ざんねんだったね」

 ピコ先輩はゆっくりとヨクトに近づいていく。思いっきりかべにぶつかったヨクトは、まだ起き上がることができない。

「……メ……」

 ピコ先輩がヨクトの前に立ちはだかった。

「さぁ、最終楽章(フィナーレ)だ!」

「ダメー!」

 さけんだ瞬間、あたしの両手が熱をおびた。ほどけた五線譜がまっすぐにピコ先輩へと飛んでいく。

「なっ……なんだ!?」

 五線譜はピコ先輩に巻きついていく。

 あたしは立ち上がった。

「ヨクト! あとはおねがい!」

 あたしは指揮棒を持ってないから。

 ヨクトはピコ先輩をきっとにらみつけると、指揮棒をかまえた。

「よせっ! やめろっ……。やめてくれー!」

 そして指揮棒が振られる。


   ♪


 夜の教室には、たくさんの先生たちが集まっていた。

 先生たちが取り囲む輪の中心には、ピコ先輩が横たわっている。体は五線譜にしばられたままで、まだ目を覚ましたばかりでぼんやりとしていた。

 かわいそうだから五線譜はといてあげなさいって言われたけど、あのときは無我夢中でやったからどうしたらいいのかわかんない。指揮棒を返してもらったけどどうすることもできないあたしに、しかたなくピコ先輩は医務室へとつれて行かれた。

「もう夜もおそい。話は明日ゆっくり聞くから、今日のところは帰りなさい」

 そう学院長に言われて、あたしとヨクトは教室をあとにした。


 頭の上には、満点の星空が広がっている。明るくて静かな夜だ。

 ヨクトは教室を出てから一言も話さない。ただだまってあたしの手を引いて歩くだけだ。

 そう、手をつながれてるの! どういうこと!?

 助けにきてくれただけでもときめいちゃうのに、こんなのって……。手をつなぐとか、まだあたしには早いよー!

 ふいにヨクトがぐいっと手を引っぱった。

「手、大丈夫か?」

 ヨクトの視線はあたしの手首にそそがれている。

 そっか。しばられてたから心配してくれてるんだ。

「大丈夫だよ。先生がいやしの音を奏でてくれたし」

 ヨクトが奏でた音楽は、ピコ先輩を傷つけるものではなかった。全身の力を抜かせてしまうもので、へなへなとピコ先輩がへたり込んだところに、先生たちが飛び込んできたのだ。

 あとにナノが続いて、ナノが先生たちに伝えてくれたんだとわかった。

 ナノも一緒に帰ろうって言ったんだけど、ちょっと先生に聞きたいことがあるからってニヤニヤしながら言われちゃった。あれは絶対、あたしとヨクトを二人で帰らせるためだな……。

「そっか」

 ヨクトがほっと息をつく。

「そっ、それにしても、よくあの場所にいるってわかったね」

 安心したようなその表情に、あたしの心臓はまたはねた。それをごまかすように、別の話題をふる。

「ナノがおれの部屋にやってきてさ、ミリが帰ってこないから探してくれって言われたんだ。学院の玄関でわかれてそれきりだって言うから、まだ学院にいるのかなって思って。……そしたらおまえの音が聞こえてきたんだよ」

「音?」

 あのときあたしは指揮棒を取り上げられていた。音楽は奏でられないはずだ。どういうこと?

「いつも……。おまえのそばにいると、音が聞こえたんだ。きれいな澄んだ音。それが聞こえたから、ミリがあそこにいるってわかったんだ」

 きれいって……。そんなこと言われたら照れちゃうよ……。

「ヨクトは人の発する音が聞こえるってこと?」

「あぁ。でもミリみたいなきれいな音を聞いたのは、はじめてだったんだ。だから最初、こいつがこんな音を出せるなんてってゆるせなくて……。あっ! でもいまはちがうからな!?」

 ヨクトは焦ったように身を乗り出して、あたしに言う。あたしはびっくりしちゃって、ヨクトの目を見つめてしまった。

 あたしたちは、そうして黙って見つめ合った。

 もしかして……。あたしたち、同じ気持ちなの……?

「ミリ、あのさ」

 あたしたちの手はつながれたままだ。こんなに近かったら、あたしにもヨクトの音が聞こえてきそう。

「ダンスパーティ、もう一緒におどるやつ決まってる?」

「ううん……。まだだよ」

 あたしがそう言うと、ヨクトの顔がぱあっとかがやいた。うぅ……。こんな表情もすてきだと思ってしまうなんて……。恋の病はほんとこわい!

「じゃあさ、おれと一緒に……おどらないか?」

 さっきまでの表情は一変。不安そうにあたしの顔をのぞきこんでくる。

 そんなに不安にならなくてもいいよ。返事は決まってる。

「よろこんで」


 そうしてあたしたちは、手をつないだまま寮へと帰った。


   ♪


 鳥の声がする。

 目を覚まして、起き上がる。カーテンのすき間からもれる日の光に、ぼんやりとした頭で「あぁ朝か」と思った。

 あたしは右手に視線を落とした。

 夢じゃないよね? きのう、たしかにヨクトと手をつないで夜道を帰った。

 ダンスにさそわれたことも……。

 そこで視線を感じて顔を上げた。

「わぁ!?」

 ナノがベッドサイドにしゃがみ込んで、あたしをじっと見つめていた。いつからそこにいたの!?

「おはようミリ。いたいとことかケガしてるとこはない?」

「え? う、うん……。大丈夫……」

 思わず飛びはねたあたしに、ナノは淡々と聞いた。

「そう」

 そうしてゆらりと立ち上がる。と思ったら、おもいっきりあたしのむねに飛び込んできた! あたしはふたたびベッドにたおれ込んでしまった。

「ミリー! ごめんね! あたしがピコ先輩の言葉を信じなければ……。ヨクトと話をしなよって言わなければ、こんなこわい思いしなくてすんだのに……。ミリが帰ってこなかったら、どうしようかと思った……!」

 ナノはあたしに抱きついたまま、そう言う。

 そっか……。心配かけちゃったよね。きのうはちゃんと話せなかったし、わるいことをしちゃった。

「ナノ、あたしはナノのせいだなんて思ってないよ」

「うそ! わたしがおせっかい焼かなきゃこんなことにはならなかったのに……」

 ナノががばっと顔を上げた。ナノのほっぺたは涙にぬれている。

 あたしはナノの頭に手を伸ばす。そのまま引き寄せると、ナノは簡単にあたしの胸にたおれ込んだ。

「だってあたしもピコ先輩を信じちゃったんだもん。おたがいさま。それよりも、さがしてくれてありがとね」

 それきりナノはだまり込んでしまった。小さく肩がふるえている。泣かせるつもりじゃなかったんだけどなぁ。

 ひとしきり泣いて、あたしたちはベッド際に腰かけた。

「あのね。きのう、ヨクトにダンスさそわれたんだ」

「えっ!? 本当!?」

「うん。ナノのおかげだよ。ありがとね」

 ナノはみるみる笑顔になっていく。あぁそうだ、やっぱりナノは笑ってるほうがいい。

「おめでとう! よかったね……! わたしもうれしい!」

 あたしもうれしい。ナノまでこんなによろこんでくれることがうれしい。

 本当に、あたしはいい友達を持った。


   ♪


 それから。

 ピコ先輩は退学になって、クリスマスパーティの準備はとどこおりなく進んだ。かんのいい子たちが犯人は先輩だったんじゃとうわさしてたけど、パーティの日がせまるにつれてそんなことは忘れ去られたようだ。

 そう。パーティ当日。

 今日は制服じゃない。赤と白のチェックのドレス。ふくらはぎまでの丈で、少しおとなっぽい。学院の正装だ。

 髪は朝からナノにしてもらった。きれいにブローして、ハーフアップに。パパからもらった三日月のチョーカーを、うまく編みこんでもらった。ミルクティー色の髪の上で、チャームがちりんと鳴る。

 とうのナノはというと、なんとフェムト先輩と一緒にいるの! 準備の合い間にダンスにさそわれたんだって。びっくりだよね。

 講堂はいろんな音楽であふれていた。みんな、思い思いに指揮棒を振って楽しそうだ。

 壁際のテーブルには、色とりどりのごちそうが並んでいる。大きなタンドリーチキンに厚切りローストビーフ。シャンメリーに色とりどりのケーキ。あたしもさっき少し食べたけど、どれもおいしかった。

 まぁヨクトのことを考えて胸がいっぱいで、あんまり入らなかったんだけど……。

「ミリさん」

 声に顔を上げた。

 少しはなれたところに、学院長が立っている。

 今日の学院長は体にそった黒のドレスで、胸もとのレースがすごくきれいだ。長い髪はていねいに編みこまれている。

 手招きする学院長のもとへ、あたしはかけ寄った。

「体の調子はもう大丈夫ですか?」

「はい! 先生がいやしの音を奏でてくれたから」

 気にしてくれてたんだろうか? へへへ、ちょっとうれしいな。学院長ってなんとなくママに雰囲気似てるから。こうして話してると、ママと話してる気分になってくるの。

「それはよかった。……それにしても、あなたはわたくしの予想をはるかにこえて、力を発揮してくれますね」

「力……?」

 なんだろう? あたし、なにかしたっけ?

 あたしが首をかしげてると、学院長はふわりと笑った。

「あの晩。手首のいましめを解いて、五線譜をあやつったでしょう? 指揮棒も使わずに」

 そういえばそんなこともあったっけ。あのときは無我夢中で、うっかり忘れちゃってた。

「普通、音の魔法を使うには指揮棒がいります。あなたにはひめたる力があるとは思っていたけれど、まさか自由自在に音をあやつる力だとは思いませんでした」

 そうなんだ!

 でもあのときは本当に必死だったからなぁ……。いま同じことをやれって言われても、できる気がしないや。

「『耳』のヨクトさんに、『腕』のミリさん。今年の新入生は優秀な生徒が多くてうれしいですよ」

 では楽しんで、と学院長は去っていった。

 学院長もヨクトの耳のこと知ってたんだ。そうだよな。学院長だもん。

 ヨクトの耳は本当にすごい。人の音っていうのがあたしにはどういうものなのかわかんないけど、聴音のテストはいつも一番だったもんね。

 ……あたしの音、澄んだきれいなものだって言ってた。どんな音なんだろう……?

 ヨクトに聞こえているあたしの音が、そんなものだなんて正直はずかしい。まじめな顔で言われちゃって、思い出しても照れちゃう。

 まわりの音が引いていって、音楽が変わった。ダンスタイムの始まりだ。

「ミリ」

 呼ぶ声にドキッとする。大丈夫、今日は猫耳は出さない。

 振り返ると、そこにはヨクトがいた。黒のスーツにダークグレーのチェックのネクタイ。うぅ……くやしいくらい似合ってる……。

 ヨクトは右手を差し出してきた。音楽はゆっくりとしたバラードが流れている。先生たちが演奏しているようだ。

 手を取るのがはずかしくて、ちらりとヨクトの顔をぬすみ見る。ヨクトもちょっと緊張してるみたい。あたしたち、同じ気持ちみたいね。

 あたしは意を決してヨクトの手を取った。手と手がふれた瞬間、ヨクトがぴくりとしたのがわかった。

 手をつないだあたしたちは、フロアの真ん中の方へと進む。

 右へ。左へ。

 音楽に合わせてゆらゆらと。

 ヨクトとあたしの視線はずっとかみ合っている。自分の心臓がとくとくと脈打つのがわかった。

「すごい。いつもより『音』が大きく聞こえる」

 ~~こんなときになにを言うのよ!

「誰のせいだと思ってるのよ……!」

「ははっ、おれのせいか」

 ……ほんとにずるい。そんな風に笑えるなんて、知らなかったわよ……。

 音数はしだいに少なくなっていって、一曲目が終わった。

 続いて軽やかなメロディが講堂にひびき渡る。次は軽快なダンスナンバーだ。

 あたしたちはハイタッチを交わしたり、くるくる回ったりして、だんだん楽しい気持ちになってきた!

 音楽が楽しいからかな? それともヨクトとおどるから?

 となりにナノたちがやってきた。あたしたちはパートナーを交換して、おどり続ける。もちろんナノと! フェムト先輩とおどるはめになったヨクトはみけんにしわが寄ってるけど、ナノともおどりたかったんだもーん。

 くるくる回ってハイタッチ! あたしもナノも笑ってて、もとのパートナーのところへと戻る。手をにぎる瞬間、やっぱりまだ少し緊張しちゃう。

 ポップな音楽が、ジャン! と鳴って終わった。次で最後の曲だ。

 楽典の先生が指揮棒を振って、せんさいな弦楽器の音が鳴り始めた。音楽史の先生の木管楽器の音も重なって、ワルツが始まる。

 ヨクトの手はあったかい。それともあたしの手が熱いの?

 ずっと視線はからみ合ったままで、とくとくと心臓が脈打つんだけど、目を反らすことができない。

「ミリ……」

 手のひら以上に、あたしの名前を呼ぶその声は熱かった。心拍数が上がっていく。

「好きだ」

 息が止まりそうだった。本当にヨクトも同じ気持ちだったなんて!

 あたしたちのステップは止まらない。頭の中はまっしろになってしまってるのに、ヨクトにリードされて自然と動いてしまうんだ。

 ヨクトがふっと笑った。

「返事は?」

 この顔……!

 絶対あたしの音を聞いてわかってるわね!?

「~~聞こえてるんじゃないの!?」

「でもおまえの口から聞きたい」

 ほんとにずるい!

 ……でもヨクトはちゃんと言ってくれたんだもんね。あたしもちゃんと自分の言葉で伝えなきゃ。

「あたしも……すき……」

 なんて意気込んだけど、消え入るような声しか出せなかった。

 バカバカバカ! 聞こえなかったかもしれない……。

 恥ずかしすぎて目を反らしちゃったけど、ヨクトからの反応はない。ちらりと視線を上げると、あたしびっくりしちゃった。

「やべぇ……。うれしすぎる……」

 まっかな顔のヨクトがそこにはいた。ダンスは止まらない。顔を隠したいんだろうけど、手をつないでるせいでそれは叶わない。

 ダンスタイムでよかったかも。こんな顔のヨクト、きっとそうそう見られない。

「へへ、あたしもうれしい」

 あたしがそう言って笑うと、ヨクトはなにか言いたげにあたしを見る。そして片手をはなすと、あたしの手を引いて歩き出した。

「ヨクト? まだダンスタイム終わってないよ?」

「いいから」

 ヨクトが向かったのは、バルコニーだった。ここにも温室と同じオルゴールが置かれていて、そこまで寒さは感じない。

 あたしと向き合ったヨクトは、手をはなしてしまった。ちょっと名残惜しい。もう少しつないでいたかったな。

 あたしがそう考えていると、目の前にお花が差し出された。

「ヨクト……?」

「ほら……。ジンクスがあるだろ」

 知ってたんだ……。

 ヨクトが胸につけていたのは、雪割草のお花。薄紫のかれんなお花が黒のスーツに映えて、すごくきれい。

 あたしはそれを受け取って、あわてて自分の胸もとからエーデルワイスのお花をはずした。

「ど、どうぞ……」

 おずおずと差し出すと、ヨクトははにかんで受け取ってくれた。にゃああ恥ずかしい……!

 交換したお花をおたがい自分の胸もとに差す。自分の大事なお花が、大好きな人のもとにあることがうれしい。あたしたちはへへっと笑っちゃった。

「あ、雪……」

 空を見上げると白い雪がはらはらと降り始めていた。ホワイトクリスマスなんてロマンティック。

 広げた手のひらに雪のお花が落ちて、しずかに消える。

 冷たいのは一瞬だった。

「中に戻るか?」

「ううん、大丈夫」

 オルゴールのおかげでそんなに寒くない。

 講堂の音楽はかすかにここまで聞こえている。ダンスタイムも終盤だ。

「もう少し、おどるか?」

「うん」

 あたしたちはどちらからともなく手を取った。

 音楽に合わせてワン・トゥー・スリー、ワン・トゥー・スリー。

 この時間が永遠に続けばいいと思ってしまう。だけどいつかは終わってしまうんだね。

 でもひとつのことが終わったら、また新しいことが始まるの。それって永遠と似てる気がする。

 手をにぎる力が強くなった。

 きっとこの手ははなさない。だってジンクスがあるから。永遠なんて信じちゃう。

 ヨクトがいると、なんだってできそうな気がするの。これって音の魔法よりすごい魔法じゃない?


 そして弦楽器の音が高くひびいて、ダンスタイムが終わった。


   ♪


 あした、ママに手紙を書こう。

 学院生活は順調ですって。テストで失敗しちゃうこともあるけど、ママみたいな魔女になりたいからがんばれるって。

 パパと出会ったときのことも聞いてみたい。どんなとこを好きになった? パパに音楽を贈りたいって思ったことある? あたしはあるよ。

 この先どんな音を奏でられるかな?

 たくさんしあわせな音を奏でていきたい。好きなものでいっぱいな五線譜ノートにできたらいいと思う。

 ママと、パパと、ナノと、そしてヨクト。

 大好きなみんなのための、しあわせな音楽を。


       〈おわり〉

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猫魔女ミリの五線譜ノート 安芸咲良 @akisakura

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