第九章 戦慄の告白

「どうして、君が……」

「わたしがなにも知らないと思って!」

わるびれる様子もなく妻がいう。

やっぱり彼女はネットの中で、わたしを監視していたんだ。そういえば妻はパソコン操作もかなり上手いし、パス抜きくらいできても不思議はない。

わたしを監視するためなら、どんな手段でも用いる女――それが妻だ。

正直、彼女の精神状態が正常ではないということを、少し前から薄々気づいていたんだ。


「しょうちゃんのことは任せて、この人とリアルで会うわ」

「キリちゃんになりすまして……か?」

「そうよ、いいでしょう?」

「いつも……そうやって、わたしのパソコンを覗いていたのか?」

「あなたがネットで女になりすまして、こそこそ遊んでいるのをわたしが知らないとでも思っているの?」

「まさか……前のふたりとも……会ったのか……?」

以前から心に引っかかっていた疑念をぶつけてみる。

すると妻はニヤリと笑い。

「あなたのネットの恋人はわたしのもの」

「…………」

「最後に気持ちの良い思いさせてあげたわ。だって、わたしカマキリの雌だもの、交尾した雄は殺すのよ!」

あはははっ、と狂ったように笑う妻に、戦慄せんりつが走った!

やはり、そうか! 

……という思いもあったが、この異常な状況に気が動転して言葉を失くしてしまった。


わたしの妻が殺人犯!?

ショックのあまり、頭の中が真っ白になったわたしの代わりに、妻が君とチャットを始めた。その様子をただ茫然と眺めていた。


「僕も……そのふたりみたいに殺されるところだったんですか?」

「そうだ……」

「なぜ生きているんですか? 彼女が手渡した缶コーヒーを飲んだのに……」

「わたしが……妻の隙をみて取り替えたんだ。妻の飲んだ水にトリカブトを入れて、君のコーヒーには睡眠薬を入れたんだ」

「……そうか」

「もう、これ以上……妻に人殺しをさせたくなかった」

「だからって……殺さなくても……」

先ほどホテルでのキリちゃんの艶めかしい肢体を思い出して、胸が苦しくなった。

病気だったら治療させればいいのに……あんたも医者だろうが!?

なぜ、なぜ? 殺したんだ自分の妻を!


「わたしはこの事件を表沙汰おもてざたにしたくないんだ」

「それは歯科医としてのあなたの名誉や看板にキズが付くからですか?」

「もちろん、それもあるよ」

「なんて身勝手な男なんだ! キリちゃんはあなたに冷たくされて精神がおかしくなって、こんな怖ろしい犯罪をおかしたんですよ!」

「それは分かっている」

「キリちゃんひとりが、すべての罪をかぶって闇に葬られるんですか?」

「…………」

「じゃあ、僕はどうなるんだ……?」

「……欝で自殺願望の人妻と心中する男っていう役回りもあるよ」

男が不気味にニヤリと笑った。

「えぇ―――!」

やっぱし!  殺される運命なのか!?


このままではこの男に殺されるかもしれない……だけど、強烈な睡眠薬を飲まされた僕はかろうじて意識は保っているが、身体の自由が効かなかった。

きっと、この後で僕はトリカブトを飲まされて、この男の妻と心中させられるんだ!

「イヤだ! 助けてくれ―――!」

「…………」

男はじっと僕の顔を覗きこんだ。

「誰にも言わないから……頼むから……お願いだ……」

僕は見苦しく、その男に命乞いをしていた。少しずつ身体は動くようになっていたが、この状態では逃げ出せない。


「あはははっ」

急に男が笑い出した、妙にさわやかな笑い声だった。

「嘘だよ」

「えっ……?」

「わたしは君を殺したりしない」

「ほ、本当ですか?」

「うん!」

「まだ、僕は死にたくないんです」

「そうだろ」

「去年の今頃は恋人が事故死して……毎日、死ぬことばかり考えていたけど……今は生きたいんです」

「しょうちゃん、君はわたしたちの分まで生きるんだ」

「えっ?」

男の言葉に引っかかる。《わたしたちの分って》いったい何を考えているんだ?


――静かに男は、死んでいる妻の口から流れでた血をハンカチできれいに拭き取り、見開いた目を瞑目めいもくさせた。

愛しげに妻を凝視していた……男の目から、ふいに大粒の涙が零れ落ちた。

しばらく嗚咽漏らし、男は静かに泣いていた。


「妻を殺して、初めて分かったんだ……わたしは彼女を愛している」

「…………」

「妻がいないと生きていけないのは……わたしの方だった!」

「まさか?」

「もう、これ以上殺人を犯させたくないという決意と、狂っていく妻に対する恐怖と……殺されたふたりのマイフレンドの仇討ちみたいな気持もあって、妻を殺してしまった……これで彼女の束縛から逃れられると思っていたのに……」

「…………」

「しかし……違った! 彼女を失って、わたし自身が生きる気力を失くしてしまった」

「なにを考えてるんですか?」

「妻はわたしの全てだった! 彼女はわたしだけを深く深く愛してくれた、そんな女はもうこの世にはいないんだ!」

そういって、男は流れる涙をぬぐった。

「頼むから! バカなことは考えないで自首してください!」

「……彼女をひとりでは逝かせない、わたしは夫だからどこまでも付いて逝くよ」

「キリちゃん……死なないでくれ……」

「死んだ妻の罪は、わたし自身の罪でもある!」

「止めてください!」

なんと激しい夫婦愛に、僕は不覚にも泣いてしまっていた。


「もう決めたことだ」

男は静かに、そしてきっぱりと言った。

もう何を言っても無駄だと、はっきりと見て取れる態度だった。

「――ひとつだけ教えて欲しい。僕のマイフレンドのルミナちゃんはどうなったんだ?」

「ああ、彼女は殺された大学生のマイフレンドだったからねぇー、すぐに『蟷螂』を疑って、いろいろ嗅ぎまわったり、君に警告のミニメールを送ろうとしていたので、妻がルミナさんのパス抜きをして、本人になり代わり……」

「なにをやったんですか?」

「チャット部屋でいろんなユーザーからパスを抜いて、それを運営事務所に通報して、彼女のIDを強制削除させたんだよ」

「そんなことされたら……ブラックリストに入れられて、ルミナちゃんのパソコンではもう二度とサイトに登録できないじゃないかっ!」

「すまない……彼女には申し訳ないことをした」

そういって、男は僕に頭を下げた。

「それじゃあ、僕にいたずらメールを送っていたのは……?」

「あ、あれはわたしの妻だよ、君に嫉妬していたんだ、スマナイ……」

あぁーそういうことだったのか! すっかり謎が解けた。


「ありがとう、しょうちゃん、君にすっかり話して心が軽くなったよ」

いきなり男は僕の手をにぎって握手した《この人こそ、ホンモノのキリちゃんだったんだ》なんだか複雑な心境だ――。


「最後にひとつだけ心残りがあるんだ」

「なんですか?」

「蟷螂のマイページの中のアイテムバックにある、わたしのコレクションだよ」

「あぁー、あのレアなアバターですか?」

「そうだ、あれをしょうちゃんに全部譲るよ。消えてしまうのが惜しいんだ」

「だ、だ、だってぇ―――!!」

驚いた! あれはアバ廃人なら喉から手が出るほど欲しいアバターばかりなのだ。

「そ、そ、そんな貰えないでっす!」

「しょうちゃんに貰って欲しい。それがわたしの最後の願いだ」

「蟷螂のパスワードはね……」

「……うん」

「2010※※※※だから」

たぶんそのパスワード番号はこの夫婦の結婚記念日かもしれない、とくに理由はないが……なんとなく、そんな気がしたんだ。

「分かりました」

「わたしたち夫婦のことを世間に公表するかどうかはしょうちゃん、君に任せるよ」

「はい」

「もう15分もすれば薬がきれるから大丈夫」

そういうと、男は助手席の妻の死体を抱きあげて、赤いデミオに乗せた。

「じゃあ、頼んだよ!」

男は軽く手を振り、まるで奥さんとふたりでドライブに出かけるように車を発進させた。

その赤いデミオの後ろ姿を見送り……。やがて、身体が動くようになるとパジェロミニ EXCEEDを発進させて、僕は自宅に帰りついた。

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