最終章 新たなるプロローグ
あれから三ヶ月、僕はネットを開かなかった。
仕事が終わってからは、会社の同僚と飲みに行ったり、カラオケに行ったり、たまには誘われて合コンにも参加したりした。
僕のパソコンは仕事以外では使わなくなり、部屋の片隅で埃をかぶっていたが……だけど……もう二度とネットにはINしないと心に誓っていたんだ。
あの日、リアルのキリちゃんと会って、
その後、キリちゃん夫婦がどうなったのか?
O月O日、午前九時頃。
滋賀県伊吹山で、谷底に自動車が墜落していると
山菜取りにきたグループから通報があった。
車種はデミオで奈良県の歯科医師のOOOOさんが
運転していたとみられる。
山道は急カーブも多く、スピードを出し過ぎて曲がり切れず
500m下の谷底に墜落、車が炎上したと思われる。
車内からは歯科医師夫婦と思われる男女の焼死体を発見。
遺体の損傷が激しく、警察では身元確認を急いでいる。
翌日の新聞に、こんな記事が載っていた。
間違いなく、あのキリちゃん夫婦だと思った……男は妻と共に逝くといって、車を発進させたのだから……。
帰ってからの僕は、あの事件を警察に通報するかどうか、ひどく迷って悩んでいたが……キリちゃん夫婦が死んだ、今となっては、もうこのまま固く口を閉ざして……事件を闇に葬ろうと決心した。
――そして、自分自身もネットを封印したのだ。
二度とやらないと誓ったネットだが……。
友人と飲んでも、コンパで女の人としゃべっても、お笑い番組を観ていても……心から楽しめない。
何かが足りない……なんともいえない喪失感で心が満たされなかった。
毎日の生活が味気なくて、どうしようもなく孤独だった。
一年前に恋人を喪った時よりも、さらにひどい状態になっていた。――ついに鬱状態で会社も休むようになった。
その日も会社をサボって、家でゲームをしていたが……イライラして集中できず、散々な戦歴だった。
怒った僕は、プレステのコントローラーをモニターに投げつけた。
もう我慢できない!
狂ってしまうくらいなら……僕は自らの“封印”を解いた。
――ついにウェブサイトに入ってしまった。
そこには華やかな別次元が存在している、
自分のマイページにいってみた。
ああ、訪問者もなく……すっかり
ネットの世界では一週間INしないと訪問者は激減する、一ヶ月INしないともう退会したと思われる、三ヶ月もINしないと存在すら忘れ去られる。
それがネットのスピードだろう、そう、所詮そういう世界なんだ。
確かにマイフレンドも何人かに削除されて少なくなっていた、もう退会したと思われていたんだな、まあ、いっか!
今の僕にとっては、その冷淡さが心地よいから、もう、Syochan85というHNに未練はなかった。
次に『
そこには最後の日にチャットしたアバターのまんまで、可愛いキリちゃんが微笑みかけていた。
じーっとキリちゃんのアバターを見ているうちに、僕の頬に涙が伝ってきた。
ああ、キリちゃん……もう一度、君に会いたいよ。
「キリちゃん、君を死なせない……」
やっと気がついた、僕はキリちゃん夫婦が好きだったんだ。
ネットでのお
ふたりの想いがこもった、この『蟷螂』のHNをこのまんま眠らせていてはいけないんだ!
「キリちゃん、君を死なせない!」
僕は男に教えて貰ったパスワードを打ち込んだ。
「2010※※※※」IN。
そして『蟷螂』のマイページは開かれた。
しょうちゃん、お帰り。
やっぱり還って来てくれたんだね。
わたしは今から愛する妻と逝くよ。
全然、怖くないんだ。
わたしたち夫婦はどこまでも一緒だから。
『蟷螂』のHNとアバターを全て
しょうちゃん、君に譲る。
だから、『蟷螂』のことは任せたよ。
O月O日O時O分 伊吹山にて
きりちゃんことOOOO
ブログの日記に、非公開で僕宛のメッセージが書いてあった。
あの男は、いずれ僕が『蟷螂』のマイページを開くことを予感していたのだろう。
O月O日O時O分 伊吹山にて……あの後、死の直前に携帯からネットのブログにアクセスして書かれた日記のようだった。
いわば、ダイイングメッセージともいえよう。
子どものいないあの夫婦にとって『キリちゃん』は子どものような存在だったのか?
『蟷螂』を託された僕は、あの夫婦の想いを受け止めなくてはいけないんだ!
「キリちゃんは、僕が生きかえらせるよ!」
まず、キリちゃんのアイテムバックを開いた、そこには信じられないほど、高価なレアアバターが表示されていた。
「おぉ―――!」
思わず、歓喜の雄叫びを漏らす。
キリちゃんのアバターコレクションは半端ではない、これはもう100万円レベルで集められている。
元々アバター好きなので、コレクションの凄さに目を見張った。
しかも……軍資金としてウェブマネーには50万円近くチャージしてあるではないか!
これも全部使ってもいいんだろうか?
僕は取りあえず、キリちゃんのアバターを着替えさせた。
いろいろ迷って決めたアバターは、まるで女王様のようにキリちゃんが光り輝いて見えるアバターだった。
これは単なるネットのアプリではない!
このアバターには魂が宿っている、そうキリちゃんは生きているんだ。
僕はキリちゃんのHNとアバターでチャットルームへいった。
ロビーに入った瞬間に……5~6人の男性ユーザーからアクセスがあった。
「彼女ひとり?」
「すごいレアアバだねぇー」
「可愛いねぇ~僕とチャットしようよ!」
いらでもネットの男たちが寄ってくる、これはもう快感だぁ―――!!
僕も『ネカマ』が止められないかもしれない……。
僕 「(○´-ω-)っ[蟷螂]ト申シマス。」
男 「すごいHNだね!!∑d(*゚∀゚*)チゴィネ!!」
僕 「うん!でも怖くない(★^o^σ)σЧo」
男 「アバター可愛いくて(* ̄。 ̄*)ウットリ」
僕 「キリちゃんって呼んでね♪ヾ(´・ω・`)ノョロシク(o´_ _)oペコッ」
男 「キリちゃん、か━━ヽ(´・о・)ノ゙わ━━━いヾ(Д・`)ノ━━ぃ!!」
そして……僕は見知らぬ男とチャットルームに入っていった。
彼は、まさか本体が“男 ”だとは知るまい……。
現実逃避の変身願望に心が満たされていく――。
「わたし、キリちゃんでぇ~す♪ (o´艸`o)ムフフ」
僕はもう……たぶん、きっと。
このネットの世界から、永遠に抜け出せないかもしれない……。
― 完 ―
危険なネット 泡沫恋歌 @utakatarennka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます