時間と距離

今日も容赦のない日差しが照りつけ、駅へと向かう僕の邪魔をする。

なるべく汗はかかない様にゆっくり歩くのだがそれが成功した試しはない。


季節は移ろい夏休みが来た。


とはいっても午前中は夏期講習という名の通常授業、午後はまるまる部活動といった生活がしばらくは続く。実際の夏休みはその後だ。



この時期の練習は特にきつく、ありったけの体力を根こそぎ奪われる。


夏バテのせいなのか、食欲がなく体重は減る一方。


体は疲れきっているはずなのに連日の熱帯夜のせいでなかなか寝付けない夜が続いていた。



そんな中でも、僕の早起きは続いてる。


それだけが僕と先輩とを繋ぐ唯一の蜘蛛の糸だったから。

そしてそれは簡単に切れ、また一度切れてしまうと二度とつながることはない気がしたから。


夏期講習が終わるまでに先輩との関係をなんとか進展させたい。

じりじりとこみ上げてくる焦りの様な感情も僕が寝付けない要因の一つなのかもしれない。


そんなことを考えているうちに駅へと着いた。


ホームではすでに電車の到着メロディーが流れている。

今日はゆっくり歩きすぎたようだ。


僕が乗る車両の扉はちょうどエレベーターの前で止まる。

先輩はなぜか決まってその車両に乗っていた。


ぬるい風とともに電車がホームに入って来て、いつもと同じ位置に停車する。

いつもと同じ時間、位置、関係、距離。


どんなに嬉しいことでもいつかは慣れてしまうのだろう。

同じことの繰り返しではだんだんと満足できなくなってくるものだ。


僕にはそれが寂しいことのように思えた。


どうせ失うのならば最初からない方がよかった、という言葉とどこか似ている感じだと思う。


どんなものでも一度手に入れたものを失うのはとても辛い。





電車の中に入るとやはり先輩がいて

「おはよう」

と声をかけてくれる。


僕はそれに

「おはようございます」

と返し向かいの席に座る。


これで本日の会話はめでたく終了。


あとは駅に着いた時に先輩が、それじゃあまた学校でと手を挙げながら言い、僕も手を振り返す。

たまに他にも会話を交わしたりするが基本はこれくらいのものだ。



今日こそは変えてやる。


意を決して声をかける。


「あの、先輩」


「んー?」


右手にはスマートフォン、左手には単語帳と何やら忙しそうな先輩が顔を上げる。

先輩と目が合うと同時に全身の体温が上がる様な感覚を覚える。


「今日は学校まで一緒に行きませんか? そ、その……学校まで同じ道なのにバラバラで行くのはなんか変っていうか……その…………」


話している間にだんだんと自信を失い声が小さくなる。控えめに言って死にたい。


俯く僕を値踏みするかのようにじっくりと観察した後、先輩はニヤリといたずらな笑みを浮かた。


「でも、この電車から降りる学生は大体みんな私たちの学校だよー?」


「やっぱそうですよねー」


引きつった笑みでごまかす。絶対ごまかせてないけどごまかせたことにする。

もうこの話には触れない。忘れよう。よく考えたら挨拶だけで十分。


きっと先輩は冗談で言ったのだろう。僕にだってそれくらいはわかる。

でも僕ははぐらかされたくなかったんだと思う。


だからこの話はここで


きっとこの後の展開次第では先輩と一緒に登校することが出来るだろうが、なぜかそうしたくはならなかった。



しばらく先輩に見つめられていた気がするが、僕が何も言わないことを悟ったのか先輩は再び手元のスマートフォンと単語帳に目を落とした。



慣れとは実に恐ろしいもので、最初は嬉しくてたまらなかったこの習慣も今では僕を苦しめる要素のうちの一つなのかもしれなかった。


先輩にとって僕は取るに足らないひとりの後輩にすぎない。

少し優しくされただけで毎日同じ電車に乗るなんて行動はストーカーじみていてひどく気持ち悪いということも自覚してる。これに関しては一応朝練と言ってあるけれど果たしてどれほどごまかせているかは……



気づけば僕にとって毎朝のおはようは薬物にも似た中毒性を放ち、僕はきっとそこから抜け出せないだろう。あ、もちろん薬物をつかったことはないよ?


非日常的な刺激に慣れてしまった僕は、さらに強い刺激を求めるしかなかった。

そうやって自分勝手に先輩を求める自分がどうしようもなく嫌いだった。

きっと誰でもよかったんだと思う。

先輩には全て見抜かれている。そういう気がして急に恥ずかしくなった。


どこまでも自分勝手で自意識過剰な僕は、先輩の態度一つで百八十度気持ちが変わる不安定で危険な人間だった。




もっと大人になりたい。





駅に着くまでの時間がいつもよりずっと長く感じた。


僕と先輩との間にある一年という時間はこの何百倍もの時間であると考えるだけで息が詰まりそうになる。


扉が開くと同時に立ち上がる。


先輩が僕に声をかけようとしているのがわかったが、僕は逃げる様に電車を降りた。これ以上傷つくのが怖かったからではない。




明日もこの時間の電車に乗ろう。



きっとこれまで通りの関係ならば続けていけると思うから……

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先輩と僕 春屋りすも @haruyarisumo

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