りつかちゃれんじ

奈名瀬

特別メニュー 『プレーンオムレツ』

 『おいしくなければお代はいただきません ――りつか』


 クリアスタンドにはさまれた手書きの一文を見て、アタシは「はて?」と首を傾げた。


 こんなの前までこの店にあったっけ……?

 なかったはずだよね?


 内心でポツポツと呟き、アタシは視線を上げて店内をきょろきょろと見渡す。

 すると、今いるテーブルの他にも似たようなクリアスタンドが置いてあるのを見つけた。

 アタシは再び「はて?」と首を傾げる。

 ここは中学の頃から通い始め、高校に進学してもなお通っている軽食店だ。

 店長の人柄も、作る料理のおいしさもよく知っている。

 少なくとも、こんな挑戦的かつ挑発的な試みをするような人じゃなかった筈だ。


「てんちょー?」


 だからアタシは、夕時前の空腹を抑えながら、店長に確認をとることにした。


「んー?」


 カウンター越しに間延びした声を出し、店長は読んでいた新聞から視線を外す。

 彼女はずれた眼鏡を指先で直すと手早く新聞紙をたたみ、親しくアタシを愛称で呼んだ。


「どしたのポニコちゃん、注文?」

「いや、注文って言うかね……」


 通常業務に戻ろうとする店長に、アタシは卓上のクリアスタンドを手に取って見せる。


「これだよ、これ。こんなのいつから始めたんですか?」


 率直に質問すると、店長は困ったように笑い出した。


「あー、それね……なんていうか夏限定の特別メニューって感じかな?」

「特別メニュー?」


 今まで夏になったからって冷やし中華すら始めたことがなかったのに、どういう心境の変化なんだろう。


「そういう期間限定みたいなメニュー、ずっとめんどくさがってたじゃないですか」

「あはは……まあ、そうなんだけどさ」


 店長はまるで他人事のように生返事をし、アタシから視線を逃がした。

 そんな煮え切らない彼女の態度を見て、アタシはもう一歩この『特別メニュー』に踏み込んでみることにしたのだが。


「ちなみにその特別メニューって、注文したら何作ってくれるの?」

「ん? さあ? わかんないね?」


 無責任な店長の言葉で、胸中のもやもやがざわめきに変わる。


「あの……店長が作るんですよね」


 アタシはつい、何か怪しい品でも出されやしないかと彼女を疑い始めた。

 しかし、アタシの怪訝な声を聞くなり、店長は「えっ?」と驚きの声をあげ「あー、そーかそーか」と、一人納得いったように頷く。


「店長?」

「わかった。ちょっと待っててね――」


 彼女はそう言ってカウンターを出ると真っ直ぐに店の奥――休憩室へと向かった。


「――直ぐ戻るからさ」


 店長は休憩室の扉を開けると、ひらひらと手を振って中に入っていく。

 気付けばアタシは一人、従業員のいなくなった店内に取り残されてしまった。

 その後、所在なく休憩室の方をぼうっと眺めて時間を潰していると――


「な、なによ店長! わたしまだ休憩中っ」

「まま、そう言わずに。ほら、やっとご指名がはいったよ」

「えっ!」


 ――奥から店長ともう一人、女の子の声が聞こえてきた。

 アタシは何の話をしてるんだろうと、耳を澄ましてみる。

 すると――


「そういうのっ、もっと早く言ってよ!」


 ――生意気そうな声と共にバタンッと勢いよく扉が開かれ、一人の少女が現れた。

 薄手のカーディガンを羽織った小学生ぐらいの女の子だ。

 彼女は青いエプロンの肩ひもを結びながら、ずんずんとこっちに向かって歩み寄って来るとアタシにぐいっと顔を近づけるなり、開口一番に叫んだ。


「あなたがわたしのお客さんっ?」


 突如現れた少女は妙な期待感に満ちた視線を一方的に注いでくる。


「……えっと、てんちょー?」


 アタシはすぐそれに耐えきれなくなり、店長に助けを求めた。


「この子ねりつかって言うの。私の姪っ子ね。夏休みの間だけお手伝いしてくれてるのよ」


 店長は簡単に少女こと、りつかちゃんの説明をしながら彼女の背に回る。

 そして、言い終えるなりばふっと姪っ子の頭を撫で始めた。

 しかし、撫で方が乱雑なのか、りつかちゃんは頭をぶんぶんと振って嫌がる。

 直後、彼女は店長の手を払いのけ――


「お手伝いじゃなくて料理修行でしょ!」


 ――ぶすっと頬を膨らませて反論した。

 ようやくアタシはクリアスタンドの『特別メニュー』の正体に至ったのだ。


「もしかして、この料理作ってくれるのってりつかちゃん?」


 クリアスタンドの一文を指さし訊ねると、りつかちゃんはこくりと頷く。


「そう、だけど」


 彼女は店長に向けていたキッとした目つきをやわらげ、どこか不安そうな眼差しをアタシに向けた。

 しかし――


「それで、わたしに注文してくれるの? それとも……」


 ――りつかちゃんはすぐに口をつぐみ、アタシから店長の方へちらりと目線を移す。

 それが何を意味するのかすぐにピンときた。


「うーん……」


 どうしようかなぁ。と、アタシは逡巡する。

 特別メニューの正体がわかった今、この小さな料理人さんに自分のお昼を任せてみるというのもおもしろそうだ。

 店長が店で料理を出すことを許しているんだし、本当においしくないものは出てこないだろう、と、思ったのも束の間。


「はぁ……いいわよ無理しなくても。わたしお冷持ってくるね」


 答えを急いたりつかちゃんは、がくりと肩を落とし、一人踵を返してしまった。

 その後姿が、あまりに残念そうに見えて、アタシはくすりと笑ってしまう。

 そして、アタシは決めたのだ。


「じゃあ、注文しちゃおうかな」


 この子に、今日のお昼を任せてしまおうと。

 アタシの声が届いたのだろう、りつかちゃんは踏み出していた歩みを止め、くるりっと振り返った。


「ほ、ほんとっ?」


 彼女は驚きに満ちた向日葵みたいな笑顔を浮かべ、その場で「やった」と、跳びはねる。


「……本当にいいの?」


 そんな姪の姿を見て、店長はこっそりとアタシに耳打ちをした。

 けど、アタシはもう決めたのだ。


「うん。いいよ。それに――」


 制服のポケットから財布を取り出し、パチンと開いて中を確かめる。

 お支払いの準備をしてから。


「――おいしくなかったら払わなくてもいいんでしょ? お金」


 あえてアタシは、りつかちゃんに挑戦的に笑って見せた。

 すると――


「上等じゃない」


 この小さな料理人さんはハートに火が付いたらしい。


「見てなさい。絶対おいしい料理食べさせてあげるわ」


 アタシは期待を胸に、調理場へと向かう小さな背中を見送った。



 温まったフライパンで何かが焼ける音が聞こえる。

 油の弾けるようなジュウッと言う音がアタシの食欲をそそった。

 テーブルから見える調理中のりつかちゃんの後姿はどこか頼もしく見える。

 これは、期待できそうかな?

 アタシはもう一度クリアスタンドの一文を流し見てくすりと笑い、料理ができるまでの時間、スマホをタプタプと触って過ごした。



 アタシの座るテーブルへコツンコツンと靴を鳴らし、りつかちゃんが歩み寄って来る。

 片手に銀のトレイを持つ彼女は、先程とは少しだけ雰囲気が違って見えた。

 今の彼女は愛想のないウエイトレスではない。

 彼女は今、料理と共に現れた愛想のない小さな料理人なのだ。


「おまたせしました――」


 そんなリトルシェフはテーブルの傍に立つと丁寧な言葉でアタシに告げる。

 しかし、言葉遣いとは裏腹に彼女はぶきっちょで、表情はとても不愛想。

 そのちぐはぐさが可笑しくて、アタシはくすりと笑いを誘われた。

 すぐにイケナイと思い必死で笑いを堪える。

 そうやって、きゅっと唇を結んでいると。


「――プレーンオムレツになります」


 そんな台詞と共に、それはコトリと目の前に差し出された。

 淡いバターの香りがする。

 つい、すんすんと鼻を鳴らしてしまい、オムレツの湯気を吸い込む度くぅっとお腹が鳴りそうになった。


「お腹がすく匂いがする……」


 目線を落としてみると真白い皿の上にはこんもりと盛られたオムレツが一つ。

 きれいな薄きいろのたまごは焦げ目一つなく、すぅっと引かれた一筋のあかいケチャップが甘酸っぱさを予感させた。

 ごくりと、アタシはたまらず唾を飲み込む。

 そして、食器入れからスプーンを手に取り、アタシはふっくらとやわらかいたまごにすとんっと先端を差し入れた。

 すると、オムレツの中からとろりと半熟のたまごがはちみつみたいに皿の中へ流れ出す。


 アタシはオムレツを、とろとろな半熟たまごと一緒にスプーンですくって……ちゅるんっとお口へ放り込んだ。


 直後、口の中で卵はほろほろと解れていき、舌を優しく覆いはじめる。

 この瞬間、あたしは『口の中でほどける』とは、こういうことなのだと理解した。

 幸せの感情が鮮烈に舌先を刺激し、アタシはこれが恋なのではとも錯覚しそうになる。


 ああ、プレーンオムレツ……。

 自分にもできるだろう簡単、単純、明快な料理だと思っていたけど、とんでもなかった。

 料理ってなんて奥が深くて、味わい深いんだろう。

 アタシはスプーンを片手に恍惚とし、一人で幸福感に浸っていた。


 しかし――


「ねぇ……おいしくないならおいしくないってはっきり言ってほしいんだけど……」


 ――その、不安と期待を半々に、どことなく不機嫌そうな声でアタシはハッと我に返る。

 目線の先には年端もいかぬ料理人がいて、彼女は自らの表情をトレイで隠すようにこちらをのぞいていた。

 アタシは急いでオムレツを飲み込み、慌てて口を開く。


「ごめんごめん! つい、ぼうっとしてて」


 そんなアタシに彼女はふんっとそっぽを向き、でもまだ視線だけはこちらに投げていた。


「で、感想は? おいしかったの?」


 りつかちゃんはアタシを横に見て、落ち着かない様子で答えを急かす。

 そわそわと落ち着かない様子の少女にアタシは、ありのままの感想を告げた。


「すっごくおいしいよ! りつかちゃん!」


 次の瞬間!

 がしゃんっと、トレイが床に落ちた。

 アタシは思わず、びくりっとしてしまう。

 何事かと思えば、りつかちゃんが顔を隠していたトレイを落としてしまったようだった。


「お、おいしい?」


 不遜、生意気、不愛想……そんな少女の面影はどこへ行ってしまったのか?

 りつかちゃんは「おいしい」と口にしたアタシに信じられないと言いたげな瞳を向けた。


「うん、おいしいよ」


 アタシは彼女の反応に驚きながらも、もう一口オムレツを口に放り込む。

 うん。やっぱりおいしい。

 自分の感想が間違いでないことを確かめ、アタシは再びりつかちゃんに告げた。


「こんなにきれいでおいしいオムレツ食べたの初めて! おいしいよ、りつかちゃん」


 その途端、彼女は「また言った!」と、飛び退いて驚く。

 どうも本気で信じられないという反応だ。


「ほ、ホントにホント? 嘘じゃないの?」

「う、嘘なんか言わないよ。なんなら、りつかちゃん食べてみる?」


 お皿からオムレツをすくってスプーンを差し向けると、りつかちゃんはぶんぶんと首を振る。

 そうやって彼女の反応にアタシが戸惑っていると、店長がりつかちゃんの頭を後ろからぼふりと撫でだした。


「な、なによ店長!」


 髪をくしゃくしゃにされまいと、リツカちゃんはすぐさま逃げ出す。

 そんな姪っ子を見て、店長はニカッと笑って口を開いた。


「あはは。怒るな怒るな。それより、どう?」


 唐突に訊ねられ、りつかちゃんは一瞬首を傾げる。

 しかし――


「おいしいって言ってもらえるのって、最高に気持ちがいいでしょ?」


 ――もう一度訊ねられた時、彼女は恥ずかし気に……そして、嬉しそうにこくりと頷く。


 それは、なんだかこっちまで嬉しくなるような、幸せなはにかみだった。

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りつかちゃれんじ 奈名瀬 @nanase-tomoya

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