静寂の供物

振悶亭 めこ

静寂の供物

こん、ちき、ちん……


遠くて近い距離間から、祭り囃子が近づいてくる。僕は、凛と静まり返ったお堂に、佇んでいた。

視線を逸らす事すら出来ぬまま、暫く佇んでいた。

震える指先を、蓮座に伸ばす。壊れてしまわぬように、そっと、指先で蓮座に触れた。


こん、ちき、ちん……

こん、ちき、ちん……


ああ、祭り囃子が近づいてくる。畏敬の念すら抱かせる、かの彫像に、手のひらを這わせる。ふと、目線を逸らす。置かれた供物の側には「仏様のお下がりです。ご自由にお持ち下さい」と、書かれていた。かの彫像と、供物の果実。交互に見つめていると、徐々に彼らの境界線が曖昧になっていく。


こん、ちき、ちん……

こん、ちき、ちん……


お囃子は、更に近い音となって、聴覚の記憶に埋め込まれていく。

僕は、供物の夏蜜柑を手に取り、優しく、けれど力強く硬い皮を手で剥いていく。ぽたり、ぽたりと瑞々しい果実の汁が滴り落ちる。


こん、ちき、ちん……

こん、ちき、ちん……

こん、ちき、ちん……


激しく、大きくなっていく、祭り囃子に煽られて、夢中で果実を貪った。ぽたり、ぽたりとお堂の床に垂れていく、甘酸っぱい果汁。


こん、ちき、ちん……

こん、ちき、ちん……

こん、ちき、ちん……


高揚する気分の中で、果汁にまみれた手のひらで、かの彫像の蓮座を撫でる。震えの代わりに、蓮座が甘く濡れていく悦楽は、底知れず。思考の海に沈んでしまいそうだ。僕は緩やかに目を閉じて、かの彫像に畏れ多くも唇を寄せる。これ以上は……


こん、ちき、ちん……

こん、ちき、ちん……


少しずつ、遠ざかりだす祭り囃子。「ハレ」の終盤も近いのだろう。

目を閉じたまま、思考の海に溺れ出す。畏敬の念すら抱かせる、かの彫像は……遠い昔のような、これから起こりうるような、懐かしさと温もりを感じる、あれは……


こん、ちき、ちん……

こん、ちき、ちん……


あれは、きっと君だった。崇拝よりも大切な、いつか合間見えた、君だった。そう、信じたい。


こん、ちき、ちん……


ゆっくりと瞼を開けた。祭り囃子は、もう聴こえなかった。凛とした空気に僕は、取り残されたまま。



【完】

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