絵月と甘酒

水谷なっぱ

絵月と甘酒

 「え、なにこれ、うま!?」

 「は? 馬?」

 「馬関係ない。うまいって言いたかったけど出てこないくらいおいしかったの」

 「そうだね、おいしい」

 「うーん、買って帰ろうかな、酒粕」


 絵月は友達の桜とバスツアーにて酒造に見学に来ていた。そこで飲んだ甘酒がびっくりするくらいおいしかったため冒頭の発言に至る。

 「いいんじゃない。絵月さん甘酒好きでしょ」

 「好きじゃないです。買ってきます」

 絵月は甘酒は取り立てて好きではない。しかし彼女には"嫌いなものを時々食べてまだ苦手かどうか確認する"癖があり、甘酒はその一環でよく飲んでいた。観光地の社寺仏閣や名所と呼ばれる場所ではだいたい甘酒の屋台が出ていて、それを見つけるたびに買って飲んでは「やっぱりおいしくないな」「でもまあ甘酒ってこんな味だし」「いやこれはこれでおいしいのかもしれない」という三段思考を繰り返している。

 いつも絵月と旅行をする桜からすれば毎回甘酒を飲んでいる絵月は甘酒好きにしか見えなかった。


 桜との旅行から数日後。絵月は買ってきた酒粕で甘酒を作ることにした。だが絵月は甘酒の作り方を知らない。酒粕に水と砂糖を入れて煮る? くらいの知識である。それも子供のころに父親がそうやって作っていたのを思い出しただけだ。

 とりあえず作り方を調べることにする。その結果、甘酒の作り方の基本的な流れは絵月の想像通りであった。酒粕に水と砂糖を入れて煮るだけである。しかし細かいバリエーションがいろいろあった。水の量から砂糖の量、上白糖ではなく黒糖やきび砂糖、なんなら砂糖を使わないレシピもある。ごはんに麹を入れる作り方も見つけたが温度管理ができないし雑菌が入って絵月が死ぬ気がしたのでやめた。他にも水ではなく豆乳を使う方法もある。

 一通り悩んだ末に絵月が選んだのは酒粕のパッケージの裏に記載されている作り方であった。酒造お勧めの作り方なら失敗はないだろという希望的観測からの選択である。

 まずは鍋に酒粕と水を入れてゆっくりと温める。沸騰してきたら砂糖を入れてゆっくりとかき混ぜる。とろみがついたら完成だ。

 なんて簡単なのだろう。こんなに簡単でいいのだろうか。あの優しい甘さやしっとりとした舌触りを再現するためにはもっと複雑な手順が必要なのではないか? 絵月はそう思いながらも一口甘酒を飲んでみた。

 「これは……うん、おいしい」

 その味は先日の味よりはいささかさっぱりしていたものの、確かにおいしい甘酒だった。いつぞやのカキフライとは違う一発での成功に絵月はガッツポーズをして自身の勝利を喜ぶ。その甘酒はちゃんと甘酒の味をしていた。穏やかな甘みにしっとりとした舌触り、独特の酒臭さはあまり感じない。やはり良い酒粕だからであろうか。

 

 そうしてしばらくはその甘酒を飲んで過ごしていた。けれども、そもそも量をそんなに作っていなかったため数日で甘酒はなくなった。酒粕はまだ残っているので作ろうと思えば甘酒を作ることはできるが、絵月は基本的に面倒くさがりである。甘酒は飲みたい。でも作るのもその後に鍋を洗うのも面倒くさい。

 そう言うわけで彼女は近所のスーパーで甘酒を買ってきた。既製品の缶甘酒だ。カップに移して電子レンジで温めれば完成というお手軽さに誘惑された。

 「……薄い」

 えてして既製品の甘酒は薄かった。確かに臭みや癖はない。けれど甘酒としての風味もない。それはただの甘酒風味のお湯でしかなかった。絵月はパッケージを確認するが"昔ながらの甘酒"と書かれている。

 「嘘だ」

 それはまったくの嘘だと絵月は思う。このような甘酒もどきが甘酒を名乗っても良いのだろうか? いや良くない。甘酒は甘酒として伝統と文化と誇りをもって名乗るべきであり、薄めた甘酒だか濃厚なお湯だかが名乗ってよいものではないのである。

 絵月は憤りを覚えると同時にわずかながらの諦めもあった。なんといってもこれは缶甘酒なのである。一部のコーヒー好きが缶コーヒーを拒絶するのと同じなのだ。万人に受け入れられるために甘酒にしろコーヒーにしろ、その特色をある程度は諦めなければならなかったのだ。彼らには彼らの事情と都合があり、なにがしかを諦め、切り捨て、一部のコアなマニアではなく大衆を選んでいる。だからそう易々と否定するのも良くないな。そう絵月は考えた。

 とはいえ絵月は自分では甘酒についてコアなマニアではないと思っている。思っているだけで、観光地に行けば必ず甘酒を飲み、あまつさえ酒粕を買ってきて甘酒作りをする絵月は傍から見たら甘酒好きにしか見えないのだが。

 

 なんにせよ缶甘酒は絵月の口に合わなかった。そうなればもう自身の口に合う甘酒は自作するか観光地を巡るかしかないのである。

 絵月はしがないOLの身であるため、そうしょっちゅう、しかも甘酒のために旅行することはできない。そして手元には酒粕がある。自作以外の選択肢はなかった。

 せっかくなので絵月は前回とは違うレシピで甘酒を作ることにした。前回気になったレシピはピックアップしておいたため、その中から選ぶことにする。

 絵月が今回選んだのは豆乳を入れるレシピだ。水の代わりに豆乳を入れることで味がまろやかになるらしい。彼女はもともと牛乳より豆乳派であるため家に豆乳が常備されている。だからなんら問題はないはずだった。ない、はずだった。

 「……豆乳臭い」

 結果はなんとも言い難いものだった。

 別に不味くはない。まったりとしたまろやかな甘酒である。なのだが、豆乳が強すぎた。酒粕と豆乳が互いに補完し合い協力体制を取ってくれれば良かったはずが、いがみ合った挙句に相打ちしたイメージだ。互いに互いの良いところを打ち消し合い、かろうじて豆乳の悪いところが生き残っている。これでは大豆風味の酒粕であり、絵月の求めた甘酒とはかけ離れている。

 「どうしてこうなったんだろう?」

 絵月は首をかしげるが、よくわからないままだった。

 

 数日間、絵月は大豆風味の酒粕を飲んで過ごした。日を追うごとに大豆風味は増すばかりであり、大豆にうなされそうになったりもした。しかし物はいつかなくなるのである。ようやく大豆風味の酒粕を飲み終えた絵月は悩んでいた。

 再び新しい甘酒レシピに挑戦するか? はたまた基本に帰るべきか?

 ここまで来てしまってはもはや退路などない。ということで絵月は新しい甘酒レシピに挑むことにした。基本的に彼女はチャレンジャーなのである。ついでに楽観的でもある。

 新しいレシピは"濃厚な甘酒"をうたったレシピであった。酒粕の量は変わらないが、水を少なくして砂糖を多めにしている。それならば缶甘酒のような薄い味にはならないだろうし、甘酒の甘酒として確立された濃い味を楽しめるに違いないと絵月は期待していた。

 「あま――い」

 結果はまたしても微妙だった。砂糖が多すぎたのである。酒粕の風味が吹っ飛ぶほどの甘さのそれは、絵月に大きなダメージを与えた。

 どうしてわたしはノーマルなレシピにしなかったのだろう。どうしていらないアレンジを効かせてしまったのだろう。水を追加して薄めたら少しはマシな味になるだろうか? いやいやいや、そんなことをしてもきっと更なる悲劇を呼ぶだけだ。

 そう考えて絵月は諦めた。チャレンジャーではあるものの手を引くのは早い絵月だった。

 

 濃厚な甘酒を消費するのにはそれなりに日にちを要した。いかんせん味が濃すぎるために一度に大量に飲めないからである。

 なんとかしてその濃い甘酒を飲みきった絵月はなんとはなしにスーパーで缶甘酒を買ってみた。

 「……これはこれでおいしい気がしてきた」

 薄いことは薄いのだが、逆に濃すぎることはない。大豆の風味はしないし、甘すぎることもないあっさりした味である。最近の癖のある甘酒に懲りていた絵月にはむしろ新鮮に感じられた。以前酷評した缶甘酒ではあるが、同時に"万人受けを狙ったものである"とも評している。その評価は正しかったのだ。濃厚な甘酒に疲れた絵月の舌には缶甘酒くらいの薄さが調度よかった。

 とはいえ絵月は甘酒に飽き始めていた。まだ酒粕はある。けどそれらは小分けにして冷凍してある。だからそう急いで消費することもないのだ。

 絵月は一度飽きるとそのまま放置する癖がある。「もういいや」と思ったら、そのことが頭からすっぽりと抜けてしまうのだ。だから酒粕についてもすっかり忘れて放置していた。

 

 数か月後、絵月は冷凍庫にある酒粕を発見した。

 「わ――……?」

 見た目は普通の凍った酒粕であり、変色や異臭もない。インターネットで調べたところ酒粕は冷凍保存すれば1年は持つと書いてあったので大丈夫であろう。

 絵月は久しぶりに普通の、豆乳入りではなく砂糖も多すぎないごく普通の甘酒を作ってみた。

 「これは……うん、この味だ」

 その甘酒はおいしい甘酒としてそこにあった。甘すぎず、穏やかで優しい甘酒である。やはりスタンダードな甘酒が一番おいしいと思う。

 「……」

 そこで絵月は気づいてしまった。自分が甘酒好きとなっていることに。

 傍から見れば絵月は甘酒に飽きる前、それこそ観光地に旅行するたびに甘酒を買って飲んでいるくらいなのだから十分な甘酒好きと言える。しかし当の本人はそのことを頑なに否定していた。

 ――自分は甘酒が好きなわけではなく、大して好きでもない甘酒をおいしく感じられるようになっているかどうかを確認したいだけである。

 ――大人になったことや、より上質なものを口にすることで好き嫌いが変わっていないか確認したいだけである。

 という風に。

 けれども今回は認めざるを得なかった。絵月は甘酒が好きなのである。時折飲まなくては心もとない気持ちになってしまうのだ。そのうち飲まないと禁断症状が出るようになるかもしれない。

 甘酒を飲まないことによる禁断症状がどのようなものか絵月は知らないが、おそらく正気を失ったり、甘酒の夢を見たり、甘酒の幻覚を見たりするのだろう。それはちょっと嫌だなと思う。街中で甘酒を求めて叫びだすだなんて危ない人ではないか。

 そうならないためにも完全に飽きるまでは定期的に甘酒を摂取するようにしよう。でもあまり過剰摂取するとカキフライのときのように、うまく距離感を掴めなくなって飽きてしまうから気をつけよう。

 絵月はそう決めて、残りの甘酒を飲みつつ、インターネットでおいしい酒粕を売っているオンラインストアを探し始めた。

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