XIII 戦士

 松明の火がゆらゆらと揺れていた。規則正しい軍靴の音がアルタイルの地面を震わせる。


 日没の群青を纏ったカルディア王国軍に相対するのは、夜天の黒を纏ったアルスタニア帝国軍だ。


「撃てェッ!」


 帝国軍の号令を合図に、狙撃部隊の銃が奏でる破裂音と、走り出す両軍の怒号、足音が轟、と夜天に響き渡る。

 エリルは号令とほぼ同時に引き金を引いていた。

 王国軍の側面に居た兵士が頭から血を吹き出して倒れる。咄嗟にレバーを引いて薬莢を排出し、同時に弾倉から薬室に弾丸を送り込む。再度照準器を覗き、また一人の頭に狙いを定めて引き金を引く。


 既に戦闘は始まっていた。剣戟と怒号、悲鳴が夜を染め上げていくような印象を抱いた。

 現在、直接戦闘を行う白兵部隊に人手を取られているのか、カルディア兵がこちらに向かって来る気配は無い。

 敵の数を減らすのなら今しかない。

 エリルは淡々と引き金を引いていく。吐き出された弾丸は寸分違わず、カルディア兵の頭を撃ち抜いて行く。


 狂いは無い。


「交代!」

 弾が切れたエリルが銃を下ろし、すぐに相方の少年が身を乗り出して銃を構える。

 寸分の躊躇いもなく引き金を引く姿を見て、すぐに手元から弾丸を込めていく。


 七発全てを込め終え、レバーを引いて最初の一発を薬室に送り込む。

 緊張は無い。恐怖も無い。


 出発する前は恐ろしかった。戦場で戦うことで何が起こるか、それがどういう意味を持つのか想像出来ない程子供ではない。

 だが実際に銃を構えた時、それらは波が引くように消えていった。

 今、戦場に在りながらエリルの心は穏やかに凪いでいた。相棒の銃声を聞きながら、目を閉じゆっくりと深呼吸をする。


「交代!」

 声に促され、エリルは目を開き再度屋根の上に身を乗り出した。



 弾が尽きる毎に交代を繰り返し、少年が四度目の狙撃に入った時のことだった。

「エリルさん、カルディア軍の何人かが、こちらに向かって来ています!」


 少年が照準器を覗き込んだまま、焦りを滲ませた声で叫んだ。エリルは頷き、予め煙突に巻き付けていたロープを握ってすぐに屋根を降りる。

「君はそこに居て!私が相手をする!」

 エリルは建物に立て掛けられていた銀色の槍を手に取る。すぐに足音を伴い、群青色の軍服を纏ったカルディア兵が現れた。

 敵は三人だ。皆槍を携え、使命感を帯びた表情で鋭くエリルを睨んでいる。

「穢らわしいアルスタニアの傀儡が!」

「先に侵略してきたのは貴方達でしょう!」

 嘲る一人の兵を目掛け、手にした槍を振り薙いだ。穂先は彼の腹を捉え、隣を走っていた別の兵士を巻き添えにして民家の壁に叩きつけられる。

「おのれ!」

 残りの一人がエリルに向けて真っ直ぐに槍を突き出す。エリルは腰を捻り、間一髪で穂先に貫かれる未来を回避した。

 その勢いのまま身体を回転させ、遠心力を使い槍の穂先を彼の頭に振り下ろす。


「おのれェ!」

 断末魔を上げる暇も無く絶命した仲間を見て、先刻の二人も立ち上がりエリルに向かって突きかかる。

「っ!」

 しかし、エリルはそれを許さない。勢いを殺さないままいち早く立ち上がった無傷の兵士の胸を貫き、残る腹部を負傷した兵士の心臓に槍を突き立てた。

「ぐぅっ……クソ……血染めの天秤が……いつか、天……罰が……」

 苦悶と憎しみに満ちた呪詛を残し、カルディア兵は息絶えた。

「……天……罰……?」

 視界がぐらりと揺れ、エリルは遺体から槍を引き抜く。血に染まった刃を見て、身体を貫いた感覚が蘇り嘔吐感に口元を押さえる。

「だ、駄目だ……早く戻らないと……」

 震える声で言い聞かせ、上を見上げたその時、重い音を立てて何かがエリルの前に落ちた。

「……え?」

 エリルは足音を見下ろす。相棒の少年が、虚ろに目を見開いて死んでいた。

 喉には小型のナイフが突き刺さっている。

「う、嘘……」

 理解が追いつかない。少年の濁った瞳がエリルをじっと見つめていた。


「甘いな、娘」


 突如、氷を当てがわれたような怖気がエリルの背を這う。何を考えるでもなく、無意識に槍を振り薙いでいた。

 しかし、それは甲高い金属音と共に相手の持つ槍の柄に阻まれる。


 エリルの槍を受け止めていたのは、白金色の髪を持つカルディア兵だった。

 気品に満ちていながら、軟弱さは一切感じられない美丈夫。

 開戦前、照準器越しに見た姿に今度こそ背筋が凍る。


「──カイン……将軍……!」


 新緑色の瞳が微かに細められ、カインが動いた。

 手首を返しエリルの槍を弾く。甲高い金属音が響き、急な重力の変動に耐え切れずエリルの手から槍が離れる。

 拙い──と、エリルが思った刹那、間合いに入ったカインの手がエリルの首を掴み締め上げた。

「っ……あっ……ぐぅっ……」

 ギリギリと首筋に食い込む指先に苦悶の呻きを漏らす。手首を掴み抵抗するものの、力が強過ぎてびくともしない。

「──お前は」

 それまで無言を貫いていたカインが、静かに口を開いた。

「エリル・オースディンで間違い無いな」

「づっ……それ、が……」

 何、と問い返す暇も与えず、カインは無造作にエリルを地面に放り捨てた。

「立て。貴様の狙いは私だろう」

 地面に転がり、一気に肺へと流れ込んだ酸素に噎せるエリルに、カインは冷えた声で告げる。エリルはひゅっと息を呑んだ。

「どうして、それを……」

「図星か」

 カインは冷然とエリルを見下ろす。その瞳には嘲りも哀れみも、怒りも無い。あるのはただ、鋭利に研ぎ澄まされた殺意のみだ。


 荒く吐き出す息が震える。奥歯がかちかちと鳴っていた。

 首都を発つ直前まで抱いていた恐怖が蘇る。

「立て、娘」

 しかし、エリルは先程手放した槍を手に取り立ち上がる。

「──望むところだ」

 ありったけの戦意を掻き集め、エリルはカインを睨めつける。

 未だ戦闘は続いている。地響きのように鳴り渡る戦士達の咆哮に負けじと、エリルは吼えた。

「お前だけは絶対に許さない──!」

 憎悪に濡れた絶叫と共に、エリルは割れた石畳を蹴った。




 礼拝堂には、五つの死体が血に濡れて倒れていた。

 壁や床など、礼拝堂は至る所が破壊され、胴で二つに折られた救世主像が死体に混じって無残に転がっている。

「済みません、ギムレットさん。半分程逃しました」

 現れた十人の敵の内、五人の逃亡を許してしまいレオンハルトは軽く頭を下げる。大してギムレットは緩く頭を振った。

「構いません。彼らはどちらへ?」

「街の方へ」

 レオンハルトは割れた窓の外から街の方角へと視線を向けた。

「──彼らは何かを探していたようですね。椅子も祭壇も全て倒されているし、花瓶も像も全て壊されている」

「何か持ち去られていますか?」

「特には」

 ギムレットは溜息をつき、心臓を貫かれて絶命している黒いフードの死体の一つに歩み寄った。


 恭しく十字を切り、目元を覆っていたフードを外す。

 現れた顔はごく平凡な、三十前後程の男性のものだった。額には、蛇のような文様の刺青が施されている。

「何ですか?これは」

 レオンハルトが訊くと、ギムレットは答えた。

「サラスディンの傭兵団、『蛇遣い』の一員である証です。彼らは額に揃いの蛇の刺青を施すとされています。これで、サラスディンとの関与が証明されましたね」

 ギムレットは苦虫を噛み潰したような表情で唸る。

「戦争の相手はカルディア。レオンハルト君を襲った傭兵の話が本当なら、この彼らもカルディアに雇われたと言うことでしょう。残りの傭兵は街に向かったのですね?」

 振り向いたギムレットに、レオンハルトは頷く。ギムレットは踏み折られた十字架の欠片を手に取って立ち上がる。

「放ってはおけません。彼らが本当にカルディアに雇われ、アルスタニアに牙を剥く存在であるのなら街が危ない。ヴェルザードに伝えなければ」


「なら、俺が行きます」


 レオンハルトは反射的に答えていた。ギムレットは驚いたように目を見開く。

「ですが、君はもうお尋ね者でしょう。今街に戻って捕えられては元も子もありませんよ?」

「それは……そうですが」

 レオンハルトは俯き、しかしすぐに顔を上げた。

「ですが、司令官には恩があります。このままでは、受けた恩を仇で返すことになる。せめて、俺の言葉で意思を伝えたい」

 それだけは避けたい。

 レオンハルトがきっぱりと告げると、ギムレットは困ったように眉を寄せた。

「君がそれで良いのなら止めはしませんが……」

「大丈夫です。捕まりはしません。後で此処に帰って来ます。……それまで、ティナを宜しくお願いします」

 レオンハルトは深く頭を下げる。ギムレットは黙ったままだったが、やがて溜息混じりに声を漏らす。

「顔を上げて下さい、レオンハルト君」

 レオンハルトが言われた通りに顔を上げると、ギムレットは苦く笑っていた。

「若い人は元気ですね。ですが、忘れないで下さい。君を此処で待っている者が居るということを」

「勿論です」

 レオンハルトはギムレットを真っ直ぐに見つめて頷いた。

「裏に厩があります。エルミアが乗っていた馬ですが、賢い子です。察してくれるでしょうから乗っていきなさい」

 ギムレットは優しく微笑んでいた。

 まるでそれは、子を見守る父のように慈愛に満ちた微笑だった。

「ありがとうございます」

 レオンハルトはもう一度頭を下げ、階段に続く小さな扉を開いて二階へと駆け上がった。



「あら、終わったの?」

 部屋の扉を開くと、ティナが相変わらずの無感動な目でレオンハルトを見遣った。

「ああ、終わった。相手はサラスディンの傭兵だ。半分ほど取り逃がしたが、その残りの敵が街に向かった。今からそれを首都警備隊の司令官に伝えに行く」

 ティナがぴくりと肩を揺らす。

「捕まっても知らないわよ」

「心配せずとも捕まらん。お前は大人しく此処で待っていろ」

 寝台に置いていた外套の釦を留め、レオンハルトはティナの返答を待たずに部屋を出た。



 夜空には名前も知らない星々が小さく瞬き、細い三日月が濁った僅かな月光を零している。

 言われた通りに教会の裏に回ると、小さな厩に栗毛の馬が一頭だけ繋がれていた。柵には『ヴィント』と彫られた木彫りのプレートが打ち付けられている。

 もう帰ることのない主を待つように、ヴィントと呼ばれていたらしい馬は小さく尻尾を揺らしてレオンハルトを静かに見つめていた。

 レオンハルトがその首を軽く撫でてから厩の扉を開くと、蹄の音を響かせながら厩の外に歩み出る。

「悪いな、エルミアじゃなくて」

 レオンハルトは小さく侘びて、大人しくしているヴィントに轡を嵌めた。



 手綱を引いて教会の表に出ると、ティナが出迎えた。

「お前……」

「無謀ね」

 ティナは冷えた声音で放った。

「命を捨てに行くようなものよ」

 咎めるように鋭い声が、レオンハルトの鼓膜を揺らした。

 夜風がティナの長い黒髪と、レオンハルトの外套を靡かせる。

「何を格好つけているのよ。馬鹿でしょう、貴方。何を考えているかは知らないけれど、自分を狙う人間が居る街に赴くなんて、どうかしてる」

 ティナの声は平坦だが、普段の静謐とした口調とは違う。湯が吹き出す直前のような、危険な熱を孕んだ静けさがある。

「用が無いなら呼び止めるな。今回は急ぐ」

 レオンハルトは溜息を吐いてティナの脇を通り過ぎる。

 すると弱い力で外套を引かれ、思わず振り返ってしまう。

 レオンハルトを見上げるティナの琥珀色の瞳が、細い月光に照らされて瞬いた。

「……行くなと行っても、貴方は行くのでしょうね」

 ティナは目を伏せる。その声が僅かに震えているように聞こえて、胸を針で刺されたような小さな痛みが走る。

「……大袈裟だぞ。ただ、司令官に会いに行くだけだ。すぐに逃げて来る」

 勿論、それが難しいことだとは知っている。だが、罪人として追われることになろうとも、街を見捨てる選択は出来ない。

「……そう」

 ティナの手が離れる。その手がローブの中に入り、何かを握ってレオンハルトに差し出される。

 レオンハルトが手を差し出すと、その掌に何か小さなものが転がされた。

「これは……」

 それは、銀の指輪だった。細いリングに、黒く金属質な色合いの石がはめ込まれている。真横に入った白い縞模様のせいで、まるで眼球のような印象を抱いた。

天眼石てんがんせき。魔除の石よ。持っていなさい」

 レオンハルトは指輪を夜空に翳してみる。細いリングから、瞬く星が見える。

「お前、これは細過ぎて俺の指には入らんぞ」

「当たり前でしょ。私のものなのだから」

 ティナは当然のように言い放った。

「俺は魔除の石なぞ信じていないぞ」

「勝手にしなさい。私は信じている」


 目覚めた時と似たやり取りに、レオンハルトはおかしくなってふっと笑ってしまう。

「何を笑っているの」

「いいや、別に」

 レオンハルトはその指輪を軍服の内側にしまい、ティナを見下ろした。

「そうだな。少しは信じてみるとする。ありがとう、ティナ」

 しかし、ティナは呆れたように溜息を吐いた。

「もう良いわ。早く行きなさい。帰って来なければ呪い殺されると思うことね」

「呪いは信じん。故に殺されはしない」

 そもそも、きちんと帰って来るつもりなのでその必要は無い。レオンハルトはひらりと手を振ってティナに背を向けた。


「──帰って来なさいよ、レオンハルト」

「言われるまでも無い」


 レオンハルトは馬に飛び乗り、手綱を振る。ヴィントは一度大きく嘶くと、街へと向けて走り出す。


「──……!」


 ティナが何かを叫んだような気がしたが、既に走り出したレオンハルトには聞き取ることが出来なかった。




 銃声と剣戟が何処か遠くに聞こえる。

 息を吐く度に全身が痛み、喉の奥から鉄の臭いが迫り上がってくる。だが、膝をつく暇は無い。

「どうした、終わりか」

 冷然と見下ろすカインは傷一つ負っていない。対するエリルは、全身の至る場所に裂傷を負っている。特に脇腹の出血は量が多く、度重なる突撃による疲労も相俟って意識を朦朧とさせていた。


 勝敗は既に決している。だが、エリルは尚も倒れない。

「っ……まだ……!」

 地面に突き立てた槍を支えに走り出す。しかし、体重を載せて放った突撃はいとも簡単に躱され、槍の石突で側頭部を容赦無く殴られて地面に転がる。

「あぐっ……」

 生温い感触が、頬に伝う。視界が激しく揺れて立ち上がる為の力が出ない。

「この程度か」

 淡々とした声と共に、カインが近付いて来るのが解った。朦朧とする意識の中で、その足音がいやに大きく聞こえた。

「興醒めだ。奴と同じ顔で、醜態を晒すな」

 その言葉を聞いて、ふつふつと怒りが沸き起こる。

「はぁっ……はぁっ……うる、さいな……お前に、エルの、何が解るの……」

 腕に力を入れ、槍に掴まって無理矢理立ち上がる。揺れる意識にしっかりしろと叱咤し、カインを睨む。

「お前の妹は素晴らしい戦士だった」

 カインはやはり抑揚の無い声で、エリルをじっと見つめながら言葉を紡ぐ。

 まるでその姿に、かつてのエルミアを重ねるように。


「仲間を守る為、刃を振るうことを躊躇せず、己が死を自覚しても決して膝を屈しようとはしなかった。命尽きるその瞬間まで凛々しく立ち向かって来た。──嗚呼、美しかった。留めておきたい程に」

 語りながらも、カインの表情は相変わらず変わらない。

「お前の槍は奴には遠く及ばん。──気に食わん。あの女と同じ顔で、俺と奴の聖戦たたかいを愚弄するな」


「──なら」

 エリルの声は、いつの間にか小さく震えていた。

「どうして──どうして殺したの!?」

 恐怖はもう無い。在るのは理解出来ないものに対する疑問と、哀切だった。

「殺さなくても良かったじゃない!死んだら、二度とその人と戦えなくなるんだよ?なのに、どうして殺した!?」

 たった一人の家族だった。たった一人の、血を分けた姉妹だった。

 心のどこかで、ギムレットとエルミアと、三人で平和に暮らす生活が続いていくと無条件に信じていた。それなのに──


 悲痛な叫びに、カインは矢張り表情を変えない。が、やがてゆっくりと頭を振ってエリルの言葉に答える。

「無論。それが戦士だからだ。戦士とは、己の命を懸け合うことで初めて互いを理解する存在……全力を尽くしたその果てに、戦士としての生の全てがある。つまり、生き残るか、そうでないかだ。エルミアはわたしとの戦いの中で全てを懸け、そして散った。戦士として、これ以上幸福な死は無いだろう」


 戦士──今この時も戦い続け、死に向かうアルスタニア帝国軍の兵士達のことか。


 エリルの中で何かが弾けた。


 それは憎悪であり、悲哀であり──何より、何処かでカインの言葉に納得している己への嫌悪であり──


「うっ……うわああああああああああああああああああああああああ──!!」


 迸る絶叫と共に、構えた槍をカインに向けて突き放つ。。

 乾坤一擲とも言えるその突撃に、しかしカインは表情を変えずに己の槍を翻す。


 視線が、刃が交わる。

 カインの槍がエリルの胸を貫き、真に勝敗が決するその刹那、二発の銃声がその運命を捻じ曲げる。


「何っ!?」

「っああっ!?」


 先ずは一発目、カインの槍の穂先へと狙って放たれた弾丸が切先の軌道を逸らし、体勢を崩したカインは何とかその場に踏み止まる。

 間発入れず、続いた二発目はエリルの腿を撃ち抜き、エリルは為す術もなく倒れた。


「慣れねえ武器でも使ってみるモンだよな。今度狙撃の練習でもしてみっか」


 使っていた狙撃銃を手にし、カルディア兵の死体を乗り越えてその男はへらりと笑った。

「テオ……?」

 テオ・ノイバートは銃を放り投げ、無造作にエリルとカインに向けて歩み寄る。

 揃いの軍服は土と血で汚れていたが、怪我をしているようには見えなかった。

 カインはテオに槍の切先を向ける。が、テオは臆した様子も無くへらりと笑って言葉を発した。

「交渉しに来たぜ、カイン将軍様。取り敢えず、そこの馬鹿から離れてくれや」

「交渉、だと?」

「そうだ」

 テオは、軍服の中から小さく折り畳まれた紙片を取り出した。

「お前に有利に働く案件をやる。その代わり、この街から軍を撤退させろ」

 テオの言葉に、カインは形の良い眉を僅かに顰める。

「俺がそんな言葉に乗ると思っているのか」

「思ってるぜ?。 」

 普段と何ら変わらぬ笑顔を浮かべながらも、テオの目は確信に満ちている。エリルは激痛に耐えながら身体を起こし、テオを見上げた。

「何……?何、言ってるの?」

「後で説明してやるよ」

 エリルの問いを、テオは軽く手を振っていなす。

「で?どうすんだよ将軍様。俺の提案を受けるか、受けないか」

「まず要件を話せ。話はそれからだ」

 その言葉を裏付けるように、カインは槍を下ろす。テオはすぐに、庇うようにエリルの前に立った。


 そして告げる。

「もうすぐ夜が明ける。街から軍を撤退させて首都に向かえ。そこに行けば、お前が望むような強敵が居る。カルディア王国を滅ぼそうとしている危険な奴だ。には、そいつの居場所と名前が書かれている。どうだ?魅力的だろ?」

 テオは右手に持った紙片をちらつかせながら、誘うように話す。しかし、それに真っ先に反応したのはエリルだった。

「テオ!?何言ってるの!?そんなことしたら……」

「いいから、黙ってろ」

 テオは視線をエリルに向けないままに放った。普段よりも低い声に、エリルは思わず口を噤む。

「お前は強い奴が好きなんだろ?解るぜ。。お前がまんまと食いついてくれたから助かったぜ。ま、お前にとっちゃ不服な結果に終わったみたいだけどな」

 エリルは息を呑んだ。

 自分とカインをぶつけたのはテオだったという事実が理解出来ない。何故そんなことをしたのか、問い質したいが言葉が出ない。

「が、これで確信したぜ。お前は戦いを求める男だ。より強い敵との闘争を──てな。俺がそのお膳立てをしてやるってんだ。上手く行きゃ、国の危機を救うことが出来る。一石二鳥じゃねえか、なあ」

 楽しげに語るテオを、カインはじっと見つめている。が、やがて「良いだろう」と頷いた。

「貴様の案に乗ってやろう。だが、貴様のでは外れを引かされた。この次も同じことがあったら、貴様の首を頂く。良いな」

「勝手にしろよ。外れてねえからな」

 カインは再び頷き、未だ戦闘を続けている自軍へと戻ろうとエリルとテオに背を向ける。その群青色の背中に、「そうだ」とテオが思い出したように声を掛けた。


「お前、エリルのこと外れっつってたが、お前が思ってるより此奴はいい女だぜ」

 テオの言葉に自信に満ちた言葉に、カインはしかし、振り返ることすらせずに剣戟と銃声が止み初めた戦場へと走り去ってしまう。

 それを見送って、テオは軽く溜息をついた。

「あ、あの、テオ……」

「お前なあ」

 事態に頭がついて行かず、説明を求めようとしたエリルの言葉を遮って、テオは溜息混じりにエリルを振り返る。

 屈んで目線を合わせたテオは、心底から呆れたようにエリルを睨んでいた。


「狙撃手が相手の大将と正面切るってどういうことだよ。お前の仕事は補助サポートだろうが。なのに何であんな化けモンとやり合ってんだ、ああ?」

「え?だ、だって、よく解らないけど、テオがあの人を呼んだんでしょう?だったら……」

「言い訳は聞かねえぞ」

 テオの瞳が鋭く細まり、声が低くなる。

「嗚呼、確かに呼んだのは俺だ。だがな、戦えとは言ってねえ。まして槍なんぞ普段使わねえ武器で……俺が間に合わなかったらどうするつもりだったんだ!?」

 突然声を荒らげたテオに、エリルはビクリと肩を震わせる。

「適材適所ってのが何事にもある。お前は槍で彼奴に勝とうと思ってたんだろうが、カインは正真正銘の化けモンだ。アルスタニアじゃ槍の名手って言われたエルミアも、彼奴には適わなかった。それなのに、お前が勝てる訳ねえだろ。お前はエルミアとは違うんだよ」

 厳しいテオの言葉に、エリルは反発出来ずに俯く。

 エルミアとは違う──その言葉が、重かった。


 テオは深く溜息を吐き出し、語調を緩めた。

「エルミアを殺したのがカインだって、何処で知った?」

「……神父様が、言ってた」

 素直に答えると、「成程」とテオは頷いた。

「カインが憎いってのは解る。だが、その為にお前が死んだら神父さんもエルミアも悲しむだろ。俺だって、お前が死ぬなんざ考えたくねぇ。……だから、もう無茶すんな」

 テオの手が、軽くエリルの頭を撫でる。顔を上げると、テオが普段の悪童めいた笑みを浮かべていた。

「っ……う……」

 知らず、嗚咽が漏れる。生温い涙が頬を伝い、息苦しさと傷の痛みに震える。触れた手が優しく、嬉しさと悲しみと、他にも様々な感情が涙となって流れ落ちていく。

「ごめん、なさい……ごめんなさい……」

「解った解った、だからもう泣くなって。俺が泣かしてるみてえだろ」

 泣きじゃくるエリルを宥めるように、テオの手が優しく肩を叩く。

「ほら、軽く手当して診療所に連れてってやるから、泣き止めよ」

 エリルはこくりと頷いたが、中々涙を止めることが出来なかった。



 街は焼け野原となっていた。

 ある者は切られ、貫かれ、ある者は焼かれ、ある者は撃たれて死んでいた。若干、アルスタニア軍の軍服の姿が多い気がする。

 カルディア軍は撤退した後のようで、元より破壊されつつあった建造物は見渡す限り完全に焼き払われている。

 焼けた臓腑と木々、弾薬と血の臭いが漂う中で、傷の浅い者は忙しく動き回っていた。


「ねえ、テオ」

「あ?」

 変わり果てた街を歩きながら、エリルはテオに声をかける。

「テオは、カイン将軍がエルを殺したこと、知ってたの?」

「知ってた。第四槍騎兵隊にダチが居るからな」

 テオは穏やかに応えた。

「……ねえ、テオ……」

 呼んで、エリルは口を閉じる。

 何を言えば良いのか解らない。訊きたいことが多過ぎて、知りたいことが多過ぎて、何を訊くべきかが解らない。

「……このこと、レオンに言うの?」

 結局、当たり障りの無いことを問いかけていた。

「ああ、言うに決まってんだろ」

 当然だ、とテオは言う。エリルはええ、と不満げな声を出す。

「やだよ、レオンのお説教、長いもん」

「はっ、怒られとけよ。餓鬼にはいい薬だ」

 頭が硬いことで有名な金髪碧眼の友人の顔を思い浮かべて、エリルはふふ、と軽く笑う。

「ま、一緒に説教は勘弁だが、その後の嫌がらせには付き合ってやるよ」

 向けられた横顔は楽しそうに笑っている。

 エリルはそっと自分の腕をテオの首に絡めた。

「……ちょっと眠くなってきちゃった。寝ていい?」

「好きにしろよ。寧ろ寝てろ、医者の説教聞かずに済むだろ」

 聞いて、エリルは目を閉じた。

「……目が覚めたら、全部話してやる。それまで待てよ」

 低く優しい声が心地好く、揺れる温かな背中がまるで揺り籠のように感じられて、エリルはゆっくりと意識を手放した。




 穏やかな寝息を背中で感じて、テオは足を止めた。

 いつの間にか東の空から、朝日が昇ってきていた。

 死者を街ごと火葬するかのような鮮やかな紅が、疲弊した兵士達を照らしている。


「黎明は遠い……か」


 テオの囁きは、吹き付けた風に攫われて消えた。

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黎明の楔 星落 @su12xx

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