お通し、おかわり
てめえ
第1話
「客なんて来ないじゃない……」
誰もいない小汚い店で、私は独り愚痴る。
昨日の土曜日から、この店には一人も客が来ていない。
大体、駅から徒歩10分以上だし、周囲に人を集めるような施設もないし、大きい街道からも結構歩かなきゃいけないし、周りには住宅街しかないし……。
こんな場所で飲み屋なんかやったって、お客なんて来るわけがない。
おまけに、店主は酔って転び、足首を折り、入院中にて不在……。
ほぼ素人同然の私が一人で何時間ここにいたって、事態が変わるわけもないのだ。
だから嫌だったのだ。
叔父が、
「復帰するまでの一ヶ月だから……」
と、無理矢理私に店を押しつけたのだが、私にだって生活がある。
これでも私は女子大生……。あまり優秀とは言い難い大学の四年生でしかないが、とりあえず就職も決まり、あとは卒業さえすれば無事社会人の仲間入りだ。
単位も順調に取得しているし、バイト先でも比較的かわいがられてるし、何の不満もなく暮らしていたのだ。一昨日までは……。
「バイト代はちゃんと出すからさ……」
叔父はそう言っていたが、この分ではただ働きの可能性が大だ。
カウンター席と小上がり席が4席しかないこの店だが、それでも家賃は払っているはずだ。仕入れた酒や食材の払いだってあるだろう。
さすがにこの小汚い店では人を雇っているなんてことはないだろうが、それでも商売をしていれば経費は掛かる。
「いて、酒を出して、お酌さえしてくれれば……」
とか、叔父はお気楽なことを言っていたけど、この分では家賃だって出ないだろう。
しょっちゅう素寒貧な叔父が、貯金などと洒落たことをしているわけもない。
致し方なく、客のいないこの店で、私は途方に暮れながら店番をするしかないのだった。
突然、ガラス戸が開いた。
お客さんだ。
見ると、Tシャツとジーンズ姿の男性が店内に入ってきていた。
まだ、残暑が厳しいので、夜の7時だと言うのに汗をかいているようだ。
この小汚い店で唯一の美徳は、クーラーが効いていること。
その唯一の美徳に癒されたのか、お客さんはホッとしたような顔をしている。
「とりあえず、ビールをくれ……。あと、何か腹に溜まるもの」
カウンターの真ん中の席に座るやいなや、お客さんは注文をした。
ビールは、まあ、何とでもなるけど、お腹に溜まるものって何だろう?
思案して答えが出るとも思えなかったので、こちらもとりあえず冷蔵庫を覗いて見る。
しかし、冷蔵庫には業務用の冷凍唐揚げが残っているのみ……。
まさか、こんな店で料理を注文する人がいるなんて思わなかったので、私も何も用意をしていなかったが、叔父はこの冷蔵庫の中身でいつもどうやって営業していたのだろう?
ただ、お客さんの注文に応えるにはこれしかない。
「唐揚げで宜しいでしょうか?」
「ああ、何でも良い」
「すいません……、本日は店主が不在で大したおもてなしもできなくて……」
「ん? ああ、そうなんだ」
何とも淡泊なお客さんで助かった。30代前半くらいの感じだが、注文してからはスマホを見ているだけだし。
「ビール、お待たせ致しました」
「……、……」
「お注ぎ致しましょうか?」
「いや、自分でやるよ」
バイト先の牛丼チェーン店では、お酒を注ぐようなサービスは一切ない。だから、そんなことをしたこともなかったが、一応飲み屋でもあることだし、多少は気を利かせないといけないと思ったのだ。
しかし、私の思惑など関係ないように、お客さんは一人でビールを飲み出した。
一杯目のビールは、何処のどんな店でも美味しい。こんな場末の飲み屋でも……。外が蒸し暑いとなれば尚更だ。
初めてのお客さんで戸惑っていたが、何とかなりそうで少しホッとする。
「唐揚げです……」
私は恐る恐る、皿を差し出した。
……と言うのも、あまり上手に出来なかったからだ。
普段、揚げ物をやるときには、油を大きめのフライパンに入れて揚げる。
しかし、この店にはフライパンがなかった。
代わりに、小さめのフライヤーがあり、普段はタイマー調節しながら揚げているようだ。
私は、フライヤーを使ったことがない。それに、冷凍食品も扱ったことがなかった。
だから、どのくらい火を通せば旨く揚がるのかが分らず、とにかく低温で焦がさないように気をつけながら揚げたのだ。
だが、そんなオッカナビックリ揚げた唐揚げが美味しいわけがない。きっと、油切れが悪く、中も火が通り過ぎてスカスカで美味しくはないだろう。
お客さんは、私から唐揚げの皿を受け取ると、黙々と食べ出した。
場末の飲み屋に何も期待していないのか、あまり美味しくなくても不満もないようだ。
もしかすると、お腹が減っているせいでそこそこ美味しく感じているのかもしれない。そんな希望的な心持ちで、黙々と唐揚げを食べるお客さんを眺めていた。
お客さんがビールと唐揚げを平らげている間、私は何もやることがなかった。
叔父はこういうときにどんな接客をするのだろう?
時候の話題か……? それとも、自分自身のことについて勝手に話せば良いのか……?
普通は他にも客がいて、話題なんか振らなくても良いのかも知れないが、狭い店内に二人きりなのに何の会話もないのでは気まず過ぎる。
あれこれと会話の切っ掛けを探すのだが、何も思い浮かばない。
それに、下手に話題を振って唐揚げの不出来に触れられるのも嫌だし……。
……と、考えていた私に、妙案が浮かんだ。
いや、妙案と言うか、単にやらなくてはいけないことを忘れていて、思い出しただけなのだが……。
何を忘れていたかと言うと、お通しを出すことだ。
叔父からも、
「お通しはそれだけでお金がもらえるから、何か作って出してね」
と、言われていたのだった。
「あの……、これ、遅くなりましたけど、お通しです」
「……、……」
お客さんは、不思議そうな顔でお通しの小鉢を受け取る。
よく見ると、お客さんはなかなかのイケメンだ。少し神経質そうな感じだが、悪い人ではなさそうに見える。
お通しには、サンマの煮付けを作っておいた。
昨日、実家からサンマが宅急便で届き、丁度良いので今朝からコトコト煮込んでいたのだ。
サンマは、毎年、この時期になると母が箱で送ってくれるのだが、大抵一人では食べきれずバイト先の主婦の方々にあげてしまう。
今年もバイト先に持っていくつもりであったが、この店の面倒を看ている間はバイトを休む予定なので、どうしようかと思案していたのだ。
余らせても勿体ないだけなので、お通しで消費出来るのはありがたいことであった。
「……、……」
「あの……、何か?」
お通しに箸を付けると、お客さんは急に顔を上げた。
しかも、私の方をジッと見つめている。
何かお通しが気に障ったのだろうか?
それとも、お通しが後から出てきたので、怒っているのだろうか?
「ビール、もう一本」
「はい……」
私の見立ては見当外れだったようだ。単にビールの追加注文をしたかっただけか。
私がどんなに素人同然でも、冷えたビールの魅力だけは変わらない。
ないない尽くしのこの店で、ビールだけがとても頼もしい存在に感じる。
「これ、姐さんが作ったのか?」
「ええ……、そうですけど」
お客さんは小鉢の中を指さして尋ねた。
ああ、やはり、素人料理だとバレてしまったか……。
サンマの煮付けは、母に仕込まれて美味しく作れるようになっていたはずだが、所詮は田舎の家庭料理……。首都圏のこの辺の人では口に合わないのだろう。
そう言えば、私は母に仕込まれた料理を他人に振る舞ったことがない。まあ、振る舞うような彼氏もいないので、致し方ないか……。
「くっ……、くっ……、くくっ……、くくくくっ……」
「……、……?」
「くっ、くっ、く……、あはは、あはははは……」
「……、……」
私がビールの栓を開けていると、お客さんが狂ったように笑い出した。
狭い店内に、お客さんの笑い声だけが響き渡る。
私には何がそんなにおかしいのか、まったく分らない。
「姐さん、クニは何処だい?」
「クニ……?」
「北国の出身じゃないの?」
「ええ……、そうですけど」
「この時期だとすれば、北海道の道東だろう?」
「はい、根室ですけど」
「ああ、やっぱそうか」
「あの……、訛ってました?」
「いや、そうじゃないよ。このサンマさ」
「サンマ?」
「この時期に首都圏でこんなサンマが手にはいるのは、道東か道北の出身者だけだからさ」
「確かに、サンマは実家から送られて来ましたけど……」
「そうだろうな……」
「……、……?」
私には、わけが分らない。どうしてサンマで私の出身地が分かるのだろう?
それに、お客さんが笑い出した意味もまだ分らない。
「お通しのおかわりをくれ」
「おかわり?」
「このサンマ、メチャクチャ美味い。食ったことねえよ、こんなの」
「……、……!」
「あるんだろう? おかわりくれよ。お通しでこんな美味いの初めてだよ」
「……、……」
口に合わなかったのではなかった。
お客さんの口調からすると、激賞されていると言って良いのかもしれない。
しかし、私にはどうしてお客さんがこんなに褒めてくれるのか、不思議で仕方がない。まあ、不味くはないだろうけど、所詮はサンマだ。ありふれた食材だし、この辺でもスーパーで売ってそうだし、それほど高い物でもないし……。
色々と思うところはあったが、とにかく注文を受けたからには出すしかない。
……と言うか、私の作ったモノが、こんなに褒められるなんて……。
「何か、不思議そうな顔をしてるね?」
「ええ、不味く作ったつもりはないですけど、そんなに美味しいですか?」
「ああ、そうか……。君は食べ慣れてるから分らないんだろうな、美味さが」
「……、……」
「サンマってのは、海流に乗って回遊してるのは知ってるだろう?」
「ええ……」
「暑い季節には北の方にいるし、寒い季節には南に下ってくる」
「……、……」
「今はまだ暑いから、サンマの群れは北の方にいるわけだ」
「……、……」
「つまり、今この辺に出回ってるサンマは、遠くで採れて冷凍された物なんだ」
「……、……」
「……で、冷凍物のサンマってのは、どんなに旨く冷凍保存しても、解凍すると内臓が緩くなる。場合によっては内臓が溶けて原型を留めなかったりする」
「……、……」
「これ、見てごらん。この煮付けは、内臓がしっかり原型を留めていて、プリプリしてるだろう?」
「……、……」
「この内臓は冷凍物じゃなく、生だと言う証拠なのさ」
「……、……」
なるほど……。私には見慣れた物だが、お客さんには珍しいのか。
そういう理屈なら、私の出身地に見当が付くのも分る気がする。
お客さんの言うように、私にはサンマは新鮮で当たり前の代物だ。
実家が漁業を営んでいるせいもあるが、魚介類なんて、新鮮じゃなかったら食べられない。
こっちに越してきて、何回か魚介の刺し盛りなども食べたが、生臭くて食べられなかった。あのときは店が悪いと思っていたのだが、そうではないのか。都会では新鮮なモノ自体があまりないのかもしれない。
「サンマのモノ自体も良いけど、この煮付けが美味いのはそれだけじゃないね」
「……、……」
「これ、土鍋かなんかで、凄く時間を掛けて煮たんだろう?」
「はい、コトコト煮るって教わりましたので」
「教えてくれたのはお母さん?」
「ええ……」
「料理上手なんだ……、君のお母さんは」
「……、……」
「世間で食べてる煮魚って、大きな釜で一気に煮上げるんだ」
「……、……」
「場合によっては圧力釜なんかを使う。でもさ、それだと身が柔らかくなりすぎてしまうんだよ」
「……、……」
「だから、コトコト煮るのが正しい。骨までそのまま食べられるのに、身がしっかりしてる煮魚ってのは、ほとんど出回ってないんだよ」
「……、……」
「このサンマの煮付けは、材料も調理法も完璧。しかも、それがお通しなんて……」
「……、……」
「そこら中で飲み歩いてるけど、マジで相当感動したよ」
「……、……」
褒められれば褒められるほど、私はなんだか恥ずかしくなった。
サンマを送ってくれたのは母だし、煮付けを教えてくれたのも母……。
私はと言えば、愚痴を垂れながら、ただ漫然とお店に座っていただけだから。
でも……。
そんな怠惰な自分を自覚しても、やはり褒められるのは嬉しかった。私自身ではなく、母や家族、故郷そのものを褒められたような気がするから……。
「他の店で飲み直そうと思ったけど、こんなお通しを出されたら、ここに腰を落ち着けるしかないな」
「ありがとうございます」
「姐さんには悪いけど、最初はすぐに帰るつもりだったんだ」
「……、……」
「店に入っても、いらっしゃいの一言もないし、ビールのグラスは冷えてないし、唐揚げは業務用のを揚げただけだし、お通しは後から出てくるし……」
「すいません……」
「でもさ、このお通しだけで、今日は良い気分で帰れそうだよ」
「……、……」
「あ、あと、姐さんもカワイイしな」
「……、……」
「グラス、もう一個持っておいで」
「はい……?」
「君も飲めるんだろう? 付き合ってくれ」
「あ、ありがとうございます」
淡泊なお客さんだと思っていたけど、大きな間違いだった。何もかも、彼は見ていたのだ。
素人同然な私だから仕方がないとも思うけど、それでも私に出来ることはキチンとやらなくてはいけない。
大体、いらっしゃいの一言くらい、いつもバイト先で声掛けしてるのに……。
私、臨時で入ったので、自分自身に言い訳をして怠けていたかな?
それにしても、カワイイだなんて……。
そんなことを異性に言われたのは……、……、……、初めてです。
「明日は、塩焼きも食べたいな……。準備しておいてくれ」
「はい……」
お客さんは、そう言い残して帰って行った。
あれから、焼酎のボトルを一本空けて……。
私もかなり御相伴に与り、ボトルを空ける手伝いをした。
お客さんが帰った店内には、また私だけが残った。
でも、今はこの小汚い店が妙に愛おしく思えた。
お通し、おかわり てめえ @temee
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