第35話 虎と龍

 至るところに岩山が隆起する桜国おうこくにおいて土地と建物という概念はあまりない。昔より白虎岩びゃっこがんを掘削しているためか、彼らにとっては創るよりも削る方が性に合っているらしく、敷地の代わりに岩山を購入しては、それをくり貫いて自らの住処としていた。他国の者が聞けば洞穴に住んでいるのかと一笑しかねないが、実際に桜国を訪れてその住まいを見ると腰を抜かす者も多い。精工なまでに掘られた穴はもはや建物のそれと変わりなく、そこかしこの壁に削られている模様にいたっては王宮の装飾職人でさえ感嘆の声を上げるほどだった。ごくまれに購入した岩山から白虎岩を掘り当てて長者になる者もいるため、それを目当てに今では他国の富豪が岩山を買付けて人足に掘らせている者もいる。仮に白虎岩が出ずとも別荘の変わりになるため、富豪からすれば興のひとつといったところだろうか。


 桜国おうこく中心部、紅牙山くがざん――。

 剣山のごとく連なる岩山のなかでも群を抜いてそびえ立つその山は、白虎岩が多量に含まれているため陽光を受けると美麗なまでの光沢を放っていた。都のない国ではあるが、その神々しく厳かな紅牙山を一目見ようと遠方より訪れる者も多い。その麓に乱立する洞穴造りの街並みもひと役買っており、小都と変わらぬ賑わいを見せてもいた。

 

 その紅牙山の頂きに彫られた一室、とうの間――。

 ともすれば雲に触れそうなほど高いその場所で、数人の者が床にあぐらをかいて座していた。

 広さにして二十畳ほどであろうか、幾何学模様の装飾が施された壁や天井は白虎岩特有の艶を帯びており、一種幻想的な空間を作りあげている。奥には天然の岩をそのまま加工した玉座があり、両脇には桜吹雪と虎の影絵が印された薄紅色の旗が掲げられていた。


「まったく信じられんことだ」

 と、床に座しているひとりが溜まりかねたように言った。

「であるな。いったい貴殿はどう責任をとられるおつもりか」

 また別の者が言った。

 あまり和やかな雰囲気ではないようだ。どうやら数名の者たちが、ひとりの者を責めたてているようであった。

「責任と申されましても、宝刀の隠し場所を存ずるのは我々しかおらぬはず。まずは情報が漏れた経緯を……」

 困り果てたように答えたのは初老の男であるが、責めている者も似たような歳をした男たちだった。

「なんたる言い分、よもや我らを疑っておるのではなかろうな」

「いや、そういう訳では……」

 初老の男は懐より手ぬぐいを取りだすと、額から噴きでる汗を拭った。

 

 話はこうだった。

 桜国には初代より受け継がれている神器が三つあり、それぞれをとうの側近である三人の者たちが管理していた。その内のひとつである「虎咆こほう」と呼ばれる宝刀が、つい先日、何者かに盗まれてしまったのである。祭事のとき以外は人目に触れぬよう三人が保管しているため、普段の置き場所を知っているのは頭と側近のみである。それゆえ盗まれたのは意想外という他なく、万が一にも置き場所が外部の者に漏れたとなれば早急な対策を要する必要があるのではないか、というのが盗まれた側近の言い分であった。

 しかし他の者は聞く耳もたず、ただただ雑言を繰りかえし、

わか、この処遇はいかがいたしましょうや」

 と、玉座に座っている男に答えを求めた。

 

 年の頃は二十代後半か、無造作にのびた栗色の髪は頬のあたりに触れ、男の顔を少し隠していた。一見すると優男に見えなくもないが、その体格はたくましく、金銀に飾り立てられた装束を着ていても筋骨の圧が伺えるほどであった。

「聞いておられるのですか、若」

 桃色を帯びた光沢のある白虎岩の玉座で、若と呼ばれた男はおもむろに足を組んで、肘をついた格好で家臣たちを冷めた目で眺めている。その表情は、じつにつまらなさそうでもあった。

「若、処遇をば」

「どうでもいいのではないか」

 若と呼ばれた男は言った。その冷めた表情もさることながら、声音にも興味の含みがまったくない。

「なっ、神器のひとつを盗まれたのですぞ。それをどうでもいいとは――」

 顔を真っ赤にして物申す家臣に対して、

「所詮は刀ではないか。前に見たことあるが、思ったより業物でもなかった。切れ味で言うなら、もっと良い刀はいくらでもあるだろう」

「若、そういうことではござりませぬ。神器とは桜国の象徴、それを切れ味などで比べ――」

「じゃあおまえが処分をきめろ」

 話を斬った男は面倒くさそうに手を払う。これに家臣は驚いた顔をしたが、すぐにニヤリと笑った。

「身分をはく奪し、投獄が妥当かと」

「そうか。じゃあそれでいい」

「お、お待ちください若!」

 青ざめた顔で割りこんだのは宝刀を管理していた家臣だ。

「先ほども申しましたが、置き場所を知っている者は限られております。まずは情報の出処をなにとぞ……!」

「ああ、それもそうか。じゃあそうしろ」

 今度はニヤついていた家臣の顔が赤くなり、怒気にはらんだ目を宝刀の家臣に向けた。

「きさま、己が罪を認めず逃げようとする魂胆ではあるまいな」

「な、なにを言うか! 盗まれたは確かに罪、しかしまずはどこから漏れたか突き止めねば貴殿が管理する神器も危うくなろうぞ。それとも、あまり探られると困ることでもおありか」

「な、なんだと!」

 見苦しい問答が続くなか、男はため息をついて立ちあがった。

「若、どちらへ行かれるのですか」

「もう話は終わっただろう」

「なにを言っておられるのですか、まだ途中ですぞ。いいですか若、このような罪を放っておいては――」

 まくし立てるように言う家臣の言葉を無視するかのように、男は玉座の奥にある部屋へと引っこんだ。


 くだらない――。

 桜国が一望できる露台に腰かけた男は、眼下の景色を眺めながら重く息をついた。

 紅牙山を吹きあげてくる風に装束がはためいている。

 頭上すぐ手の届くところには薄い雲が流れていた。

 ふつふつと湧き上がる苛立ちがたまらなく鬱陶しい。

 男は上半身の着ていた装束を脱ぎ捨てると、それを踏みにじりながら低く構えをとった。

 左の首筋から肩にかけて、爪あとのような刺青が彫られている。

 体中に小岩でも貼りつけているかのように筋肉が隆起していた。

 深く息を吸いこみ、ゆっくり蹴り上げる右足と共に長い息を吐く。

 あまりにも遅すぎる動きではあるが、息と共に発せられる圧に風が避けていくかのようであった。

 ゆっくりと足を降ろすや、今度は霞むほどの速さで再び高く蹴り上げる。

 瞬きをも超える瞬足に、一瞬だけ風の流れが断ち切られた。

 

 いつからこのような国になってしまったのか――。

 体を動かしながら男は考える。

 父より聞かされた話には血沸き肉躍るものがあった。

 過去の文献を読んでいると魂の躍動を感じた。

 闘い。闘い。闘い。

 戦のような下等な闘いではない。王の一声で兵が駒のようになって争う馬鹿げたものに男は何の興味もなかった。あるのはただ、素手のみでの死闘。己が体を武器と化し、命を燃やし尽くすほどの闘い。ただ、それだけである。

 それが、かつての桜国にはあった。

 その舞台も用意されていたという。

 しかし今はそれも無い。

 五代前と言っていたか。蘭国の頭首が舞台から降りたのが原因であると父からは聞かされていた。

 桜が桜としてあり、蘭が蘭としてあるための理由を、あの一族は反故にしたと。

 しかし原因などはどうでも良かった。事実そうであったとしても、桜国が変わる理由にはならない。

 結局、桜の民もまた、部族としての誇りを捨てたのだ。

 残ったのは何だ。

 白虎岩に憑りつかれた金の亡者共か。

 権力にすがり私腹を肥やす阿呆共か。

 くだらない。

 このまま桜が桜である意義すら消えてしまうのであるならば、いっそのこと――。

 

 男は眼前にあった卓に、上げていた右足の踵を叩きこんだ。

 拳ほどの厚みがある天板が音をあげてふたつに割れた。

 吐かれる呼気に大気が歪む。

 少しではあるが、腹の底で煮えていた苛立ちが静まっていくのを男は感じとることができた。


「若」

 と、部屋の奥から女の声がした。見ると黒服に身を包んだ影が片膝をついて頭を垂れていた。首巻きで口のあたりを隠しているため顔はよく見えないが、肩まで伸びた髪は男と同じ栗色で、毛先だけが内に巻いていた。

「何の用だ」

 床に落ちた装束を拾いながら男は聞いた。

「ふたつほど前、関所を抜けた馬車に蘭国の者がいたとの報せが」

 男の頬がぴくりと動く。

「その者、数日前にも籐国で騒ぎを起こしているらしく、見た者によればこめかみに刺青をしていたとのこと」

「ほう、幹部か」

 ここにきて初めて男の目に光が宿った。

「何用で桜まで来たというのか」

「それはまだわかりませぬ。ただ――」

 言いあぐねているのか、影は言葉を止めた。

「かまわん、言え」

「……報告からするにその者、おそらく國立の陸鋭ではないかと」

 目を大きく見開き、しばし呆然と影を見やっていた男であったが、

「くく、そうか。ははは!」

 まるで今までの様子が嘘であったかのように、玩具を見つけた子供のごとく笑い声をあげた。

「おもしろい。ならば俺が直々に確かめに行くとしよう」

 装束を肩にかけた男は眼下の国を見下ろしながら口元をつりあげる。

 

 桜国が頭首にして桜虎おうこ(桜国軍の呼称)が将。

 雲上くもかみじん――。

 それが男の名であった。

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