近くて親しき相手は三人の女性

ふだはる

近くて親しき相手は三人の女性

「だから! 子育ては、お前の仕事だって言っているだろう!?」


 妻からの相談の電話に、俺は苛立ちを隠せないでいた。


(でも、私じゃ、もう手に負えなくって……お願いよ? せめてVR越しでもいいから顔を見せてあげて?)


 俺の目の前には『音声通話のみ』と言う文字が、表示されている。

 周囲は真っ暗だ。

 VRーIP電話は今、妻の音声だけを俺に伝える設定になっていた。


「仕事で疲れた顔なんて、わざわざ家族に見せたがる父親が何処にいるんだよ? お前にだって見せたくないから、音声通話だけにしているんじゃないか?」

(ここの所、毎晩そうじゃないの? 疲れていても、たまには私にだって顔くらい見せて欲しいわ。フィルタを使うって手もあるんだし……)

「……仕事が立て込んでいるんだ。勘弁してくれよ……? フィルタなんて使った所で、取り繕えるのは表情だけだろう? もし、俺が心のイライラを娘にぶつけて、アイツの病気が悪化したら、どうするんだよ?」

(……病気だなんて言わないでよ……)


 娘は数ヶ月前から高校を不登校になってしまっていた。

 原因は対人関係らしい。

 次の夏季休暇で帰宅した時にでも、相談して何とかしてやりたいが…。


 単身赴任中の身の上とあっては、今すぐは無理だ。


「……とにかく、次の日曜日くらいまで待ってくれよ? その時には娘にVR越しに顔見せる事ぐらいは、してやるから……?」

(先週も、そんな事を言っていて、結局、急用が入ったじゃない……)

「急な得意先との接待ゴルフだったんだから、しょうがないだろ!」

(……それこそ、VRで何とかならないの?)

「無茶を言うなよ……」


 本当は無茶では無い。

 現在のVR技術なら、本物と変わらぬ仮想空間のゴルフ場でプレーをする事も可能だ。

 実際、そういうゲームも存在しているし、プロトーナメントすらあるくらいだ。

 しかし金持ちというのは、庶民と違う事をやりたがる。

 結果、今となっては至高の贅沢品となったリアルな現実でのゴルフが、接待に要求されるのだ。

 特に得意先の役員の糞爺どもなんかは、それを強く望んでくる。

 金は会社か連中持ちだから接待で、つまらないプレーを要求される以外に、俺からの文句は無いんだが…。


「とにかく、家族の為に単身赴任先で必死になって働いている俺の気持ちも汲んでくれよ?」

(……千代ちよが貴方じゃないと駄目だって言うのよ……)


 千代は娘の名前だ。

 妻は香織。

 俺は雄介という。


 千代はファザコンの気質が、昔からあった。

 子供の頃は可愛かった。

 もちろん、今でも可愛い。

 だが単身赴任の直前に俺は、その事に異常性を感じ始めていた。


 千代が小学生の頃は、三人一緒に買い物に行く事も珍しくなかった。

 しかし何時の頃からか千代は、香織と二人で買い物に行くのを拒むようになった。

 母親を手伝って来いと、注意するのだが……俺にしがみついて被りを振って離れようとしない。

 代わりに何故か休日の俺の買い物にだけは、必ずついてくる様になってしまった。

 ゴルフ道具など、およそ普通の女の子に興味無さそうな買い物が多いにも関わらずだ。

 ……お父さんと一緒にゴルフをしてみたい……とか、嬉しい事も言ってくれたが……接待で必要なだけだよ……と伝えると、以後は興味が無さそうに買い物にだけついてくる様になった。


 俺が決定的に娘がおかしいと感じたのは、中学三年生の頃だ。

 二年生の時に千代は、今回の様な不登校になってしまった。

 イジメが原因だった。

 俺も娘の事だから必死になって、相手の親を説得して何とか和解に漕ぎ着けて、訴訟やら転校やらの面倒な事態を回避できた。

 それ以来、千代は更に異常なほど俺に、べったりする様になってしまった。

 千代は中学三年生になっても、俺が早く帰宅した時は、一緒に風呂に入ろうとする。

 ある日、千代が先に風呂に入っていた後で、俺が風呂に入ると寝室から千代が出てきて寝巻きを脱いで俺の入っている風呂へと自分も入ろうとした。


 あなたは、もう、お風呂に入ったでしょ?

 お父さん、疲れているんだから、そっとしてあげて?


 そう言って香織が、千代の手を引いて風呂場から出そうとした時だった。

 半狂乱で叫び声をあげた千代が、香織の頬を爪で引っ掻いた。

 幸い傷は大した事が無く、数週間後には消えたのだが……。


 俺は自分の単身赴任が決まった時に、千代と離れる事が彼女にとって良い治療になればと願っていた。

 実際、千代も単身赴任なら仕方が無いと言ってくれていたのだが……。


「それでも、お前が母親なんだから……俺の留守を、きちんと預かってくれなきゃ困るだろう?」

(……私、本当に母親なのかしら?)

「……どういう意味だ?」

(なんだか最近の千代の私を見る目が、憎んでいる様な気がして……)

「気にし過ぎだろう?なんなら、お前も一緒にカウンセリングを受けて来い。」

(……私と一緒じゃ無理よ。先生にも自宅に訪問していただいている有様だし……)

「……そんなに酷いのか?」

(……ええ……)


 俺は溜息をついた。


「分かった……。とにかく次の休みまで待ってくれ。それに夏季休暇には必ず帰省して、こんなVR越しのもどかしい状態では無く直接、千代と話をしてやるから?」

(……どうしても今は駄目なの?)

「本当に疲れているんだよ! ……頼むよ……」

(……分かったわ……)


 そう言い残すと、香織は通話を切った。


「まいったな……」

 俺は独り言を呟く。

 VRを取り合えずやめる為に額のシートを外して充電器の上に乗せる。

 景色が色を取り戻す。

 ここは自分の単身赴任先の部屋である事を何となく確認した。


「便利な世の中になったって言うのに……」

 風邪をひいた時に額にのせる水で濡らしたタオルの様なシート。

 子供の頃にHMDヘッドマウントディスプレイでゲームを遊んでいた身としては、こんな柔らかな、お手拭きみたいな頼りない代物で完璧なVRが可能になる時代が来るとは夢にも思わなかった。


 シートを額に貼り付ける事によって、このシートが発生させる指向性を持った磁界による電磁誘導で脳の神経細胞に誘導電流を流す事によって、このシステムは脳に直接五感を植えつけてVRを実現している。


 シートにはWiーFiワイファイも備わっており、インターネットに繋がった外部機器と無線接続されている。


 単身赴任当初は、これを使って普通に家族と一緒に向こうの家のリビングで会話などもしていた。

 だが、仕事が本格的に忙しくなると帰りが遅くなり、そういう機会も減っていってしまった。

 時間の経過と不一致だけは、どうしようもない。

 仕事がきつくて千代が不登校になってしまってからは、愛している筈の家族の顔ですら見るのが辛くなってしまったのが本音だ。


 こんなにVRが便利になったというのに、相変わらず自分の足で営業をして、必要があれば単身赴任すら回避せずに受けて行動しなくてはならない。


 なんとも暗い未来世界だと、俺は自嘲した。


 遅い夕食を食べると、時刻は深夜になっていた。

 香織と千代は、もう寝ている頃だろう。

 不意にVR-IP電話の着信音が鳴った。


 ……来た?!


 番号は非通知。

 それにも関わらず俺は、ウキウキ気分で額にシートを貼って現れた『応答』に片手で触れた。

 景色が寝室に入れ替わる。

 そのベッドの上に、彼女が座っていた。

 彼女は名前を未来みくと言った。

 都内でOLになったばかりの新人だと言う。

 VR空間でだけ会える俺の愛人だった。


「とりあえず、口でいいかな?」

「頼むよ?」

 俺は仰向けにベッドに横になると、彼女が覆いかぶさって下の方へと頭を移動させた。


 彼女との出会いは一本の間違い電話からだった。

 彼女はどうやら、ある人物とのVRセックスに嵌っており、その人物とたまたま俺のVR-IP電話の番号が似通っていたらしい。

 仕事柄、非通知でも一応は取る事を心掛けていた俺は、その時も掛かってきた彼女からの非通知の電話を取った。

 目の前に全裸の女性が現れた時は、面食らったが……。

 呆然としている俺に彼女は、慌てて謝って接続を切ろうとしたが……。

 途中で小悪魔の様な笑みを浮かべると、俺をVRセックスに誘ってきた。


 疲れていたせいだろうか?

 目の前の女性が自分の好みを寄せ集めたかの様なルックスをしていたせいもあり俺は、その申し出を受けてしまった。


「ふふっ……準備オッケーですね?」

 彼女は、そう言って微笑むと、俺に馬乗りになって身体を逸らす。

 そして腰を、ゆっくりと押し付けるように回し始めた。

 予め俺のものをしゃぶりながら、手で自分のも弄っていたのかもしれない。

 彼女の中は柔らかかった。


 シートは脳内に誘導電流を流すだけでなく、脳内での磁界の変化を感じ取り、個人の身体的特徴をデータ化する。

 つまり、この感覚は実際の彼女のデータを、こちらのシートで受けて脳内で再構築されているものだ。

 だから寸分違わない彼女の身体を感じられている。

 下世話な言い方をすれば、リアルもVRも彼女の締め付けの具合の良さは変わらないのだ……。


 もっともルックスは、フィルタで多少弄っているのかもしれないが…。


 俺は両腕を伸ばすと彼女の乳房を揉みしだいて硬く、しこった乳首を指で擦った。

 さらに自分も起き上がると、彼女を抱きしめて突く。

 これがVRの感覚だとは……凄い時代になったものだ。


 そしてリアルとは違うVRの幾つかの利点がある。

 避妊の必要が全く無い。

 場所を指定して落ち合う必要が無い。

 まったく、まるで浮気や不倫をさせる為に作られた様な技術だ……。

 俺は軽く苦笑いをした。


 そして彼女の中で果てた。


 彼女は俺に覆いかぶさって身体を預けると、余韻に浸りながら尋ねてきた。


「疲れているみたいね……どうしたの?」

「仕事の事もあるんだけど……家でね……」

「単身赴任中なんだっけ?」

「そ……」

「……聞いてもいい?」

「ちょっと、言えないな」

 俺は笑った。

 彼女を見て気付く。

「君も、なんだか疲れている様子だな?」

「……今のVRって怖いわね……。リアルみたいに相手に伝わっちゃうんだもの……」

「何があったの?」

「……母親が、うざくてね……」

 母親が、うざいか……。

 何処も同じだな……。

「一緒に住んでいるの?」

「……そ」

「仲良く出来ないもんかね?」

 彼女は少し考える。

「……母親ならね……」

「どういう意味?」

「時々見せる女の顔がイヤなのよ。もう、いい加減オバさんな年齢なのに……」

「酷い事を言うね?」

「……」

「ま、分からなくもないけど……」

「でしょ?」

 そう言って彼女は、ぱぁっと輝くような笑顔で抱きついてきた。

「やっぱり、あなたは私の一番の理解者だわ」

「買いかぶり過ぎだよ……」

「ううん、そんな事ない」

 彼女は子供の様に俺に甘えてくる。

 彼女からすれば俺も、いい加減オジさんなのかもな?

 そう思った。


 そして名残惜しかったけれどVR-IP電話の接続を切って愛人と別れて、俺は本当の自分の寝室で眠りについた。


 そして土曜日の夕飯時。

 明日の日曜日は特に用事が無かった。

 香織に千代とVRで会話する前に予め相談したかったのだが……。

 ずっと留守で繋がらなかった。

 仕方が無い……明日の朝一で掛けてみよう。

 何時ごろに千代と会話を始めたらいいのか?

 千代の様子は?

 どの話題から切り出せばいいのか?

 相談したい事は、山ほどあった。


 深夜。

 非通知のVR-IP電話の着信音が鳴った。

 彼女だろう。

 明日の為に今日は、やめておくか?

 しかし留守で香織と連絡が取れずに不安を感じていた俺は、すっきりすれば眠れるだろうと思い直して『応答』した。

 目の前に全裸の未来が現れた。

 彼女は周囲を、きょろきょろと見回す。

 背景は真っ暗なままだった。

「どうしたんだ?」

「え? ……いえ、なんでもないわ」

 俺は彼女に近づくと、肩を抱き寄せて乳房を片手で揉んだ。

 彼女は怪訝そうな表情をしたが、なすがままになっている。

「今日は余り積極的じゃ無いんだな?」

「え? ええ、そうね……。ごめんなさい……」

「どうしたんだ? また悩み事か?」

「悩み事?」

 彼女は少しだけ考える素振りをする。

「……いいえ、悩み事は消したわ。綺麗さっぱりと……」

「じゃあ、いいかな?」

 俺は彼女とのVRセックスへと堕ちていった。


「……こんなに激しいのは、久しぶりだったかも?」

「そうか?」

 俺は何となく息を荒くした彼女に褒めて貰って嬉しかった。

 彼女は真っ暗な世界で、仰向けになった俺に馬乗りになると首を絞めて来る。

「おいおい……今度は、そういうプレイか?」

「……」

 彼女は微笑むと顔を近づけて言う。

「ねぇ? リアルで会えないかしら? 私……今、少し寂しいのよ?」


 俺は急に冷めた。


 彼女の腕を掴むと首から解く。


「ここまでだな……」

 俺は立ち上がると、彼女に背を向けて伝えた。

「所詮VRだから出来る遊びだ……。君には悪いけど、俺は家族の方が大事なんでね。もう掛けてこないでくれ」

 俺は、そう言い切った。

 冷たい様だが、はっきりさせないとマズイ話だ。


 しかし彼女は、何故か冷たい表情をしながらも嬉しそうに、こう言った。

「そう……せいぜい奥さんを大事にしてあげてね?」

 そう言い残すと、彼女は接続を切った。


 翌朝。

 普通の平面のテレビで流れるニュースを見て、俺は唖然とした。


『母親が娘を殺害』

 テレビ画面に現れたテロップには、そう書かれていた。

 そして、その画面の中には……手錠を掛けられているのか、両腕を上着で覆い隠された香織が映っていた。


 事情聴取で呼ばれた俺は、警察からの説明を聞かされていた。


 千代の不登校のせいで香織は、ノイローゼ状態だったらしい。

 そして、ある物が彼女達の仲を最後の決裂へと導いた。


 VR-IP電話。


 千代の部屋にあったものだ。


 通話履歴には相手先の番号が記録されていた。

 それは全て俺の単身赴任先の住居の番号だった。


 偶然を装って電話を掛け、強力なフィルタで自分の姿を変えて、千代は俺とのVRセックスを繰り返していた。


 香織は、その事を知ってしまい、千代と口論になり……千代を、包丁で滅多刺しにしたという。


 信じられなかった。

 この事実が。

 あの女性の中身が千代?


「……娘さんの死亡推定時刻は、土曜日の午後六時くらいですな……」


 え?


 それじゃ、いったい土曜日の深夜に会った彼女は、誰だと言うんだ……?

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