青銅の鍵
深海
青銅の鍵
天を突くかとみまがう石の城壁の外側に、天幕がおびただしく並んでいる。
なだらかな丘陵にすし詰めに張られ、あたかも白波のよう。
その波は、いまにも打ち寄せ城壁に迫らんばかり。
「ああなんと、四方を?」
城壁の過度にたつ円い見張りの塔。そこから天幕の海を眺めるや、革鎧の兵士は螺旋の石段を降り、石畳の狭い道をすり抜け、いちもくさん。都の中央にそびえる城へとひた走った。
「一夜にしてこれとは」
敵は海の向こうで生まれた者ども。はるか西の国の遠征軍であり、その数は幾十万。うわさでは、敵は海岸線にある都という都をあっという間に征服し、この内陸へと進軍してきたらしい。近隣の都市は軒並み襲われ、あえなく陥落。毎日毎日、どこそこが燃えたという悲報が、伝わってきていた。
城壁の中には、不安と恐怖でやつれた民の顔。顔。顔……。
都の女子供だけでなく、城壁の外で暮らしている農民たちも、大勢避難してきている。着の身着のまま逃げ込んできて、泥だらけの手には鋤や鍬を持ったまま。家畜も一緒に連れてきて、モーモー、メエメエ、コケコッコー。なんともにぎやかだ。
革鎧の兵士は城へ入った。ひと息に上階へ駆け上がり、謁見の間に入って片膝をつく。そうして、震え声で部屋の奥にいる者に報告した。
「将軍。四面みな敵ばかりです。千年続きましたこの花の都なれど、あれではとても……」
白百合の。白亜の。
この都は、そんな言葉で永の年つき謳われてきた。周囲に広大な農地をもつだけでなく、東西よりあまたの交易商人を迎え入れる大きな都市。しかしその栄華もこれまでか。
頭垂れるその鼻先から、眼からにじみ出るものが混じった汗がぽたぽた落ちる。
しかし輝く鎧の将軍は、兵士の顔を見なかった。謁見の間の奥に立つその人の眼に映るは、すぐ目の前の、空の玉座。
なんということか。
兵士は呻き、拳を床に叩きつけた。
「陛下は、逃げたのですね……民を見捨てて」
「いや、私が逃がしたのだ。城の地下道をお使いになられた。無事脱出されるだろう」
輝く鎧の将軍は即座に答えた。しかしその悲しげなまなざしは、はっきり真実を示していた。それは、嘘だと。
「し、白旗をあげますか? とても勝てそうには……」
革鎧の兵士の問いに、将軍は口を引き結んで否と答えた。
「海を越えて来た兵どもは、あまたの都市を落として勢いづいている。しかも彼らは野蛮極まりなく、奴隷にひどい扱いをする気質と聞いた。降服すれば、都は好き放題に蹂躙されよう。女子供とてただでは済むまい」
「しかし、このままでは」
「我らが都の城壁は、イリオンの壁より高く頑丈だ。食料の備蓄は城にたっぷり蓄えられている。門を死守すれば、活路が開けよう」
それから輝く鎧の将軍は、都の広場に武装させた男たちを集め。声朗々と宣言した。
「七つの門を死守せよ! 万が一ひとつでも門が破られ敵が中に入ってきたなら、私が陛下より預かったこの鍵で、城の地下の開かずの間の封印を開ける! 我が身を生贄として捧げ、奇跡を呼ぼう!」
将軍の手に掲げられたそれは、巨大な青銅の鍵であった。
背負わねば運べぬほどの大きさ。赤がね色にぎらと輝き、まるで血を吸い込んだよう。
「開かずの間には、我らが都の高祖が、かつて神より賜いしものが眠っている。それは生贄の魂に呼ばれて目を覚まし、敵をことごとく駆逐するであろう!」
おおそういえばと、髭の白い革鎧の男が目を輝かせ、槍をどんと地についた。
「二十年前に、一度奇跡が起きたな。陛下が生贄を捧げた時に」
すると隣に立つ年配の男が、槍をどんと地についた。
「そうじゃった! 陛下が生贄を開かずの間に入れた直後に、雷の嵐が巻き起こったんじゃ。敵がヒイヒイいうて逃げていったのう」
「開かずの間には、嵐を起こす神獣がいると、ひい爺様に聞いたぞ」
「わしは婆様から、翼の生えた兵士と聞いた。奇跡を起こすつわものだと」
ざわつく男たちに向かって、輝く鎧の将軍は青銅の鍵を掲げ、雄たけびをあげた。
「戦え、つわものどもよ! いよいよの時はこの我の血が、敵を砕く者の封印を解くであろう!」
都の兵らは、七つの門の守りを固めた。
門を守る将は、七つの地区の長。分厚い鎧に身を固め、ずんと兵らの真ん中にふんばるように立つ。真南の正門には輝く鎧の将軍その人も詰め、敵を迎え撃った。
押し寄せるはうんかのごとき大群。
都を守る兵士たちは、獅子奮迅の働き。長い梯子をかけて昇ってくる敵兵の頭上に、煮えたぎる油を幾度も振りかけ、石や火矢を雨あられと浴びせた。
城壁ぎりぎりに連なる敵の天幕は、たちまち大炎上。白波は炎の海と化し、真紅に染まった。
東の門が破られそうになると、輝く鎧の将軍はあっという間にその場に駆けつけ、城壁から大弓を射かけた。矢は敵の将の額をぶすりひと刺し。
西の門が破られそうになると、将軍はまたあっという間にその場に駆けつけ、城壁から大斧をぶるりと投げ飛ばした。斧は将の脳天をまっぷたつ。
将軍はまさに鬼神のごとしであった。城壁の上を駆け回り、七つの門をいったり来たり。城壁にとりつく兵士たちに矢をいかけ、斧を投げ。その腕隆々たくましく、勇壮に槍で矢を叩き落とす。その動きは
その神々しい背には、あの巨大な青銅の鍵がぎらり。燦然と輝いていた。
「将軍をゆめゆめ死なせるな! この方を失ってはならん!」
都の兵らはその血のごとき色の鍵を見ては揮いたち、雄たけびあげて敵に矢を射かけるのだった。
こうして七日七晩、攻防は続いた。
天幕を失い、破城槌がことごとく油で焼かれてもなお、敵軍はあきらめず。奥の手とばかり、投石機で攻めてきた。はね上げ式の機械がヴンヴン唸り、石の塊をいくつも城壁に叩きつける。
城壁が激しい攻撃にさらされる中、革鎧の兵士は城の中を見回った。
一週間経ち、避難民たちは疲労の顔を浮かべている。ふと中庭を見やれば。
「なんとこれは……」
農民たちが連れて来たニワトリがみな死んでいる。
これはただごとではないと、兵士は南門の塔へ走り、輝く鎧の将軍に告げた。すると将軍は血相を変え、即座に命じた。
「よくぞ見つけてくれた。今すぐ家畜を全部殺せ。革にくるんで決して触ってはならぬ。城内すきまなく酢をまいて清めよ。それから家畜の死骸は……」
それからほどなく。城壁の外に、家畜の死骸が次々放り出された。
敵の軍は、都の者が自暴自棄になったと思い込んだ。貴重な食糧を投げ込み、降伏の意を示し始めたか、と。
「勝ったぞ!」「ごちそうだ!」
敵兵たちはその死骸をみんな拾いあげて、これみよがしに門の前で捌いて喰らった。
こうして知らずのうちに恐ろしい病の素に触れた敵兵たちに、惨禍がおりた。
数日後、彼らは高熱を出してバタバタと倒れだし。城壁の外は恐ろしい呻き声と泣き声で満ち。
そして――。
「やりました、将軍。敵兵が退いてます!」
焦げくすんだ天幕を打ち捨てて、敵は這う這うの体で逃げ去った。
こうして千年の都は生きながらえたのだった。
あの青銅の鍵を、使うことなしに。
戦勝に湧きたつ都の者らは、逃げた王に代えて、輝く鎧の将軍を都の王とした。
新しい王が即位したその夜、城の中庭で盛大に祝宴が催された。
城の蔵が開放され、長い卓にはパンや干し果物がごっそり。酒樽もみな開けられた。
家畜の病を伝えたあの革鎧の兵士も、酒杯をしたたか楽しんだのだが。夜も更け、新王がもう眠ると席を辞した時、あの青銅の鍵を席に忘れていってしまったのに気がついた。
兵士は鍵を抱えあげ、王へ届けようとした。しかし開かずの間がどうにも気になって仕方ない。
なんと重い鍵であろう。この巨大なものにはまる鍵穴とは、いったいどれだけ巨大な扉なのか。
二十年前、そこに生贄が捧げられた。そして奇跡が起こった。
雷をまとうもの。嵐を起こすもの。翼が生えた兵士……
すなわちそこにいるのは化け物? いやいや、かつてこの都を守ってくれたありがたいものとなれば。きっと勇壮なる何かが、そこにいるにちがいない。
ほんのわずか開けるだけなら……見るだけなら……
その一瞥のために、生贄が必要になることはなかろう。
兵士はこっそり地下へ忍び、「その部屋」を探し出した。
やはり想像したとおりの、巨大な扉である。押して開けられるものであろうか?
兵士は息を潜め。やっとこもちあげた鍵を鍵穴に入れ。
渾身の力をこめて回した――。
錦広がる寝室の窓辺。またたく星を眺めていた都の新王は、空に向かって笑みを浮かべた。
「やあ、こんばんは」
宵空に十歳ぐらいの半透明の女の子がぷかぷか浮いている。すそがゆらめく真紅の衣。そこから突き出た手足は、細くて白い。大きな瞳は、輝く星のよう。
「戦ってる間中、私に飛んでくる矢の軌道を曲げてくれてたね。おかげで無傷で戦えた。ありがとうな」
「あれぐらい、簡単よ」
女の子はころころ笑ったが、ふと耳に手を当てた。
「あら、あたしの部屋に誰か来たみたい」
「えっ? 鍵を置き忘れてきたか。しまったな。誰か開けたのか?」
「そうみたい。あの扉重いのにね。ちょっと! その誰か、大声で笑ってるわ。涙流して。何にもないじゃないかって。もう、失礼ね! ちゃんと地べた見なさいよ。あたしの骨が転がってるじゃないさ」
「許してやってくれ。みながんばったんだから」
新しい王はくすくす笑った。半透明の女の子はぷうと頬をふくらませる。
「もう、あんたまで! いいこと、幼馴染だから守ってあげてるんだからね!」
「うん、感謝してる」
「あんたに最後の切り札は使わせないわ。あたしと同じく生贄になって、守護神さまになるなんて認めない。あんたがなっていいのは、せいぜい、王様までよ」
女の子はすうと目を細める。
「あんたはあたしの分までちゃんと生きるの。二十年前に、そう約束したでしょ」
新しい王は眉を下げ、肩をすくめた。
「よぼよぼの爺さんになるまでだっけ。でも、一生結婚はしない」
「なんでよ」
「そりゃあ……」
言葉を濁す王の顔を、女の子が覗きこむ。
「何赤くなってるの?」
「……酔ってるからね」
「ほんと、あんたお酒に弱いわよね」
「ああ、からっきしだ」
俯く王の額に、ほんのり熱い何かが触れる。少女の指先であろうか。それとも……?
たしかめようと王が顔をあげると、少女はパッと窓の外へ退いた。
「あたし、ちょっと空飛んでくるね。夜明け鳥があたしと遊びたがってるの」
「いってらっしゃい、女神様」
新しい王は微笑して、飛び立つ都の守護神を見送った。
真紅の羽毛のような光が、その手にふわりとひとかけ、こぼれ落ちる。
満天の星空に流れ星がひと筋、流れていった。
―― 了 ――
青銅の鍵 深海 @Miuminoki777
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