第36話 虎と龍(その二)

 桜国、林道――。

 関所を抜けて刻三つ。功熊こうゆうの走らせる馬車はふた山を超え、桜国の中腹あたりにまで来ていた。

 竹林に挟まれた道は陰りが多く、昼間だというのにどこか鬱蒼としている。枯葉を積もらせた山中の空気は冷たく、手綱を握る功熊は鼻をすすらせていた。

 荷台には陸鋭りくえいげん甘祢かんねの三人がそれぞれに座っている。知来ちきは功熊と並んで御者台にいた。馬術に興味があるらしく、ここまでの道中にいろいろな質問を功熊に投げかけたりしていた。どちらかと言えば子供が苦手な功熊であったが、己の馬術を興味と尊敬の念を持って聞きいる知来に対して気分がよくなってしまい、今では功熊の方から話しかけるようにまでなっていた。


「するってえと何かい、おまえさんは犀国せいこくの太子様ってこと……ですかい?」

 驚きを含みつつも歯切れの悪い言葉で功熊は言った。話の流れで出身を聞いたものの、予想外の答えに戸惑いを隠せないでいる。

「普段通りの話し方でいいよ。かしこまったのって嫌いなんだ」

 笑いながら知来は返す。

「そうは言っても、王族の方だとなぁ。それに太子様ってことは、次の王様ってことじゃねえですかい」

「まぁ、そうなんだけど」

 申し訳なさそうに答える。話さない方が良かったかな、と知来は少し後悔した。

「やっぱり王宮って広いんですかい」

「うーん、広いけど、感覚的には狭いかな」

「それはまたどういう?」

「みんな真面目というか、顔色しか見てないというか。息苦しい場所だよ、僕がこんなこと言っちゃいけないんだけど」

 両腕を頭の後ろで組んでどこかを見上げながら言う。

「ははぁ、王族には王族の悩みってやつですかい」

「そうなんだよ。この前だってさ――」

 急に乗り気になった喋りはじめた知来であったが、

「楽しいところ腰折ってすまねえが、この国だけはさっさと抜けたい。できるだけ急いでくれると助かるんだが」

 陸鋭が割りこんで言った。荷台の柵に両肘をあずけてふんぞり返っているが、その目は警戒の色が濃く、常にあたりを見やっていた。


「……ああ、そうだった。蘭龍らんりゅうの旦那にとって桜は鬼門か」

 顔だけを後ろに向けて功熊。その視線の先は陸鋭というよりも、隅の方で静かに座っている甘祢に向けられていた。籐国を発って以来、功熊と甘祢はまだ一度も会話をしていなかった。空白の時間が長すぎたのか、親子であるふたりの距離を縮めるのは簡単ではないようだ。

「そういえば――」

 と、思い出したように口を開いた源は、向かいに座っている陸鋭に目をとめた。

「おまえが蘭龍だと知れたとき、籐国の者は妙に驚いていたな。なにか深い関係でもあるのか?」 

「なんか陸鋭さんを見て、みんな怯えていたよね」

 知来も後ろを返りながら聞く。

「ん、おまえさんは旦那の同郷ではないのかい?」

「おれはりゅうの出だ」

「そうか、それなら知らないのも無理はないか」

 功熊は確認を取るようにちらと陸鋭を見やった。

 勝手にしろとでも言うように陸鋭は肩をすくめる。

「西の蘭龍らんりゅう、東の桜虎おうこと言ってな。籐国には昔から――」

 馬の尻を軽く鞭打ちながら、功熊はゆっくりと話しはじめた。

 

 籐国の歴史は古く、遡れば建国は1200年ほど前になる。といっても500年ほど前までは崋山の南方にある小国にすぎず、絶えず隣国の脅威に脅かされていた。その籐国が突如として大陸でも一、二位を争う大国と成り得たのには、ある部族との関わりが大きく影響していた。


 時は犀暦せいれき3100年――。

 当時の王位継承者のひとりであった男が、派閥争いに負けたことから全ては始まったと言われている。

 国を追われた王族の男は深い山中に逃げこみ洞窟の中で身を隠していた。

 部下はみな殺され、ただひとりであった。

 よほどの場所を逃げてきたのか、かつては煌びやかであった装束は悪臭を放つほど汚れており、髪はがさつき、顔や手足は泥にまみれ、まるで浮浪者のような姿になり果てていたが、しかし眼は死んでいなかった。

 洞窟の暗がりのなかで、その王族の男はたったひとりになりながらも、どうにかして国に返り咲かんと野望を燃やしていたのである。

 だが現実は無情かな。幾多もの土を踏む足音が男の耳に届き、やがてそれらは洞窟の外で止まった。


 嗅ぎつけられたか。

 いよいよ殺される時が来たのかもしれない。だが、それならそれで一矢報いん、と男は腰の太刀を抜き洞窟の外に飛びだしたのだが、そこにいた者たちは追手ではなく、見目からして荒々しい姿をした山賊共だった。


『見ろよ。言ったとおりじゃねえか』

 山賊のひとりは男の姿を見るなり、嬉々とした声をあげた。こめかみに生々しいまでの刀傷をつけた小柄の男だった。

『違いない。この男だ』

 隣にいた別の山賊が、やはり嬉々として言った。上半身が裸のたくましい体つきを男だ。こちらの男は首筋から肩にかけて刀傷があった。

『おれを探すよう雇われた輩か』

 王族の男は太刀を構えて相手を見据えた。見たところ十四、五人といったところか。幸いにも誰も武器を持っていなかった。

 武芸には自信がある。これならまだ逃げられる可能性はある、と男は思った。

『ああ、待て待て。まぁ落ちつけや』

 こめかみに刀傷の方が言った。

『あんた、国から逃げてきた王族だろ』

『だとすればどうする。捕えて報奨金でも貰うか』

 切っ先を相手に向けて構える。これに山賊たちは互いに目を合わせると、笑い声をあげた。

『なにがおかしい!』

 苛立ちをあげる男に対して、今度は首筋に刀傷の方が言った。

『別にそれでもいいんだが、それだと面白くないからな』

 言わんとしていることは理解できないが、やはり自分を捕えにきたのだと確信した男は先手で斬りにかかった。

 相手は素手である。三人ほど切り倒して動揺したところで逃げればいい。そう考えていたのだが、


『だから落ち着けって言ってるだろうが。血の気の多い奴だな』

 真横から聞こえてきた声に、王族の男はぎょっとした。なんと、先ほどまで前にいたこめかみに刀傷がいつの間にかすぐ横で立っていたからだ。

『あんた、玉座に戻りたくはねえか?』

 太刀の白刃を素手で握りながら、その山賊は言った。

『どういう意味だ』

 強気で答える男であったが内心では驚愕していた。押そうにも引こうにも、太刀がまったく動かなかったからだ。

『おれたちが戻してやるって言ってんだ』

 王族の男は足掻くのやめると山賊を睨みつけた。

『……ばかばかしい、何を言いだすかと思えば。おれを玉座に戻すだと? どうやって? 山賊風情のおまえらが、卯籐うどうの大軍を相手にするとでも言うのか。からかうのもいい加減にしろ! なにが目的だ』

 握っていた白刃を離した山賊は、やれやれと肩をすくめた。

『おれたちも舐められたもんだぜ』

『だな』

 刀傷のあるふたりの山賊が言った時だった。


『いたぞ、あそこだ!』

 山中で声が響いた。今度こそ国の追手であるようだった。

『目的は知らないが、さきほどの言葉は好意として捉えておく。悪いことは言わん、兵に見つかる前におまえたちもここを去れ』

 太刀を納めた王族の男は、逃げるべくして山賊に背を向けた。

『おっと、まだ話は終わってないぜ。せっかく追手が来てくれたんだ』

 山賊は前に躍り出て行く手を阻む。男は歯を噛んだ。なんだかんだ言っていたが、やはり所詮はただの賊か。おおかた金が目当てなのだろう。

『何人いる』

 首筋に刀傷の男が近くにいた者に聞いた。

『十から先は数え方知らねえ。たくさんだ』

『そいつはいいな』

 嬉しそうに口元をつりあげる。

かしらぁ、やつら上からも来ますぜ』

 場所の目星をつけていたのか、斜面の下と上から挟みこむように、卯籐の兵がわらわらと姿を現しはじめた。

『あんた人気者だな。百は迎えに来てくれているんじゃねえか』

 こめかみに刀傷が豪快に笑うのを見て、王族の男は血の気を引かせた。

『もういい、逃げる気力も失せた。おれの負けだ、好きにしろ』

 もはやここまで。

 男は太刀を投げ捨てると、崩れ落ちるようにして膝をついた。

『はなから逃げる必要なんてねえよ。あんたはここで見物してな』

『……どういう意味だ』

『言っただろ、おれたちが玉座に戻してやると』

 首筋に刀傷は捨てられた太刀を拾いあげると、そう言いながら男の手にしっかりと握らせた。


『行くぞ、野郎ども』

 山賊どもは嬉々とした歓声があげながら、野を駆けまわる獣のごとく上下に別れて山中を駆けはじめた。

『まさか……本気で言っている……のか』

 膝立ち状態のまま、男は呆然とした眼でひとり残っている山賊を見上げた。

『笑えねえ嘘はつかねえよ』

 こめかみに刀傷は言った。

『む、無謀だ。相手は何人いると思っている。そもそも、おまえたちは武器すら持っていないではないか』

『邪魔なもんは持たねえ主義でな。まぁそこで見てろや』

 山賊はそう言うと、腕をつきあげ自らも参戦しに向かった。

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苑の国物語 穏休 @jissama

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